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茶の湯とキリシタン大名

長年気になっていた「完訳日本史 ルイス・フロイス(文春文庫)」を去年通読しました。
戦国時代より、江戸幕府開府にいたるまで、茶の湯とキリシタンは、政治の道具として、さらに権力のバランサーとして代々の天下人に利用されてきました。

道半ばにして倒れた信長は別として、秀吉~家康の政権樹立過程において、茶の湯、キリシタンのいずれかひとつの錘が欠けていたとしたら、その目標達成に甚大なる齟齬をきたしたであろうと予測されます。
本来ぼくは、パワーポリティクスにはあまり関心がなく、フロイス日本史を読み進めながら胸にこつんとひっかかってきたのは、キリシタン大名と呼ばれる日本史上に異彩を放った人々の存在です。一見、平安のシンボルとも思える、信仰と喫茶。この二つが、日本の戦国時代という混乱の坩堝に投げ入れられるとどのようなことが起こるのか。これを身を以って体現したのが、高山右近、小西行長、蒲生氏郷、黒田如水、細川忠興(自身受洗にはいたりませんでしたが、妻ガラシヤ夫人の事跡はあまりに有名)などの畿内で活躍したキリシタン大名たち。いずれも人格高潔、政治・軍事能力に突出し、茶の湯・和歌・諸芸能においても第一級の腕前をもつ時代の寵児とも呼べる人々です。武人、教養人、文化人であるとともに、彼らに共通してみられる資質は、鉄のように強固な意志をもち、己を貫き通したということ。信念を貫き通す時、それが強ければ強いほど、正しければ正しいほど、必ず権力に排除されることとなります。
行長は自刃、右近は国外追放、他は棄教しました。茶人の場合もしかり。千利休、利休の高弟 山上宗二、古田織部、みな死を賜っています。未曾有の混乱をきわめる戦国時代、キリシタンと茶の湯の交わる一点に生じた、目もくらむばかりの光芒。これを捉え、明らかにしたいと思います。しかし、この交差点に真っ向からの考察を試みた仕事は、残念ながら見当たらない。ないものはぼくがやるしかないな、とまたぞろ悪い虫が騒ぎ出し、近頃少々困っています。

2006年01月11日 12:31

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コメント

子供の頃に読んだ本が原因なのか、昔から細川ガラシャ夫人が好きでした。キリスト教圏で暮らしてみてその頃の日本人が理解していたキリスト教というものはエッセンスを凝縮したものというか汚いものを極力そぎ落とした究極の教えになっていたことを感じ、だからこそ殉死してしまった彼らにより悲劇的な印象を持ちました。
そのキリシタンと茶の湯の交わる一点、というのはとても興味がそそられますね。そういうお仕事を選べる環境はとてもうらやましいと思います。

今更なコメントですみません。

投稿者 hijiri : 2006年01月26日 00:42

hijiriさん
コメントありがとうございます。ブログもずいぶん
更新されていますね、いま見てきました。

ガラシャ夫人は、女流作家の小説などで描かれがちな
キャラでは、純粋な信仰に生きた、薄倖なる絶世の美女…。
いわば"ガラス夫人"のような印象をイメージとして
もっていました。たしか新作能もあったのでは…。
お茶は、堺の商人と武将が発達させた、権力と財宝に結びつく
とても不思議な生活総合芸術。
この二つが、あの時代、なぜ必然的に結ばれたのか…。
知識も経験も現在のところ全く力不足で歯が立ちませんが、
ぼくにとって、登りたい「次のでかい山」という感じがしています。
また、ブログ遊びにいきますね!

投稿者 庵主 : 2006年01月26日 11:53

私もゆっくりキリシタンとお茶の関係を研究したいのですが生活に追われ儘なりません。
今研究申請中の特許が成功し自治体の採用が決まると前述の事が出来るのですが。一部では採用が決まっておりますが全体になるかどうかというところです。

投稿者 笹本 正廣 : 2006年01月30日 00:05

笹本さま
コメントのリプライありがとうございます。
ぼくは茶道については完全にアウトサイダーですが
南方録、山上宗二記等とかかわるようになって
ひとかたならず深い関心を覚えるようになりました。
利休の侘茶は、禅宗の影響かな、と単純に思っていたのですが、やはりキリシタンとの関連性を指摘する方が多く、
自分なりに少し調べてみようか、ともくろんでおります。
裏千家お家元の「利休はキリシタンだったから…」は、
外部の人間にとって、かなり衝撃的な言葉です。
「特許申請」…、うまく行くといいですね。

また、笹本さんブログへちょくちょく寄せさせていただきます。

投稿者 庵主 : 2006年01月30日 15:55

お茶の席ではよく禅宗の高僧による掛け軸を掛けその日のテーマとします。
ところが禅宗の修行寺に十徳の件で質問に行ったのですが、
「禅宗とお茶は何の関係も無い。」と言われたのです。
これがどのお寺でも同じ返事になったかどうかは分りませんが、ただ推量で言うなら宗教を利用することで家元としての権威付けをしているのではと思うこともあります。
私自身20年以上お茶をやっているのですがその中にあまり宗教性は感じません、と言うよりブログに書いているようなことを言うとお茶の世界では異端かも知れません。

投稿者 笹本 正廣 : 2006年01月30日 23:27

はじめまして。風庵と申します。
「茶の湯とクリスト教」について調べておりましたら、このサイトにたどり着きました。
私の茶道の師の師にあたる義理の祖母は、従順なクリスチャンでした。
21歳の時から72年間 毎日 朝の礼拝に通っておりました。

その義祖母がこの1月5日に帰天し、今年の11月に「祖母を偲ぶ茶会」を催す予定です。
その薄茶の席をまかされることとなり、「茶道とクリスト教」について自習しております。


「完訳日本史 ルイス・フロイス(文春文庫)」 読んでみようと思います。
政治的な背景は横におき、「茶の湯とクリスト教」は精神的または道徳的につながるものがあるのでしょう。
今の私にはまだ理解できませんが。

投稿者 風庵亭主 : 2006年02月10日 08:11

ようこそいらっしゃいました。風庵さん

HP拝見しました。
お茶仲間が集まり、とても和気藹々としていますね。
御祖母様の「偲ぶ会」、ご成功されますよう
お祈りいたします。

さて、キリスト教と茶の湯については、ぼくもいくつかの
HP、ブログをあたりました。先に投稿いただいた笹本さんも
とりあげていらっしゃいますが、結構昔から
話題にはなっている事例のようです。
ちなみに「高山右近」で検索すると、たくさんひっかかってきます。
ぼくも単純になんでキリシタンとお茶なのか…と疑問に
思い、上のようなトピックスをあげ、皆様の意見を
お聞きしてみた次第です。

ただし、ルイスフロイスの日本史には、お茶の記述はあまりありません。
もともと当時のイエズス会宣教師たちは、「お茶」そのものにはあまり関心がなかったらしく、「富」のシンボルとしての、名物茶器の法外な値について報告しているくらいです。
Tea breakでほっとするのが目的の西洋人のお茶観から、「一期一会」など、日本のお茶と精神文化の結びつきを理解できなかったのかも知れません。

投稿者 庵主 : 2006年02月10日 22:08

"Tea breakでほっとするのが目的の西洋人のお茶観から、「一期一会」など、日本のお茶と精神文化の結びつきを理解できなかったのかも知れません。"

同感です。

ルイスフロイスと茶の湯は政治的要素がその背景に強く存在しそうですね。
読むのやめます。

Christianと茶道については、知り合いに尋ねたり、「高山右近」で検索して自習してみます。
というか、生前に義祖母に尋ねれば良かったですよね。
しかし、茶道に対しても厳しい人でしたから、
きっと教えてはくれなかったでしょう。

投稿者 風庵亭主 : 2006年02月11日 18:43

風庵亭主さま
コメントリプライありがとうございます。
テーマをしぼって読むには、フロイスの日本史はあまりに大部に過ぎ、検索性の面からも、適当ではないかもしれませんね。
でも、外国の目から見た当時の日本の政治、文化状況が客観的に描かれているので、相対的にこの時期の日本を知りたい…という方には、やはりおすすめの名著ではあります。

御祖母様に、もしお聞きになっても、道に厳しい方はなまじっかなことでは、ものを教えてくれなかったかも知れませんね。
ぼくも能を習っていますが、歴史や秘伝、作法などについては、こわくて師匠に聞く気がしません…。むしろ、深く関わっていない周辺の第三者の方が気楽に情報提示してくれるみたいですが…。

投稿者 庵主 : 2006年02月13日 16:13

義祖母の本棚に、
「禅仏教とキリスト教神秘主義」門脇佳吉著 がありましたので、これも拝借してきてしまいました。

それと、井伊直弼の茶湯會集。


「南方録」は読むだけなら良いのですが、訳すとなると苦労します。
何度、水野さんにお聞きしてしまおうと思ったことか。

投稿者 風庵亭主 : 2006年03月29日 10:58

私もフロイス読んで見ました。しかしキリスト教と、茶の関係は見出す事が出来ませんでした。
私のブログはこちらに移動しました。

投稿者 笹本正廣 : 2010年06月25日 07:47

いつもコメントありがとうございます。
新しいHP拝見しました。とてもきれいな写真で、記事もどれも興味深いです。

利休とキリシタンの関係は永遠のテーマです。
残念なことにフロイスや日本に来た宣教師は、そもそもあまり茶の湯に関心を示さず、いずれの資料にも物証が乏しく「茶とキリシタン」の資料には使えませんね。

ぼくも来月名古屋で「高山右近と茶の湯」を講義しますので、改めて様々キリシタン関係資料を検証してみました。
が、いずれも間接的証拠、もしくは憶測に基づくもので、相変わらず利休=キリシタン説について進展はありませんでした。

「茶花と花入=厨子」の論考はとても面白かったです。
参考にさせていただきます。

投稿者 庵主 : 2010年06月29日 21:13

最近、利休は本当に茶聖なのかという疑問が出てきました。
その根底にあるのは武器商人ではなかったか、あるいは大名との経済戦争ではなかったかとの思いです。
如何思われますか

投稿者 笹本 正廣 : 2011年04月29日 13:13

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