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「候文」完全攻略の裏技公開! 【言の葉庵】No.23

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┣┫OW┃O           江戸の若者言葉が「候文」 2007.11.11
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 天高く、ダイエットの秋!庵主は毎週12km走ってます。ぜいぜい。今回、原典読解
は「候文」をスラスラ読めるようにマスターしましょう。今日から、メールはすべて「候」
にて御座候。新コーナーは、『葉隠』全千三百話が、あまりにも面白いので連載にしま
した。「恥」「死」「義」など、毎回テーマに沿ってご紹介。イベント&ブックコーナーは、
2008お正月に向けての好企画が目白押しです。年末年始、お出かけのご用意、お早
めに!


…<今週のCONTENTS>………………………………………………………………

【1】原典読解教室               第六回 「候文」完全攻略の裏技公開!
【2】NEW!連載葉隠                             No.1「恥」第一回
【3】イベント情報                             新春2008天空狂言
【4】ブック情報                           『旧暦ダイアリー2008』
…編集後記…
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【1】原典読解教室               第六回 「候文」完全攻略の裏技公開!
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◆原文
 御慈悲深く御座候1故、「御家中下々迄の上に、痛み候2事これなき様に。」と、兼々
思召し上げられ候3。先年堀田玄春御雇分にて罷り下り居り候4節、東御屋敷にて月
の御詠歌のため御座に御出でなされ、御次には玄春、藤本宗吟、恩田恕情罷り在り
候5。水ヶ江のあたりに花火あがり候6を、玄春見つけ候7て、会釈仕り候8を聞し召さ
れ、御立ちなされ候9て、御次へ御出で、玄春へ仰せられ候10は、「其方は法度の様
子存ぜざる事に候11。城下にて火の取扱はきびしき法度にて候12。今夜の事必ず沙
汰仕るまじく候13。外に知れ候14へば、科申し付けず候15て叶はず候16。これより見
候17は、見ぬ分にて候18。」と御意なされ候19。玄春感涙を流し、「天下に於て、主君
の望み外にこれなく候20。即ち御家来に罷り成り候21。禄は御料簡次第。」と願い奉
り候22に付て、召し抱へられ候23。兼て公儀を望み罷り在り候24に付て、最前より召
し抱へらるべくと候25へども、御断り申し上げ候26故、先づ御雇分にて罷り下り居り候
27時の事にて候由。

岩波文庫『葉隠 中』聞書第五/十三より

◆読解
 「候文」が、スラスラ読み下せるようになれば、中世近世の古文の70~80%は、わかる
ようになります。今回、テキストの『葉隠』一話中、「候」が何個出てくるか、ためしにマー
キングしてみました。原典では10行程度の短い段落ですが、なんと全部で28個!その
位、「候」は頻繁に常用されていたのです。

 古文の「候」は、現代の「です」「ます」「ある」「いる」に当たります。文法・語法ではなく、
スタイルです。それはいわばごく当たり前、日常的なメールの書き言葉。文法としては、
丁寧の気持ちを添える敬語・丁寧語・謙譲語の助動詞、補助動詞、ということになる。そ
の定義と歴史的変遷をWikkipediaから以下、拾ってみましょう。


候文(そうろうぶん)は日本語のうち中世から近代にかけて用いられた文語の文体の1つ
であり、文末に丁寧の助動詞「候」(そうろう、そろ、歴史的仮名遣いではサウラフ)を置く
ことを特徴とする。

「候」(古くはサモラフ、サブラフなど)は元来、貴人の傍に仕える意の動詞であったが(「
さむらい」もこれに由来)、平安時代に「居り」の謙譲語、さらに丁寧を表す補助動詞ある
いは助動詞に転じた。平安末期には現代語の「ですます体」のように口語で盛んに用い
られたらしい(平家物語の語りの部分に多くの用例がある)。

鎌倉時代には文章としても書簡などに用いられ文語文体として確立した。室町時代には
謡曲(能)の語りの文体としても用いられた。この頃には口語としては廃れたらしい(ただ
し「です」は「にて候」に由来するとされる)が、文語としてはさらに普及し、江戸時代には
公文書などにもよく用いられた。明治時代にも書簡体として用いられたが、言文一致体
の普及や古文教育で取り上げられなかったことなどから廃れた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2006/09/07 14:12 UTC 版)より


 この「候」、貴人の傍らに仕え、控えるという元来の意味(サブラフ)で使われることはほと
んどなく、大半が文末の助動詞(現代語のです・ます)、文中の動詞に連用する補助動詞(
現代の丁寧語のお・ご、または謙譲語、動詞の在る・居る)として使用されています。
 候文の表技は、古文中の候を、文末→です・ます、文中(動詞の後)→られ・らる・お・ご、
または、ある・いるに置き換えてみること。


読解表技>候を使用部分によって置き換える
①文末→です・ます
②文中→丁寧語または、ある・いる


 文中の連用形(たとえば「御座候故」「見つけ候て」など)では、単なる丁寧語なのか、ある
・いるなどの動詞なのかは、文脈で自ずと判断できます。

 さて、「候」のもうひとつの大きな特徴は、時制がないこと。です(現在)、でした(過去)、でし
ょう(未来・推量)の判別も文脈判断となります。文法的には、中国語に近いですね。

 このように「候」は書き手にとっては非常に幅が広く、応用が利く、オールマイティな
言葉。すでにこんなに便利なのに、せっかちで超合理的な江戸時代の人々は、さらに驚く
べき用法を開発する。それは、候を含む慣用句の「候変体簡略語」。もともとの丁寧な日本
語を漢文白文のように、二文字~四文字程度の漢字だけで表現する慣用語を作ってしまっ
たのです。たとえば。

致度存候 いたしたくぞんじそうろう
可被成下候 なしくださるべくそうろう
不仕候 つかまつらずそうろう

 まずは、「候変体簡略語」の読みと現代語訳を一覧表にしましたのでご覧ください。
http://nobunsha.jp/img/sourou%20ichiran.pdf

 言い回しを推敲することなく、たった二文字~四文字の成句を使うだけで、急いでなぐり
書きする手紙も、ずいぶん丁寧に高級にみえる。武家はもとより、学者、僧侶、庶民に及
ぶまで、このスタイルは爆発的に普及しました。さしづめ現代でいうならば、H/K(話し変わ
るけど)、KY(空気読めない)などの若者語が、社会全体に普及したようなものでしょうか。
 それはさておき、この候変体簡略語をマスターすれば、候文読解はほぼ完璧です。


読解裏技>
候慣用句を省略・記号化した「候変体簡略語」を読み解く。


 以上の表技、裏技を使って『葉隠』本文を読み進めます。本文中、「候」の合番を参照して
ください。
 最初の1.御座候は、変体簡略語で、意味は「(慈悲深く)あられたので」。
 表技②文中の丁寧語に当たるのは、6.7.8.9.10.14.15.17.22.24.26.の11個。候という言葉
自体の訳はありませんが、直前の動詞に丁寧なニュアンスが加わります。たとえば、7.8.は
「玄春がお見かけしたので、ご挨拶さしあげたのを」となります。(注:能文社の現代語訳(後
出)では、訳出方針として現代人の自然な言語感覚にマッチさせるため、過剰な敬語はすべ
て省略しています)

 表技②文中のある・いるに当たるのは、1.2.4.5.25.27.です。○○の状態でいる、○○とい
う場所に居る、という意味を丁寧に伝えています。
 残りはすべて、表技①文末のです・ますに当たる。3.11.12.13.16.18.19.20.21.23.28.。文
脈により、時制を考え、でした・ました・でしょう・ましょう、などの訳になります。たとえば、3.
なら現在完了形「前々より考えておられました」となる。

 さて、以上の訳を割り振っても、すっきりしない箇所がありますね。それらは「候文」の文
法とは直接関係ありませんが、葉隠独特の文体による影響です。武家言葉特有の「動詞
の省略」があるのです。たとえば、「その段本望に候」・「眼前に候」は、本来「その段、本
望に存知候」・「眼前に御座候」となり、動詞を省くことで短くひきしまった文体、勇ましい効
果を狙ったもの。ここでは、11.と12.が「これあり」、13.25.が「存じ」、18.が「弁え」が、それ
ぞれ省略されているものと考えられます。

 実は、候文読解の「大裏技」は、一度すべての「候」を抜いてしまうこと。その上で、完結
しない部分、意味不明の部分には、ある・いるを補ってみましょう。読解には何の支障もな
いはず。さらに「御」「仕る」「申す」「罷る」「奉る」まで外してしまうと、ほぼ現代文になりま
す。言の葉庵の訳文が、実はそれなのです。


◆訳文
 (光茂公は)慈悲深い人柄であった。
「家中の者下々にいたるまで、苦しまぬように」
と常々願っていたという。
さる年、お雇いの身分にて堀田玄春という者が国元に滞在していた。月を読む歌会、との
趣向で光茂公が、東屋敷へと運ぶ。次の間には、玄春、藤本宗吟、恩田恕情らが列席し
ていた。水ヶ江の方角に花火が上がったので、玄春は皆に伝えた。これを聞いた公は立
って次の間へ入ってくる。玄春へ、
「その方禁令のことを存ぜぬ。ご城下において火の取り扱いは重い法度となっている。今
夜のことは絶対人にいってはならぬ。外に知れてしまえば、罰せずにすむものではない。
今この時から、花火を見たことは、忘れてくれ」
と注意した。玄春は感涙を流し、
「天下広しといえども、それがしが仕えたい主君は、光茂公をおいて他にはありませぬ。ご
家来の端にお加えください。禄などはご料簡次第」
と願い出、召し抱えとなった。この者は前々より公儀への仕官を望んでいたので、光茂公は
随身の希望を持っていたが、当人がご辞退していたのだ。さらばひとまず雇いの身分で、と
いうことで国元に下って来ていた時のことだ。

能文社『葉隠 現代語全文完訳』聞書第五/十三

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【2】NEW!連載葉隠                             No.1「恥」第一回
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 『葉隠』が書かれた江戸初年~元禄期頃の日本は、大戦もなくなり幕藩体制が確立。
三代将軍家光を中心に強力な中央集権制が日本中すみずみにいたるまでしかれた時
代でした。地方の武士にとって、戦乱もないかわりに、夢や未来もなくなりつつある時
代。太平、享楽、閉塞、退廃、そして倫理感の欠如。今の日本の状況とどこか似ていま
す。葉隠は、古きよき戦国侍の威風を偲びながらも、儒教に理想世界を見、禅に生きる
理由を問い、そのような時代の中でも、鍋島侍としていかに誇り高く、強く、満ちたりて
生きていくべきかをつづった書物です。

 当コーナーでは、現代日本がもはや失ってしまった精神、しかし逆にもっとも今の日本
が必要とする精神を表現する「恩」「恥」「仁」「信」「忠」「義」などのキーワードを毎回テ
ーマに選び、それにそったいぶし銀ともいえる逸話を、葉隠全千三百話の中からピック
アップして数話ずつご紹介していきます。
第一回目のテーマは「恥」をとりあげました。


聞書第一 五五
時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別なり。

 なにがしが、喧嘩の打ち返しをしなかったため恥をかいた。打ち返しの仕方は踏み込ん
で行き斬り殺されるだけのことである。これで恥にはならぬ。仕留めるべし、と思うから間
に合わないのだ。敵は大勢などといって、時を移すから、結局やめとなる相談に落ち着い
てしまう。相手が何千人であろうと片っ端からなで斬り、と思い定めて立ち向かうだけで成
就するのだ。たぶん、仕遂げることができるもの。
浅野殿浪人の夜討ちも、泉岳寺にて腹を切らなかったのは落ち度だった。また、主を討た
れてから、仇を討つまで延々であった。もしその内に吉良殿が病死でもしてしまえば、残
念千万。上方衆は智恵賢きゆえ、褒められる仕様は上手だが、長崎喧嘩のように無分別
にはできぬとみえる。曽我兄弟の夜討ちも、ことのほかの延引。幕の紋見物の場面で、
祐成が目的を果たせなかったのは不運だったが、五郎の申しようは見事であった。そうじ
てかような批判はすべきでないが、これらも武道の吟味ゆえあえていう。
前もって吟味しておかねば、行き合って分別できないため、大方恥となってしまうもの。話
を聞き覚え、物の本を見るのも、前もって覚悟するためである。なかんずく武の道は、今日
の命も知らず、と思って日々夜々箇条を立て吟味すべし。勝負は時の運。恥をかかぬ仕
様は別のこと。死ぬまでである。その場で叶わぬなら、打ち返しだ。これに智恵も技もいら
ぬ。曲者は勝負を考えず、無二無三に死に狂いするばかり。これにて夢覚めるべし。


聞書第二 六三
義理なき者はすくたれなり。

 五、六十年前までの武士は、毎朝行水し、月代を剃り、髪に香を留め、手足の爪を切
って軽石でこすり、黄金草で磨いた。怠りなく身だしなみを整え、特に武具一式には錆
をつけず、埃を払い磨きたてて側に置いておいたものだ。わけて身だしなみに気をつけ
たのは、伊達のように見えるが、風流などではない。今日は討ち死にか、今日は討ち
死にかと毎日必死の覚悟をきめていたので、もし無様ななりで討ち死になどすれば、
日頃の不覚悟もあらわれ、敵に見下げられ、卑しめられることとなる。されば老若ともに
身だしなみを整えていたのだ。わずらわしく、時間ももったいないように思えるが、武士の
仕事はかようなものなのである。他に手間や時間のかかることなど何もない。常時、討ち
死にの仕組みに打ちはまり、とくと死に身になりきって、奉公もつとめ武辺も全うすれば恥
辱を受けることなどない。
かような心得を夢にも心付かず、欲得、我儘放題で日を送り、事にあたれば恥をかく。そ
れを恥とも思わず、われさえ快ければ何も構わぬ、などといって、放埓無作法な行跡にな
って行く。これは返す返すも口惜しき次第である。前もって決死の覚悟を決めておけば、
何ゆえ平生賎しい振る舞いなどできようか。このあたりを、よくよく工夫しておくべきだ。
また、ここ三十年ほどで風紀が移り変わり、若侍どもの集まりの話題は、金銀の噂、損
得の考え、家計の話、衣裳の吟味、色欲の雑談ばかりで、これらの話題がなければ座
がしっくりいかぬと聞く。ぜひもない風俗となりゆくものだ。昔は二十代、三十代の若い
者であっても、心の内に賎しいものを持っていなかったゆえ、言葉にも出なかったものだ。
年配の者など、うっかり口にしてしまった時は、怪我でもしたように感じたものである。こ
れらは、世上華美となり、家計ばかりを重要視するようになったからであろう。わが身に
似合わぬような驕りさえしなければ、ともかくも相済むものだ。また今若者の始末を身持
ちがよいなどと褒めるのは浅はかなことである。始末心ある者は義理を欠く。義理なき
者は、臆病者である。


■鑑賞

聞書第一 五五「時の行掛りにて」の語句の解説。「喧嘩」は現在の殴り合いなどと違っ
て、刀をもって切りあう私戦。果し合い。どちらかが死にます。「打ち返し」は、仕返し、復
讐。「浅野殿浪人の夜討ち」は有名な四十七士、忠臣蔵のことです。最後の「曲者」は、
葉隠のもっとも大事なキーワード。現在の意味の「怪しい者」ではなく、剛の者、知・勇・
胆力の三拍子揃い、しかも大慈悲を兼ね備える、鍋島侍のヒーローのこと。
ここでは、武士として辱められてそのまますごすごひっこむ、もしくは時間をいたずらに費
やし、うやむやとなって、ついにことを成し遂げえぬ姿勢を「恥」としています。あれこれ思
い悩み、甘い分別、憶測をせず、無二無三に踏み込み、打ち込めば、ほぼどんなことでも
成就する…。現在でもあらゆる判断が必要な局面、たとえば自身の去就・会社の浮き沈
みなど重要な局面に当たって、大いに参考となる逸話です。

 聞書第二 六三「義理なき者はすくたれ」は、当時の侍の日常と心がけをわかりやす
く説いたもの。題名の「すくたれ」は、本文では現代語訳しましたが、佐賀地方方言で
「臆病者」「腰抜け」です。曲者と対義語。
 「身なりを整えるのはお洒落ではなく、今日訪れるかもしれない最期のための死装束」
「今時の若者の会話は、金と女と貯金のことばかり」「始末心ある者は義理を欠く」…。
当時、元禄時代と現代の世相とをくらべてみて、ほとんど変わりがないのは驚くほどです。
著者、山本常朝自身も若い頃、戦国の古兵である父に「今の若者はだらしない…」と叱ら
れていたのですが。耳に痛い話ほど、後々自分のためになるものです。


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【3】イベント情報                             新春2008天空狂言
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今年も押し詰まってまいりました。今回、イベントのお知らせは2008年お正月と早くも
2008年夏の狂言、2公演のご案内です。京都から「お豆腐狂言」、茂山一門による「
新春2008天空狂言」と「2008納涼茂山狂言祭・リクエスト狂言募集」。


■新春2008天空狂言

お正月恒例の茂山「天空狂言」は、2008年も稀曲・名曲が勢ぞろい!
幕開けを飾るにふさわしい、いずれも劣らぬ多彩な
演目で皆様のお越しをお待ちいたしております。

・日時/演目/演者
●2008年1月1日(火・祝) 13:30開演
三番三 茂山千之丞、酢はじかみ 茂山千三郎、首引 茂山逸平 他

●2008年1月1日(火・祝) 17:00開演
夷大黒 茂山千三郎、寝音曲 茂山千之丞、うつぼ猿 丸山やすし 他

●2008年1月2日(水) 14:00開演
鍋八撥 茂山あきら、宗旦狐 茂山千五郎、濯ぎ川 茂山千之丞 他

●2008年1月3日(木) 17:00開演
福の神 茂山千作、棒縛 茂山宗彦、蜘盗人 茂山逸平 他
※開場は開演の30分前となります。

・会場:大阪能楽会館

発売日:
【一般発売】2007年9月1日(土)午前10時~

料金:【各公演】 
1階指定席 5,000円/2階自由席(座布団席) 3,500円
【元旦セット券(2公演)】 
1階指定席 9,500円
【全公演セット券(4公演)】
1階指定席 19,000円

※詳細は上記URLをご覧ください。


■2008納涼茂山狂言祭・リクエスト狂言募集

皆様からのリクエストにより上演演目を決定し、上演してきた『納涼 茂山狂言祭』。例
年、多数寄せられるリクエスト応募の中から厳正に審査のうえ演目・配役を決定し、上
演してまいりました。
2003年上演開始から、6回目となる2008年も、「あなたがぜひ見たい狂言」を募集しま
す。あの演目をあの役者で見たいから…、まだ見たことがない演目だから…などあなた
独自のキャスティングでご応募ください。

●公演概要
【大阪公演】
第1日公演≫2008年7月26日(土)
第2日公演≫2008年7月27日(日)
◎会場/大槻能楽堂

【東京公演】
第1日公演≫2008年8月2日(土)
第2日公演≫2008年8月3日(日)
◎会場/国立能楽堂

※詳細は上記URLをご覧ください。


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【4】ブック情報                           『旧暦ダイアリー2008』
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 旧暦にちなんだ歳時記などの和文化エッセイと美しい装丁、イラストで大人気の
暦ダイアリー「旧暦日々是好日」2008年版
が今年も発売となりました。

今年は製本工房、美篶堂さんによる手作りの麻布の上製カバーとダイアリーのセット。

●旧暦日々是好日2008 ダイアリー+布張り上製カバー
定価3250円(税込)
※カバーはさしかえ式ですので、毎年お使いいただくことができます。

●ダイアリー並製(カバーなし)
定価2200円(税込)


販売箇所・お取扱い店はこちら

……………《編集後記》………………………………………………………………

 次回作品の仕込みもあり、今、古代中国史を見ています。小説なのですが、こう
いう話を見つけました。
 商(殷)王朝打倒のため諸国を転戦し、周に帰国する途上で、武帝の足袋の紐が
ほどける。兵車から降りた武帝は、自らの手で紐を結びなおしました。傍らでこれを
見、怪訝に思った軍師、太公望が
「帝王である君は、なぜ周りのものに命じないのですか」と聞く。武帝は、
「上等の主君の周りには、師ばかりがたくさん居り、中等の主君の周りには友がいる。
下等な主君の周りには召使しかいない。それで、我は近くの者に結ばせることはでき
ぬ」
 と答えたといいます。ぼくたちはむろん主君などではありません。でも、今自分の周り
に、叱り、教え、導いてくれる「師」はいったい何人いるのでしょうか。ただ一緒にいると
居心地のいい「友」、何かの利害を目当てにつきあっている「召使」ばかりだとしたら、
これは少しヤバイ…。現実的に、今「師」はなかなかいませんが、時として「師」にもなっ
てくれる「友」を終生大切にしていきたいと思っています。(言)

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【言の葉庵】へのご意見、ご感想、お便り、ご質問など、ご自由に!
 皆さんの声をお待ちしています。Good!の投稿は次号にてご紹介いたします。
 
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■ 発 行 能文社 http://nobunsha.jp/
■ 編集長 水野 聡 mizuno@nobunsha.jp 
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2007年11月18日 18:54

コメント

2008年2月16日時点のウィキペディア「候文」江戸時代の分の書き込み者です。以前の版がこちらにUPされているのを見つけて、お聞きしたいことがあってまいりました。私が書き込んだ江戸時代分は、主に歴史学で扱う書簡体のことです。板本の江戸時代の漢字かな混じり文は「なり」「けり」文だろうと思っていたのですが、『葉隠』が候文というのは初めて知りました。この『葉隠』は、私の説明文にある漢文調の書簡体ではなくて、漢字かな混じり文なのですね?

投稿者 せいすいえいこ : 2008年02月16日 13:51

 

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