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    <title>千年の日本語を読む【言の葉庵】能文社</title>
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    <updated>2010-02-19T06:45:58Z</updated>
    <subtitle>いにしえの偉人、達人の知恵と言の葉のエッセンスを、古典の名言、名文から汲み取り、分かち合うためのページです。日本精神文化を代表する能、茶道、武士道、俳諧、禅などの古典名著から毎回、名言・名句をピックアップ。解説とともにおすすめ作品の本文を現代語訳にて抜粋、ご紹介していきます。</subtitle>
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    <title>【言の葉庵】4月期カルチャー新講座ご案内</title>
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    <published>2010-02-19T06:30:36Z</published>
    <updated>2010-02-19T06:45:58Z</updated>
    
    <summary> 　全国カルチャー講座、2010年春のラインナップが出揃いました。 東京～名古屋...</summary>
    <author>
        <name>Anshu</name>
        <uri>http://nobunsha.jp</uri>
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            <category term="blog" />
    
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/culture2010.jpg" align="right">

　全国カルチャー講座、<a href="http://nobunsha.jp/img/kozalist.pdf">2010年春のラインナップ</a>が出揃いました。

東京～名古屋全6講座14コース。禅・能狂言・茶道・俳諧・武士道など、中世日本文化史を名作古典にふれつつ、楽しく学んでいけるカジュアルなセミナーです。能や茶道、俳句などの実技のお稽古ではなかなか見えてこない、日本人ならではの美意識や精神性を中世の達人たちの生きざまからたどっていきたいと思います。]]>
        〈東京池袋・池袋コミュニティ・カレッジ(池袋西武)〉
●公開講座「佐渡と世阿弥伝説」　3/22(月祝)　13:00～14:30

〈東京渋谷・東急セミナーBE〉
●世阿弥“能の花”の秘密
～能の感動を世阿弥秘伝書と舞台から解き明かす～
4/6(火) 第一回スタート。毎月第1火曜日

〈名古屋栄・中日文化センター〉
●『能と物語文学・伝説』
～西行物語、景清、道成寺、羽衣伝説のルーツを能にたどる。
4/1(木)第一回スタート。毎月第1木曜日　1：00～2：30 

●『戦国武将と茶の湯』
～信長・秀吉の名物狩りと天下一茶頭の誕生。
4/1(木)第一回スタート。毎月第1木曜日　3：30～5：00

〈東京千代田・ＮＰＯ日本文化体験交流塾 〉
●2010年度通訳案内士研修講座『禅と中世日本文化』
第１回　3月25日（木）　「禅と能」
第２回　4月20日（火）　「矢来能楽堂見学体験講座」
第３回　5月28日(金)　「武士道と俳諧」
第４回　6月未定　「茶道、日本建築と庭」

〈東京新橋・寺子屋　素読ノ会〉　
※言の葉庵オフィシャル講座
Aクラス『葉隠』(夜)　 第一月 17：30～19：00　
Bクラス『風姿花伝』(昼・夜)　第三水 13:00～14:30　第一月 19：30～21：00
Cクラス『奥の細道』(夜)　 第四月 17：30～19：00
Dクラス『南方録』(昼・夜)　 第三水 15:00～16:30　第四月 19：30～21：00

※いずれの講座も初心者の方向きのやさしい講座です。お気軽にご参加ください！
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    <title>名言名句　第二十五回　史記</title>
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    <published>2010-02-11T09:40:14Z</published>
    <updated>2010-02-11T10:00:19Z</updated>
    
    <summary>　No.42 　怒髪上りて冠を衝く。 ～『史記』廉頗藺相如列伝 「怒髪天を衝く」...</summary>
    <author>
        <name>Anshu</name>
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    </author>
            <category term="meigen" />
    
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        <![CDATA[<img align="left" src="http://nobunsha.jp/img/ashura.jpg">　<span class="green">No.42</span>
　怒髪上りて冠を衝く。

～『史記』廉頗藺相如列伝


「怒髪天を衝く」の元の句で、司馬遷の史記にある言葉。最大級の怒りを表現する成句です。二千年以上前、一人の男が命をかけて国を守ろうとしたその瞬間、阿修羅神が宿りました。そして強大な敵を粉砕したのです。

この成句の元となったのは、戦国時代末、趙の恵文王につかえた上卿藺相如(りんしょうじょ)。もとは宦官の長官の一食客にすぎなかった「ただの人」。それが天に選ばれ、3000年の歴史に名を残す痛快な生き様を描いて見せました。司馬遷は藺相如を史記の中で「文武知勇の将」「死を克服した男」として絶賛します。この凄まじい廉頗藺相如列伝を読み終え「よくぞ生きて」と誰しも思うのではないでしょうか。
またこの藺相如列伝からは「怒髪天を衝く」以外にも、「完璧」「刎頚の交わり」などの成語が生まれています。藺相如は、タイプとしては将軍ではなく、政治家、外交官。大国秦の専制君主を相手に弱国の一使者が一歩も譲らぬタフネゴシエーションを発揮。失敗すれば官を辞すだけでは済まず、間違いなく命を落とす。国を守る命がけの姿が二千年以上たった今もなお感動を呼び起こします。
｢史記｣廉頗藺相如列伝を【言の葉庵】最新訳にてお届けしましょう。文中一部省略しています。]]>
        藺相如(りんしょうじょ)は、趙の人である。趙の宦官の長官、繆賢(びゅうけん)に近侍していた。
趙の恵文王の時、天下の名宝たる和氏の璧(かしのへき)を手に入れた。秦の昭襄王はこれを耳にし、趙王に書を送って、秦の十五の城と和氏の璧を交換したい、と申し入れてきた。趙王は将軍の廉頗や大臣たちを集め討議する。璧を与えても秦は恐らく城を寄越さず、うかうか騙されるだけ。また与えぬ場合は、それを口実に攻めてくるに違いあるまい。議論はいたずらに長引くばかり。方策は決まらず、使者も見当たらなかった。

これを聞いた繆賢が、家臣である藺相如を恵文王に推薦。王に引見された藺相如は、下問によどみなく答え、事調えば良し、調わねば「璧を全うして趙に帰らん」と誓約する。王は信頼し、相如を秦へと遣わせるのであった。

秦王は宮殿の高座に坐し、相如を引見する。相如は璧を捧げ持ち、秦王に奉った。秦王は大いに喜び、侍女や近侍の者どもに次々と回してこれを見せた。みな万歳を唱える。この様子に相如は、秦王が城を与える気がないことを察知し、進み出て申し上げた。
「実はこの璧、一箇所疵がございます。それ、その辺りに」
王は璧を相如に渡す。相如はこれを受け取るや、脱兎の如く柱の側に駆け寄って立つ。憤怒の表情凄まじく、髪は逆立って冠を持ち上げんとするほど。そして秦王にいった。
「大王は璧を得んと使者を趙王に遣わされた。趙王は家臣みな招集してこれを討議したのです。みな口を揃えて、秦は強欲な国、国の力を恃んで虚言を弄し璧を奪おうとしている、秦のいう十五の城など与えられるはずがない、と申しました。議論は璧を与えぬ方向へと傾いた。しかし臣は、たとえ庶民の口約束であっても互いに欺くことはない、ましてや大国の約束がむざむざ破られようか、しかもただ一個の玉ごときで強国秦との関係をこじらせるは愚策である、と提言しました。ついに趙王は決心。五日間の斎戒の後、臣に璧をゆだね書とともに貴国へと奉じたのです。すべては大国の威をはばかり、敬意を表してのこと。
しかし今、臣が来てみれば大勢の見物人を呼び、はなはだ礼を欠いた傲慢なるふるまい。壁を手にするや侍女に回し見せ、家来のなぐさみものとしました。これを見て大王には城を譲る気のないことを悟ったので、今この手に璧を取り戻した。大王よ。臣を捕らえんとするなら、即座にわが頭とともに璧を柱に打ちつけ、砕いて見せよう」
相如は璧を高くかかげ、柱を見据えまさに打ちつけようとした。

秦王は璧を惜しみ、その場で陳謝し、約束した。役人に秦の地図を持ってこさせ、しばし案じて図面を指差し、これより先の十五城を与えよう、といった。相如はその態度に王の偽りを感じ取っていった。
「和氏の璧は天下の名宝。しかし趙王は秦国を恐れ、あえて献上したものです。璧を送り出すに際し、趙王は五日間の斎戒をしました。すなわち大王におかれても、五日間の斎戒を経た後、九賓の礼をもって宮廷にて拝受いただきたい。さすれば臣は慎んでこれを奉りましょう」
秦王はこれを受け入れ、五日間斎戒。その間、相如を広成殿の宿舎に泊らせた。しかし相如は秦王を信じなかった。従者にボロを着せ、璧を託して間道を抜け、趙へと帰したのである。

斎戒を済ませた秦王は、九賓の礼をもって藺相如を引見した。相如はいう。
「秦は繆公以来、二十余君いまだ一人として約束を守る王がおりませぬ。臣は王に欺かれ、趙王の使命を果たせぬことを恐れます。ゆえに璧は人に託し、ひそかに趙へと戻しました。秦は強く、趙は弱いのです。大王が一人の使者を趙に遣わせば、たちどころに璧を献上いたしましょう。強い秦が先に十五城を趙に与えるなら、弱い趙が王を欺き璧を差し出さぬことなどありえましょうか。臣がかく王を欺きしことは死に値します。願わくは、釜茹での刑に処せられますように。その後、ご家臣とよくよく検討なさってください」
王は群臣と顔を見合わせ驚く。相如をひっ捕えんと侍臣が駈け寄る。しかし秦王はいった。
「相如を殺したとて、もはや璧は手に入るまい。しかも秦と趙との関係は破れてしまう。それよりも相如を厚く遇して、趙に帰らせるにこしたことはない。趙王とてなにゆえ玉一つのことでわれを欺こうか」
結局、宮廷で相如を引見し、礼を終えて無事帰国させたのである。

相如は帰国すると趙王よりその功を称えられ上大夫に任ぜられた。ついに璧と城との交換は白紙に戻ったのである。その後、秦と趙は二度干戈を交える。その和睦のために澠池(べんち)にて会見を持たんと、秦より趙へ使者が遣わされた。澠池は秦の国内、趙よりは遠く隔たっており、万一の時、兵も急行できない。これを危ぶみながらも国のため行かねばなるまい、と恵文王は決意。藺相如を供として”死地”へと赴くのであった。

澠池では趙王一行を迎え、盛大に宴がはられた。秦王は大いに酒に酔い、宴たけなわにしておもむろにいう。
「余は趙王が音楽をたしなまれるとひそかに聞いておる。ここで瑟(しつ・大琴)を弾いてくださらんか」
趙王は乞われるままに瑟を弾いた。秦の記録官が進み出て書きとめた。
「某年月日。秦王は趙王と会食。趙王に瑟を弾かせしめた」
そこで藺相如が進み出ていった。
「わが君は、秦王が歌自慢と聞き及んでおります。秦王に盆缻(ぼんふ・土器。秦人はこれを打って歌の拍子をとった。ただし中国では下品な行為)を奉ります。それを打っていただき、ともに歌い楽しもうではありませんか」
秦王は怒色を表わし、そっぽをむく。相如はさらに進み出て、盆缻を秦王に突きつけ、ひざまずいて迫った。秦王は無視する。相如はいった。
「ここからあなた様まで、わずか五歩。わが首を刎ね、その血を大王に注げましょう」
秦王の側近は相如に斬りかかろうとする。相如は睨みつけこれを大喝。みなたじたじとなる。
ついに秦王はいやいや一つだけ盆缻を打った。相如は振り向き趙の記録官を呼んでこう書かせた。
「某年月日。秦王、趙王のため缻を打つ」

しばらくして、秦の群臣がいいだした。
「どうであろう。秦王の長寿を祝って、趙の十五城を贈呈されては」
藺相如もいった。
「いかがかな。趙王の長寿を祝って、秦の咸陽(首都)を贈呈されては」
このようにして、秦王はついに酒宴の果てるまで、趙の上に立つことがかなわなかった。この時、趙軍が厳重に警護して秦を監視していたため、ついに秦軍は動くことがなかったのだ。

これらの功績により、帰国後藺相如は上卿(大臣最高位)を任ぜられた。以降、名将廉頗とともに国家の両輪となって固く国を守り続けたが、相如、廉頗亡き後趙はついに秦に滅ぼされた。


「史記」廉頗藺相如列伝　現代語和訳　能文社 2010
底本　「新釈漢文大系89　史記(列伝二)九」明治書院
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    <title>第八回　世阿弥絶筆「佐渡状」を読む。</title>
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    <published>2010-01-16T06:08:10Z</published>
    <updated>2010-01-16T06:25:51Z</updated>
    
    <summary> ◆原文 ナヲナヲ、留守ト申、旅ト申、カタガタ御扶持申バカリナク候。 御文クワシ...</summary>
    <author>
        <name>Anshu</name>
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    </author>
            <category term="genbun" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nobunsha.jp/">
        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/sadojo.jpg">

◆原文

<span class="green">ナヲナヲ、留守ト申、旅ト申、</span>カタガタ御扶持申バカリナク候。

御文クワシク拝見申候。兼又、此間<span class="green">寿椿</span>ヲ御扶持候ツル事ヲコソ申テ候ヘバ、コレマデノ御心ザシ、当国ノ人目、実是非ナク候。御料足十貫文受ケ取リ申候。又<span class="green">不思議</span>ニモ罷リ上リテ候ワバ、御目ニカカリクワシク申承候ベク候。
又、状ニ鬼の能ノ事ウケ給候。是ハコナタノ流ニワ知ラヌ事ニテ候。仮令<span class="green">三体</span>ノ外ハ<span class="green">砕動</span>マデノ分ニテ候。<span class="green">力動</span>ナンドワ他流ノ事ニテ候。タダ親ニテ候シ者ノ時々鬼ヲシ候シニ、音声ノ勢マデニテ候シ間、ソレヲ我等モ学ブニテ候。ソレモ身ガ出家ノ後ニコソ仕テ候へ。メンメンモコノ能ノ道ヲサマリ候テ、老後ニ年来ノ功ヲ以テ鬼をセサセ給候ワン事御心タルベク候。]]>
        <![CDATA[マタコノホド申候ツル事共大概シルシテ参ラセ候。ヨクヨク御覧候べく候。
<span class="green">不思議</span>ノゐ中ニテ候間、料紙ナンドダニモ候ワデ、聊爾ナルヤウニカ思シ召サレ候ラン。サリナガラ道ノ心ハ妙法諸経ノ御法ヲダニ藁フデニテモ書クト申候ヘバ、道ノ妙文ワ金紙ト思シ召サレ候ベク候。ナヲナヲ法ヲヨクヨク守セ給べく候也。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　恐々謹言
　　　六月八日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<span class="green">至　翁(花押) </span>
　<span class="green">金春大夫殿</span>　参



　　　　　　　　　　　〆
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<span class="green">世阿</span>
　<span class="green">金春大夫殿</span>　まいる


(『観世世阿弥能楽伝書  佐渡状』奈良女子大学蔵)


◆読解
　『世阿弥佐渡状』は、世阿弥が佐渡から、娘婿であり芸嗣子でもある金春禅竹に宛てた自筆書状。奈良宝山寺蔵の「金春家旧伝文書」中より発見されました。６月８日の日付があり、佐渡配流の翌年永享七年頃のものと思われます。

手紙の主な内容は、(1)都に残した老妻寿椿や佐渡の自分に対する扶持への礼、佐渡での暮らしは安心してほしいこと。(2)禅竹より「鬼の能」についての質問に対する意見（これがこの手紙の中心内容とみられます）。(3)佐渡は驚くほどの田舎で紙不足で困ること…などと書かれている。実物の用紙は楮紙（こうぞ）の粗末な薄いものを２枚つないだものですが、最後の部分で「ありがたい妙法諸経でさえ、藁筆で書かれたものがあるのだ。この手紙も『金紙』に書かれたものと受けとめて読んでほしい」と結んでいます。

今回は以下4つの読解ポイントにしたがって、専門的な芸道用語も含め、世阿弥最後の手紙の内容を読みすすめていきましょう。

<span class="green"><u>読解表技＞
(1)　書簡体→誰から誰に、何を伝えたいのか？
(2)　芸道専門用語を知る
(3)　現代語とは意味の違うコトバ
(4)　行間にある「戒め」と「愛」を読み取る
</u></span>


　まずは、<span class="green"> (1)書簡体</span>。誰から誰に宛てられた消息なのか？消息には必ず文末に発信者名と宛先があります。本状末にしたためられる、<span class="green">金春大夫殿</span>が宛先で金春禅竹のこと。その手前、下にある<span class="green">至翁、世阿</span>が発信者。いずれも世阿弥のことです。<span class="green">至翁</span>とは世阿弥晩年の道号。ちなみに<span class="green">花押</span>は、世阿弥の自筆サインが原書ではその場所に書かれていることを表わします。
　金春禅竹は、金春流五十七世宗家氏信のことで、世阿弥の娘婿にあたります。金春流中興の祖とされ、世阿弥亡き後、名役者、能作家として能楽界を牽引していく存在となります。当時世阿弥は実子に先立たれ、甥の観世三郎元重(音阿弥・今日の観世流直系)とも芸事上決裂していたため、娘婿の禅竹を芸嗣子とし、また親子としても実の息子以上に大いに可愛がり、かつ頼りにしていたのです。
　文中、<span class="green">寿椿</span>とあるのは、都に残してきた世阿弥の老妻。この『佐渡状』によって世阿弥佐渡配流後、寿椿が義子禅竹に養われていたことがはじめてわかりました。
　消息文中程に、「鬼の能ノ事ウケ給候」とあり、以前の便りで禅竹より、鬼の芸について何らかの問い合わせがあったことが伺えます。以降がそれら質問に対する世阿弥の回答。当時の世阿弥が、結崎座のお家芸であった鬼の能を、さらに一歩進めて、より深遠なものと解釈し、実践していたことが伺える貴重な一文です。
　冒頭の「<span class="green">ナヲナヲ、留守ト申</span>」は、今日の手紙でいえば追伸にあたる追手書き。手紙の最後に余白がなく、本文を書き終えた後、前の余白部分に加えられたもの。<span class="green">ナヲナヲ</span>は、その慣用語です。<span class="green">留守</span>は、都に残してきた老妻のこと、<span class="green">旅</span>は、配処佐渡にいる自分自身のこと。「配処」といわず、「旅」と書いているところに世阿弥の複雑な心情が汲み取れます。

　二番目の読解ポイントは、<span class="green"> (2)芸道専門用語</span>。<span class="green">三体</span>は、世阿弥が『至花道』で提唱した、ものまねの三つの基本形のこと。すなわち「老体・女体・軍体」をさします。<span class="green">砕動、力動</span>は同様に相伝書『人形』にある、鬼のものまねの二つのスタイル。<span class="green">砕動風鬼</span>の心得として「形鬼心人」が、<span class="green">力動風鬼</span>には「勢形心鬼」が、それぞれ指針として示されます。心も体も鬼そのものである、ただ荒々しいだけの芸をしてはならぬ。自分も親の観阿弥も、年功を積んで謡の力だけで表現したものだ、と禅竹に指南しています。

　三番目は、<span class="green"> (3)現代語とは意味の違うコトバ</span>。見た目が現代語と変わらないため、うっかり見過ごして、誤読のもととなってしまう読解の落とし穴。書状前半と後半に、二度使われる<span class="green">不思議</span>も要注意の言葉です。この語は、現代語の「不思議」という意味ではなく、「万一」「滅多にない」。さらにいえば、「想像を絶する」という強いニュアンスを含む言葉です。
　前半、「不思議ニモ罷リ上リテ候ワバ」は、「万一許されて都に戻ることになれば」。後半、「不思議ノゐ中ニテ候間」は、「想像もできないほどの僻地なので」という程の意となります。ただしこの<span class="green">不思議</span>、必ずしも否定的な意味ばかりではなく、時に肯定的にも使用される。天正十八年、千利休『武蔵鐙の文』に、「筒、不思議のを切り出し申し候。早や望みはこれなく候」とあります。この「筒」は、後の利休名物竹花入「園城寺」のこと。「想像を絶する、素晴らしい竹を手に入れた」と、利休は喜んで織部に消息したものです。

　最後に、<span class="green"> (4)行間にある「戒め」と「愛」を読み取る</span>。古文法や用語の読解とは直接関係ありませんが、親から子、師から弟子へと送る手紙の最も重要なポイントは、書き手の真情、真心にあります。世阿弥と禅竹の心の通い合う間柄、そして老齢にして佐渡へ流され、もはや生きて二度会うこともかなうまい、という状況で交わされる便りには、一字一句に深い意味と言外の思いが込められている。書状中程の「メンメンモコノ能ノ道ヲサマリ候テ、老後ニ年来ノ功ヲ以テ鬼をセサセ給候ワン事御心タルベク候」。ここには、表向き容易と思われる鬼の芸一つをとっても、その中には深い奥義がある、との戒めが師としての威厳をもって伝えられています。また文末の「道ノ妙文ワ金紙ト思シ召サレ候ベク候。ナヲナヲ法ヲヨクヨク守セ給べく候」には、外見に惑わされることなく、深く求道者の目をもって真実を見極めるべし、と高僧のごとき接化が、弟子へと与えられている。いずれも父子、師弟として深い愛情がなければ決して表わしえない言葉、教えといえましょう。




◆訳文

重ね重ね、都の妻と配処の自分へのご援助、深く感謝いたします。何と言葉でお伝えしてよいものやら。

お手紙、詳細拝読いたしました。
さて、私不在の所留守宅の老妻寿椿をお養いいただくばかりか、こちらへまでご援助くださる。おかげをもちましてこの島での外聞も保たれ、何ともお礼の申し様もございません。
銭十貫文、たしかに受け取りました。
いつ許されて都に戻れることか存じませんが、その折あらば改めてくわしくお話もし、お聞きもいたしましょう。

さてお手紙にて、鬼の能へのご質問、うけたまわりました。
これは残念ながら私どもの流儀にはないことです。そうじて「三体」以外となれば、「砕動風鬼」くらいのものでしょうか。「力動風鬼」などというものは、他流の芸のこと。
しかしながら、わが親観阿弥が折々鬼をいたしましたが、ただ謡の力だけで強さを表現しておりました。そのやり方を私も学んだものです。しかも私ですら出家後の晩年にやりはじめた。あなたにも能の道を修めた老後に、年来の功をもって鬼を演じてもらいたい。
どうかそのようにお心がけください。

またかねてお約束のご質問の数々、大略書き留めお送りしましょう。よくよくご覧くださいますよう。
ここはおよそ信じられぬほどの田舎の島。これこの通り、ろくな紙もありはせぬゆえ、無礼な、と思われるかもしれません。しかしながら、「妙法諸経の御法は、たとえ藁の筆で書かれてもありがたいもの。それが道の心ゆえ」とも申しましょう。この粗末な紙の手紙も、道の妙文の書かれた「金紙」とご覧じられよ。重ねて法をば、よくよく守られますことを。
恐々謹言
　　　六月八日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　至翁(花押)
　金春大夫殿　参


（現代語訳　能文社　2010）]]>
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    <title>寺子屋2月より新クラス(昼間コース)開講！</title>
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    <published>2010-01-13T01:54:49Z</published>
    <updated>2010-01-13T03:03:24Z</updated>
    
    <summary> 　言の葉庵オフライン講座、【寺子屋素読ノ会】。2月度より、「風姿花伝」「南方録...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/fushikaden110.jpg" align="right">

　言の葉庵オフライン講座、【寺子屋素読ノ会】。2月度より、「風姿花伝」「南方録」の昼間クラスと「奥の細道」(夜間)第二期コース、それぞれ新規開講です。この機会にぜひ、名作古典を声に出して素読してみませんか。]]>
        <![CDATA[NEW！●Bクラス「風姿花伝」2/17(水) 13:00-14:30
昼間クラス、今回が初回です。六百年前に書かれたものとはとうてい思えない、能の達人の今日的ともいえるシャープな感性。生活や芸術、学問などあらゆる分野で応用が可能なアイデアの数々。それが、永遠不朽の秘伝書『風姿花伝』です。能だけではなく、すべての表現活動にたずさわる人に一度手に取っていただきたいと思います。「秘すれば花なり」「初心忘るべからず」など珠玉の名言と含蓄に富む名文を素読しましょう！

NEW！●Dクラス「南方録」 2/17(水) 15:00-16:30
昼間クラス、今回が初回です。日本茶道を大成した安土桃山時代の茶人、千利休。『南方録』は、利休の高弟である禅僧南坊宗啓が、利休流茶道の奥伝を詳細に書きとどめたとされる、門外不出の秘伝書です。とくに茶道最奥の秘伝といわれる「カネワリ」は、今日『南方録』にのみ姿をとどめる幻の茶の湯実践技法。
禅茶の深遠な境地と、味わい深い名文でつづられた茶道書の最高峰とされる古典名著です。

NEW！●Cクラス「奥の細道」2/22(月) 17:30-19:00
今回より、第二期として新たに冒頭より読み進めます。寺子屋唯一の文芸書を読むクラス。俳聖松尾芭蕉の代表作であり、近世文学の金字塔と目される『奥の細道』。深川芭蕉庵より、第一歩を踏み出し、松島～奥州～象潟～越後～金沢、そして最終地大垣にいたるまでの、芭蕉の半年におよぶ風狂の足取りをたどり、名句の数々をともに音読しましょう。



<a href="http://nobunsha.jp/img/terakoya%20annai.pdf">「寺子屋素読ノ会」実施要綱と詳細はこちら。</a>
現在開講中の各継続クラスも、もちろん途中受講大歓迎です！まずはお気軽に教室をのぞいてみてください。]]>
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    <title>『禅茶録』現代語訳公開します。</title>
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    <published>2009-12-31T12:41:02Z</published>
    <updated>2010-01-09T00:17:40Z</updated>
    
    <summary> 　茶の湯が禅宗によるということは、紫野の一休禅師よりはじまった。南都称名寺の珠...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/taian.jpg" align="right">

　茶の湯が禅宗によるということは、紫野の一休禅師よりはじまった。南都称名寺の珠光は一休禅師の法弟である。日々茶の湯に精進していたが、一休これを見て
「茶は仏道の妙所に叶うものである」
　と、点茶に禅の心を移し、自己の本性を観じるための茶道が成ったのである。]]>
        <![CDATA[　それゆえ茶事の行い、用法すべて禅の修業と変わるところはない。「無賓主の茶」「体と用」「露地」「数奇」「侘び」などをはじめとして、その他すべて茶の湯の用語は禅語から出ているのだ。詳細は後段を参照されたし。たとえば、ある詩句に「茶味と禅味をあわせ知る」とあるが、まこと格言とはいえよう。すなわち奇貨珍宝を愛し、酒食の美を尽くし、あるいは結構に茶室を造作し、庭の樹石を玩んで遊宴のしつらえとすることなどは、茶道の本意に背くもの。ただひとえに禅茶に没し、修行してこそ、この道の本懐たりえるのだ。

『禅茶録　現代語訳』寂庵宗澤著、水野聡訳　能文社　2010.12


　〔茶禅一味〕思想の代表書とされる、『禅茶録』。上は、2009年言の葉庵最新翻訳版の一部を抜粋しました。
　茶禅一味、剣禅一如、俳禅一致…。中世に創始、または大成された日本文化・芸道の多くが、その芸道精神の根本を禅によっていることは、日本文化史上周知のことです。とりわけ桃山時代、千利休によって大成された茶道、侘び茶は、禅抜きでは成立しえないほど、深く禅道に多くを恃んでいる。いや、それはむしろほとんど禅そのものといっても過言ではないほど、茶の湯発生の創成期より、禅とは深く密接な関係にあります。これを言い表した言葉が、〔茶禅一味〕。

『禅茶録』は　1828年（文政11年）に寂庵宗澤(略歴不詳。大徳寺系の僧と推測される）が、『茶禅同一味』という書を補足編集して著したものといわれます。
　『茶禅同一味』は　千利休の孫であり、また侘び茶人として名高い千宗旦の遺書といわれるもの。〔茶禅一味〕つまり「茶道と禅道の真髄は同じ」という茶の湯の精神を説いています。『禅茶録』は、民藝運動の父・柳宗悦をして「すべての茶人の座右に置くべき名著」と言わしめたという茶書です。


　『禅茶録』は次の十章からなります。

1.茶事は禅道を宗とする事
2.茶事修行の事
3.茶の意の事
4.禅茶器の事
5.佗の事
6.茶事変化の事
7.数奇の事
8.露地の事
9.体用の事
10.無賓主の茶の事

宗旦『茶禅同一味』と、上の1.2.3.4.8.の各章がほぼ同内容です。

■茶禅一味とは

　茶道と禅宗では、その修行の形態や目的は異なるが、その根本は別物ではなく、人間形成の道という面から見れば、両者は不二一如である、とする説。

■茶禅一味の根拠

1.茶道は、禅院茶礼に源を発する。
2.茶道成立以前の喫茶習慣に、禅院茶礼の反映が見られる。
3.茶人は禅宗徒である。
4.主な茶書は「茶禅一味」を主張する。
5.茶道において、禅師の墨蹟が悟入の具として重用される。

「禅と日本文化　その一味性の根拠」金子和弘　昭和63年

■茶人と禅宗（大徳寺）

　茶道は鎌倉時代、栄西による茶種の輸入にはじまり、室町時代に村田珠光が、一休宗純に参禅して体得した禅の精神を持って、それまでの喫茶と禅院茶礼の諸方式を統合したものです。
　珠光以降、武野紹鴎、北向道陳、今井宗久、津田宗及、千利休等、各時代の代表的な茶匠は、臨済宗大徳寺歴代住持に帰依し、参禅しています。

■茶書に見る茶禅一味

　室町より各時代の代表的茶書には、主要部分に必ず「茶禅一味」の思想が見られます。そもそも「茶禅一味」の言葉は、大林宗套の武野紹鴎画賛にまず見られ、以降、『山上宗二記』『南方録』『茶話指月集』等、各時代の茶書に茶人の言葉として頻出。徐々にその内容、精神が深められていきます。そして江戸後期、『禅茶録』により、「茶禅一味」思想はその究極の形へと純粋化され・完成されるのです。以下、時代に沿って茶書から「茶禅一味」の文言を集めてみました。

【室町時代】
・武野紹鴎
「料知す。茶味と禅味同じなること。松風を吸い尽くして、こころいまだ汚れず」
（紹鴎画への大林宗套の賛）



【安土桃山時代】
・千利休
「すべて茶湯風体は禅也」
「茶湯は禅宗より出でたるによって、僧の行を専らにする也。珠光紹鴎みな禅宗也」
「道陳、宗易は禅法を眼とす」
（山上宗二記）

「小座敷の茶の湯は第一仏法を以って修行得道する事也」
（南方録）

【江戸時代】
・千宗旦
「茶道は本来禅によるがゆえに禅と同じく言語道断であり、さらに示すべき道もない」
（茶話指月集）

「茶意は即ち禅意也。故に禅意をおきて外に茶意なく、禅味を知らざれば茶味も知られず」
（禅茶録）
↓
茶禅一味思想の確立


・以下に『禅茶録　現代語訳』2009能文社版を公開します。1.茶事は禅道を宗とする事　2.茶事修行の事　3.茶の意の事　4.禅茶器の事　5.佗の事の前半五章の本文、全文をお読みいただけます。なおPDF公開は、言の葉庵読者のみ、2010年1月7日までの期間限定となります。書籍版の発行予定は後日改めてお知らせいたします。

<a href="http://nobunsha.jp/img/zencharoku%20gendaigo.pdf">『禅茶録　現代語訳』能文社版2009.12　(底本　茶道古典全集第十巻　淡交社)</a>


※当書の無断引用と転載は著作権法により禁じられています。]]>
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    <title>神になった老人、翁の謎。</title>
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    <published>2009-12-15T09:57:14Z</published>
    <updated>2009-12-15T10:07:22Z</updated>
    
    <summary> 　新年に必ず、日本中の能舞台で演じられる能「翁」。能では、翁とはただの老人では...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/okina01.jpg" align="right">

　新年に必ず、日本中の能舞台で演じられる能「翁」。能では、翁とはただの老人ではなく、霊的な力を授けられた”神の使い”である、と考えられている。そしてその舞は、国家安静、五穀豊穣を祝う寿ぎの神事とされています。なぜ、老人は翁となり、神となったのか。能の中でとりわけ神事として重んじられる「翁」の概要から見ながら、民俗学・人類学の視点から、老人→翁→神への変遷をたどっていきたいと思います。]]>
        ■翁とは？
　「能にして、能にあらず」とされる、神能ジャンルの特殊な演目。別名、「式三番」と呼び、歌舞伎舞踊や日本舞踊にも取入れられているほか、各地の郷土芸能・神事としても保存されており、極めて大きな広がりを持つ神事・儀礼芸能である。現在、能では「翁」「神歌」（素謡の場合）と呼んでおり、式三番と呼ぶことはほとんどない。
　本来の「神能」とは「翁」一番をさし、他の「高砂」「養老」「難波」などの曲は、翁に付随して演じたので「脇能」ものと呼ばれる。五穀豊穣を祈る農村行事より発生し、翁は集落の長の象徴、千歳は若者の象徴、三番叟は農民の象徴とする説がある。

■翁の構成
　古来「翁」は、父尉（ちちのじょう）・翁（おきな）・三番叟（さんばそう）の各曲が連続して上演されたために式三番と呼ばれてきたが、現在父尉は省略し、翁を能楽師が、三番叟を狂言師が担当する。演劇的なストーリー展開はなく、老体の神があらわれて天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祝祷する神事的な内容である。五番立ての能では、脇能に先だって演ぜられ、全体の祝言として位置づけられている。

参照：式三番構成の時代変遷
　鎌倉初期　冠者・父尉→翁→三番叟
　同　中期　稚児→翁→三番叟→冠者・父尉
　南北朝　　露払→翁→三番叟→冠者・父尉
　現代　　　露払(千歳)→翁→三番叟

■翁の配役
　翁に登場する役者・囃子方は、翁役の大夫（シテ方）、千歳役（上掛りではシテ方、下掛りでは狂言方）、三番叟役（狂言方）、面箱持役、笛方、小鼓方3名、大鼓方の計8ないし9名のほかに、地謡、後見などである。
小鼓は三丁で連調し（シテになる小鼓方を頭取、残りの2名を脇鼓という）、大鼓は三番叟にのみ加わる。太鼓方も舞台には出るが、翁に続いて上演される。脇能から参加し、翁そのものには加わらず、端座して控える。

■翁は最も神聖な曲
　能楽において翁は極めて神聖かつ重い曲として扱われており、翁、千歳、三番叟、囃子はそれぞれ習いとされている。流儀によってそれぞれに異なるが、素人・玄人ともに、女性による上演には一定の制限が加えられている（女性には許しを出さない、年齢制限を設ける等）。

■別火
　翁は神事。ゆえに現代でも上演に際しては厳重な決まりごとがある。シテは翁興行前の一定期間(1-3週間) 厳しい精進潔斎をしなければならない。獣肉を断つ、女人を遠ざける、冷水を浴び身を清める(水垢離)…。中でも最も特徴的なのが「別火(べっか)」という禁忌の習慣。神事に際し、火は最も神聖で、穢されてはならないもの。シテ役者が用いる火は、世俗の者の用いる火と厳しく隔てられる。楽屋でもシテが当日用いる火を隔離して、その部屋や火鉢などに「別火」と墨書した紙を貼っておく。他の者はその火に近づいてはならないし、楽屋に女性が出入りすることも禁じられる。

■翁飾り
　翁演能にあたって最も重要な祭式は、「翁飾り」である。 当日、鏡の間に粗薦を敷いた祭壇が設けられる。白式尉・黒式尉の二面と鈴ノ段で用いる鈴が入った面箱が中央に祀られ、灯明・神酒・洗米・塩が供えられる。翁面は御神体として祭壇に祀られるのだ。出演前、シテを筆頭に出演者一同、鏡の間から楽屋に居流れる。お調べの前後に、シテが祭壇を礼拝。後見が火打石を打つ。シテから順に役者は、祭壇の神酒をいただき、洗米を含み、塩で身を清める。
この儀式が済むと一同おもむろに整列し、露払いを先導に威儀を正して粛々と舞台に入るのだ。

■舞台次第
　現行の能約200番の中で、翁の一番のみ、シテが素顔のまま舞台に入り、観客が見ている舞台の上で、面を押し頂いてかける。舞台までは面箱持という役が、面箱に入った御神体(翁の面)を恭しく戴いて運ぶこととなっている。

■上演の次第
　現在、もっとも一般的な上演の形式・順は以下のとおり。

・序段 
座着き：笛の前奏によって役者が舞台に登場する。 
総序の呪歌：一座の大夫が、式三番全体に対する祝言の呪歌を謡う。 
・翁の段 
千歳之舞：翁の露払役として若者が舞う。 
翁の呪歌：翁が祝言の呪歌を謡う。 
翁之舞：翁が祝言の舞を舞う。 
・三番叟の段 
揉之段：露払役の舞を三番叟自身が舞う。 
三番叟の呪歌：三番叟が千歳との問答形式で祝言の呪歌を謡う。 
鈴之舞：三番叟が祝言の舞を舞う。

■小書(特殊演出)
1.式能　―五番立 
(初日之式、二日之式、三日之式、（四日之式）、法会之式)
江戸時代の式能において、数日間にわたって五番立の演能が行われる場合、初番の翁は毎日同じもので飽きがくるために、各種の小書がつくられた。各々その小書名にある日の演能に用いる（法会之式は法会用）。いずれも詞章に多少の違いがあるだけで、内容が大きく異るわけではない。現在、小書のつかない常の型は四日目の式を演じる。江戸時代、勧進能や将軍宣下能などの大規模な番組では、演能が十数日間続くことがあった。この場合、四日目以降は四日の式を繰り返し演ずることとなっている。すなわち、演者にとって、もっとも演じる機会の多い「四日の式」が、やがて標準となっていった、とする説がある。 

2.立合もの 
(弓矢立合、船立合、十二月往来) 
翁の数が三人（弓矢立合・船立合）に増え、祝言の謡を謡いながら相舞（翔）をする。この小書にかぎって異流の太夫どうしで演じる特殊な演目である（地謡は混成）。すでに室町時代の多武峰猿楽に四座立合の翁が奉納され、その由緒は古い。なお、弓矢立合は江戸時代に幕府の謡初式でかならず演じられた由緒ある曲である。 

3.翁付き
翁上演後、連続して「高砂」や「養老」「鶴亀」「老松」などの神能が同じ演者によって演じられることがある。これを「翁付き」と呼ぶ。「翁付き」となるのは目出度い内容の演目であり、またこの形式を採る演能は最も高い格式を持つ。各流儀の年初の舞台拓きや、寺社での奉納能などで見られる。翁開演後は、見所への入場扉に紙の封がかけられ、観客は途中入退場ができなくなる。また、囃子方は脇能が終わるまで、3時間前後、舞台に上がり続けとなる為、体力的には相当過酷な演目といえよう。


■翁は、なぜめでたいのか
　なぜ、翁すなわち老人が舞う能が、祝福芸となるのであろうか？ 現在「老い」はマイナス要素で考えられることが多いが、古来伝統的には、「年老いる」ことはプラス評価でもあった。ちなみに今の中国語で「老」とは良い評価に用いる文字でもある。平均寿命が短かった昔は、長生きすることはそれだけで驚くべきこと、賞賛に値することで、長寿を保った老人には不思議な霊力が籠もっている、と考えられたのだ。
　たとえば、『続日本後紀』仁明天皇承和12年(845)には、当時百三十歳の舞の名人・尾張浜主が帝の御前で舞楽〈和風長寿楽〉を舞い、賞賛を集めたという記録がある。その時、浜主は「翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる御代に出でて舞ひてむ」と詠ったという。「老人の歌舞が天下を祝福する」という古来の文化意識が垣間見えるエピソードといえよう。伝統芸の中で、翁はこのように、祝祷の担い手、ひいてはシンボルとなっていったのである。

■折口信夫の『翁の発生』
　田楽や猿楽について、折口信夫（1887〜1953）は『翁の発生』で次のように書いている。
　まず「日本人の国家以前から常世神（トコヨガミ）といふ神の信仰は、常世人として海の彼方の他界から来る」とある。これが折口信夫の「マレビト」であろう。このマレビトは「初めは、初春に来るものと信じられてゐた」が、四季折々の節目に訪れるようになり、やがて山中にすみつき山人となり、山人から山の神となる。

「常世の国を、山中に想像するやうになつたのは、海岸の民が、山地に移住したから」ということだが、この山の神が里に下りてくるのが、翁の原型である、と『翁の発生』ではいう。山から現れ、通っていたこの山の神は、やがて里の神社にすみつき神となった。　　
　ここには日本人の狩猟時代から農耕時代へと移った時間の幅があるのだろう。こうして神事は「翁舞」となる。「翁面」は御神体として扱われ、「翁舞」は鎮魂や五穀豊穣の祭りの儀式として行われた。この神事芸能が呪師猿楽の呪術性を得て、翁猿楽となっていく。

■能『翁』の詞章
翁　　とうとうたらりたらりら。たらりあがりいららりどう。
地　　ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
翁　　所千代までおハしませ
地　　我等も千秋さむらハふ
翁　　鶴と亀との齢（よわい）にて
地　　幸（さいわい）心に任（まか）せたり
翁　　とうどうたらりたらりら
地　　ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりどう
千歳　鳴るハ瀧の水。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地　　絶えずとうたり。ありうどうどうどう
千歳　絶えずとうたり。常にたうたり（千歳の舞）
千歳　君の千年を經ん事も。
　　　天津をとめの羽衣よ。鳴るハ瀧の水日ハ照るとも
地　　絶えずとうたり。ありうどうどうどう
翁　　総角（あげまき）やとんどや
地　　ひろばかりやとんどや
翁　　座して居たれども
地　　まゐらふれんげりやとんどや
翁　　千早振（ちはやふる）。神のひこさの昔より。久しかれとぞ祝ひ

■とうとうたらり…は何語か？
　能でもっとも神聖な曲とされる翁。特にその詞章は難解で、今日にいたるも完全に読解されておらず、学者により様々な暗号解析が試みられている”謎の言語”である。
「申楽の舞とは、いづれと取立てて申すべきならば、この道の根本なるが故に、翁の舞と申すべきか。又謡の根本を申さば、翁の神楽歌と申すべきか」（申楽談儀）。
翁が世阿弥の時代、すでに申楽の神聖曲として扱われていたことがわかる。
また、同書には、
「都良香(とろうきょう)の立合い、昔よりの立合い也。翁の言葉の様にて伝わり来たるものなれば、たやすく書き改むるべきにあらず」
と、翁の詞章の難解を示唆する指摘があり、当時すでにその意味が解読できなかったのではないか。
　「とうとうたらり」の語解については、昔からさまざまな説が唱えられてきた。古くは僧宣竹が翰林胡蘆集で、陀羅尼から取られた歌詞ではないかと推測し、さまざまな神聖説が出た。江戸期になると荻生徂徠や賀茂真淵等がそれらを排斥し、笛や鼓の擬声であるとする説を唱え、一般化。後に謡の合いの手であるとする説も出た。以下に、いくつかの説の主張を拾う。

・笛の譜説
　高野辰之博士が日本歌謡史に挙げた、舞楽の最初に演じられる「振舞」の笛の譜であるとする説。
「ト（引）ト（引）、タアハアラロ、トヲリイラア。トラアリイラリ、チイラリイリイラ、タアリアリヤリ（引）。トラアロリチラアハ、チイヤリイヤラタアハハハルラルラアルラ、トヲヒタロヒ、トヲヒ（引）」

・サンスクリット語説
　昭和初期に河口慧海師が唱えた、サンスクリット語（梵語）による祝言の陀羅尼歌「サンバ・ソウ」（瑞祥、あるいは作成の意）の歌詞であるとする説。宣竹説の直訳版。

「トプトウ（収穫は）タラリ（輝き）タラリ・ラ（輝いて）、タラリ（輝きは）ア（ああ）ガララ（いずれも同じに）リトウ（寿ぎあれや）、ツエ・リン・ヤッ（寿命は長く健やかに）タラリ（輝き）タラリラ（輝いて）、タラリ（輝きは）ア（ああ）ガレララ（いずれも同じに）リトウ（寿ぎあれや）」

・縄文語(原ポリネシア語)説
　翁の解読不能の詞章が縄文語、すなわちその起源となったと推定される原ポリネシア語から変化したマオリ語（すでに失われた語彙でハワイ語に残るものについてはハワイ語とし、その旨を注記）であるとする説。

「オキ・ナ」、OKI-NA((Hawaii)oki=to stop,finish,to cut,separate;na=satisfied,indicate position near,belonging to)、「（人生の）終わりに・近い（者。翁 ）」（なお、「翁」に対する「媼（おうな）」は、「オウ・ナ」
OU-NA((Hawaii)ou=hump up:na=satisfied,indicate position near,belonging 
to)、「（老いて）背が曲がっ・た（者。媼）」と解する） 。
「トウトウ・タ・ラリ・タ・ラリ・ラ」、TOUTOU-TA-RARI-TA-RARI-RA(toutou=put articles into　a receptacle,offer and withdraw,sprinkle with water;ta=dash,beat,lay;rari=wet,wash,be abundant,abound;ra=there,yonder)、「（清めるために）水を撒け・（水を）打って・濡らせ・（水を）打って・濡らせ・あたりを」 
「タウ・コロ」、TAU-KORO(tau=come to rest,settle down,be suitable;koro=old man)、「着座の・ご老人（主君）」（「タウ」のＡＵ音がＯ音に変化して「ト」となった）。 「テネ・チウ・タプラ（ン）ギ・ホウ」、TENE-TIU-TAPURANGI-HOU(tene=be importunate;tiu=soar,wander,swing,swift;tapurangi=a raised platform in the front of a house or courtyard or village common used as a reclining place for a chief;hou=bind,enter,
persist)、「いつまでも・侍（はべ）っておりましょう・主君の御座・のそばに」（「テネ」が「テン」から「セン」と、「チウ」が「シュウ」と、「タプラ（ン）ギ」の語尾のＮＧＩ音が脱落して「タプラ」から「サブラ」となった）。


本稿は、東急セミナーBE2009年4月期講座「能の神男女狂鬼」第二回をもとに再構成しました。以下、2010年新春に予定されている、各流・各能楽堂の「翁」公演情報をお知らせしましょう。


■2009年1月～　能「翁」全国公演情報

【観世能楽堂】東京渋谷

・観世会定期能
平成22年1月3日（日曜日） 
開場：10時　開演：11時　終演：17時20分頃
 
能「翁」
　　　翁：観世清和　三番叟：石田　幸雄　千歳：武田文志
能「高砂」
　　　シテ：関根知孝　ツレ：清水　義也　ワキ：宝生欣哉
狂言「昆布柿」　野村万作
仕舞　「経　正」観世三郎太　「草子洗小町」観世喜之　
「網之段」片山幽雪（片山九郎右衛門改め）　「鞍馬天狗」梅若吉之丞
独吟「弓之段」　藤波重和
能「東　北」
　　　シテ：角　寛次朗　ワキ：森常好
仕舞　「難　波」梅若万三郎　「田　村」観世銕之丞　「西行桜」関根祥六　「国　栖」　山階　彌右衛門
能「岩　船」
　　　　　　　シテ：坂井音雅　ワキ：則久英志
入場料　正面区画自由席：13,650円　一般自由席：9,450円
入場券お取り扱い　観世能楽堂　　03-3469-5241


【宝生能楽堂】東京水道橋

・宝生会月並能
1月10 日 13:00 開演
能　翁　シテ　高橋亘　千歳　佐野弘宜
能　胡蝶　シテ　三川泉
能　鞍馬天狗　シテ　當山孝道
料金：
A席（正面）　\8,000
B席（脇正面）　\6,000
C席（中正面）　\5,000
学生（脇正後方）席　\3,000
問い合わせ　宝生会　Tel.03-3811-4843


・銕仙会定期公演
1月11日（祝）1時30分
能　翁 　翁　観世銕之丞 　千歳 　安藤貴康 　三番三 　山本則重
能　淡路　シテ　長山桂三
狂言　宝の槌　太郎冠者 　山本　則俊
能　猩々乱　シテ　鵜澤光
定期公演入場料：  
正面　　　6000円 
脇正面　　4000円 
中正面　　3500円
問い合わせ：銕仙会　03-3401-2285　


【矢来能楽堂】東京神楽坂

・観世九皐会百周年記念特別公演

平成22年2月28日（日）午後1時開演

　S席（正面の一部）　￥9,000
　A席（正面の一部・座敷正面）￥8,000
　B席（脇・中正面）　￥6,000
　学生席（Ｂ席）　￥3,000
正面S席、脇正面B席のお取扱はございません。

能　翁　長沼範夫
狂言　鍋八撥　野村万作
能　玄象　鈴木啓吾

問い合わせ：観世九皐会事務局　TEL　03-3268-7311　FAX　03-5261-2980


【十四世喜多六平太記念能楽堂】東京目黒

・喜多流職分会　1月自主公演能
平成22年1月10日（日）正午始
整理券配布10時30分　見所入場11時

能   翁
翁  高林呻二  
三番叟 野村萬斎  
千歳 高野和憲
狂言   筑紫奥 シテ／奏者 野村万作
能    羽衣霞留 シテ／天女　内田安信
能    シテ　塩津哲生
一般席／6,000円、学生席／2,500円　　　 
指定席料2,500円(上に別途)



【名古屋能楽堂】

・名古屋能楽堂定例公演　～能・狂言でたどる天下統一の道（前編）～
日時：平成22年1月3日（日）14：00開演

演目：能「翁」（おきな）シテ 梅田邦久（観世流）
「三番叟」（さんばそう）野村小三郎（和泉流)
能「養老」（ようろう）水波之伝　シテ 清沢一政（観世流）
狂言「筒竹筒」（つつささえ）　シテ 松田髙義（和泉流)

料金：　指定席5,000円
　　　　　自由席　一般 4,000円　　学生　3,000円
　　　　　※自由席のみ当日500円増
　　　　　※友の会会員は前売のみ1割引
問合せ：名古屋能楽堂　℡052-231-0088


【京都観世会館】

・京都観世会一月例会
1月10日(日)　10:30開演

(能) 翁 　大江又三郎 
(能) 絵馬 　井上　 裕久 
(狂言) 昆布売 　茂山七五三 
(能) 鉢木 　観世　 清和 
(能) 岩船 　武田　 大志
前売 6,000円
当日 6,500円
学生 3,000円

問い合わせ　京都観世会館　TEL.075-771-6114
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    <title>戦国武将の茶の湯三昧</title>
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    <published>2009-12-04T13:36:48Z</published>
    <updated>2009-12-06T02:08:08Z</updated>
    
    <summary> 　茶の湯の根本精神を言い表す言葉に、「一期一会」と「和敬清寂」があります。なに...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/hakuin.jpg" align="right">

　茶の湯の根本精神を言い表す言葉に、「一期一会」と「和敬清寂」があります。なにゆえ戦国期に信長、秀吉をはじめ多くの武将があれほど茶の湯に没頭したのかは、いまだに中世日本文化史上、とりどりに詮索されるところ。信長が手柄へ城の代わりにとびきり高価な唐物茶器を与えはじめ、武将はこぞって茶道具蒐めに目の色を変えたため。禅と強く結びついた侘び茶の精神が、戦国武将の生き方に合致したため。狭い茶室で、武将同士が誰にも知られず密約を交わすため…。]]>
        様々な論説がある中、戦国期の茶の湯成立について「茶の湯が媒介する結縁性」を指摘するある論考が目を引きます。婚礼などの場で古くから日本民族の慣習として”茶礼”が盟約として行われてきたという。戦国期、それまでの将軍家や貴族など既成の権力構造が瓦解し、また親子が争い、兄弟が領土を奪い合う下克上の時代となる。この時代、信じられるものはただ己の力のみ。そして昨日の敵とも胸襟を開いて新たな”縁を結ぶ”こと。それが戦国武将にとって明日を生き抜く唯一の手段。その”縁を結ぶ”場として、城の大広間でもなく、酒宴の幕内でもなく、小間の茶室が選ばれた、とする説です。身に寸鉄を帯びず、膝と膝が触れる距離で、関白も平侍も商人も、一個人として茶を点て互いにすすめ、本音で語り合う。時に密約もささやかれたかもしれませんが、こうした裸の人間同士の会話が、ほとんどの茶席を占めていたに違いない。そしてその場の不文律が「一期一会」と「和敬清寂」なのです。今日も戦、明日も戦。相手の顔を見るのもこれが最後かも知れぬ。そのかけがえのない貴重なひととき、一期を主客は互いに尊び、惜しんだのです。

茶の湯の「一期一会」「和敬清寂」をよく伝える暖かい逸話をひとつ、ご紹介したい。まずは原文からご賞味ください。


『久重日記　坤』寛永十七年卯月十七日

古田織部は桑山左近と久々仲悪しく候也。
ある時忠興公、織部所へお出で候時、相客は谷の出羽也。春田又左衛門も召し連れらる。しかれば桑山左近に同道するぞと云ふ。左近答えていはく、われら仲よろしからず候。参り候事ならず、とて一切合点せざるを無理に、ぜひ嫌なれども同道申すべく候と云へば、左近いはく、その儀ならば織部方へ其由仰せ遣わさるべく下され候と云ふ。三斎公、それに及ばずとて、同道にてお出で候へば、織部も左近殿と云ひ、左近も忝し、と云ひし也。
この時風炉下に殊のほか手間入る。余りなる事ゆえ、三斎公、さてさて手間入り候ことかな、大方にて置き候へ、と云へば、織部答へていはく、何とも何とも御前にて仕り兼ね候と云ふ。炭仕廻候時寄りて見れば、織部は勝手へ入り障子を立て引き入り候也。炭さても見事、風炉の内斯様にも成る事候かな、是でも難あるやと、左近へ三斎公云へぱ、左近答へていはく、さてもさても見事成ることかな、驚目候。織部殿数奇上がり殊のほか見事になり申し候と云へば、障子の内にて織部くつくつとふき出し笑ひ候也。左近も笑ひ、我等も笑ひ候也。皆々大笑と御物語候也。

・現代語訳(能文社　2009)

　寛永十七年四月十七日のこと。古田織部は桑山左近とは長年犬猿の仲であった。ある時忠興公が、織部邸へ茶に参る。相客の谷出羽守に加え、春田又左衛門も召し連れた。そこで桑山左近へ、
「そなたも同道されよ」
　と誘う。左近は答える。
「織部殿とはしっくりいかぬ。ご同道はいたしかねる」
　と、なかなか同意せぬゆえ、忠興公は無理強いして、
「気が進まぬもわからぬではないが、たって一緒に参ろうではないか」
　といえば、左近もいう。
「その儀ならば、それがしも同道の由、前もって織部殿にお知らせ願いたい」
　三斎(忠興)公、「それには及ばず」と左近を無理に連れて参ったものだ。ところが着いてみれば、織部は「よういらっしゃった左近殿」というし、左近も「お迎えかたじけなし」、などと互いに平気な顔。
　さてこの時、織部は風炉灰にことの他手間取っていた。あまりに時間がかかり過ぎるので三斎公は、
「さてもさても手間のかかることよ。大方に置かれたならばよかろう」
　といった。織部の答えは、
「何としてもこのたびはご両人のご前ゆえ、難しゅうござって」
　というばかり。さて、炭を仕廻うに際し客衆が寄って拝見しようとすると、織部は勝手へ入り、障子を閉てた。三斎公は、
「さても見事な炭。風炉の内、このようにも作れるものかな。これでも難ありといえようか」
　と、左近へ振り返ると、
「さてもさても見事なることかな。まったく驚き申した。織部殿の数奇一段と上がり、ことの他立派な宗匠となられたものよ」
　と左近が答えると、障子の内で織部は、くつくつとふき出し、笑いはじめる。左近もつられて笑い、私も笑い、ついに全員大笑いしたものだ、とお話なさったという。


まず、登場人物の説明。語り手の松屋久重は、戦国～江戸初期の重要な茶書『松屋会記』の編纂者。奈良の塗師、松屋当主。古田織部は、織部焼で高名な千利休、第一の弟子。利休亡き後、天下の宗匠として徳川将軍家の茶頭を任ずる。細川忠興、桑山左近は、ともに戦国武将であり、千利休門高弟です。相客の谷出羽守は、信長・秀吉に仕えた戦国期古兵者、丹波国山家藩初代藩主。春田又左衛門は細川家家臣です。
　織部、忠興、左近はともに利休の高弟。あらゆる芸道でよく知られているように、偉大な師のもとにある、高弟の間はとかく不和となりがちなもの。冒頭にあるように、とくに織部、左近の間はぎくしゃくとしていたようです。ある日、織部の茶会に忠興が招かれる。相客として、谷出羽守、松屋久重、春田又左衛門。そして亭主とは犬猿の仲と知りつつも、桑山左近にも声をかけた。しぶる左近を強引に引き連れていく忠興。この辺、なにやら忠興の意図が感じられます。しかし邸に着くと両者はなんのこだわりなく対応しているではないか。そして織部の丹精込めた炭点前に、左近は思わず「なんと見事な」と、日ごろの感情も忘れて絶賛。障子の陰から伺っていた織部は、その様子に思わず「くっくっくっ」としのび笑いをもらす。つられて一同も笑い、呵呵大笑。めでたく一期一会、一座建立なった、なんとも身内がぽかぽかとするよい茶話です。日頃はとかく、社中の席次をあらそいぎくしゃくする間柄であっても、こと数奇に関してはついに相手の存在も立場も忘れて、のめりこんでしまう。禅に”両忘”ということばがあります。好悪・善悪・美醜・真偽など俗世の二項対立を忘れ、ついには自他の境も忘れて、何もない澄み切ったすがすがしい悟境に達すること。宋代の儒者、程明道も「内外両忘するに惹かず。両忘すれば則ち澄然無事なり」といいます。内外両忘、皆々大笑し、この日主客はみな本物の「茶」になったのです。
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    <title>【寺子屋通信11月】新・五輪書講座はじまります。</title>
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    <published>2009-11-26T09:10:10Z</published>
    <updated>2009-11-26T09:23:01Z</updated>
    
    <summary> 言の葉庵オリジナル講座、寺子屋素読ノ会。来る11/30(月)、はじめての宮本武...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/musashi1.jpg" align="right">

言の葉庵オリジナル講座、寺子屋素読ノ会。来る11/30(月)、はじめての宮本武蔵「五輪書」講座がスタートです。来週、再来週の講座予定メニューを以下にお知らせします。

NEW！●Cクラス「五輪書」11/30(月) 17:30-19:00
講座予定：今回が初回です。小説や映画で日本一有名な剣豪、宮本武蔵。しかし資料にみられるその実像とはかなりのギャップがあります。武蔵の生まれと本当の父は？巌流島の決闘、その勝負の実態と結末は？吉岡一門は明治まで健在だった？五輪書はいつどこで書かれた？剣豪か、芸術家か？宮本武蔵は複数いた？初回は武蔵像に光を当て真実をたどります。]]>
        <![CDATA[●Dクラス「南方録」11/30(月) 19:30-21:00
今回は、「台子」最終段落と「墨引」第一章を読み進めます。「台子」で、その断片が時折姿をのぞかせた、利休流茶道最奥の秘伝といわれる「カネワリ」技法。「墨引」は、冒頭からその理論を精緻に論考していく段落。陰陽・五行説など、中国古来の思想がその成立背景に色濃く感じられます。「秘伝をあまりに詳細に書き留めすぎる」と、師利休が黒々と墨で抹消したという、いわくの「墨引」。幻の茶道技法の世界に挑戦してみましょう。

●Aクラス「葉隠」12/7(月) 17:30-19:00
葉隠は今回、聞書一の四〇から読解を進めます。四五「老剣術師の述懐」では、剣の修行を推し進め、最後にたどり着くのは”道の絶えたる位”である、と諭します。これはちょうど武蔵「五輪書」風の巻にある、「稽古の口(初心)と奥(高位)」の秘伝と重なる逸話。日本芸道論の”道”を葉隠独自の論調で指し示してくれます。

●Bクラス「風姿花伝」12/7(月) 19:30-21:00
今回は第五「奥儀に讃嘆していわく」第一章を読みます。『風姿花伝』書名の由来、世阿弥の観世座とライバルである犬王が属する近江日吉座との芸風の違い。また、舞台鑑賞について「目利き」と「目利かず」の違い。それらへの対応策と花のある真実の猿楽者の定義。また、目利き論と関連して、『花鏡』で説かれる「見の能」「聞の能」「心の能」、三段階の能の位を知ることなどを考察していきます。

<a href="http://nobunsha.jp/img/terakoya%20annai.pdf">「寺子屋素読ノ会」実施要綱と詳細はこちら。</a>
各クラス、途中受講大歓迎です！まずはお気軽に教室をのぞいてみてください。]]>
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    <title>【日本文化のキーワード】第四回　さび</title>
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    <published>2009-11-15T03:31:38Z</published>
    <updated>2009-11-15T03:42:14Z</updated>
    
    <summary> 　茶の湯さびたるはよし、さばしたるは悪敷と申す。 片桐石州『秘事五ヵ条』にある...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nobunsha.jp/">
        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/sabi.jpg" align="right">

　茶の湯さびたるはよし、さばしたるは悪敷と申す。

片桐石州『秘事五ヵ条』にある、茶道の名言です。茶の湯において、自然と古び良い味となったものこそ良く、意図してそのように作ったものはよくない、というほどの意。日本文化と美学において、「わび・さび」として人口に膾炙する「さび」について、今回は学んで行きたいと思います。

1.さびの定義
2.禅とさび
3.さびの歴史
4.さびと茶の湯
5.さびの名言集
6.さびの逸話]]>
        <![CDATA[1.さびの定義

まずは現代の「さび」の美学的な定義からみていきましょう。

美的概念。閑寂ななかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさをいう。単なる「寂しさ」や「古さ」ではなく、さびしく静かなものがいっそう静まり、古くなったものがさらに枯れ、そのなかにかすかで奥深いもの、豊かで広がりのあるもの、あるいはまた華麗なものが現れてくる、そうした深い情趣を含んだ閑寂枯淡の美が「さび」である。老いて枯れたものと、豊かで華麗なものは相反する要素であるが、それらが一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。「さび」はそのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造の美とも把握しうる。(堀越善太郎)

中世に近づくに従って、本来は厭うべき感情を意味した「わび」や「さび」が、「枯淡・閑寂・脱俗」の美を表す美意識となっていきます。それは、中世に興隆した禅宗の影響により、それまで忌避すべき心の状態をこそ良しとする心の持ち方が流行したことによります。次に、禅宗の立場から見た「さび」の概略をたどってみます。

2.禅とさび

今日の茶道が、禅の精神と密接に結びついて発展したことは周知の事実。そして茶道精神のもととなる重要なキーワードのひとつが静寂であり、静寂の寂は「さび」に通じます。しかしさびは、静寂よりもその包含する意味内容が広く、深い。寂にあたる梵語のSantiは「静寂」「平和」「静穏」を意味し、また寂は仏典においては「死」、「涅槃」を指す言葉です。しかし茶の湯において、「さび」は、「貧困」「単純化」「孤絶」などのニュアンスを与えられ、その意味では「わび」と同意語とも考えられる、と禅学者鈴木大拙は指摘しています。禅の視点から見る大拙の「さび」の定義とはどのようなものでしょうか。

(日本文化の)不完全な美に古色や古拙味(原始的無骨さ)が伴えば、日本の鑑賞家が賞美するところのさびがあらわれる。古色と原始性とは現実味ではないかも知れぬ。美術品が表面的にでも史的時代感を示せば、そこにさびが存する。さびは鄙びた無虚飾や古拙な不完全に存する、見た目の単純さや無造作な仕事ぶりに存する、豊富な歴史的な連想(必ずしも現存しなくともよい)に存する、そして、最期にそれはくだんの事物を芸術的作品の程度に引き上げるところの説明しがたき要素を含んでいる。これらの要素は、禅の鑑賞から由来すると、一般に考えられている。茶室内に用いられる道具類は多くかかる性質のものである。
『禅と日本文化』鈴木大拙　岩波新書

3.さびの歴史

禅の精神的土壌を得て、単なる「古」や「拙」、「絶」から、美的概念へと進歩を遂げた「さび」。言語としての「さび」は、文芸史のなかでいつ発生し、どのような変遷をとげたのか。その動線を探ってみたいと思います。

言語としてみれば、「さび」は、「わび」と同様に、動詞「さぶ」の連用形が名詞化されたものです。「わぶ」が、そもそも人にとって貧困と窮乏を指し示す否定的な言葉であったように、「さぶ」も孤独・哀傷などネガティブな感情を指す言葉でした。しかし、和歌の世界で藤原俊成・定家などが歌合の判詞で肯定的に使用し始めたことにより、次第に文芸の分野で肯定的な意味へと変化を遂げていく。俊成を「さびの美の発見者」とする説もあります。
藤原俊成がはじめて「さび」を評語として用いたのは、嘉応二年(1170)の『住吉社歌合』。平経盛「住吉の松吹く風の音たえてうらさびしくもすめる月かな」に対して、「すがた、言葉いひしりて、さびてこそ見え侍れ」と評したのが最初でした。以来、「さび」に肯定的かつ美的な情趣を認め、積極的に取れいれていったのが、室町期の連歌であり、後の蕉門俳諧の一派です。茶道の分野においても元連歌師であった武野紹鴎の影響により、「さび」の美的価値が評価、称揚され、積極的に茶道精神の根本として取り入れられるようになっていくのです(後に詳述)。
しかし、「さび」が名詞として用いられたのは「蕉風俳論において(角川古語辞典)」であり、十七世紀後半までは、もっぱら動詞、形容詞として用いられてきました。

4.さびと茶の湯

侘び茶を大成した千利休が、「さび」についてもはじめて取り上げ、積極的に茶道精神を推進する言葉として取り入れた、とする説があります。

利休の造詣の深さを思はせるのは、茶の湯の上に寂(さび)の一字を加へた事である。珠光は茶の湯の標語として「清浄礼和」の四字を説いたが、利休は其四字を改めて、和敬清寂の四字を説いた。敬と礼とは同じ様な物だから、利休の改めたのは寂の一字である。
茶は寂である。閑寂幽玄の物さびしい中に、華美贅沢の知らない、美があるといふ意味を指示した事は、何と云つても、利休の大なる功績であつたと思ふ。この寂の一字に依りて、茶の湯は世界に類のない特殊な文化を四畳半裡に建設した。
『茶心花語』西川一草亭　昭和六年

5.さびの名言集

利休が「さび」に茶道の上席を与えて以来、巻頭石州の言のように、代々の茶人はそれぞれ「さび」の名言を私たちに残してくれました。

「茶之湯根本、さびたるを本にして致候」(江岑夏書)
「連歌は冷えかじけて寒かれと云う。茶湯の果も其如く成たき、と紹鴎常に云ふ」<a href="http://nobunsha.jp/book/post_26.html">(山上宗二記)</a>「名物一種もなき人は、一段きれいにさびきって珍敷」(遷林)
「さびたるはよし、さばしたるは悪敷」(石州秘事五カ条)
「是即さびたる体を専に用之也」(上同)
「茶はさびて心を厚く持なせよ道具はいつも有合よし」(利休百首)

6.さびの逸話

「さび」は今日においても、ヴィンテージ嗜好、骨董趣味として私たちの生活全般で普遍的な「美の基準」となっています。<a href="http://nobunsha.jp/meigen/post_61.html">「し残したるを、さて打ちおきるは」徒然草第八十二段</a>が、日本人の「さび＝古道具嗜好」を象徴するもっとも高名な随筆ですが、今ひとしお含蓄の深い二つの逸話を紹介し、本稿の跋に代えたいと思います。


問　当世の茶人達、清くうるはしき茶碗・茶杓などに、茶染み付るとて、常々撫でさすり、垢づけさばし、古物・古作に衒なして、茶会に用ひ、或は過分の値に売買し、ひたすら古器を賞玩せられ候事はいかがに候や

答　古人の古器を賞玩せられ候趣は、上古はよろずの事質朴にしてかざらず、百の器の形もやすらかにしてわづらはしからず、物の工も疎なるに似たれどもつたなからざりし、※淳素の代をしたひ、且つ古器には一つ得あるを以て、先達の賞玩候へば、其人をしたひ其器を愛して、千金の値をも忘れられ候に、あらたなるをば衒びふるべ、或は不浄に用ひけがしたるをもいはず、取上て、えならぬ来歴を付て茶具に用ひ、初心をまよはし過分の金銭を費さしめらるるは、誠に茶筵の邪徒にて候。又、当世ひたすら古器に過て家のおとろへを招かれし輩に就て思ひ合する事の侍り。唐に、秦人ひたすら古器を好む人有り。有人、古き筵を持来り、これは※魯の哀公孔子を召して共に坐し給ふ筵なりといふ。秦人悦びて田を売り是を求む。また一人、古き竹を持来り、此杖は※大王、狄をさけて邠の地を去り給ふ時つき給ふなりと。又悦んで家財を尽して是を求む。また其後一人、碗を持来り、此碗は※虞舜の手づから作り給ふ器なり。大王・孔子は周の事なり、舜の器になぞらふべからず、といへり。秦人大に悦んで家を売り、碗を求て三つの宝とすといへども、家産尽きて時の一笑となれりといへり。しかれども、かれは聖人したふの心ふかし。いまの古器にすける人は、秦人におとりぬと覚へり。

※淳素　素朴
※魯の哀公　紀元前467年没。魯の第25代君主。孔子を重用した。
※大王　古公亶父（ここうたんぽ）。古代周王朝初代武王の曽祖父。
※虞舜　帝舜の別名。中国神話時代五帝の一人で聖人として崇められている。中国で陶器をはじめて作ったともいわれる。

『源流茶話』茶道古典全集　第三巻　淡交社


数馬(利明)が語った。茶の湯で古道具を使うのはむさ苦しい、新しい器を綺麗にして使うのがふさわしい、という衆がいる。また、古い道具は、奥ゆかしいゆえ用いるのだ、と思う人もいる。これみな間違いである。古い道具は、下賤の者も取り扱ったものだが、よくよくその徳を備えているゆえ、貴人の手にも触れるようになったものだ。徳を貴んでのことである。奉公人にも同じことが言えよう。下賤より、高位に昇った人は、徳を持っていたゆえである。しかるに、氏素性の正しくない者と同役になどなれるものか、昨日まで足軽だった者が組頭とは許せぬ、と考えるのはもってのほかの取り違えである。もともと、その地位にあった人より、下から昇った人の徳を貴んで、人々はひとしお尊敬するはずだ、とあった。
<a href="http://nobunsha.jp/book/post_35.html">『葉隠　現代語全文完訳』能文社　2006</a>]]>
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    <title>名言名句　第二十四回　花鏡</title>
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    <published>2009-10-04T03:07:55Z</published>
    <updated>2009-10-04T03:15:52Z</updated>
    
    <summary>　No.41 　せぬ隙が、面白き。 ～『花鏡』世阿弥 「せぬひまが、面白き」。能...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img align="left" src="http://nobunsha.jp/img/zeamimokuzo.jpg">　<span class="green">No.41</span>
　せぬ隙が、面白き。

～『花鏡』世阿弥


「せぬひまが、面白き」。能という芸術の根本に触れ核心をつく、名言です。世阿弥の中期代表能楽論『花鏡』の中の一句。世界的名著であり、処女作にして最高傑作とされる『風姿花伝』が、父観阿弥の遺訓をもとに編纂された世阿弥の間接的な著作ならば、『花鏡』は、観阿弥死去以来、四十年間世阿弥自身が舞台と実践の中で確かめ、磨き上げた「花の理論」の総決算と位置づけられる代表的著作です。
　能の美を表現する言葉に、「空白の美」「動く彫刻」などという常套句がある。世阿弥は、前代の名人を語る『申楽談儀』で、田楽の老名人喜阿弥の微動だにしない姿より発散される圧倒的な存在美を「胡銅の物(名物茶道具)を見るようなりし」と評しています。
　能の稽古では「謡は声を出している時ではなく、息継ぎの方が大事」「仕舞は止まっている時間こそ重要」と、くどいほど注意され、叩き込まれます。たとえば名役者による井筒のシテが、謡い出す前のぴたりと静止した姿から、にじみ出る気迫と存在感に、観客は圧倒され、えもいわれぬ感動を覚えるもの。逆に動き出し、謡い出すとぷつりと緊張の糸が切れてしまうように感じるものです。
　これらすべてが「せぬ隙」であり、能の命、さらに拡大すれば日本文化全般の”空白の美””余情”へとつながっていく。まずは、当句所収の段落をご紹介しましょう。


〔原文〕
　万能を一心につなぐこと。

　見所の批判に云はく、「せぬ所が面白き」など云ふことあり。これは為手の秘する所の案心なり。まづ二曲を初めとして、立ち働き・物真似の種々、ことごとくみな身になすわざなり。せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をつなぐ性根なり。舞を舞ひやむ隙、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物真似、あらゆる品々の隙々に心を捨てずして用心をもつ内心なり。
　この内心の感、外に匂ひて面白きなり。かやうなれどもこの内心ありと他に見えて悪かるべし。もし見えば、それはわざになるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す案心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり。]]>
        <![CDATA[「生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落々磊々」。
　これは生死に輪廻する人間の有様をたとへなり。棚の上の作り物の傀儡、種々に見ゆれども真には動くものにあらず。操りたる糸のわざなり。この糸切れん時は落ち崩れなんとの心なり。申楽も種々の物真似は作り物なり。これを持つものは心なり。この心をば人に見ゆべからず。もしもし見えば、傀儡の糸の見えんがごとし。かへすがへす、心を糸にして人に知らせずして万能をつなぐべし。かくのごとくならば能の命あるべし。
　そうじて即座に限るべからず。日々夜々、行住坐臥にこの心を忘れずして定心につなぐべし。かやうに油断なく工夫せば、能いや増しになるべし。この条極めたる秘伝なり。稽古に緩急あり。
（『花鏡』日本の思想8世阿弥集　筑摩書房1970）


　すなわち「せぬ隙」は、何もしないことや息を抜いて休んでいることではなく、実はその正反対。動いているとき以上の高密度のエネルギーが内部で張り詰めて、ずっとつながっていることなのです。そしてその心は気配として微塵も表に現れてはならぬ。わが心をわれにも意識させぬ、無心の境地に入ること。これはもう芸道の修練ではなく、禅の悟道そのものに思えます。充実した一念一念を、一瞬一瞬とつなぎ、積み上げ一生となる。有と無、自と他の境を超越すること。それゆえ末文にて世阿弥は、「この条極めたる秘伝なり」と結語したのです。「稽古に緩急あり」は、そのまま「開悟に漸頓あり」と読み替えることができるかもしれません。

<a href="http://www.genyusokyu.com/essay05/text/nasuhima.htm">※「せぬ隙と禅」。玄侑宗久師の関連サイトはこちら</a>


　『花鏡』には、このように世阿弥がたどり着いた最奥の境地を暗示する、名言・名句がいたるところに見られます。各章段の見出しをながめているだけでも、ふつふつと興味がわき、想像力がかきたてられる。以下、これを列挙してみました。『風姿花伝』読後には、ぜひ手にとってみたい不朽の名作といえましょう。

・一調・二機・三声
・動十分心、動七分身
・強身動宥足踏、強足踏宥身動
・先聞後見(目前心後)
・まずよくその物になり、後によくその態を似す
・舞声為根
・時節が感に当たる
・序破急
・上手の感を知る
・浅深
・幽玄の境に入る
・劫の入る用心
・万能を一心につなぐ
・妙所
・批判
・音習道
・奥の段]]>
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    <title>11月寺子屋新講座「五輪書」スタート！</title>
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    <published>2009-10-03T00:31:27Z</published>
    <updated>2009-10-09T04:28:31Z</updated>
    
    <summary> 多くの受講生で、毎回熱く名作古典を音読する、ユニークな生涯学習サークル「寺子屋...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/gorinsho0001.jpg" align="right">

多くの受講生で、毎回熱く名作古典を音読する、ユニークな生涯学習サークル「寺子屋　素読ノ会」。11月より、宮本武蔵の名著『五輪書』を読む新講座がスタートします。吉川 英治の小説で一般には有名になりましたが、小説やテレビに描かれた武蔵像はあくまでフィクション、虚像です。真実の武蔵とはどのような人なのか？]]>
        <![CDATA[それは、武蔵の代表作にして武士道のバイブル『五輪書』を熟読することで、ありありと目の前に浮かび上がってくるはず。『五輪書』の講読講座は言の葉庵でも初のこころみ。ぜひこの機会に、寺子屋をのぞいてみましょう！

<a href="http://nobunsha.jp/img/terakoya%20annai.pdf">■寺子屋素読ノ会　C「五輪書」</a>
場所　生涯学習センター　バルーン(新橋)　
日時　第四月曜日17:30-19:00
※ただし初回のみ2009年11月30日(月)
参加費　一回 \1500
アクセス　JR新橋駅　烏森口より徒歩3分　
要。
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    <title>秋の【言の葉】カルチャー新講座</title>
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    <published>2009-08-28T08:55:52Z</published>
    <updated>2009-08-28T09:06:12Z</updated>
    
    <summary> 『日本文化を創った中世の巨人たち』 10月からスタートする、言の葉11講座の概...</summary>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/culture0909.jpg" align="right">

『日本文化を創った中世の巨人たち』

10月からスタートする、言の葉11講座の概要をお知らせします。能や茶道、禅仏教など、ひとつの分野を追究してみると、意外なところでそれぞれの分野がつながってきて、時代と文化の背景が見えてくる。「日本って何」「自分はなぜこう感じるのか」を、発見してみませんか。

<a href="http://nobunsha.jp/img/kozalist.pdf">・全講座ラインナップはこちら</a>]]>
        <![CDATA[〈東京池袋・池袋コミュニティ・カレッジ(池袋西武)〉
<a href="http://www.7cn.co.jp/cc/topics/taiken.html">A.講座名：一日特別講座『江戸と戦国の武士道』～葉隠と五輪書を読む</a>
日　時：9月26日(土) 10:30～12:30 

<a href="http://www.7cn.co.jp/cc/genre/index.html">B.講座名：定期講座『日本文化を創った中世の巨人たち』</a>
日　時：毎月第四水曜日　全6回　15:00～16:30 

<a href="http://www.7cn.co.jp/cc/genre/index.html">C.講座名：一日特別講座『茶と禅と庭』　～日本精神文化の「無」と「侘び」の交錯点</a>
日　時：11月3日(祝) 13:00～14:30 

問合／申込：池袋コミュニティ・カレッジ〈池袋西武イルムス館8・9F〉
電話03-5949-5487

〈東京渋谷・東急セミナーBE〉

<a href="http://www.tokyu-be.jp/seminar/2009100001AH66601.html">講座名：『知識ゼロから見始める能』　～能の物語・役者・舞台の楽しみ方
をやさしく学ぶ</a>日　時：10/6(火)第一回スタート。毎月第1火曜日　13:00～14:30 

〈名古屋栄・中日文化センター〉

<a href="http://www.chunichi-culture.com/mgcgi/mgrqcgi.cgi?APPNAME=BunWeb&PRGNAME=kouza_para">A.講座名：『能の名人芸と名舞台』</a>
～室町から現代までの名演を文献・映像により再現・鑑賞
日　時：10/1(木)第一回スタート。毎月第1木曜日（昼）1：00～2：30 

<a href="http://www.chunichi-culture.com/mgcgi/mgrqcgi.cgi?APPNAME=BunWeb&PRGNAME=kouza_para">B.講座名：『千利休、侘びの正統』</a>
～長闇堂記、禅茶録にたどる、利休ゆかりの茶人の姿
日　時：10/1(木)第一回スタート。毎月第1木曜日（夕）3：30～5：00

問合／申込：名古屋・栄　中日文化センター　電話 0120-53-8164
Mail　sakae-cc@chunichi-culture.com

<a href="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/28/0000755028/95/img156ca5a5zik2zj.jpeg">C.講座名：紀行講座：【第１３回友枝昭世厳島観月能ツアー】</a>
日時：10/14（水）-15（木）
名古屋または東京発着　一泊二日のツアー講座　
ツアー代金　お一人様72,800円～84,800円 (S席チケット含む)
<a href="http://www.chunichi-tour.co.jp/kokunai/detail.php?kiji_id=720">※先着順に受付。チケット残数に限りがあります。お早めにどうぞ。</a>


〈寺子屋　素読ノ会　言の葉庵オフィシャル講座〉

<a href="http://nobunsha.jp/img/terakoya%20annai.pdf">講座名：Aクラス『葉隠』
　　　　Bクラス『風姿花伝』
　　　　Cクラス『奥の細道』
　　　　Dクラス『南方録』</a>
日　時：毎月第一月曜日　Aクラス17：30～19：00　Bクラス19：30～21：00
毎月第四月曜日　Cクラス17：30～19：00　Dクラス19：30～21：00

■2009年2月からスタートした【言の葉庵】公式セミナー。千年の名著といわれる日本の古典を読み、学び、親しむ"大人の寺子屋"です。武士道・茶道・禅・仏教・能・俳諧など、中世の偉人、達人の輝く智慧と精神性をたどり、現代を強く生き抜く力を身につけたいと思います。2009年10月より、より都心に近い便利な新橋(駅徒歩2分)に、場所が変更となりました。
※新規受講は直接ご希望のクラスの会場教室までお越しください。申込・予約不要。]]>
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    <title>第１３回友枝昭世厳島観月能</title>
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    <published>2009-08-09T11:22:37Z</published>
    <updated>2009-08-09T11:31:40Z</updated>
    
    <summary> ■世界遺産で、人間国宝の至芸を観る。 満ちくる汐、秋の名月、幽玄の美…。おそら...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/itsukushima.jpg" align="right">

■世界遺産で、人間国宝の至芸を観る。

満ちくる汐、秋の名月、幽玄の美…。おそらく本年最高となる、能イベント「第１３回友枝昭世厳島観月能」が、きたる10月14日（水）、世界遺産厳島神社の海上能舞台にて開催されます。
今回はご縁あって、【言の葉庵】が読者の皆様をこの“至芸の舞台”へとご案内することとなりました。]]>
        <![CDATA[<a href="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/28/0000755028/95/img156ca5a5zik2zj.jpeg">【第１３回友枝昭世厳島観月能ツアー】</a>・一般申込み　8/10（月）　9：30～
※先着順に受付。チケット残数に限りがありますので、定員に達しますと販売終了となります。ぜひお早めに！

本年の能は「紅葉狩」。番組詳細は以下です。

【第１３回友枝昭世厳島観月能】
2009年10月14日（水）18：00開場　18：30開演
於　厳島神社能舞台（広島県廿日市市宮島町）

火入れの儀
仕舞　松虫　出雲康雅
　　　鵜之段　粟谷能夫

能　紅葉狩　シテ　友枝昭世　ワキ　森常好　
　　　　　　ツレ　粟谷浩之、佐々木多門　アイ　野村万蔵
　　　　　　笛　松田弘之　小鼓　横山晴明　大鼓　亀井広忠　太鼓　吉谷潔
　　　　　　地謡　香川靖嗣、粟谷能夫他　後見　塩津哲生、中村邦生
　　　　　　（終了予定20：10頃）

〔紅葉狩　あらすじ〕
武勇の誉高い武者が紅葉の山中に分け入ると、この世のものとも思えぬ美女の一群が酒宴の最中。興を妨げぬよう、下馬し通り過ぎようとするが、美女にさそわれ宴へと加わる。盃を重ねるうちにいつしか酔い伏してしまいます。それを見た謎の美女は恐ろしい鬼の本体を現し、武者に襲いかかる…。

〔ミニ講座〕
当ツアーでは庵主による現地ガイド＆レクチャーがあります。

1.人間国宝友枝昭世師の芸
2.能「紅葉狩」鑑賞ポイント
3.厳島神社縁起と中世文化史
4.平家と能の厳島物語


〔過去の観劇ブログ〕
http://pinhukuro.exblog.jp/8780602/
http://paeonia.blog89.fc2.com/blog-entry-85.html
http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0072.html?page=print
http://blog.goo.ne.jp/fukufuku811/e/a68be6442b6ac2b1d8949f6f6b913abc]]>
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    <title>名言名句　第二十三回　貞観政要</title>
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    <published>2009-08-09T11:02:13Z</published>
    <updated>2009-12-02T09:13:35Z</updated>
    
    <summary>　No.40 　楽しみ、その中に在らん。 ～『貞観政要』巻第八努農第三十(太宗)...</summary>
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        <name>Anshu</name>
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            <category term="meigen" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://nobunsha.jp/">
        <![CDATA[<img align="left" src="http://nobunsha.jp/img/taiso2.jpg">　<span class="green">No.40</span>
　楽しみ、その中に在らん。

～『貞観政要』巻第八努農第三十(太宗)


　唐建国の聖帝、太宗と名臣との政治問答書、『貞観政要』の中の句です。まず原文と現代語和訳をご紹介します。

〔原文読下し〕
　貞観五年、太宗、天下の粟価、おほむね計るに斗に値五銭、その尤もやすきところは、斗に値両銭なるを以って、よりて侍臣にいひて曰く、国は人を以って本と為し、人は食を以って命と為す。もし禾穀みのらずんば、すなわち兆庶、国家の有する所にあらざらん。朕、億兆の父母となり、すでに豊稔に属することかくの如し。いずくんぞ喜ばざるをえんや。ただみずから倹約を努め、必ずたやすく奢侈を為すを得ざらんと欲す。

　朕、常に天下の人に賜いて、皆富貴ならしめんと欲す。今、遥を省き賦を薄くし、農時を奪わず、比屋の人をして、その耕稼をほしいままにせしめん。これすなわち富むなり。厚く礼譲を行い、郷閭の間をして、少は長を敬し、妻は夫を敬せしめん。これすなわち貴きなり。ただ天下をしてみな然らしめば、朕、管弦を聴かず、田猟に従わずとも、楽、その中に在らん。
（明治書院　昭和59年）


〔現代語和訳〕
　貞観五年、太宗は全国の穀物価格が、おおよそ一斗の値が五銭、最も安いものでは、一斗二銭となったのを聞き、侍臣にいった。
「国は人をもって本とし、人は食によって生きている。もしも穀物が実らねば、万民を国家のものとすることはできぬ。朕が万民の父母となってより、かくのごとき豊作となった。これを喜ばすにはおられようか。しかし今後も倹約に努め、軽がるしく贅沢をせぬようにと願っている。

　朕は常に、天下の人に与え、皆が富貴になるようにと願っている。今、夫役を免除し税を薄くし、農繁期を妨げることなく、あらゆる人に農業に精を出させたいと思う。これがすなわち富むことである。厚い礼儀を広め、郷村においては、年少者は目上を敬い、妻は夫を敬うようにさせよう。これがすなわち喜ぶことである。天下がすべてこのようになれば、朕はもはや音楽を聴かずとも、狩猟に出かけなくとも、楽しみは、わが内にあるのだ。」
（能文社　2009）


〔解説〕
　仕事、趣味、娯楽、スポーツ、読書、酒…。あなたがもっとも「楽しみ」とし、「喜び」を覚えるものは何でしょうか。唐の太宗は、「楽しみ、その中に在らん」、楽しみはただ、自分の中にあるのだ、といいました。管弦を楽しみ、美酒に酔い、狩猟に血を騒がせることも、自分にとってはつまらない。人民が富み、栄え、互いに尊ぶ世をつくり、それを見ること。これこそが天が自分に与えた使命であり、それを果たすことに無常のよろこびを噛みしめるのです。幸せや、楽しみは、どこか遠くにあり、探し求めて得られるものではなく、すべて自分の中にあるもの。また豊かさは、むさぼろうとして得られず、人に与えれば与えるほど、自分の中でますます大きくなるものといえるのかもしれません。]]>
        <![CDATA[　<a href="http://nobunsha.jp/meigen/post_54.html">放てば、手に充てり。</a>

　道元のこのことばも、政治と宗教の違いこそあれ、人の豊かさの本質を表したものです。

　さて、いにしえの日本にも、同様のエピソードがあります。「民のかまど」と呼ばれる、記紀等で紹介される、仁徳天皇の治世がそれです。

　高き屋にのぼりて見れば煙立つ　民のかまどはにぎはひにけり
　（高殿からわが国を見渡せば、いずれの村落の民家からも、盛んにかまどの煙が立ち昇る。豊かなるかな、わが国は）

　これは『水鏡』『古来風体抄』などで、仁徳天皇御製とされる著名な歌。しかし実際は、『日本紀竟宴和歌』（延喜六年）の「たかどのにのぼりてみれば天の下　四方に煙て今ぞ富みぬる」が、仁徳天皇の事跡をもとに、御製として誤って伝えられたものです。
　その仁政により、死後「仁」と「徳」の諡号をおくられ、世界最大の墳墓が築かれた仁徳天皇の「民のかまど」とはどのようなものか。以下、日本書紀（巻第十一）からご紹介しましょう。

　四年の春二月の己未の朔甲子（AD316.02.06）に、群臣に詔して曰はく、
「朕、高臺に登りて、遠に望むに、烟氣、域の中に起たず。以爲ふに、百姓既に貧しくして家に炊く者無きか。朕聞けり、古は聖王の世には、人人、詠德之音を誦げて、毎家に康哉之歌有り。今朕、億兆に臨みて、玄玄に三年になりぬ。頌音聆えず。炊烟轉疎あり。即ち知りぬ。五穀登らず。百姓窮乏しからむと。邦畿之内すら、尚給がざる者有り、况や畿外諸國をや。」
　三月の己丑の朔己酉（03.21）に、詔して曰はく、
「今より以後、三年に至るまでに、悉に課役を除めて、百姓の苦を息へよ。」
　是の日より始めて、黼衣糸圭履、弊れ盡きずは更に爲らず。温飯煖羹、酸り餧らずは易へず。心を削くし志を約めて、從事乎無爲す。是を以て、宮垣崩るれども造らず。茅茨壞るれども葺かず。風雨隙に入りて、衣被を沾す。星辰壞まより漏りて、床蓐を露にす。是の後、風雨時に順ひて、五穀豐穰なり。三稔の間、百姓富寛なり。頌德既に滿ちて、炊烟亦繁し。

　七年の夏四月の辛未の朔（AD319.04.01）に、天皇、臺の上に居しまして、遠に望みたまふに、烟氣多に起つ。是の日に、皇后に語りて曰はく、
「朕、既に富めり。更に愁無し。」
　皇后對へて諮したまはく、
「何をか富めりと謂ふ。」
　天皇の曰はく、
「烟氣、國に滿てり。百姓、自づからに富めるか。」
　皇后、且言したまはく、
「宮垣壞れて、脩むるを得ず。殿屋破れて、衣被露る。何をか富めりと謂ふや。」
　天皇の曰はく、
「其れ天の君を立つるは、是百姓の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古の聖王は、一人も飢ゑ寒ゆるときには、顧みて身を責む。今百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは。」
　九月に、諸國、悉に請して曰す、
「課役並に免されて、既に三年經りぬ。此に因りて、宮殿朽ち壞れて、府庫已に空し。今黔首富み饒にして、遣拾はず。是に以て、里に鰥寡無く、家に餘儲有り。若し此の時に當りて、税調貢りて、宮室を脩理ふに非ずば、懼るらくは、其れ罪を天に獲むか。」
　然れども猶忍びて聽したまはず。

　十年の冬十月（AD322.10）に、甫めて課役を科せて、宮室を搆造る。是に、百姓、領されずして、老を扶け幼を携へて、材を運び簣を負ふ。日夜を問はずして、力を竭して競ひ作る。是を以て、未だ幾時を經ずして、宮室悉に成りぬ。故、今までに聖帝と稱めまうす。


　「今百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり」。
　このことばに仁徳天皇の治世の精神は尽くされています。そしてさかのぼれば、中国の明君・聖帝の原点とされるのが、古代の帝堯。
「勧倹質朴の帝である。後世の人は、門番のような木っ端役人すら、堯よりはましな生活をしていたと評す。飢える者があれば、自分のせいで飢える。寒さにふるえる者があれば、自分のせいで着るものがない、罪を犯す者があれば、その者を犯罪に追いやったのは自分だ、と考える帝であった」（書経　堯　1）

　帝堯、太宗、仁徳天皇。これら聖帝に共通するのは、地を這うように低く、近く、貧しい民家一軒一軒のかまどにまで及ぶ、慈愛のまなざし。哀れな行き倒れを見れば、ぽろぽろ涙を流し、むつまじい幼い姉妹を見れば、わが身内がぽかぽかと暖かになってくる…。たとえ身は天の高みにあっても、心と目が民の肌近く、低きにあれば、帝王の楽しみは追わずとも得られるのかもしれません。]]>
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    <title>「気軽に！クリエイティブ相談」はじまりました。</title>
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    <published>2009-07-30T12:03:40Z</published>
    <updated>2009-07-30T12:46:31Z</updated>
    
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        <name>Anshu</name>
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        <![CDATA[<img src="http://nobunsha.jp/img/soudan.jpg " align="right">

　ＳＯＨＯ、中小企業向けに、低価格＆小さな相談案件専門で対応する、「気軽に！クリエイティブ相談」サービスを開始します！
※当サービスは、能文社提携企業、株式会社ストラテジックワークスが提供します。

<strong>■たとえば、クリエイティブ、広告制作について、こんな悩みはありませんか？</strong>

「商品、サービスには自信があるのに、さっぱり注文がこない。ホームページがよくないのかなあ...」
「チラシを一枚つくりたいのだけど、広告代理店に頼むほどの予算はとてもない...」
「クリエイティブが気に入らないけど、デザイナーにどう伝えればいいのかわからない...」
「イラストって、どこに頼めばいいの？いくらかかるの？」
「商品名と会社のロゴだけ安くつくりたい」]]>
        <![CDATA[「デジカメで撮った写真を広告に使いたい」
「コピーは自分で書くから、デザイン・レイアウトだけ頼めないかなあ...」
「広告やマーケティングのイロハをカンタンに教えてほしい」
「手軽な価格で、コピーを1ページだけ頼みたい」
「ＣＩって何？うちの会社にも必要なの？」
「総務部は手いっぱい。広告発注・クリエイティブ管理を代行してくれないか...」

<strong>■そんな企業に、「気軽に！クリエイティブ相談」</strong>

ＳＯＨＯや中小事業会社の社内に、広報・クリエイティブのエキスパートを専任で配置することは難しいのではないでしょうか。総務や営業事務などの広告担当兼務の方は、商品カタログ、チラシ、ＤＭ、ホームページ作成等クリエイティブ管理業務に、日々多大なストレスを感じていることと思います。 
「気軽に！クリエイティブ相談」は、そんな皆様の広報スタッフ、社内制作管理業務を代行。クリエイティブの専門的な課題を、社員に代わってテキパキ解決する、ブレーン＆実制作サポートサービスです。

ＣＩ，ＢＩから、チラシ・ＤＭ・Ｗｅｂ制作まで。貴社の悩み、課題に応じて、案件一つ一つについて、具体的で改善効果の高いサービスを低コストでご利用いただけます。
まずは下記よりお気軽にお問い合わせください。きっと解決策見つかります！

<a href="http://strategic-works.biz/inq.html">■お問合せはこちらから</a>

<strong>■担当クリエイターご紹介</strong>
水野　聡(みずのさとし) 神戸市出身、川崎市在住。関西学院大学文学部日本文学科中退。リクルート(株) コピーライターエイボン・プロダクツ(株)　コピーライター、ディレクター日本ゲートウェイ(株)　広告制作プロデューサー他企業にて、マーケティングマネージャー、 CRMコンサルタント等をつとめる。 2004年1月独立、能文社を設立。コピーライター、マーケティングプロデューサー、古典翻訳家。『五輪書』『風姿花伝』『葉隠』等著書（訳書）多数。]]>
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