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『山上宗二記』本日発売!

日本人なら千利休を知らないという人は、あまりいないと思う。では、山上宗二は?
茶の湯と茶史にくわしい、ごく一握りの人以外にとって、ほぼ無名に近い人ではないでしょうか。

それが古今の茶書随一の評価と価値をもちながらも、出版界に徹底的に無視され続けてきたわかりやすい理由です。恥ずかしながら、ぼくも山上宗二の名と人を知ったのは、利休を描いた十数年前の映画を通じてのことでした。

『千利休 本覚坊遺文』1989東宝

三船敏郎扮する利休にやや違和感を覚えながらも、灰墨色のトーンで一貫して繰り広げられる監督熊井啓の映像美はぼくの好みにあった。

原作は井上靖『本覚坊遺文』S56.講談社

こちらは、俗っぽく言えば「複式無幻能」仕立て。冥界のごとき薄明のさす河原の道、永遠に続く一本道をツレ 山上宗二、シテ 千利休、ワキ 古田織部が無言でゆく。その後を主人公である利休の弟子、本覚坊がとぼとぼとつき従う…。物語は、夢の中ではじまり、また夢の中で終わる。本著の主題は、これら大茶人たちが、なぜ死なねばならなかったか、です。宗二が「無ではなくならん、死ではなくなる」と宣言し、まことの茶にいたるべく、誰よりも真っ先にこの言葉を実践してみせます。
シーンは天正十八年小田原の陣。敵陣、北条方より抜け出し、秀吉と対峙した宗二は「耳をそがれ、鼻をそがれ」無残な最期を遂げます。ほどなく利休も愛弟子、宗二の後を追うこととなる。やや時を経、織部も死を賜る。

さて、「茶を生きる」ことの深遠を本著はこんなエピソードで語っています。若い織部が利休に「数寄の極意」をたずねたところ…。

「忘れもしない天正十三年五月のことであるが、ある茶事の席で、利休どのに数寄の極意は?とお訊ねしたことがある。今ならこのようなことは口に出さないが、まだ四十歳そこそこ、茶の湯に血道をあげている最中である。すると利休どのは、奈良の松屋家に徐熙の鷺の絵がある。唐絵であるが、天下の名品として知られている。その鷺の絵を会得するなら、天下の数寄というものを合点するであろう…(中略)そこで翌日、直ちに馬で奈良に向かって、その鷺絵なるものを拝見した」

絵を見ても、織部は一向利休の真意がわからず、ただ困惑するのみ。そして、

「この間、久しぶりで、実に二十数年ぶりで、その鷺の絵と再会した。表具が傷んでいるので、どのように繕ったらいいか、その相談を受けた時である。それを、この席の床で拝見した。その時、初めて利休どのが言われていた意味が判った。絵もいいが、問題は表具である。一文字なしの中風帯!思わず唸りたいような気持ちになった。利休どのはこの侘表装のことを言っておられたのかと思った。唐絵をこのような着物を着せて活かした珠光どのもさすがであるが、それをちゃんと見ておられた利休どのも豪いと思う。確かに侘数寄の眼目は、こういうところにあるに違いないと思った…利休どののもう一つの豪さは、それを説明なさらない点である。自分で考えて、自分で会得せよ、そうおっしゃっているところがある」

結局、織部は依頼の修繕を「触れない。あれだけのものになると、怖くて、手がくだせない。一指も触れせしめないところがある」、と断念しました。

さて、このように人に教われぬ、はるかに遠い”茶のまこと”を究めるには、遅かれ早かれ、己れで己れを決するしかないのか。からりと「茶をわりきった」、ある意味傑人の織田有楽斎は、師利休の死の真相を問う本覚坊の問に、実にあっさりと”ケリ”をつけます。

「ああ、なぜ死を賜ったというのか。表向きの理由は知らぬが、まあ、それは簡単なことだと思う。一体太閤さまはどのくらい利休どのの茶室に入っているかな」

本覚坊は、何十回、何百回、数えられぬとこたえる。

「何十回か何百回か知らぬが、太閤さまは利休どのの茶室に入る度に、死を賜っていたようなものだ。大刀は奪り上げられ、茶を飲まされ、茶碗に感心させられる。まあ、その度に殺されている。死を賜っている。太閤さまだって一生のうち一度ぐらいは、そうした相手に死を賜らせたくもなるだろう。そうではないか」

また、

「利休どのはたくさんの武人の死に立ち合っている。どのくらいの武人が、利休どのの点てる茶を飲んで、それから合戦に向かったことか。そして討死したことか。あれだけたくさん非業の死に立ち合っていたら、義理にも畳の上では死ねぬだろう。そうじゃないか」

利休、宗二、織部の死の真相は永遠に「藪の中」。ただひとつだけいえるとすれば、己れの清らかな茶を守り、自ら進んで真っ先に、
「無ではなくならん、死ではなくなる」
ことを実行したのは、山上宗二であった、ということ。

けがさじと 思う御法のともすれば
世わたるはしとなるぞ かなしき

『山上宗二記』末にある、慈鎮和尚の法歌。「宗易もわれも、茶の湯を世渡りの手立てとすること、口惜しい次第である」と宗二記本編は結ばれます。珠光~紹鷗~利休と続く、真の侘び茶の系譜は、いったん「死ではなくなる」ことにより、逆説的に現在まで命脈を保つことができたのでしょうか。


『山上宗二記 現代語全文完訳』、もしご興味がありましたら、当HP「購入ページ」にて一部内容をお読みになれます。

2006年05月16日 11:49

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コメント

お疲れ様でした!それから完成おめでとうございます。時が来たら私も是非読ませて頂きたいと思います。今は自分のやることや読むべきもので手一杯ですが。取り急ぎお祝いの言葉だけ残して。

投稿者 しおり : 2006年05月16日 22:08

ありがとうございます!!
ひとつ荷物をおろしてほっとしています。
が、はやくも『おくのほそ道』モードにスイッチ
入ってしまっています。やれやれ、貧乏性でしょうか…

「自分のやること」「読むべきもの」どうぞ、
力いっぱいがんばってください!
また、アウトプットもぜひお知らせください。

投稿者 庵主 : 2006年05月18日 21:04

こんにちは!
興味深く拝見させていただきました。
入場無料で行われている素人の方々の会に関してなのですが、例えば、藤田次郎先生の笛の会の発表会も、プロの方が出演されるんですか??
ぜひ野村萬斎さんを観てみたいです!

投稿者 鮫島千明 : 2010年07月14日 00:02

鮫島千明様

コメントありがとうございます!
笛方に限らず、能の社中の素人会は、主役(笛の会なら笛、シテの会ならシテ)以外はすべて、プロが出演してサポートします。
時に人気シテ役者や人間国宝も出られるので
ある意味、無料で見られる豪華な会です。
萬斎師も十年ほど前、ぼくの所属する社中の素人会に出演して
くださいました。
ぜひ楽しんできてください!

投稿者 庵主 : 2010年07月15日 16:03

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