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大江匡房『傀儡子記』現代語訳

傀儡(くぐつ)は、狭義では人形遣いの芸能者。わが国では、その発生が九世紀以前にさかのぼる、日本最古の芸能集団を指します。
狩猟系渡来人の末裔ともみなされており、中世に成立した能を代表とするわが国の伝統芸能に少なくない影響を与えた、特殊な職業集団です。

傀儡について、その活躍期に記された歴史史料の代表が、大江匡房の『傀儡子記』。
今回、【言の葉庵】では本作を全文現代語訳にてご紹介します。
原文は漢文四百文字程度のごく短いものですが、中世芸能史を語るうえで欠かせない具体的かつ詳細な、とても興味深い記述を含んでいるのです。

まずは、『傀儡子記』について、岩波書店『日本思想体系』の序文を引用しました。


「遊女記」と姉妹編をなすもので、同時期に執筆されたものと推定される。「傀儡」はあやつり人形を意味し、中国では人形をまわし歌を歌った者をいうが、日本では本書から知られるように、狩猟を元来の生業としながら党とよばれる集団で漂泊し、男は剣術・人形つかい・奇術、女は唱歌・売春などを業とした。(中略)今日では内容不明のものもあるが、ここに記された生活形態と技芸は、当時の風俗・芸能の一端を知るうえで貴重であるばかりでなく、この類の芸能者の発生・系譜を考えるうえでも注目すべきものを含んでいる。

(岩波書店『日本思想体系』の序 大曾根章介)


次に、傀儡はいつどのように発生・発展し、日本の社会の各階層とどのように関連し、日本文化に取り込まれていったかをWikkipediaの記述をもとに整理してみました。


1.平安時代(9世紀)にはすでに存在し、散楽などをする集団として、それ以前からも連綿と続いていたとされる。

2.平安時代、狩も行っていたが諸国を旅し、芸能によって生計を営む集団になっていき、一部は寺社普請の一環として、寺社に抱えられた「日本で初めての職業芸能人」といわれている。

3.操り人形の人形劇を行い、女性は劇に合わせた詩を唄い、男性は奇術や剣舞や相撲や滑稽芸を行っていた。呪術の要素も持ち女性は禊や祓いとして、客と閨をともにしたともいわれる。傀儡女は歌と売春を主業とし、遊女の一種だった。

4.寺社に抱えられたことにより、一部は公家や武家に庇護された。後白河天皇は今様の主な歌い手であった傀儡女らに歌謡を習い、『梁塵秘抄』を遺したことで知られる。また、青墓宿の傀儡女、名曳(なびき)は貴族との交流を通じて『詞花和歌集』にその和歌が収録された。

5.傀儡子らの芸は、のちに猿楽に昇華し、操り人形はからくりなどの人形芝居となり、江戸時代に説経節などの語り物や三味線と合体して人形浄瑠璃に発展し文楽となる。

6.その他の芸は能楽や歌舞伎へと発展していった。あるいはそのまま寺社の神事として剣舞や相撲などは、舞神楽として神職によって現在も伝承されている。


それでは以下、『傀儡子記』現代語訳をどうぞ。

『傀儡子記』大江匡房

傀儡子には決まった住居はなく、守る家もない。
天幕に毛織物を扉として住み、さすらって生活する。北方の異民族の風俗とすこぶる似たものだ。

男はみな弓馬をよくし、狩猟を生業としている。かつまた、剣舞やお手玉を演じ、操り人形を舞わせたり、相撲を取らせたりもする。あたかも人形が生きているかのような技は、魚竜曼蜒の戯※1に近いものである。
さらに石ころを変じて金貨となし、草木を化して鳥獣に変ずる。人の目をくらませる芸なのだ。

女はといえば、愁いにみちた眉、泣いたような目元をつくり、弱々しく腰をかがめて歩き、歯痛に苦しむように微笑んでみせる。唇に朱をさし、白粉を塗り、歌を歌い淫らに舞って、男に媚びを売るのだ。これを親も夫もとがめない。しばし行きずりの旅人に見初められて、一夜をともにすることを楽しんでいる。
客に呼ばれた代価として、高価な刺繍の服、錦の衣、金のかんざし、螺鈿の箱などを受け取るが、すでにほとんどの品物はもっているのだ。

彼らは一反の田も耕さず、一枝の桑も摘むことはない。すなわち県の役人の支配を受けず、土着せず、流浪人にひとしい者どもである。朝廷ともかかわりなく、国司も恐れぬ。義務や役務はなく、一生を楽しんで過ごすのである。夜になると百神を祀り、鳴り物入りで舞い、騒いで幸運を祈っている。

東海道の美濃・三河・遠江の一派が、もっとも勢力をもち、山陽の播州・山陰の但馬がこれに次ぐ。西海の一派は劣っている。
高名な傀儡女は、小三・日百・三千載・万歳・小君・孫君等である。彼女等の歌は、韓娥※2のごとく梁の塵を動かし、余韻は部屋中に響き渡る。これを聞いた者は、感動のあまり冠の緒を涙がとめどもなく濡らすという。
今様・古川様・足柄・片下・催馬楽・黒鳥子・田歌・神歌・棹歌。辻歌・満固・風俗・咒師・別法など、数え切れぬほどの歌がある。しかし傀儡の歌は天下一である。感動しない者があろうか。

(水野聡訳 2016年9月)


※1魚竜曼蜒の戯
幻術の一つ。舞台上に噴水を出し、その中を魚や竜の仮面をつけた演者が飛び跳ねる、大がかりなものであったらしい。

※2韓娥
中国春秋時代、韓のすぐれた女性歌手。韓娥が齊の国へ向かった時、旅費が尽き歌を歌って食料を得た。韓娥の歌の余韻は、当人がその場を去った後も、梁をめぐって三日間絶えなかったため、人々は韓娥がまだ滞在し歌っていると思っていた。(『列子』湯問篇)

・原文(読み下し文)

傀儡子(クグツ)は、定まれる居なく、当(マモ)る家なし。穹盧氈帳、水草を逐ひてもて移徙す。頗る北狄の俗(ナライ)に類(ニ)たり。男は皆弓馬を使へ、狩猟をもて事と為す。或は双剣を跳らせて七丸を弄び、或は木人を舞はせて桃梗を闘はす。生ける人の態を能くすること、殆に魚竜曼蜒の戯に近し。沙石を変じて金銭となし、草木を化して鳥獣と為し、能く人の目を□す。女は愁眉・啼粧・折腰歩・齲歯咲を成し、朱を施し粉を傳け、倡歌淫楽して、もて妖媚を求む。父母夫聟は誡□せず。亟行人旅客に逢ふといへども、一宵の佳会を嫌はず。徴嬖の余に、自ら千金の繍の服・錦の衣、金の釵(カンザシ)・鈿の匣の具を献ずれば、これを異(ウヤマ)ひ有(ヲサ)めざるはなし。一畝の田も耕さず、一枝の桑も採まず。故に県官に属かず、皆土民に非ずして、自ら浪人に限(ヒト)し。上は王公を知らず。傍牧宰を怕れず。課役なきをもて、一生の楽と為せり。夜は百神を祭りて、鼓舞喧嘩して、もて福の助を祈れり。

東国は美濃・参川(三河)・遠江等の党を、豪貴と為す。山陽は播州、山陰は馬州等の党、これに次ぐ。西海の党は下と為せり。その名のある儡は、小三、日百、三千載・万歳。小君・孫君等なり。韓娥(かんが)の塵を動かして、余音は梁を繞る。聞く物は纓を霑して、自ら休むこと能はず。今様・古川様・足柄・片下・催馬楽・黒鳥子・田歌・神歌・棹歌。辻歌・満固・風俗・咒師・別法等の類は、勝げて計ふべからず。即ちこれ天下の一物なり。誰か哀憐せざらむや。

(日本思想大系〈8〉古代政治社会思想 岩波書店1979年)

2016年09月26日 21:14

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