言の葉庵 |能文社 |お問合せ

「羽衣」は、首をヨコにして見る。

 国立能楽堂主催公演プログラム『月刊国立能楽堂』。今月、2月号に巻頭随筆が掲載されました。タイトルは「羽衣は首をヨコにして見る」。以下に掲載文をご紹介します。現在能楽堂ロビーにて販売しておりますので、実物もぜひお手にとってごらんください。

『羽衣』は、首をヨコにして見る。
水野 聡

 はじめて能を見る人に、『羽衣』をすすめる催しが多いようです。能の珠玉の名作、ストーリーもいたってシンプルなのがその理由です。でも、見る前に能独特の〈暗黙のルール〉をいくつか知っておけば、はじめて見る『羽衣』を数倍楽しめるはず。ぼくのお能初体験の感想も取り混ぜながら、いくつかのポイントをご説明いたしましょう。

 生まれてはじめて見た能は、竣工間もない国立能楽堂での『巴』。海外旅行をきっかけに「日本文化にも触れねば」と思い立ち、能楽堂を訪れます。前は、美しいシテの立ち姿、心地よい囃子と謡で夢見るように流れていった。さて問題は、後。シテが女装束のまま、長刀をいかめしく掻いこんで、ズカズカとやってくる。脇正側ギリギリで足拍子を一つ踏むと、ぼくの鼻先めがけ猛然と長刀を振り下ろしたものです。まさか、あのたおやかな美女に自分が斬られようとは…。この強烈な体験に魂を奪われ、以来自他共に認める〈能狂い〉の人生を歩み始めることとなりました。今思えば、あれが世阿弥のいう「花」だったのです。『風姿花伝』には、予期せぬ演出→珍しさ→面白さ。それが観客の心に咲く花となる、とあります。
 さて、それでは能独特の〈暗黙のルール〉をご紹介しましょう。
 まず能舞台では〈ある〉ものが、〈ない〉ことになっています。本舞台のエリア外にいる後見と地謡は〈いない〉ことになっている。透明人間なのです。シテ・ツレなどの役者が舞台後方に下がり、後ろを向いて座る。これを「クツログ」と呼び、役者はそこに〈いない〉ことになる。『羽衣』では〈モギドウ〉という特殊な着付けがあります。上着の両袖を脱いで、腰に巻きつける。これは一糸まとわぬ姿を表現します。キチンと装束をつけているのに、天女の着物は〈ない〉。水浴中なので裸、という設定です。ちなみに狂女物によくある、片袖だけを抜いた着付けは〈半裸〉または、働く姿を表します。
 また、水平の舞台がある瞬間、垂直になることも。もちろん実際に舞台がせり上がるわけではなく、あくまで観客の〈頭の中〉でだけです。『海士』の玉ノ段では、海底に沈んだシテが(正先で座っている)、立って数歩バックすると、真上の海面(鏡板の面)に浮かび上がった、ということになります。『羽衣』では、「あしたか山や富士の高嶺」とシテが幕に向かってサスと、橋がかりが垂直となって立ち上がり、揚幕が頭上、すなわち天となります。観客は〈首をヨコにして〉見れば、天高く舞い上がっていく、天女を目で追うことができるのです(実際そうやって見る人はいませんが)。

 さて、能『羽衣』の原話は、静岡県静岡市清水区三保の松原に古くから伝わる、天人降臨伝説です。天人が下界の人間と遭遇する「羽衣伝説」は日本中・世界中に数え切れないほどある。海外では「白鳥処女説話」とよばれ、異類婚姻譚の一種として様々なパターンを展開。日本最古のものは、近江国風土記にある余吾湖の天人降臨説話。原話では、天人は羽衣を返してもらえず、仕方なく漁師と結婚、子をもうけます。しかし後日、隠された羽衣を発見。天人は嬉々として天へ帰っていくのです。他には、天人と漁師の子供が実は菅原道真公であった…とする伝説まであります。能『羽衣』では一曲のハイライトを天女の帰天の喜びにおいた。序の舞、破の舞、キリ、と高揚感を増していく、天女の舞に焦点を当てるため、後日談をカットして演劇効果を高めたものでしょう。
「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」の名句・名場面も、この曲の鑑賞ポイント。羽衣を返せば、舞を見せずにそのまま飛び去ってしまうのでは、と疑う漁師に、天女が返した、人類への痛烈な一句なのです。宝を得た喜びと、天女への同情の間で揺れ動く漁師の心理描写もまた興味深い。人間ドラマと舞踊美をあわせもつ名曲、羽衣。天女とともに富士山の上空3700mから下界を眺めてみませんか。

(みずのさとし 古典翻訳家/能文社代表)


■月刊『国立能楽堂』平成21年2月号
・2月4日発行 販売価格560円
・国立能楽堂主催公演ロビーにて販売
・B5版/本文24ページ+詞章(別冊) 24ページ
・巻頭随筆「羽衣は首をヨコにして見る」 水野聡(古典翻訳家)

■国立能楽堂2月公演
http://www.ntj.jac.go.jp/nou/index.html
・定例公演 2/4(水) 13:00開演  能 弱法師 浅井文義/狂言 鈍太郎 善竹十郎 
・普及公演 2/14(土) 13:00開演  能 巴 武田尚浩/狂言 二千石 野村万作
・定例公演 2/20(金) 18:30開演  能 葛城 宇高通成/狂言 朝比奈 山本東次郎
・企画公演 2/20(金) 18:30開演  能 経正 足立禮子、能 羽衣 倉本雅

2009年02月14日 08:59

>>トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/119

◆言の葉庵推奨書籍

◆言の葉メールマガジン
「千年の日本語。名言・名句マガジン」

「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文まる秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)

◆お知らせ

ビジネス・パートナー大募集

現在、弊社では各業界より、マーケティング関連委託案件があります。
つきましては下記の各分野において、企業・フリーランスの協力パートナーを募集しています。

◇アナリスト、リサーチャー
◇メディアプラン(フリーペーパー、カード誌媒体等)
◇プランナー、アートディレクター、コピーライター
◇Web制作
◇イベンター、SPプロモーション
◆化粧品・健康食品・食品飲料・IT・通信分野

 

Copyright(c)2005.NOBUNSHA.All Rights Reseved

Support by 茅ヶ崎プランニングオフィス