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第八回 世阿弥絶筆「佐渡状」を読む。

◆原文

ナヲナヲ、留守ト申、旅ト申、カタガタ御扶持申バカリナク候。

御文クワシク拝見申候。兼又、此間寿椿ヲ御扶持候ツル事ヲコソ申テ候ヘバ、コレマデノ御心ザシ、当国ノ人目、実是非ナク候。御料足十貫文受ケ取リ申候。又不思議ニモ罷リ上リテ候ワバ、御目ニカカリクワシク申承候ベク候。
又、状ニ鬼の能ノ事ウケ給候。是ハコナタノ流ニワ知ラヌ事ニテ候。仮令三体ノ外ハ砕動マデノ分ニテ候。力動ナンドワ他流ノ事ニテ候。タダ親ニテ候シ者ノ時々鬼ヲシ候シニ、音声ノ勢マデニテ候シ間、ソレヲ我等モ学ブニテ候。ソレモ身ガ出家ノ後ニコソ仕テ候へ。メンメンモコノ能ノ道ヲサマリ候テ、老後ニ年来ノ功ヲ以テ鬼をセサセ給候ワン事御心タルベク候。

マタコノホド申候ツル事共大概シルシテ参ラセ候。ヨクヨク御覧候べく候。
不思議ノゐ中ニテ候間、料紙ナンドダニモ候ワデ、聊爾ナルヤウニカ思シ召サレ候ラン。サリナガラ道ノ心ハ妙法諸経ノ御法ヲダニ藁フデニテモ書クト申候ヘバ、道ノ妙文ワ金紙ト思シ召サレ候ベク候。ナヲナヲ法ヲヨクヨク守セ給べく候也。
                          恐々謹言
   六月八日
                    至 翁(花押)
 金春大夫殿 参

           〆
                    世阿
 金春大夫殿 まいる


(『観世世阿弥能楽伝書 佐渡状』奈良女子大学蔵)


◆読解
 『世阿弥佐渡状』は、世阿弥が佐渡から、娘婿であり芸嗣子でもある金春禅竹に宛てた自筆書状。奈良宝山寺蔵の「金春家旧伝文書」中より発見されました。6月8日の日付があり、佐渡配流の翌年永享七年頃のものと思われます。

手紙の主な内容は、(1)都に残した老妻寿椿や佐渡の自分に対する扶持への礼、佐渡での暮らしは安心してほしいこと。(2)禅竹より「鬼の能」についての質問に対する意見(これがこの手紙の中心内容とみられます)。(3)佐渡は驚くほどの田舎で紙不足で困ること…などと書かれている。実物の用紙は楮紙(こうぞ)の粗末な薄いものを2枚つないだものですが、最後の部分で「ありがたい妙法諸経でさえ、藁筆で書かれたものがあるのだ。この手紙も『金紙』に書かれたものと受けとめて読んでほしい」と結んでいます。

今回は以下4つの読解ポイントにしたがって、専門的な芸道用語も含め、世阿弥最後の手紙の内容を読みすすめていきましょう。

読解表技>
(1) 書簡体→誰から誰に、何を伝えたいのか?
(2) 芸道専門用語を知る
(3) 現代語とは意味の違うコトバ
(4) 行間にある「戒め」と「愛」を読み取る


 まずは、 (1)書簡体。誰から誰に宛てられた消息なのか?消息には必ず文末に発信者名と宛先があります。本状末にしたためられる、金春大夫殿が宛先で金春禅竹のこと。その手前、下にある至翁、世阿が発信者。いずれも世阿弥のことです。至翁とは世阿弥晩年の道号。ちなみに花押は、世阿弥の自筆サインが原書ではその場所に書かれていることを表わします。
 金春禅竹は、金春流五十七世宗家氏信のことで、世阿弥の娘婿にあたります。金春流中興の祖とされ、世阿弥亡き後、名役者、能作家として能楽界を牽引していく存在となります。当時世阿弥は実子に先立たれ、甥の観世三郎元重(音阿弥・今日の観世流直系)とも芸事上決裂していたため、娘婿の禅竹を芸嗣子とし、また親子としても実の息子以上に大いに可愛がり、かつ頼りにしていたのです。
 文中、寿椿とあるのは、都に残してきた世阿弥の老妻。この『佐渡状』によって世阿弥佐渡配流後、寿椿が義子禅竹に養われていたことがはじめてわかりました。
 消息文中程に、「鬼の能ノ事ウケ給候」とあり、以前の便りで禅竹より、鬼の芸について何らかの問い合わせがあったことが伺えます。以降がそれら質問に対する世阿弥の回答。当時の世阿弥が、結崎座のお家芸であった鬼の能を、さらに一歩進めて、より深遠なものと解釈し、実践していたことが伺える貴重な一文です。
 冒頭の「ナヲナヲ、留守ト申」は、今日の手紙でいえば追伸にあたる追手書き。手紙の最後に余白がなく、本文を書き終えた後、前の余白部分に加えられたもの。ナヲナヲは、その慣用語です。留守は、都に残してきた老妻のこと、は、配処佐渡にいる自分自身のこと。「配処」といわず、「旅」と書いているところに世阿弥の複雑な心情が汲み取れます。

 二番目の読解ポイントは、 (2)芸道専門用語三体は、世阿弥が『至花道』で提唱した、ものまねの三つの基本形のこと。すなわち「老体・女体・軍体」をさします。砕動、力動は同様に相伝書『人形』にある、鬼のものまねの二つのスタイル。砕動風鬼の心得として「形鬼心人」が、力動風鬼には「勢形心鬼」が、それぞれ指針として示されます。心も体も鬼そのものである、ただ荒々しいだけの芸をしてはならぬ。自分も親の観阿弥も、年功を積んで謡の力だけで表現したものだ、と禅竹に指南しています。

 三番目は、 (3)現代語とは意味の違うコトバ。見た目が現代語と変わらないため、うっかり見過ごして、誤読のもととなってしまう読解の落とし穴。書状前半と後半に、二度使われる不思議も要注意の言葉です。この語は、現代語の「不思議」という意味ではなく、「万一」「滅多にない」。さらにいえば、「想像を絶する」という強いニュアンスを含む言葉です。
 前半、「不思議ニモ罷リ上リテ候ワバ」は、「万一許されて都に戻ることになれば」。後半、「不思議ノゐ中ニテ候間」は、「想像もできないほどの僻地なので」という程の意となります。ただしこの不思議、必ずしも否定的な意味ばかりではなく、時に肯定的にも使用される。天正十八年、千利休『武蔵鐙の文』に、「筒、不思議のを切り出し申し候。早や望みはこれなく候」とあります。この「筒」は、後の利休名物竹花入「園城寺」のこと。「想像を絶する、素晴らしい竹を手に入れた」と、利休は喜んで織部に消息したものです。

 最後に、 (4)行間にある「戒め」と「愛」を読み取る。古文法や用語の読解とは直接関係ありませんが、親から子、師から弟子へと送る手紙の最も重要なポイントは、書き手の真情、真心にあります。世阿弥と禅竹の心の通い合う間柄、そして老齢にして佐渡へ流され、もはや生きて二度会うこともかなうまい、という状況で交わされる便りには、一字一句に深い意味と言外の思いが込められている。書状中程の「メンメンモコノ能ノ道ヲサマリ候テ、老後ニ年来ノ功ヲ以テ鬼をセサセ給候ワン事御心タルベク候」。ここには、表向き容易と思われる鬼の芸一つをとっても、その中には深い奥義がある、との戒めが師としての威厳をもって伝えられています。また文末の「道ノ妙文ワ金紙ト思シ召サレ候ベク候。ナヲナヲ法ヲヨクヨク守セ給べく候」には、外見に惑わされることなく、深く求道者の目をもって真実を見極めるべし、と高僧のごとき接化が、弟子へと与えられている。いずれも父子、師弟として深い愛情がなければ決して表わしえない言葉、教えといえましょう。


◆訳文

重ね重ね、都の妻と配処の自分へのご援助、深く感謝いたします。何と言葉でお伝えしてよいものやら。

お手紙、詳細拝読いたしました。
さて、私不在の所留守宅の老妻寿椿をお養いいただくばかりか、こちらへまでご援助くださる。おかげをもちましてこの島での外聞も保たれ、何ともお礼の申し様もございません。
銭十貫文、たしかに受け取りました。
いつ許されて都に戻れることか存じませんが、その折あらば改めてくわしくお話もし、お聞きもいたしましょう。

さてお手紙にて、鬼の能へのご質問、うけたまわりました。
これは残念ながら私どもの流儀にはないことです。そうじて「三体」以外となれば、「砕動風鬼」くらいのものでしょうか。「力動風鬼」などというものは、他流の芸のこと。
しかしながら、わが親観阿弥が折々鬼をいたしましたが、ただ謡の力だけで強さを表現しておりました。そのやり方を私も学んだものです。しかも私ですら出家後の晩年にやりはじめた。あなたにも能の道を修めた老後に、年来の功をもって鬼を演じてもらいたい。
どうかそのようにお心がけください。

またかねてお約束のご質問の数々、大略書き留めお送りしましょう。よくよくご覧くださいますよう。
ここはおよそ信じられぬほどの田舎の島。これこの通り、ろくな紙もありはせぬゆえ、無礼な、と思われるかもしれません。しかしながら、「妙法諸経の御法は、たとえ藁の筆で書かれてもありがたいもの。それが道の心ゆえ」とも申しましょう。この粗末な紙の手紙も、道の妙文の書かれた「金紙」とご覧じられよ。重ねて法をば、よくよく守られますことを。
恐々謹言
   六月八日
                    至翁(花押)
 金春大夫殿 参


(現代語訳 能文社 2010)

2010年01月16日 15:08

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