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【日本語ジャングル】千利休の聖と俗

〔わび〕と〔さび〕は日本文化を象徴するキーワード。しかし、日本の文化・歴史に精通しない海外の人に、なぜ日本人は〔わび〕〔さび〕を愛し、重んじるかを説明する時、多くの人はとまどい、口を閉ざしてしまうのではないでしょうか。

日本文化の「わかりにくさ」は、そもそもどこから生れてきたものか。
能・茶道・水墨画・日本庭園・俳諧など、代表的な日本文化は中世にはじまり、発展してきました。

これらの分野には、創始者または大成者と目される一人の偉人がいます。
茶道を大成した千利休もその一人。しかし、いったい利休が始め、創作し、成し遂げたものは何か。茶道を知らない人にも、ひと言で飲み込めるように簡略に説明することは困難です。

〔侘び茶の完成〕
〔茶数奇〕
〔茶の湯と政治の交わり〕
〔樂茶碗・待庵の創作〕

すべて利休の功績ですが、具体的に何をどうしたものか、いたって説明しづらい。とりわけ、利休や山上宗二が何のために死んだのか、おそらく聞けば聞くほどわからなくなってしまうのではないでしょうか。
善悪・清濁・美醜・聖俗…。二つの対立概念で説明しきれぬ利休の謎、日本文化の複雑さを利休の足跡からたどっていきたいと思います。


■わりきれない利休の美の謎

一般に利休の美は「極限までムダを省いて、たどりついたシンプル、素朴な造型」にある、といわれますが、どうやらそんなに単純なものではなさそうです。
〔わび〕と関連する概念に、〔くずし〕や〔やつし〕と呼ばれるものがあり、利休をはじめ武野紹鴎や古田織部が、完成された唐物名物をわざと損じ、その奇形の美を尊重したという例が多くの茶書にみられます。
これらは〔侘び数奇〕と目され、不均衡の美、不足の美を重んじるのですが、単純にくずれ、損じ、古びたものがよいというわけではない。『南方録』では、紹鴎・利休の師弟が、青磁耳付の花入の片耳をわざと欠けさせ、その不均衡の美を愛でたという一節が紹介されています。

以下、『茶話指月集』より、利休の難解な審美を伝える段落をいくつかご紹介しましょう。


1.ある人、連子窓の竹、処々打ち替えたるを、少庵、あれみよ、新古取りまぜて人をおもしろがらすること、総てかようの類、数奇道にきらうなり。たとえば連子竹損じたらば、皆打ちかえてよし。さもなくば、その儘置くべし。されど貴人を申しうくるには、いつとても取りかゆるがよきなり。


2.雲山といえる肩衝、堺の人所持したるが、利休など招きて、はじめて茶湯に出だしたれば、休、一向気にいらぬ体なり。亭主、客帰りて後、当世、休が気にいらぬ茶入おもしろからずとて、五徳に擲ち破りけるを、傍にありける知音の人もろうて帰り、手ずから継ぎて茶会を催し、ふたたび休にみせたれば、是でこそ茶入見事なれとて、ことの外称美す。よてこの趣き、もとの持ち主方へいいやり、茶入秘蔵せられよ、とて戻しぬ。

その後、件の肩衝、丹後の太守(京極高広)、値千金に御求め候て、むかしの継目ところどころ合わざりけるを、継ぎなおし候わんや、と小堀遠州へ相談候えば、遠州、この肩衝破れ候て、つぎめも合わぬにてこそ、利休もおもしろがり、名高くも聞こえ侍れ。かようの物は、そのままにて置くがよく候、と申されき。

附り
古織、全き茶椀はぬるき物とて、わざと欠きて用いられしことあり。よからぬものずき、という人もあれど、この茶入われて後、利休却りて称美し、遠州公もかくの給うにて、茶道の風流、別にあることと知るべし。


3.ある時有楽公、利休方へ御尋ねありしに、おりふし茶入に古き蓋取り合わせ居たるが、そのうち大ぶりなるふたの、とくとあわざりけるを、却りておもしろく候とて、有楽へみせ申す。その後、公の茶入に件のとおり古きを取り合わせ、休へ御みせ候えば、かようの物類奇、一概によしとおぼしめしそ。この茶入には、新しき蓋のよく合い候がましにて候、といいし。


4.口切の時分、宗易、さる佗のかたへ、鵙屋の宗安をともないまいられたれば、露地の中垣にふるき狐戸を釣りたり。宗安、さびておもしろく候、とあれば、易、われらはさびたりと存ぜず。却りて結構なる釣戸とこそ存ずれ。いかんとなれば、さだめてとおき山寺より所望し来るにぞあらん。その人足等の雑用思いはかるべし。たとえば佗の心ならば、自身戸屋へゆき、いかにも粗相なる猿戸がほしいといわんに、戸屋、さようならば、松杉の板くず続ぎ合わせいたしまいらせん、といいて出来たるを、そのまま釣りてこそさびて面白しと申すべけれ。かようのことにて、その人の茶湯はみえ侍る。

(『山上宗二記 付 茶話指月集』熊倉功夫校注 岩波文庫)


「茶道の風流、別にあることと知るべし」

利休の美は、理屈や言葉をこえた「別」のもの。ただ〔ムダを省いたシンプル〕な造型のみをいうものではありません。
また、この美の基準は、時により、人により、移ろいいく。紹鴎、利休の時代には、様々な点前・作法が考案され、小座敷へと導入されましたが、いまだその形式は定まっていなかった。『南方録』棚物の点前についてこんな記述があります。

袋棚は、書院、くさりの間、平座敷、小座敷ともに用ゆ。(南方録 棚 三)

只々卓も棚も、四畳半已上ならでは置かぬことと心得て越度はあるまじ。(南方録 棚 一三)

(棚 三)では、棚物を広間から小座敷まで置きつける、としていますが、(棚 一三)では広間専用である、とする利休。これは相伝の混乱ではなく、利休が南坊宗啓へ指南していた短い期間に棚物の点前が変化していったものであろうと推測されます。

美は時と共に移ろいいくもの。「ただ時に用ゆるをもて花と知るべし」と、世阿弥も美の本質を見抜いていました。今日のように茶道の点前が厳格に定められたのは、家元制が確立する江戸前期以降のことです。
茶道が創生された室町末から戦国期にかけて、道具や作法については一握りの偉人たちによって、その美醜・善悪が目利きされ、淘汰されていきました。


■目利きははたして「罪」か。

利休の美を語る時、その死の諸相を見ないわけにはいきません。なぜ利休は死なねばならなかったか。否、なぜ利休は自ら死を選んだのか。
一般に、利休の切腹の原因となった秀吉による罪状は、利休の木像が磔に処せられた一条戻り橋の高札に箇条書きされてあったと伝えられます。これは今日失われてしまいましたが、その罪状の主なものは、この利休木像を寄進した大徳寺山門の楼上に置かせた、というもの。これは誰の目にもこじつけと映り、賜死の正当な理由とはとうてい思えません。しかし一ヶ条だけ、利休が死なねばならなかった理由に触れるくだりがあります。

「売僧の所業」

目利きの私曲。すなわち、好意的な人物の道具には高値の鑑定をし、そうでない者のそれには意図的に低い値付けをし、道具売買において不当な利を得たというのです。代々商家を営み、堺納屋衆でもあった利休は本来取引売買することが家業。茶の湯は商売ではありませんが、その名声を慕い、あらゆる筋から日々道具鑑定依頼が利休のもとに殺到したに違いありません。しかし、利休と間柄が悪ければ目利きを頼まねばよいだけのこと。利休はわが眼に映る良い品は良い、悪い品は悪い、というばかり。目利きを「罪」とされてしまってはどうしようもありません。それがいわば家業なのですから。
しかしこれが、秀吉の賜死の理由のもっともやむをえない面ではなかったでしょうか。

人の命がとりわけ軽かった戦国時代、金も国も、わが命さえ明日をも知れぬはかないものでした。たとえ一瞬であれ、輝く生と美の充実を味わいたい。それが多くの戦国人たちの願い。そしてその思いをかなえる一期一会が、利休の茶の道だったのです。これは秀吉の武力と財宝をもってしても、決して手に入れられぬものでした。

「何とかして利休めを困らしょうとすれども、困らぬやつじゃ」(『茶話指月集』)

天下に比類ない、武と美を互いに認め合っていた頃、秀吉の利休への賛辞です。けれどもこの関係は、秀吉が日本中の美をもわが手中につかもうとした瞬間、あえなく崩れ去ってしまいました。皮肉なことに、自分自身の天下とともに。


■頂上から奈落の底へ〔却来〕する美の位。

利休の美は生であり、実存であり、悟りでした。同じく、美の深遠にたどり着いたのが、能の世阿弥です。
美の聖と俗を世阿弥は「九位」という概念で解き明かそうとしました。

〔九位 概念図〕

曲と芸の位を下三位・中三位・上三位(上三花)の計九つに分け、芸道修行の道筋を示したものです。その順番は、下→中→上とは進まず、中→上とのぼり、最上位の〔妙花風〕に到達した者は、あえて下三位へと下り(これを却来といいます)、鬼の芸など、粗野で位の低い、非風の境地で悠々と遊ぶ、としています。幽玄な花の位〔上三花〕を極めた者は、もはや善悪・聖俗の違いのない超越した境界にいたる。この至高の境地を世阿弥は、
「巌に花の咲かんがごとし」
と評したのです。
〔却来〕とは、大悟の人にとって悟了未悟の境がもはや存在せず、世俗の塵中に好んで身を置くことをいいました。

和漢の境をまぎらかす (『珠光心の文』)
わら屋に名馬つなぎたるがよし (『山上宗二記』)

これらの句は、侘び茶の祖、村田珠光のことば。そもそも侘びとは、俗世に身を置きつつ、閑寂の境地を尊ぶこと。利休の侘びの美も、まさに塵に交わる〔却来〕から生まれ来たったものではないでしょうか。


■中世日本文化は、一休禅の子どもたち。

却来し、聖俗の境を打ち壊した先達として、一休宗純の名を忘れることはできません。
村田珠光をはじめ、中世の日本文化を創始、大成した美の巨人たちはその多くが一休の教え子だったのです。たとえば、以下のような人々が。

■連歌・俳諧 飯尾宗祇、柴屋軒宗長、月村斎宗硯、杉原宗尹、山崎宗鑑(俳諧の祖)
■絵画 兵部墨谿、曽我蛇足、墨斎
■茶の湯 村田珠光、村田宗珠
■能 世阿弥、金春禅竹、禅鳳、観世音阿弥
■学者 一条兼良

彼らは一休禅から、まず既成の概念と価値を疑うことを学びました。長年築き上げられ、生活に浸透してきた文化や習俗、知や美とははたして何であるのか。己の目を開き、ありありとその実像を見ることでした。


「正月元旦、世間の人々がいちように晴れやかな思いで目出たく長寿と平和を祝って楽しんでいる。そうしたところ一休は、墓場で拾った髑髏を竹の先に貫き、家々の門をまわりながら、
『このとおり、このとおり、ご用心、ご用心』と大声でわめき歩き、門口に髑髏を差し入れる。見かねたある人、
『せっかくの目出度い正月、なにしに縁起でもない髑髏など持ち歩かれるのか』
と問いただしたところ、得たりと、
『この髑髏よりほかに目出度きものはなし。目出たるあなのみ残りしをば、めでたしといふなるぞ』
と答えたという」(『一休咄巻二第四話』)

禅は生死の超克をめざすもの。その教えを、正月に髑髏を持ち歩いて“門付”した一休。一般の人にはただ迷惑だったかもしれませんが、道に達せんとする者は眼を開き、その先にあるものの形がようやく見えてきたに違いない。
開悟の証として、珠光は一休より圜悟の一軸を授けられました。完成された唐物飾り、書院の茶の先に、〔冷え枯れた〕侘びの美を珠光は見出し、修行得道の茶の湯を打ち立てたのです。


■聖徳太子のわび(和美)。

禅が日本に伝来するはるか以前に、聖俗・賢愚の切り分けは、ただ人の心の未熟さゆえである、と喝破した聖人がいました。

われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。
~十七条憲法『日本書紀』(聖徳太子)

 十に曰く。忿(ふん)を絶ち瞋(しん)を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。彼是とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。
(第十条より)

俗説では、一度に十人の訴えを聴取し、そのすべてによどみなく同時に解を与えたという、驚くべき聖賢、聖徳太子。これほどの才能をもちながら、あるいはそれゆえか、

「共にこれ凡夫のみ」

自身を含め、人はすべて凡夫であると見抜いていたのです。凡夫同士の議論は、とかく己の理を恃み、相手を認めようとはせぬもの。聖俗・賢愚というものは、たとえば耳飾りの輪には端がなく、一方の端は他方の端とつながっている。人間がただ自分の都合により定めた、あやふやなものである、と教え説いたのです。
この平等思想のもととなるのが、同書第一条の「和を以って貴しと為す」です。日本の国名ともなった〔和〕は、太子の政治の理想型。またそれは儒教以前の陰陽五行思想へとさかのぼる、万物生成の基本原理に根ざしたものといえましょう。

太子の打ち立てた「和の精神」は、以降日本の国づくりの基となり、社会形成の通奏音となっていきます。異質な者同士が出会い、交わり、融和するところに、まったく新しい命が芽生えてくる〔和〕。
社会や組織運営にとどまらず、日本人は〔和〕に、何物にも代えがたい美しさを見出していくようになります。実直で慎ましく、互いに認め合い、昇華していく美。これを利休は、「和敬清寂」の四字で後世へ伝え、遺したのです。


★言の葉庵関連コンテンツ リンク

1.世阿弥「九位」
(日本文化のキーワード 第五回 位)

2.一休と中世日本文化
(日本文化のキーワード 第二回 風狂)

3.聖徳太子 十七条憲法
(名言名句第二十二回 われ必ず聖なるにあらず)

2014年01月05日 08:22

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