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第十回 『戴恩記』話者を敬語の程度で見つけ出す。

今回は、「第二回 主語を探す」の上級編をお届けします。読解のテーマは「話者は誰か。敬語の程度で見つけ出す」。
テキストは、貞門俳諧の祖、松永貞徳の『戴恩記』を取り上げました。

言の葉庵HPで何度か紹介している、戦国一の数奇大名、細川幽斎の太鼓の芸についての一文です。貞門は、当時の俳諧の主要一派。松尾芭蕉もはじめ貞門に俳諧を学びました。
そして松永貞徳は、細川幽斎の和歌の弟子。師、幽斎から学んだ歌の教えや師にまつわる様々なエピソードを収録したのが、この『戴恩記』です。
まずは原文からご案内してみましょう。


◆原文

 秀次関白聚楽第にて御能ありしに、《朝長》の〔懺法(せんぽう)〕太鼓、その頃の上手金春又右衛門と申す者つかまつりし。
 その日暮れ果てて幽法公へ参り、
「今日はご見物ゆえ胸をどり手ふるひ、前後を忘じ候。なにとか候ひし」
 と恐れ敬ひて申しき。幽法公御休息ありしかども、御対面ありて今日の所作ご褒美なされ御酒下され、御座たけなわなりしに、
「くたびれなるべけれど、一番打たれよかし」
 と仰せられて、すなはち御小鼓をあそばれし。大鼓は平野忠五郎、笛は小笛亦三郎、諷(うたい)は勘七など、みな普段の御近習にて、《杜若》を囃しき。この者の太鼓、知らぬ者の耳にも自由自在、ここもとの撥音は変りたるやうに聞きしに、又右衛門両の手をつき、忠五郎にむかひ、
「一番。今生の思ひ出に聴聞仕りたし」
 と申せしかば、久しく遊ばされず、御忘れなされ候へども、夜更け聞き手もなし。また興に乗じたる折がらなればとて、《遊行柳》を曲舞より謡はせ、太鼓に差し向はせたまひたるよそほひよりはじめ、御掛け声、御撥音、凡夫の所為(しわざ)とはさらに存ぜられざりき。
 御屋形中神妙になりて皆息をもつがぬやうにありし。されば、
「我らがむざと信じて殊勝に思はるるにや」
 と存じ、かの又右衛門が顔をつくづくと見はべりしに、いつともなく額を畳に近くして声たててはえほめ申さず。のんどにてすきもなく感じ、打ち終わらせたまひて、つきたる手を膝に上げ、かたぶけたる頭をふりあふのきたる顔を見れば、両眼より感涙雨のごとくこぼしはべりき。物の上手と名人の替わり目はあるものなりと心に思ひ知りはべりき。


◆読解

今回選んだ段落は、幽斎の神技に近い太鼓の技を伝えるものですが、主語が省略されていることに加え、語り手の貞徳、幽斎の近習である囃子方など登場人物も多く、読解は容易ではありません。
第二回と同じく、主語と指示語のない会話文が、誰と誰との間でなされたものかを知ることが読解のポイントです。

会話文の攻略に入る前に、登場人物をまず整理してみましょう。

一.松永貞徳
当逸話の語り手。もちろん文章中にわが名も一人称も出てきませんが感想などはすべて貞徳のものです。

二.細川幽斎
文中、「幽法公」とされています。本段落の主役。

三.金春又右衛門
織豊後期の太鼓の名手。太鼓方金春又右衛門の初世と目されています。今日の太鼓方金春流ではなく、太鼓方観世流につながる芸系の家。ちなみに又右衛門と幽斎の太鼓の師が、観世流太鼓方四世の似我与左衛門国広で、将軍足利義輝からただ一人浅葱の調緒を許された古今の名人でした。
幽斎と又右衛門は、玄人・素人の違いはありながら同門の兄弟弟子となります。

四.小笛亦三郎
笛方森田流祖、森田庄兵衛光吉。幽斎の近習でしたが、後に忠興にも仕え、主君の命により一噌又六に預けられました(『耳底記』)。

五.平野忠五郎、勘七
ともに幽斎の近習。能芸にも精励しました。忠五郎が囃子方のリーダー格とみられます(理由は後述)。


会話文が、誰から誰へと発せられたものか探り当て、当段落を読み解いていきます。

●「今日はご見物ゆえ胸をどり手ふるひ、前後を忘じ候。なにとか候ひし」

「ご見物」と敬語を用いており、≪朝長≫の出来を確認していることから、又右衛門から兄弟子幽斎へ向けられたものであることは明快です。

●「くたびれなるべけれど、一番打たれよかし」

「一番打たれよかし」が命令文ですから、目上から目下への言葉。今度は幽斎から又右衛門へ向けられたものです。大名と芸能者の身分の差はありながらも、社中同志の間柄。「くたびれなるべけれど」に、親しさと気遣いが感じられます。
「一緒に演奏しませんか」と誘った幽斎ですが、手に取ったのは相手を立てるため、余技である小鼓でした。

●「一番。今生の思ひ出に聴聞仕りたし」

又右衛門が勇気をふりしぼった太鼓の所望ですが、話しかけた相手は幽斎ではなく、忠五郎。
これは身分の差ゆえの礼儀です。同じ社中といいながらも、豊臣家の家臣たちも同席する場で「~してください」と、芸能者が国持ち大名にあけすけにいうわけにはいかない。よって取次として近習である平野忠五郎にお願いしたのです。

●「」はありませんが、その後の「久しく遊ばされず、御忘れなされ候へども、夜更け聞き手もなし。また興に乗じたる折がらなれば」は、幽斎が礼儀上忠五郎に向かって発した言葉。これはむろん又右衛門への依頼了承です。

●「我らがむざと信じて殊勝に思はるるにや」

これは口に出しものではなく、貞徳が心の中で思った言葉。解釈はやや難解ですが、前文の内容を受け、「自分たちが他愛もなく太鼓に魅せられてしまったので、(声に出して称賛できずに)かしこまっているのだろうか」というところでしょうか。


又右衛門を見てみると、様子が尋常ではなく、はいつくばるように額を畳に近づけている。その後の文章では、動作の主が短く入れ替わります。

・のんどにてすきもなく感じ(喉に隙がないように感じ。すなわち、息づまるような緊張感で) → 貞徳たち、観客

・打ち終わらせたまひて → 幽斎

・つきたる手を膝に上げ、かたぶけたる頭をふりあふのきたる → 又右衛門

面を上げた又右衛門の両眼からは、幽斎の神技に打たれて雨のように感涙が流れていたのです。
蛇足ですが、「上手」と「名人」は、世阿弥の定義によれば別次元のもの。「上手」とは、トップ・プロを指す呼称ですが、「名人」は、もはや芸の優劣を突き抜けた、雲の上の存在を指しました。世阿弥のいう「名人」とは、この世に父観阿弥ただ一人。それほど、「上手」と「名人」の差はかけ離れたものだったのです。貞徳は、ものの話にのみ耳にしていた上手と名人の差を、幽斎の太鼓に打ちのめされた又右衛門の姿を目の当たりにし、思い知ったのです。


◆訳文

関白秀次公が、聚楽第で能を催した。〈朝長〉の小書き「懺法」を、当時の上手である金春又右衛門が勤めたのである。

 さてその日も暮れ一同は細川幽斎公の屋敷へ招かれたが、又右衛門は、
「今日は殿が見物されていたので、胸が躍り、手はふるえて前後を忘れてしまうほどでした。懺法の太鼓はいかがでしたでしょうか」
 と怖れ、かしこまって幽斎公に申し上げた。幽斎は下がって休んでいたが、又右衛門と対面し、今日の太鼓を褒めて、一献下されたのだ。宴席がたけなわの頃、幽斎公は又右衛門に、
「お疲れとは思われるが、一番太鼓を打たれてはいかがかな」
 と誘う。自身、小鼓を打つというのだ。大鼓は平野忠五郎、笛は小笛亦三郎、謡は勘七と、みなみな幽斎公の御近習で〈杜若〉を囃した。又右衛門の太鼓は、能を聞きなれぬ者の耳にも変幻自在、聚楽第で打った太鼓よりもひときわすぐれて聞こえたものである。

〈杜若〉が終わると又右衛門は両手をつき、近習の忠五郎に向かって、
「ぜひもう一番。今生の思い出に幽斎公の太鼓をお聞かせください」
 と申し出た。幽斎公は、しばらく太鼓を打っておらず、忘れてしまっているが、夜更けに聞き手もなし。また興にも乗ってきたので、とその願いを聞き入れる。
 〈遊行柳〉をクセから謡わせたのだが、太鼓に向かう構えをはじめ、掛け声も撥音も並みの者とはとても思えぬ芸位である。屋敷中がしんとなり、一同息もはばかるような有様で傾聴している。
「われらがあまりにやすやすと幽斎公の芸に魅せられてしまったゆえ、かしこまっているのであろうか」
 と、又右衛門の面をじっと見てみると、尋常な様子ではない。額を畳に押し当てるようにして、嘆声をもらすこともできずにいる。息をもつかせぬ緊張感の中、〈遊行柳〉の囃子は終わった。又右衛門は、畳についた両手を膝に上げ、うつむけていた顔をふりあおいだのだが、その両眼からは感涙が雨のごとく流れ落ちていたのである。
 芸道において、上手と名人はまったく違うと、この時心に思い知ったものだ。

(水野聡訳 能文社2015年)

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第八回 世阿弥絶筆「佐渡状」を読む。
第七回 時代により「価値転換」するモノとコトバ
第六回 「候文」完全攻略の裏技公開!
第五回 名文の「圧縮美」を解凍する。
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第三回 隠された主語は、動作をヒントに探しだせる。
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