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東北大地震。芭蕉の祈り~松島讃

東北地方太平洋沖地震により、尊い命を落とされた多くの皆様のご冥福を心よりお祈りいたします。また、いまだ安否不明の方々、被災され家にも戻れず不自由な避難所暮らしを強いられる皆様の筆舌尽くし難い苦難を思うと胸がはりさけそうです。東北の皆様にとって一日も早く、以前の幸せな暮らしが取り戻せる日が来るように心よりお祈り申し上げます。

東北を代表する日本の名勝、松島。江戸元禄年間、俳聖松尾芭蕉も訪れ、その眺望の余りの見事さに言葉の達人をして一句も句を詠ませなかったというほどの絶景の地です。

今回の大地震では沿岸の多くの地域が甚大な被害を被りました。が、幸いなことに、松島はほとんどその災いを逃れえたという。3月17日付読売新聞記事「松島が守ってくれた…対岸の町、死者1人」より、その概略をご紹介しましょう。

「このたびの巨大地震により、日本三景の一つ、松島も大津波に見舞われた」
「調査によると、島の一部が崩落し、島と島を結ぶ橋が壊れたという。しかし、松島町の死者は、22日午後6時現在、1人にとどまっている。隣の東松島市の犠牲者は650人。住民は『島が津波から守ってくれた』と感謝。松島の従来の美しい景観を取り戻そうと、がれきの撤去に取り組み、再生に動き出した。

松島は、津波で甚大な被害を受けた三陸沿岸地域と比べると被害はすこぶる少ない。湾内に点在する島々が緩衝材となり、津波の勢いを弱めたためとみられる。松冨英夫 秋田大教授は、
『津波の一部は島にあたって反射する。はね返った分、陸に押し寄せる波のエネルギーは弱まり、これまでの津波と同様、今回も津波による被害を減らしたと考えられる』
と推測する。松島のある酒店経営者は、
『島が守ってくれた』
と感謝している」
(2011年3月23日07時48分 YOMIURI ONLINE 読売新聞 )

 松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし
(『奥の細道』象潟 松尾芭蕉)

 いにしえ、松島と並ぶみちのくの景勝として旅人の心を奪った象潟は、江戸期の大地震による海底の隆起により、永遠にその姿は失われてしまいました。
 今回の地震では、神々の力により(島が守ってくれた)松島は難を逃れました。東北の復興・再生の兆しとして、なんと私たちを勇気付けてくれる僥倖ではありませんか。
言の葉庵メルマガにて過去掲載したシリーズ、「奥の細道行脚」より、「松島」「象潟」の回を再掲し、日本人の心のふるさと、東北再生を願う応援メッセージとしたいと思います。

~以下、2010年6月-7月「言の葉庵メールマガジン」より。


 五月九日(新暦六月二十五日)、芭蕉一行は今回の旅の目的地のひとつである、松島に到着。感極まった芭蕉は、ここでは句をよんでいない。代わりに、松島賛美の文を堂々たる漢文調「賦の体」で記します。
 平泉では奥州藤原三代のいにしえに涙し、「夏草やつわものどもが」の句を得、盗賊の出る山刀伐峠を命からがらに越して、当初予定になかった山寺(立石寺)へ五月二十七日(新暦七月十三日)巡行。巍巍たる禅刹の威容に、

「閑かさや岩にしみいる」

の名句を得ます。

 かくて奥州の真中を横断し、行者姿となって羽黒山、出羽三山に登頂、祈念。
 修験道最高の霊場にて生まれ変わり、新たな生を授かる。
 一行は日本海側酒田にはじめて出、最上川の激流に翻弄されて下り、ついに象潟へ棹を差します。日本第一とされたこの名勝は、江戸文化年間の大地震で永遠に失われてしまいました。その面影を、ここでも芭蕉屈指の名文により、彷彿とできる喜びをかみしめたいと思います。


【松島】奥の細道

 そもそも言い古されたことではあるが、松島は扶桑第一の佳景であり、およそ洞庭、西湖 に恥じぬ。
 東南より入り江となり湾の内は三里、浙江のごとき潮をたたえる。島という島がここに集まり尽くして、そばだつものは天を指さし、伏すものは波に腹這う。あるものは二重にかさなり、三重に畳んで、左に分かれ右に連なる。背負う形、抱く形あり。児孫をあやすかのように見える。
 松の緑こまやかに、枝葉は潮風に吹きたわめられ、自然が曲げ、伸ばした作品のようである。その景色神秘的にして、美人の顔を粧う 。
ちはやぶる 神の昔、大山祇の成せるわざか。この天然の造形に、筆をふるわず、言葉を尽くさぬものなどいようか。

 雄島の磯は、地続きで浜から海に出た島である。雲居禅師の別室跡、座禅石などがある。
 また、松の木陰に世捨て人の住処もまばらに見えて、落穂・松笠などの煙たなびく草庵にひっそりと住む。どこの誰とも知りはしないが、まずなつかしく立ち寄れば、月が海に映り、昼の眺めとはまたあらたる。

 浜辺に戻り、宿を求めれば、窓を開いた二階建て。風、雲の中に旅寝してこそ、あやしいほどに妙なる心地となろうもの。


【象潟】奥の細道

 海山川陸の佳景を見尽くした上、今、心は象潟へとせきたてられている。
酒田の湊より東北方面へ、山を越え、磯を伝い、砂子を踏んでその距離十里。
日影やや傾くころ、潮風がふいに真砂を吹き上げ、雨朦朧として 鳥海山を隠してしまう。暗中に莫索して「雨もまた奇なり 」とすれば、雨上がりの晴色、また楽しからずや、と海人の苫屋に膝を入れて雨の止むのを待つ。
 翌朝、天よく晴れ上がり、朝日はなやかに差し出でるころ、象潟に舟を浮かべる。まず能因島に舟を寄せ、能因法師三年幽居の跡を訪ねた。

 向かい岸に舟を上がれば、「花の上こぐ」と詠んだ桜の老い木、西行法師の記念が残る。

 水辺に御陵あり。神宮皇后のお墓だという。
 寺の名は干満珠寺。ここに行幸されたこと、いまだ聞かぬ。いかなることであろうぞ。

 この寺の方丈に座して、簾を巻き上げれば、風景一望の内に見渡され、南に鳥海山、天をささえ、その影が映って水上にあり。西は、むやむやの関 まで道が続き、東には堤を築いて、秋田へ通う道遥か。海は北にかまえ、波が江に入るところを汐こしという。
 入り江の縦横約一里。俤は松島に通じて、また異なるもの。松島は笑うがごとく、象潟は恨むがごとし。寂しさに悲しみを加えて、この地は魂を悩ますかのようである。

 象潟や雨に西施がねぶの花

鑑賞(雨に煙る象潟は、西施が長いまつげを伏せて眠る凄艶な美しさ、合歓の花を想わせる)

2011年03月26日 08:06

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