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【日本語ジャングル】 石

【言の葉庵】メールマガジンのオリジナルコンテンツ、「日本語ジャングル」。言葉にこだわらず、様々な角度から日本文化に光を当てようとする、コーナーです。

今回は、「石」をとりあげます。日本人にとって「石」とは何か?日本文化を代表する「日本庭園」と「石」をめぐる物語を、1000年前の伝書から取材し、ご紹介します。

 閑さや岩にしみ入る蝉の声

日本人なら知らぬ者のない、松尾芭蕉の名句中の名句。この「岩」は、芭蕉が訪れた山形立石寺の巍々たる岩壁をあらわしています。ここで、芭蕉の耳に届いている蝉の声は、今生きている蝉の声ではない。太古の昔よりこの岩山に住んだ何千万、何億、何兆…無数の蝉の声、それらが岩壁の奥深く、地層の隅々に“記憶”された幻の声なのです。
「古池や蛙とびこむ…」「荒海や佐渡に横たう…」の名句と同様、この句の主題は悠久の時、永遠であるといえましょう。

人類が発生するはるか昔より、無限の時間を内包し、たくわえ、微動だにせず存在し続ける無言の「石」。石ははかない寿命の人間に対して、不動、不変、不滅のシンボル。文化を手に入れた太古の人類が、石に霊性を直感し、信仰の対象としたであろうことは驚くに足りません。

古くは縄文時代に発生し、弥生時代、古墳時代にかけて、原始的な“巨石巨木信仰”が発展してきました。ちっぽけな人間を圧倒するスケールの自然石・大木を「神」あるいは「神が宿るもの」として祀ったのです。
巨石・巨木には幣をかけ、垣根で囲み聖域とした。やがて古墳時代になると人々は、この巨石を里に移動させて、磐座(いわくら)・磐境(いわさか)を作りました。これが日本の神社の起源であるといわれます。

時代は下り飛鳥時代、この霊性を秘めた石がはじめて人間の住居、庭の中に取り入れられる。蘇我馬子が私邸の庭に池をうがち、その中に石、すなわち島を築かせました。(『日本書紀』推古三四年)当時の人はよほど家の中に池や島があることが珍しかったのか、馬子のことを「嶋大臣」と呼んだとか。
この池が日本庭園の発生とされ、この島は当時中国より伝播した“神仙蓬莱思想”にもとづく、蓬莱山島をかたどったものとみなされています。
馬子の庭園の思想と基本設計は今日の日本庭園にも引き継がれ、庭の欠くべからざる二大要素は「池」と「石」となっています。


●世界最古の庭のマニュアル『作庭記』

今回ご紹介するのが、平安時代に成立した『作庭記』。日本はもちろん、現存世界最古の造園マニュアルです。成立は平安中~後期頃(最古の写本奥附では正応二年〔1289〕)。作者は、橘 俊綱(たちばなのとしつな)。平安時代の官人・歌人であり、摂関家の人。『今鏡』『宇治拾遺物語』に系譜があり、『後拾遺和歌集』他の勅撰和歌集にその歌が入集しています。
しかし、和歌の才にもまして、造園に深い造詣があったとされる人物です。
『作庭記』の章立(目次)は以下です。


1.基本
2.地取
3.池と寝殿と橋
4.石と池
5.枯山水事
6.立石様
7.島姿の様々をいう事
8.滝をたてる順序
9.滝の落ちる様々を言う事
10.遣水事
11.立石口伝
石の選び方、組み合わせ
石の配置の仕方。特に気勢について
石の据え方
12.禁忌
石の禁忌
建築と石の関係においての禁忌
写景での禁忌
山の禁忌
水の禁忌
石の禁忌
13.樹事
宅相にもとづいて、各種の木の配置の方法
四神以外の木の配置の方法、禁忌
14.泉事
泉の意義、施工法
水の汲み方、泉の施工−特に側面底面の工法
主に泉における簀の張り方
15.雑部
楼/閣


池庭・遣水・植栽・楼閣等、造庭の各方面について論じられていますが、とりわけ重要なのが造園における「立石」の各章。今日、石組と呼ばれる、庭園への石の選択と配置は、まさに造園術の要です。長い石を立てて据える“立石”と、平らな石を置く“臥石”がその基本。

まず石の選択において、庭の景として審美的な目利きが必要となります。そして目利きよりも数段重要なのが石の「見立て」。
石が、庭と注文主にとって何の役割を果たそうとするのか。そのシンボルとしての見立てこそ、庭師にかけられた最大の期待なのです。

上に述べたように、古来日本人は石に霊性を認めていました。巨石・奇岩を神仏として祀り、やがて私邸にもこれを据えるようになる。
主人の信仰する神仏を石に見立てて据えるのですが、この信仰の対象は時代と共に移り変わる。古来中国より伝えられた道教や仏教の神仏たち。とりわけ奈良~平安時代の石組には、道教・神仙思想、陰陽五行思想をあらわしたものが中心です。その代表的な石組は今日以下のように分類されています。


◇仏教由来の石組
・三尊石組 ・須弥山式石組 ・礼拝石 ・坐禅石 など

◇神仙蓬莱思想・陰陽思想由来の石組
・蓬莱石組 ・鶴島 ・亀島 ・陰陽石 ・七五三石組 など

今日寺院の庭によく見られる三尊石組は、仏像の三尊仏を模したもの。中央に背の高い主石(中尊石)を、左右に低い添石(脇侍石)を配しています。飛鳥~奈良時代の池泉庭園に配された、蓬莱石組、鶴島・亀島は、蓬莱神仙思想によるもので、不老長生の願いがこめられた石組でした。


●祟りを呼ぶ、石立のタブー

ひとつひとつに霊性が宿り、注文主の強い願いが委託された庭石。景観としての造形美以上に、その思想的な配置には細心の注意が払われねばなりません。このため、石組のノウハウとともに、実に多くの禁忌、タブーが造園家に課せられることとなりました。当時の庭師はおそらく薄氷を踏むがごとく、たったひとつの石と終日真剣に向き合っていたに違いない。その現場の緊張感をあますところなく伝えるのが、『作庭記』、「石立の禁忌」の段落です。
以下に本文を現代語訳にてご紹介しましょう。


『作庭記』
石を立てる ~石立ての禁忌


一 巨勢弘高※1.が云う、
「石は確かな根拠もなく、いい加減に立ててはならぬ。石立てには犯してはならない禁忌のことが多くある。その禁忌を一つでも犯したならば、たちまち主人に変事が起こり、そうした所には久しく人は存続できないとの伝えがあるのだ」云々と。


一 (禁忌とは)山林ではもともと立っていた石を臥せて使ったり、逆にもともと臥せていた石を立てて使ったりすることである。
 このようにする時、その石は必ず霊石となって、祟りをおこすであろう。

一 平らな石で、もともと臥せていたものを起こしてそびえ立たせ、それを高い所からであれ、低い所からであれ、家に向けたならば、その遠近にかかわらず祟りを起こすであろう。

一 高さが四尺・五尺にもなる石を、丑虎(東北)方向に立ててはならない。鬼門の高い石は、あるいは石自体が霊石となったり、あるいはそれが魔縁を招く拠り所となるために、その場所に人は永く住んでいられない。ただし、その石に対して、未申(西南)方向に三尊仏形式の石を立て向けたならば、祟りは起こらない。魔縁もよって来ないのである。

一 家屋の縁よりも高い石を家の近くに立ててはいけない。これを犯したならば、たちまち凶事ばかり起こって、その結果、屋敷の主人は永くはそこに住んでいられない。
 ただし、寺社などではこの禁忌の差しさわりはない。

一 三尊仏形式の立石を、真正面に寝殿に向けてはいけない。わずかに他の方向にふるとよい。この禁を犯すのは不吉である。

一 庭上に立てる石は、屋敷の柱の延長線上に立ててはいけない。この禁を犯すと、たちまち子孫に不吉なことが起こる。罪を犯し、財産を失うであろう。

一 家屋の縁の近くに、大きな石を、北側または西側に向け、臥せて据えると、その主人はきっと、一年と無事には過ごせない。そもそも、縁近くに大きな臥せ石を据えることは、もっとも避けねばならないことである。そのような石のある家の主人は、そこに留まり住み続けることができないといわれている。

一 家屋の未申(西南)の柱の近くに石を立ててはいけない。この禁を犯すと、家中に病気が絶えないといわれている。

一 未申(西南)に山を築いてはいけない。ただし、道を通せば支障はない。未申の山を嫌うのは、白虎への道を塞がないようにするためである。そのような考えもなしに【山をもうけて】※2.築き、塞いでしまうことで災いが起きるのである。

一 山を築く場合、その谷を屋敷に向けてはならない。これを向けられた女性に不吉なことが起こると、云々。また、谷の入り口を【 】へ向けてはならない。わずかに他の方向へふるとよい。

一 臥せ石を戌亥(西北)に向けてはいけない。この禁を犯せばたちまち財物が倉に貯まらなくなり、下僕や家畜も集まらない。また、戌(西北)に水路を通してはならない。福徳は西北の出入り口の内にある。よってこれを流し去る水にはとくに支障があるという。
 雨や雪などのしずくが当たるところに石を立ててはいけない。しずくがかかった人には悪瘡がでる。なぜなら桧皮のしずくのハネが石に当たって毒を飛び散らかせるからである。ある人によると、桧山の木こりはたいてい足に【こ  】という病があるという。

一 東には付近の石より大きな石で、白色のものを立ててはいけない。この禁を犯せばそこの主人は人に害されるであろう。他の方向でもこれは同様。その方向を負かす色の石で、その場の石よりも大きな石を立ててはならない。この禁を犯すことは不吉である。

一 名所の景色を庭の手本とする場合、その名声を得ていた里が荒廃したのであれば、その名所を真似るべきではない。荒廃した場所を屋敷の前庭に再現したならば、当然同様の支障がでるに違いないからである。

一 山や川にもともとあった普通の石も、禁忌を犯したかたちに据えられた時、たびたび石神となって祟りを起こした例が全国にも少なくない。そこに人は永く住めないのだ。
 ただしこの場合も石と建物の間に山や川をもうけて遮れば、必ずしも咎や祟りが起こるものではない。

一 霊石はたとえ高い嶺から転がし落としても、最後の着地点においては元の通りの天地(上下)に座って落ち着くものである。このような石を立ててはならない。捨ててしまうべきである。また、五尺以上の高い石を北東に立ててはいけない。鬼門から入ってくるのは鬼だからである。

一 山のいただきの上に、さらに山を重ねてはならない。山を重ねれば「祟」という文字になるからである。水は入れ物に応じてその形となり、形に応じて善悪をなすもの。すなわち池の形は充分考慮すべきである。


※1.巨勢弘高
生没年不詳 平安中期の宮廷絵師。広貴・広高とも。病で出家したが、のち還俗して絵所に仕えたという。王朝文化の成熟期に広範な作画活動を行い、古典様式を代表する絵師のひとりとみられるが、作品は現存しない。

※2.【】
原書欠字部分。【】内は原語を推量。

『作庭記』現代語訳 能文社2012


石立の禁を知らず、景観のみを重んじて据えた石が、たとえそれが三尊石であったとしても、やがて主家に害をなしてしまう原因となる。
現代にあって、これら石の禁忌は単なる迷信として一笑に付されるのかもしれません。しかし、古来日本人は、自然の中に神を見、畏れ、祀り、またその恵みによって育まれてきた民族。石を介して神々と共生してきた歴史と文化をもっています。社殿の奥庭にひっそりと苔むす古い石に、わたしたちの祖先がこめた願いをはるかにたどってみることも、あながち無意味なことではないはずです。「石」こそ日本人の心の歴史を永遠に伝える無言の語り部なのだから。


 わが君は千代にやちよに さざれ石の巌となりて苔のむすまで
  『古今集』巻第七賀歌 読み人知らず

2012年08月11日 09:26

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