言の葉庵 |能文社 |お問合せ

師は針、弟子は糸 【言の葉庵】No.10

言の葉庵メルマガ ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 名言名句Howto便
┓┏ ┏┳┓
┣┫OW┃O             師は針、弟子は糸 2006.7.12
┛┗━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 早いもので、今回第七回めの名言・名句は、武蔵『五輪書』より「師は針、
弟子は糸」。何を学ぶにしても身につけるにしても基本中の基本です。「道」
の第一歩はこの名句にあり。エディターの箪笥貯金は、今回より日本でただ
一人の旧暦エキスパート、「旧暦スト」または「和文化エディター」を名乗る、
高月美樹の登場です。前号AERA特集にも登場、また和楽にも毎号巻頭コラムを
執筆連載中の売れっ子美人エディターだ。
今回より、またまた新コーナー誕生。言の葉ブックも思わず脱帽の本当に「ご
っついええ本」を毎号紹介。中国を代表する古典籍「易経」を誰にでもわかり
やすく面白く紹介する名作、竹村亞希子著『リーダーの易経』。時を知り、変
化を読み・操ることで、ものごとすべてうまく行くということを「あ!そうか。
そうだったんだ!」と学べます。


…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】日本語ジャングル  なぜ日本語のリズムは「七五調」なのか?〈後編〉
【2】名言・名句第七回                師は針、弟子は糸
【3】エディターの箪笥貯金          旧暦ストの月の夢 第一回
【4】ごっついええ本 NEW!           第一回『リーダーの易経』
【5】言の葉通信・お知らせ         『葉隠』まあまあ売れてます
…編集後記…
……………………………………………………………………………………………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【1】日本語ジャングル  なぜ日本語のリズムは「七五調」なのか?〈後編〉
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 〈前編〉では、日本人が七五調を読む定式化されたリズムがあり、それは二
音節を一単位として構成される「四拍子」である、という説をご紹介しました。
〈前編〉Vol.9はこちら↓
http://nobunsha.jp/melma/no9_1.html


 それでは、なぜすべての音数より特別に「五音」「七音」が選ばれたのか、
続きを追っていきましょう。


3.なぜ、五音と七音が撰ばれたのだろう。

 では、なぜ四拍子を構成するのに五音と七音が選ばれたのか。それには、選
んだというより、基本的には、五音と七音がいちばんできやすいということも
あったのではなかろうか。

 前に述べたとおり、日本語の単語を類別すれば、二音節のものが圧倒的に多
く、それだけで全体の六十パーセント近くを占めている。次いで三音節が三十
パーセント弱である。したがってまた、二語の合成語も、二プラス二の四音節
がもっとも多いにちがいない。
 ところで、文章をつくり叙述を完成させるには、いわゆる「てにをは」をつ
けたり、動詞を活用させたりしなければならない。単語の羅列だけでは歌にな
らない。つまり、大部分は一音節、一部は二音節でできている助詞や語尾変化
部分を付加する必要がある。そして、四拍子ということを考えると、一句の長
さを三音節や四音節で片付けることはできない。あまりに短すぎる―逆にいえ
ば、休みが長くなりすぎるからである。それなら、いちばんできやすい組み合
わせは五音で、短い句が五音になるのは、確率的にも当然のことにすぎない。

 長い句は、また四拍子を考慮に入れれば、六、七、八音のいずれかで(それ
以上になると四拍におさまらない)、組み合わせの確率からいえば六音が最高か
もしれないが、相対的な短長の感覚、休みの長さのバランスからして、七音が
もっともふさわしいことになるだろう。短い句が五音であるのに対し、長い句
が六音では、あまりに差がなさすぎるし、五音六音のくりかえしはむしろ三拍
子にとらえたくなる(四拍子にするためには、全部の句にまるまる一拍の休み
を置かなければならない)。また、長い句が八音では、句の切れ目にもまった
く休みを置くことができず、ゆとりがなくなる。とすると、基本的には、長い
句は七音が最適ということになる。


 以下当著は、長歌の「五七、五七、五」の二句切れから「五七五、七七」の
三句切れへの移行、五七調から七五調への転換、英語俳句の批判、自由詩・散
文詩のリズムへと考察が展開していきます。さて、本論とは間接的な項目にな
りますが、日本文化四拍子論として非常に興味深い、「手拍子・拍手発生論」、
「農耕民族四拍子説」を後半部よりピックアップしてご紹介したいと思います。


4.手拍子は、四拍子。

 手をうつことは日本民族の故習で『魏志倭人伝』、『古事記』の「天逆手」
にみられ、一種の呪術と考えられる。これが芸能の場におこなわれたものが
手拍子であるが、同時に気分の高揚した芸能の場で自然発生することもおも
い合わせるべきである。すなわち歌謡をうたう場合は一種の「はやし」とい
う音楽の原始的な役目をする。(平凡社『世界大百科事典』)

 つまり、ずっと古い時代から、「気分の高揚した芸能の場」では、自然に
「手拍子」という行為が伴い、歌の「はやし」の役目も果たしていたから、
現在でも歌を歌うときには、ごく自然に、歌が何拍子だか考えもせずに、手
拍子を打つようになっているのである。日本人には、手拍子という二拍子系
のリズムが、もう身についてしまっている。


 もう一つ、今では日常生活から離れてしまったが、神さまを拝むときの拍
手がある。これは、いったいどういう意味をもっているのか。哲学者の上山
春平氏によれば、元来、拍手とは挨拶のしぐさだったらしい。『魏志倭人伝』
には、「大人の敬する所を見れば、ただ拍手して跪拝に当つ」とあるから、
三世紀頃のわれわれの祖先は、挨拶に拍手を用いていたことになる。また、
唐代の学者が『周礼』の注釈のなかで、今の倭人(日本人)は拍手の礼を行って
いると書いているそうである。『日本書紀』の持統記にも拍手の礼が記録され
ている。天武天皇の皇后であった持統天皇が帝位につくときの即位式に、
「公卿百寮、羅列りてあまねく拝みたてまつり、手拍す」とある。
 今は普通の挨拶に拍手など用いない。それをやるのは、神さまを拝むときだ
けである。昔行われていた挨拶の拍手と、今残っている神前の拍手と、この二
つにはいったいどんな関係があるのだろうか。ぜんぜん別のものだったとは考
えにくい。
 神前の拍手は、もとをただせば、神さまに対する挨拶ではないか。それも、
人に対する挨拶であった拍手が、時とともに、神さまに対する挨拶にも使わ
れるようになったというのではなく、挨拶として拍手という行為があり、そ
れが神にも人にも使われた、あるいはむしろ、神に対する挨拶として拍手が
あり、人に対する挨拶にもそれが使われるようになったと考えたい。はじめ
に神ありき。


わたしにとってすこぶる興味深いのは、超自然を呼びさますというもっとも
根源的な行為の一つであるこの拍手を、上代人がどのように行ったかという
こと、具体的にいえば、その回数である。神社に詣でてかしわ手を打つとき、
われわれはけっして一つだけではすまさない。かならず、ポン、ポンと、二
つ打つだろう。なぜか知らないが、昔から習慣的にそうすることになってい
る。いくつでもいいというものできない、どこでだれがやっても二つである。
 ところが、二つというのは実は略式だそうで、古語辞典(岩波書店)を見る
と、正式には四度打つと書いてある。それどころか、これも上山春平氏に教
えられたのだが、伊勢神宮では、ポン、ポン、ポン、ポンと四つたたき、間
を置いてそれを二度くりかえすらしい。現行の神宮祭式では、四度の拍手を
二回くりかえすのは「八度拍手」と呼ばれ、あらゆる儀式のクライマックス
をなすという。
 それにしても、なんと神秘的な味わいにみちていることか。人と神とのあ
いだに立てられた重い扉を押し開くのは、深い静寂のなかに乾いた音をひび
かせる四拍子のリズム。

 手をたたくという動作でわれわれが日常おなじみのものがまだあった。応
援の拍手である。(中略)あれがいわゆる三三七拍子である。
 しかし、べつに三拍子三拍子七拍子を重ねているわけではない。五七五七
七や三十一文字と同じで、数字そのものはリズム(拍子)をあらわしていない。
日本人の変なくせというか、表面にあらわれた数だけかぞえて、休みを全く
勘定に入れないのである。三三七とっても、けっして三三七を続けて打って
いるのではなく、それぞれのあいだに休みを置いて、

 |○○○●|○○○●|○○○○|○○○●|

の形にしている。これはご覧のとおりの四拍子にほかならない。
 それから、今でも、ある社会で行われている手じめ。(中略)「お手を拝借
…イヨーーッ」で始まるあの拍手は(中略)、

 |○○○●|○○○●|○○○●|○●●●|

となり、やはり四拍子である。


5.農耕民族は、四拍子。

 一つ大胆な仮説を提示してみよう。
「日本人の四拍子文化は、先祖が農耕民族だったからである。」
 もちろん、この裏には、騎馬(遊牧)民族は三拍子であろうという想定が
ある。(中略)

 韓国の民謡が三拍子なのは騎馬民族だからではないか、という小泉文夫
さんの説だった。農耕と四拍子になにか関係がありそうだという推測は前
々からもっていたが、騎馬と農耕のリズム上の違いがはっきりしなければ、
その推測は意味をなさない。したがって、小泉さんの仮説は―これも証明
されているわけではない。実際問題として実証は不可能でもあろう―わた
しにとって、まさに暗い空を走る電光の一閃だったのである。まずこの「
馬の文化」説の大要から紹介することにしよう。
 (中略)なぜ韓国人のばあい三拍子になるかというと、おそらく彼らが騎
馬民族で、馬に乗るからである。乗馬の経験でいえば、速足をやるときに
ただ乗っているだけでは尻を打ってしまう。そうならないためには、馬が
跳ねたときに自分から跳ね、積極的に上下動を加える。馬に乗る民族は、
みなが調子づいてくると上下動をする。その動きによって、気持ちが高揚
する。日本のような歩行のリズムではなく、それに上下の跳躍のリズムが
入る。日本には、奈良、平安時代から蒙古馬が献上されていたが、あくま
で馬は支配階級のためのもので、音楽をつくる底辺である農民のリズム感
のなかに、馬は定着しなかった。

 (中略)そして、四拍子論に関連して、とりわけ面白いと思うのは、この
騎馬民族が南九州に国をつくったという推定である。騎馬民族は三拍子。
それなら、南九州は、大昔、三拍子の国だったのではないか。
 (中略)古代の歌謡の一つに「催馬楽」と呼ばれるものがある。そして、
日本の芸能としてひじょうに珍しいことに、これが五拍子か三拍子である
ことを、奈良学芸大の林謙三氏が明らかにされた。(中略)要するに、催馬
楽は鹿児島近辺で行われていた隼人神楽である。いいかえれば、ここが催
馬楽発祥の地だということである。

 日本語が七五調であるというよりも、日本人生来のリズムが四拍子である、
ということのほうが本質的な現象であることがよくわかりました。なぜ、二音
で一単位なのか、また、そもそもなぜ日本民族は四拍子なのか、が農耕文化と
の関わりで提議されました。が、まだ仮説の域を脱しません。ヨーロッパでは
古くから、ジーク、サラバント、などワルツ系三拍子は舞踊のリズムとされて
きましたし、休符によるシンコペーションでリズムに跳躍感をもたせることは、
もちろん四拍子でも可能ですが、逆に三拍子であればもっと加速感が強まるよ
うにも思えます。
 いずれにしても、上代よりそれこそ千年以上ぼくたちの血と遺伝子に深く刷
り込まれた、四拍子と七五調は、日本という国と民族があるかぎり、もっとも
自然で、もっとも心地よい不変のリズムを刻み続けることに間違いはありません。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【2】名言・名句第七回                師は針、弟子は糸
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


No.13 師は針、弟子は糸。

No.14 物の見方は、心眼で見る観と、目で見る見の二つがある。

~宮本武蔵『五輪書』PHP 地の巻/水の巻より。

No.13[解説]
 人にものを伝授するとき必ず用いるのが比喩であり、もっとも有効な伝達方
法も比喩です。また、人にものを教わる場合、何よりもまず模倣、師の真似を
することから学習を始めます。「学ぶ」の語源は、「真似ぶ」。「習う」は、
もと「倣う」と書きました。

 この比喩と模倣を数多の豊富な具体例で示し、その効果を最大限に達成した
日本のテキスト=伝書が、能では『風姿花伝』、武道ではこの『五輪書』とい
えるでしょう。
 「師は針、弟子は糸」。『五輪書』冒頭、「地の巻」で武蔵は、おのれの兵
法の道を「大工の道」にたとえ、説き、導きます。すなわち、一国一軍の大将
を大工の棟梁、大工を一兵卒にたとえ、その達成目標、行動規範を詳述してい
きます。一軍の将たるもの、大工の棟梁のごとく、適材適所をわきまえ、効率・
納期・業績評価・モチベーションなど管理監督の重要性を認識し、集団を指導、
組織化することが肝要であると説いています。
 かたや兵卒たるもの、与えられた分担、業務をとどこおりなく遂行できる技
能と熱意が必須であり、場数を踏んであらゆる業務を経験し将来的に棟梁を目
指すべし、としています。

 理想的な将、師は適切な「比喩」で、兵卒、弟子を最短距離にて、間違いな
く目標へと導くことが第一条件。また、弟子は、師の教えを疑うことなく「模
倣」し、いずれ師の水準へと到達すべきもの、と端的に言い表したのが、「師
は針、弟子は糸となって、たえず稽古に励むよう」の句。武蔵がここで、伝え
ようとした意味はおおよそこういうことです。


No.13[本文抜粋]
 およそ人が世を渡っていくのに、士農工商と四つの道がある。
 一つめは農の道。農民はさまざまな農具を用意し、四季の移り変わりや気候
の変化に忙しく心を配りながら、一年を過ごすこと。これが、農の道である。
 二つめは商いの道。たとえば、酒造りの職人は、各種作業の道具をそろえ、
それによる酒の出来不出来に応じた利益を得て生計を立てる。どんな商売であ
っても分限に応じた収入・利益によって暮らしてゆくのだ。これが商いの道。
 三つめは士の道。武士はその武術に応じたさまざまな兵具をこしらえ、それ
ぞれの兵具の利点をよく理解すべきで、それこそ武士の道というものである。
なのに兵具も使えず、それらの兵具の利点もわきまえないものがいるが、近頃
の武家は少々武士のたしなみが欠けているのだろうか?
 四つめは工の道。大工の道では種々様々な道具を工夫して製作し、それらの
使い方を習熟し、墨縄と曲尺で図面を設計し、ひまなく作業に追われ暮らしを
おくる。以上が士農工商四つの道である。
 さて兵法を大工の道にたとえて言い表してみよう。大工にたとえるのは「家」
というものに関連させてのことである。公家・武家・四家などで、その家が断
絶した、継承された、または何々流・何々風・何々家などと呼んで「家」とい
うことばがその流れを表すので、兵法の道を大工のそれにたとえるのだ。大工
という文字は大きくたくむ、と書く。兵法の道も大きくたくむものなので、大
工を比喩として書き表そうと思う。兵の法を学ぼうとするものは、師は針、弟
子は糸となって、たえず稽古に励むように。

No.14 物の見方は、心眼で見る観と、目で見る見の二つがある。

[解説]
 『五輪書』は、宗教的な書名により、未読の人から誤認されているかもしれ
ませんが、徹底した兵法=「勝つ」ための具体的・実践的ノウハウの書です。
観念的、抽象的な記述は、ひとつとしてありません。手足の形はこうせよ、歩
き方はこう、刀の振り方はこう、敵に向かえばこのように考え、心はこのよう
にすればよい…。と、六十数度の修羅場を潜り抜けた歴戦の達人が、勝つため
の方法を余さず伝える実用書なのです。
 武蔵の説くノウハウで、「見る」という項目は大変重要。上述の句は「水の
巻」にありますが、「風の巻」にも具体例が詳述され、「観」と「見」の重要
性を繰り返し強調しています。
 大局を心眼でとらえる「観」の目。ところで、この概念は、世阿弥の「離見
の見」と非常によく似通っています。五輪書を読み返してみると、どうも武蔵
は世阿弥の伝書類を参照したのではないか、と思える箇所がいくつかある。分
野は違えど、名人・達人が到達する境地はことのほか似通ったものだからでし
ょうか? または、柳生一族より世阿弥の伝書を見せてもらったのでしょうか? 
(武蔵は、兵庫助利厳、十兵衛三厳ら柳生家子弟と接触した可能性があり、また、
能楽観世家と柳生家の間で秘伝を交換しあったともいわれています)
 さて、武蔵は「観」の目では敵の心理を見抜き、戦場の大局的状況を分析す
ることが肝要である、と説きます。また、その見方として、蹴鞠や曲芸の目に
もとまらぬ妙技を例にひく。彼らは技芸に習熟しているので、もはや鞠や刀な
ど対象物を「目で見て」いないことを観察、指摘するのです。
 これらの見方をいざというときに実行するためには、平常時にもそのような
見方を常に意識して習慣化させることが必要であると教えています。


No.14[本文抜粋]
一 兵法の物の見方
 物の見方は、大きく広く見るようにするのだ。心眼で見る「観」と、目で見
る「見」の二つの見方があるが、観の目で強く、見の目で弱く見、遠いところ
を近くでありありと感じるように見、近いところは遠くから大局をつかむよう
に見るのだ。これが兵法の見方だ。
 敵の太刀筋を悟り、敵の実際の太刀は全く見ないことが、兵法のツボである。
工夫することだ。この見方は、一対一の小さな兵法にも、集団での大きな兵法
にも、両方応用できる。
また目線はまっすぐ前を見たまま、左右の視野をなるべく広げて、両脇を見る
ことも大事だ。こうしたことは緊急時にはなかなか実行できないものだが、こ
の書付を諳んじ、日常生活の中で、この見方を実行し、いついかなる時もこの
見方をキープできるよう、よく鍛錬しなくてはならない。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【3】エディターの箪笥貯金          旧暦ストの月の夢 第一回
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 旧暦って一体何だ?今の世界基準の新暦・太陽暦と何が違うんですか?そもそ
もぼくたち日本人にとってのオリジナルな暦(こよみ)ってどういうものなので
すか。わかりやすく、教えてください、高月さん(言)。

 さてその昔、中国から日本に暦がもたらされたのは6世紀頃とか。古代の暦
を探求した本居宣長は、それ以前から日本には自然暦が存在していたと説いて
います。当時は何月という感覚はなく、ただ春夏秋冬の始まりと最中と終わり
があり、また何日という感覚もなく、規則正しい月の朔、望、晦だけがありま
した。今程、忙しい世の中でありませんでしたから、それで十分だったのでし
ょう。けれども人々は自然をよく観察し、精妙な時候の変化を知り抜いていま
した。「菜の花の咲くを見ては、苗代時をしり、麦の穂をあからむを見ては、
田植えするときを知り」というように、何の花が咲いたら、どんな鳥が鳴いた
らと、自然界の変化を肌身で鋭敏に感じることによって、循環の摂理や、農耕
のめやすを組み立ててきました。そうしたものが今日に伝えられている日本の
歳時記であり、季寄せです。

 日本の暦は中国の暦法をベースに何度か改暦を重ねてきました。今日、旧暦
という場合は、天保年間から明治5年まで使われていた「天保暦」に近いもの
をさしています。この天保暦は、太陰太陽暦としてはきわめて精度の高いもの
でしたが、明治6年の新暦の導入によって、公式に使われることは一切、なく
なりました。とはいえ、古代から千数百年もの間、使われてきた旧暦を捨てて、
まだわずか百年と少ししか経っていません。

 そして歳時記や季寄せは、旧暦の暮らしの中で積み上げられてきたものであ
るために、さまざまなずれが生じてしまいました。たとえば、まだまだ寒いお
正月に初春、新春と祝うのは、立春から新しい年が始まっていた旧暦時代の名
残りです。皐月は「五月雨を集めて早し」の梅雨の季節(現在の6月頃)、水
無月は水も涸れ果てる真夏(現在の7月頃)、文月は残暑が残りつつも虫の音
に包まれる初秋(現在の8月頃)です。近年よくみかけるこれらの和風月名も、
乱暴に新暦にあてはめてしまうことが多く、本来の言葉の意味がわからなくな
ってしまっています。現在の季寄せは、過去との整合性を模索する過渡期とい
えるかもしれません。
 
 江戸時代までの歴史や文学をひもとくときにも、旧暦の季節感を頭に入れて
おかないと、理解しにくいことが多々あります。というよりも、頭の片隅に旧
暦を意識しておくと、いろんなことが俄然、わかりやすくなります。たとえば
月と桜の歌人として知られる西行の忌日は、旧暦二月十五日。現在の3月中旬
頃にあたります。旧暦の各月は必ず新月から始まり、三日目が三日月、十五日
目が満月です。
「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」 
 西行は念願通り、まさに桜の季節の望月の頃に亡くなったことがわかります。
また着物の世界で7〜8月は秋草文様を用いるのが通例となっています
が、これも約1ヶ月ずれる旧暦の文月、葉月にあてはめれば、なるほどと納得が
いきます。装いは少し先取りするのがお洒落だからともいえますが、それだけで
なく、昔の人々は新しい季節の気配や兆しにつねに敏感でした。ですから暑さの
続く中でも朝夕、ふっと涼しさが漂えば、そこに秋の訪れを感じていたのです。

 旧暦には月の満ち欠けだけでなく、太陽の周期から計算された二十四節気、
七十二候という、四季のこまやかな情報が織り込まれています。グレゴリオ暦
は世界基準の大変、便利なものではありますが、残念ながら日本ならではの情
報は何も入っていません。季節感を感じにくい現代人にとって、今こそ旧暦を
併用すれば、五感を取り戻す最適なツールになるのではないかと思うのですが、
いかがでしょうか。

■プロフィール■
高月美樹(たかつきみき)
1962年東京都生まれ。和文化エディター。LUNAWORKS代表。
http://www.lunaworks.jp

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【4】ごっついええ本 NEW!           第一回『リーダーの易経』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 新コーナー第一回目のご紹介はこの本。


『リーダーの易経』竹村亞希子著 PHPエディターズグループ2005
http://www.e-tamatebako.com/book/book.html


 「なあ~んだ庵主。実は占い好きだったんじゃないの…」という声が聞こえ
てきそうです。しかし、易経は占いの原典ですが、この本はリーダーシップ論、
経営学の啓発書・具体的実践書です。
 全くの別件でgoogle検索時、偶然行き当たったのですが(実は当著と著者のこ
とは某編集者から聞いて知っていた)、読んでみて占いが苦手な庵主もびっくり。
星より子風にいうなら、
「つ、使えるネコ…」
 だったのです。「経営者が占いに頼るの?」。いえいえ、決してそういう意味
ではありません。易とは「時の変化」。そして易経は、人生と社会の変化を豊富
な経験則により科学的に解明し、論理構築し直して人生における各状況、各場面
を変化別シークエンスに分割。各シークエンスの特性を徹底的に洗い出すことに
より、その変化の微細な「兆し」を認識し、これを察知し操ることで、リーダー
シップや経営の手法に活用しよう、とする正にプラグマティックな著作なのです。
それでは、少し本著から見てみましょう。


●易経とは一体何か

『易経』は中国最古の書物。おそらく『書経』とならんで世界最古であろうと
いわれています。もっとも古いとされる『パピルス文献』は、原語が滅びてし
まい解読できません。当時、紙はむろんありませんので、竹に文字が刻まれて
いたのだろうという。もともとは占いの書として発生したのですが、長い歳月
の間にいろいろな読み方がなされ、「陰陽説」にもとづく思想で、東洋思想の
原点と目されています。
 四書五経の筆頭とされる儒教の経典であり、処世の知恵の書、哲学書、道の
書または「君子のための書物」とされ、古代中国では国主が学ぶべき学問とさ
れてきました。
 「易経には何が書かれているのですか」と聞かれたなら、「春の次には夏が
来て、夏の次には秋が来て…」、ひと言でいうならば、「時の変化の原理原則」
が書かれていると答えています。
 易経の思想は陰陽説を根本として、すべての事象は春夏秋冬、日月のめぐり
のように自然の摂理に従って、変化するとしています。これをもとに、政治、
経済、会社組織、個人の人生に至るまで、あらゆる事象に通ずる栄枯盛衰の変
化の道理を説いています。


●易経の六段階の「龍の話」から学ぶリーダーシップ

 『易経』には六十四種類の時が記され、それぞれの時のテーマと変遷過程
を、六段階で示しています。一つの時は、起承転結で語られた一つの物語。
この六十四の時の中でもっとも原則的な時の変遷をたどる「龍の話」が、乾
為天という卦です。乾為天は龍伝説にたとえて記されています。地に潜んで
いた龍が力をつけ、飛龍となって勢いよく昇り、そして降り龍になるという
龍の成長になぞらえて、栄枯盛衰の変遷過程を教えています。

 ここで、全体の大きな流れとして、乾為天における時の変遷の概略を紹介
しておきます。


◆第一段階「潜龍」  変化の始まり~すべては志からはじまる。

◆第二段階「見龍」  目が開かれる時~大人のコピーに徹する。

◆第三段階「君子終日乾乾す」  道を反復する~反省が質を磨く。

◆第四段階「躍龍」  自ら試みる時~龍が飛躍する。

◆第五段階「飛龍」  変化を起こす~大人を見るによろし。

◆第六段階「亢龍」  平らかなものは必ず傾く~青信号は点滅していた。
(以上、本文より抜粋・省略しています)


 本文では各段階における「龍」の具体的状況と対処方法、また、ある段階
から次の段階へと変化する時のサイン=「兆し」をどのようにとらえ、これ
をどのようにアクションにつなげていくかを順次展開・論述。そしてこれら
をベースとした「時の変化」を、ぼくたちが、社員、リーダー、経営者とし
ての各成長過程においてどのように活かししていくべきか、が実に説得力に
満ちた語り口で綴られて行きます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【5】言の葉通信・お知らせ         『葉隠』まあまあ売れてます
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

発売より、6日目。おかげさまをもちまして、毎日ぽちぽちお問合せ、ご注文
をいただいております。まことにありがとうございます。
メルマガ会員みなさまのお知り合いの方に、歴史好き、武士道興味あり、
の方がいらっしゃいましたらぜひご紹介ください。


葉隠 現代語全文完訳
著者:山本常朝著 水野聡訳
本体価格:4,480円 (税込価格4,704円)
判型:A5版 仕様:上製
本文二段組全526ページ
発売日:2006年7月1日
出版社:能文社
↓『葉隠』情報・ご注文はこちら
http://nobunsha.jp/book/post_12.html


★『葉隠』発売。読者の皆様からのお便りご紹介★


「「葉隠」完成、おめでとうございます!

「武士道から見た生と死」というのも、商売柄、
役に立ちそうですし、面白そうなので、ぜひ読んでみたいです。」
From Mさま


「執念の勝利、先ずはおめでとうございます。××君にも、よろしく。」
From Nさま


「初上梓、おめでとうございます。

それにしても、
構想を着々実現されて、
その実行力に感心するばかりです。
見習いたいのですが、
もう、集中力がなかなか持続しません。

せめて、水野さん、うまくやってください。
楽しみにしています。」
From Mさま


「昨日「言の葉庵」拝見しました。
「葉隠」のご案内有難うございます。
早速購入させて頂きます。
三島由紀夫が愛してやまなかった書ですよね。
この手の類は何かきっかけがないと
手に取ることもないですのでこれも何かの縁ですね。
自身の糧となるようせっせと読破に取り組みます。」
From Mさま


「とりあえず、刊行のお祝いにメールする次第です。

僕は以前から「読まねば」と思いつつ、死ぬまでに読み切れないだろう
古今東西の愛蔵書達に「いつになったら読む気や!」と
脅され続けながら、さらに読めない本を買ってしまう日常。
もちろん能も武士道も中世の古典も、これまで微妙に擦りながら
結局そこまで手が回らない。でも、いつも気になる・・・
そんな状態ですね。

何せ、今後も頑張ってください。
そして、たまにお会いできれば、ちょっとでも
良い古典の匂いを嗅がせてください。」
From Tさま


「葉隠は全巻は読んでいません。確か昔、カッパブックス
だったと思いますが、それと、三島由紀夫が絶賛していまして、
彼の抜粋に対する文章を読んだだけです。
 武士道の資料の一つとして、楽しみにしています。
(知人にも推奨しておきましょう。)」
From Mさま


「さて、このたびは、大著「葉隠」刊行との由、誠におめでとうございます。
なお、注文したいとは思っていますが、折角「著者と知り合い」なのだから、
著者サイン入りのものを直接お会いして著者である貴兄からお分け戴きたく
思っています。
 我が儘を申し上げて申し訳ありません。」
From Mさま

みなさま、暖かい励ましのお便り、本当にありがとうございました!!
(言)


……………《編集後記》………………………………………………………………

 かれこれ7、8年くらいでしょうか。酒は焼酎、それも「芋」ばかり飲むよう
になってから。いつもケース単位(6本)で注文しているのだが、今回ひさびさ
に一本当たり~~! 宮崎の”香り”にも少しあきてきたので、初心に戻って最
近、鹿児島 黒麹ばかり飲んでいたところ、昨日開けたやつが、ウマイ。『吹
上(ふきあげ)』とラベルに書いてあるな。吹上焼酎株式会社。ぽんっ、と口開
けしたとたん、ごごっと立ち上がる農耕な香り。一口ふくむと、「こ、これは
…」(池波風。笑)。カラメル香が口いっぱいに広がる。芋の皮と身の間の香ば
しさと黒麹の妙なるハーモニーです。バニラか。つまみは、負けるな。氷をカ
ラカラやって、スケにスケていると、もう何でもどうでもよくなってくる、と
いうやつ。無銘と思うし、あまり売っていないようですが、近所の地焼酎屋さ
んで買いました。西酒造、昔の芋麹全量や、不二才、黒瀬など焼芋系の好きな
人にもいいかも。
(言)

……………………………………………………………………………………………


……………………………………………………………………………………………
  
【言の葉庵】へのご意見、ご感想、お便り、ご質問など、ご自由に!
 皆さんの声をお待ちしています。Good!の投稿は次号にてご紹介いたします。
 http://nobunsha.jp/nobunsha.html
 
……………………………………………………………………………………………

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  ◆【言の葉庵】メルマガをお送りしたみなさまへ◆
 このメルマガがご不要の場合は、大変お手数ですが、下の▽登録▽配信
 停止のページより、配信停止のお手続きをお取りいただけますようお願い
 いたします。「お名前」の欄にはみなさまの個人名の姓(例:田中、鈴木…)
 「メールアドレス」の欄には、このメルマガが届いたメールアドレスを入
 力してください。ご自身で登録された方は、登録されたお名前とメールア
 ドレスにてお手続き願います。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


●お問い合わせ先
┣▽登録▽配信停止
 http://nobunsha.jp/anshu.html#melma

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 編 集 言の葉庵
■ 発 行 能文社 http://nobunsha.jp/
■ 編集長 水野 聡 mizuno@nobunsha.jp 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(C)2005 Nobunsha

2006年07月19日 09:35

>>トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/48

 

Copyright(c)2005.NOBUNSHA.All Rights Reseved

Support by 茅ヶ崎プランニングオフィス