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日本語ジャングル。“笑う村”言の葉庵 笑話ベストセレクション

日本昔話を代表とする、日本の民話。
長者(お金持ち)ものや、仏教奇譚、愚か聟・愚か嫁、動物の恩返しなど、
国々村々のあらゆる言い伝えや古伝承が語り継がれてきました。
なかでもひときわ親しみやすいのが、「笑話」とよばれる、滑稽話の一群。

落語や狂言の母型となった、様々な人たちの面白い話、おかしな話は、
一服の清涼剤となって長年民衆に愛されてきたのです。

今回、日本語ジャングルでは代表的な笑話をピックアップし、昔の日本人の
秀逸なユーモアセンスを再発見したいと思います。
「笑う村」でごゆるりとおくつろぎくだされ。

※以下6話は、(『日本の民話400選』永田義直著 金園社 昭和53年8月)
より引用しました。

1.茶の実

 郡代様が村へまわって来て、庄屋の家に泊まった。
「茶の実がほしいから、村で一ばんの茶の実を持ってまいれ」
 という御沙汰があった。村の人たちはこれを聞いて、
「さて、村で一ばんの茶飲みといったら、誰だろうかしら」
 と、相談をはじめた。そして、村でも指折りの茶飲み婆さんを、
篭に入れてみんなでかついで連れてきた。
「茶の実を持って参ったか」
 と、郡代様がたずねるので、
「はい。さっそく探し出して持ってきました」
 と答えた。

「では、ここへ持ってこい」
 というので、婆さんを郡代様の前へ連れていって、
「これが村で一ばんの茶飲みでございます」。
 これには郡代様も腹を立てて、
「これが生えるか」
 といって叱ると、婆さんは篭から出てきて、
「はいはい、ごそりごそりと這えまする」
 といった。
 (福岡県)


2.閻魔の失敗

 鍛冶屋は疝気で、軽業師は赤痢で、歯医者は卒中で、山伏は脚気で死んだ。
 そしてみんな揃って、閻魔の前へ出た。
型の通り前世の身分・職業・病気をたずねられた末に、地獄の針の山へ
送られたが、鍛冶屋は金のわらじを作って、軽業師が三人を肩に乗せて登っていった。
 これを見て、閻魔は怒って、地獄の釜の中へ投げ込むと、山伏は祈祷をして
熱湯を水にしてしまい、
「三助ぬるいからもっとわかせ」
 といってさわいだ。
 閻魔は仕方がないので、今度は鬼に食わせると、歯医者は鬼の歯を
みんな抜いてしまったので、腹の中に入り、泣き笑いをする筋を引っ張ったので、
鬼は泣き笑いをし、吐き出す筋を引いたので外へ吐き出された。
 これには閻魔も始末に困って、
「ここに来るのはまだ早い。さっさと娑婆へ帰れ」
 といったので、みんな生き返った。
 (秋田県)


3.福禄神(福禄寿)の頭

 福禄神が旅に出て、日が暮れたので一軒の百姓家に泊めてもらった。
ところが、福禄神の頭が長すぎて、あちらこちらにつかえたので、
壁に大きな穴をあけて、そこから外へ頭を出して寝た。
 すると、近所の者が通りがかって、
「おや、これはめずらしく長い、大きな冬瓜だ。わしに売ってはくれまいか」
 というので、福禄神は、
「これは冬瓜じゃないぞ。福禄神だ」
 といった。
 ところが、これを聞き違えて、
「百六十文だって?それは高すぎる。もっと負からんか」
 というのを聞いて、福禄神は
「曲からんから、こうやって頭を出して寝ているんだ」。
 (長野県)


4.三日月餅

 三人の座頭が、一銭拾ったので、餅を一つ買った。そして、
「何か歌って、三人で食べようじゃないか」
 といって、はじめの者は、
「三日月なりに食いのこし」
 といって、次に渡した。次の者は、
「月は山の端に入りにけり」
 と、残りを一口に平らげてしまった。後の者は仕方がないので、
「宵にちらりと見たばかり」
 と歌った。
(熊本県)


5.親父を焼く

 四、五日のあいだ用事があって、父親が他所へ出かける時に、
「お客があったら、留守のわけを話して、お茶でもあげなさいよ」
 といった。そして、息子にそれを紙に書いて渡しておいた。
 息子はそこで、いつもその紙を懐から出しては、読み返して、
忘れないようにしていたが、二日、三日たっても誰も来ないので、
「こんな紙はもう用はない」
 といって、焼いてしまった。すると、四日目に客が来て、
「お父さんはどうしたね」
 とたずねたので、あわてて懐を探してみたが紙がない。
「なくなりました」
 というと、客はびっくりして、
「おや、いつなくなったね」
「はい、昨日焼いてしまいました」
 (長野県)


6.仁王か

 仁王さまは朝から晩まで、一日中休むひまもなく、仁王門の中に
立ち続けているので退屈をした。
 そこで、夜は少しくらい遊びに出かけても、人に見られはしまいといって、
はじめはお寺の近くをぶらついていた。そのうちだんだんと、
遠くまで遊びにいくようになって、ある晩村の方へやって来ると、
一軒の家に灯りがさしている。そっと障子の穴からのぞいてみると、
ひとりの婆さんがブンブン糸を繰っていた。
 仁王さまははじめて見たので、この糸車が珍しく、ふしぎそうにのぞいていると、
婆さんが大きな屁をプーンとした。仁王さまはあまりにおかしかったので、
思わず笑うと、婆さんは村の人の声かと思って、
「匂うか」
 と聞いた。しかし、仁王さまはこれを「仁王か」といったのだと思って、
のぞき見を発見されたと急いで逃げ戻って、元通りに仁王門の中に入って、
知らん顔をしていた。
(長野県)

そもそも笑いは、予想と実際の隔たり、ものごとの〔落ちる〕角度の大きさで発生します。
西欧の滑稽画・戯画に描かれるのはほとんどが歴史的な偉人。
畏敬の対象である、エライ人やコワイ人を〔落とす〕ことで留飲を下げ、笑いを誘います。
狂言の太郎冠者が主人をギャフンといわせるのがわが国の類型パターンですね。

また、日本では、洒落・地口とよばれる一つの言葉に同じ音で
違う意味を与える「掛詞」が歌や文芸の基本的な修辞として発展してきました。
あまり高級ではないものは、駄洒落・オヤジギャグなどとさげすまれますが、
これも〔落ちる〕角度を生む手立て。

閻魔様や仁王様、福禄寿などをからかい、〔落として〕、
聞き間違いによる言葉のあやで話の〔落ち〕をつくります。
上の六篇は、他愛のない洒落が話の〔落ち〕となっていますが、
登場人物の描写、状況設定、〔落ち〕へつなげる場面の大きな展開が、
ただの小話、笑話を超えて、話芸・文芸として評価されうるもの。

日本最古にして最大の咄本である、『醒睡笑(せいすいしょう)』。
今日の落語の咄のデータベースともされる、同本に含まれるのが、
「4.三日月餅」。

笑いの種明かしほど、無粋で興ざめなものはありませんが、
この話の〔落ち〕、
「宵にちらりと見たばかり」
には思わず、
「お前、見えとるんやないけ!」
とツッコミを入れたくなります。

お跡がよろしいようで。

2020年03月10日 12:07

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