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能「鉄輪」。光と闇の中世呪詛文化史

本日は蒲田産経学園カルチャー講座、『能の神話と伝説』第二回鉄輪伝説(陰陽道・丑の刻参り)を開講しました。

平安から江戸にかけて、たびたび実際に執り行われたという、日本独自の呪詛の習慣が、「丑の刻参り」です。

草木も眠る丑三つ時、白装束、髪はざんばら、頭には五徳を被り蝋燭をともした恐ろしげな女が神社にただ一人。真っ暗闇の社の神木に藁人形を五寸釘で打ち込み、憎い仇を呪い殺すセレモニー。
世の小説やドラマになっているこの呪いの儀式、じつは能から生まれ、伝播していったものなのです。

通常は史実をもとに演劇作品がつくられますが、丑の刻参りについては逆。能の架空の世界が、現実の社会でひっそりと再現され、やがて習慣化していったものです。

しかし丑の刻参りは、能がオリジナルではなく、古く奈良~平安時代から「人を呪う」恐ろしい風習と史実があり、これらをもとに演劇化したもの。
『日本書紀』『古事記』に磐長姫や中臣勝海連等の呪詛の例がまず見られ、鉄輪の舞台となった有名な「呪詛の社」、京都貴船神社にまつわる呪いの実話は、平安期の『栄花物語』に見られます。とりわけ丑の刻参りの原型とされるのは、鎌倉時代、『屋台本平家物語』の“橋姫伝説”。全身を赤く塗り、口に松明をくわえ、頭に鉄輪をいだく…とあります。

その起源をたどれば呪いの儀式は、古く中国や朝鮮半島より、道教・陰陽思想などとともに日本に伝来したものでした。

〔中国〕
・道教→蠱道(こどう)
・陰陽五行思想
〔朝鮮半島〕
・呪禁道

が、日本に渡り、陰陽道となって「人型祈祷」「呪い釘」などの手法によって呪術化されていったものです。
もともと陰陽道はあたかも医者のように、人の悪気を払い健やかさを祈り、もたらすことが本願。しかし、薬も用法を誤ると劇薬となるがごとく、人を呪い、害することもできる諸刃の刃ような術だったのです。

光あるところ、闇あり。

まさに中世は闇に活き活きとしたパワーが躍動した時代。たとえば西洋、中世カトリックの世界も魔女や魔法が跋扈した時代ではなかったでしょうか。
日本では平安時代、朝廷により恐ろしい力をあらわす陰陽道は禁じられ、ひそかに地下にもぐる。ここから生れたのが密教と道教、陰陽思想がミックスした「修験道」です。山岳信仰などと結びついて広く信仰の対象となっていきます。白装束に一本足の下駄、金剛杖をついた「山伏」たちの信仰ですね。

さて、能『鉄輪』では己を裏切った元夫と後妻を恨み、わが身を鬼と変じたシテがあらわれ、憾みを晴らさんと邪力をふるい二人におそいかかりますが、貴船社を守る三十番神に祈り伏せられてしまう。「今はこれまで。しかしまたやってくるであろう」と捨て台詞をはいて幕に引きます。

あな恐ろしや。
物語はまだこれからも続き、繰り返されるという。
世阿弥作ともいわれる『鉄輪』は、自分の力ではいかんともしがたい運命に玩ばれることをよしとせず、呪力を得てまで立ち向かおうとする庶民の姿を活き活きと描いたもの。

人を呪わば穴二つ。

呪いと祈り。前時代の遺物と笑うわれわれに、人の世の深い仕組みを時代をこえて教えてくれる物語ではないでしょうか。

次回12月蒲田産経学園講座は、平家の侍大将悪七兵衛景清の悲しい末路の物語、能『景清』を、日本各地の伝説からたどってご紹介します。

2013年11月13日 20:58

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