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感性は教えられない

『能楽タイムス』8月号の能評某氏の記事に目が留まり、共感したのでシェアしよう。

先月の狂言のとある会、狂言〈川上〉での観客の反応。
妻が夫に三下半をつきつける場面では、会場大いに笑いにつつまれる。

しかし、その夫へ別れ際に愛惜の想いを妻がついもらす場面、
ストーリーからいえば、しんみりほろりともらい泣きすべきところ。
しかしここでも台詞と仕草にのみ反応し、笑いが起こったという。
能評某氏、「この笑いは理解できない」とぼやいた記事であった。

ぼくも能を見て、いくどとなく同じような体験をしている。
シテが曲のもっともつめどころ、最高度の緊張感の中、
一句を謡う、または一瞬の所作をするシーン。
たとえば〈井筒〉の井戸をシテが見込む場面など。
ここで手元の袋やパンフをめくり、がさがさ音を出したり、
まったく関係ないものをみつめていたり(非常口のランプや後見等)、
携帯をいじくるなど…。
「ここは動けないし、息もできるわけないでしょう」と、
毎度思ってしまう。

「お能を見て泣いたことも感動したこともない。どうやったら涙が出るの?」
と、ずいぶん長く能を見て稽古も続けているある知人から質問されたことがある。
これはむろん答えようがない。
感性は人それぞれで、面白いところも、膝を乗り出してみるところも
まったく別だからだ。

井筒のここで感動しなさい…
隅田川のここで泣きなさい…
マニュアル化できなくもないが、それもなんか違うかな、と思っている今日この頃である。

感性を磨きなさい、といわれても磨きようがないので、
せめて「古典原作を読みなさい」、「能を数見なさい」、
としかいいようがないのだけれども。

この〈芸術不感症〉問題は、何も現代だけのものではなく、室町、戦国、江戸時代にもあったんだろうな、と推測している。

2014年07月31日 20:01

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