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能面は美術品ではない。

美術館のガラスケースに収まり、ただ冷たく照明を跳ね返している室町時代の名作面。見るたびに大きなため息をつくしかない。なぜなら能面は、あくまで「実用品」だから。そして美術館に収蔵されてしまった時点で、確実に能面は「死んで」しまうからである。
能面は檜材に胡粉と彩色をほどこした、人の手による精緻な工芸品。西洋のバイオリンなどと同様、アコースティックな道具である。これらの楽器を実際演奏した経験のある人ならわかると思うが、木でできた道具は使われなくなった途端に、その生命を終えてしまう。人の息による湿気、あるいは声による振動が木の水分・油分を絶妙に保つらしい。

役者が舞台で実際に使うことにより、能面は100年、300年、600年と生き延びる。そして永遠に笑い、怒り、ため息をつき、驚き続けるのである。

古来、面(おもて)とは「神が宿る」とされ、もっとも役者に重んじられ、かつ畏敬の対象とされた能の大事な道具である。橋掛かりにかかる前、シテは鏡の間で、能面に祈りを込め、押し頂いてわが顔に「かける」。そして当日の役にはじめて入り込み、ようやく「お幕」の掛け声とともに舞台へ一足運び出すのである。当日の舞台の成否は、この面をかける儀式の心入れに左右されるといっても過言ではあるまい。

能面については室町時代以来数々の伝説がある。いわく金剛の「肉付の面」、いわく「観世の面塚」…。名もなき面打ちの数十年の生涯が、たった20数センチの無限宇宙にすべてこめられている。そして世阿弥以来、代々の大夫がその無心の面の力に導かれ、伝説の舞台を創ってきた。ただ面に「舞わされて」成った奇跡といえば、言い過ぎであろうか。

能に「面を使う」という型がある。謡の詞章にあわせ、右左と見るだけの仕草。しかし、本物の面を本物の役者がかけた時、面自体がまさに本物の母親となって失った子を探し求め、本物の捨てられた女となって今はいない男の面影をたどるのだ。背筋があわ立つほどのリアリティ。生身の名優の演技より幾層倍もの生々しい、切実な表情が、ただ木でできた作り物の面からほとばしる。
能では、惜しげもなく室町・桃山時代の「本面」を舞台で使う。並の役者がこうした面をかけようとすると嫌がって、顔から逃げるともいう。面は、死んだ美術品、埋蔵品では決してない。舞台ではじめて生命を得るのだ。ぜひ能楽堂最前列で、生きた面と対話してみてほしい。
そして財団・財閥のコレクターの皆様。どうかこれ以上日本の貴重な文化遺産「能面」をあなたたちの単なる収蔵品目録に加えないでください。

2010年11月06日 11:34

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