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能文社書籍、全国書店にて取り扱い開始! 【言の葉庵】No.27

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┣┫OW┃O                『徒然草』の名言 2008.4.9
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つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かいて…。学校で暗記させられた『徒然
草』。国民の古典は、やはり名言名文の宝庫でした。今回の名言名句第十五回
は、徒然草の中から「茶」と「禅」にえにしの深い、二つの段落をご紹介。言
の葉庵オープンから早四年の歳月が流れました…。いよいよ言の葉ブックが、
あなたの街の本屋さんでもお求めになれるようになりました!葉隠連載は、
「恩」の第二回。「恩」とは決しておしつけるものではなく、人の心と心が通
う中から自然と湧いてくる暖かなもの。「義」も人を枠にはめるものではなく、
人が自由に生きるための大本です。明るい日差しを浴びて、こぼれでた若緑色
の言の葉。”萌え”の季節到来!


…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】言の葉ニュース        言の葉ブック、全国書店で買えます!
【2】名言・名句第十五回               『徒然草』の名言
【3】連載葉隠 No.4                   「恩」第二回
【4】カルチャー便り NEW!              4月/5月の講座案内
…編集後記…
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【1】言の葉ニュース        言の葉ブック、全国書店で買えます!
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これまで一部書店のみで取り扱っていた、弊社書籍『葉隠』『南方録』『山上
宗二記』『奥の細道』が、全国、原則すべての書店でお求めいただけるように
なりました。
小部数発行のため、すべての書店に配本できておりません。お近くの書店店頭
にない場合は、大変お手数ですが、下記書名、ISBN番号等を店員さんに伝え、
ご注文・お取り寄せいただけますようお願いいたします。漸次全国書店配本を
拡大いたしますが、常備書店につきましては「言の葉庵ホームページ」の「書
店リスト」でご確認ください。


★3月度新刊★

『奥の細道 曾良旅日記 奥細道菅菰抄 全現代語訳』
おくのほそみち そらたびにっき おくのほそみちすがごもしょう ぜんげん
だいごやく

著者:松尾芭蕉他著 水野聡訳 形式:オンデマンド・ブック
本体価格:3,300円
(税込価格3,465円)
判型:四六版 全294ページ
発売日:2008年3月1日
出版社:能文社
ISBN978-4-9904058-3-0
分類:C0092

【本書の特徴】
1.芭蕉の名作『奥の細道』に、旅の実録『曾良旅日記』、奥の細道研究必須の
注釈書『奥細道菅菰抄』をセットで全編現代語訳にてはじめて併載した。
2.すらすら読める、弊社独自の現代語再生作品。

【内容紹介】
松尾芭蕉は、江戸前期の俳諧師。侘び、寂び、軽み、風狂など、その独自の句
風にて近世日本文化の美的概念形成に大きな影響を与えた。奥の細道は、芭蕉
の代表作である俳諧紀行。

「閑かさや岩に染み入る蝉の声」
「荒海や佐渡によこたう天の川」

など、俳諧史上屈指の名句を多数含み、海外にも広くhaikuを知らしめた功績
は計り知れない。元禄二年三月、弟子曾良を伴い江戸を出発し、関東・奥羽・
北陸の諸地を巡遊。八月下旬大垣に着き、さらに伊勢の遷宮を拝するため出立
する、という箇所で本文は閉じられる。


『葉隠 現代語全文完訳』
はがくれ げんだいごぜんぶんかんやく

著者:山本常朝著 水野聡訳
本体価格:4,480円
(税込価格4,704円)
判型:A5版 仕様:上製
本文二段組全528ページ
発売日:2006年7月1日
出版社:能文社
ISBN978-4-9904058-0-9
分類:C0012

【本書の特徴】
1.出版史上初の現代語全文完訳。
2.「小説のように」すらすら読める、コピーライターが翻訳する全く新しい現
代語再生作品。
3.全千三百数十話というボリュームの全文を、座右の書となせるコンパクトな
A5二段組一冊本として刊行した。

【内容紹介】
「武士道というは死ぬことと見つけたり」~佐賀鍋島藩士、山本常朝が語り、
田代陣基が筆録した江戸元禄期、武士道の聖典。
三島由紀夫などの強烈な『葉隠』信奉者により、その独特な精神世界が紹介さ
れてきた。しかし、葉隠の「死」の本当の意味は、美学的に存在を抹消するこ
とではなく、禅宗の「只今の一念」に基づき、いかなる時もあきらめず、生き
抜き、武士としての本分をまっとうすることにあった。現代日本人にとって、
生と死を分断せず、「朝、夕死に習う」葉隠武士の強靭な生命観に今学ぶべき
ことは多い。


『南方録 現代語全文完訳』
なんぽうろく げんだいごぜんぶんかんやく

著者:南坊宗啓著 水野聡訳
形式:オンデマンド・ブック
本体価格:3,300円
(税込価格3,465円)
判型:A5版 全324ページ
発売日:2006年5月10日
出版社:能文社
ISBN978-4-9904058-1-6
分類:C0076

【本書の特徴】
1.初の現代語全文完訳。
2.小説のようにすらすら読める、全く新しい現代語再生作品。
3.千利休のわび茶を理論的、体系的に詳述した茶道史屈指の作品。
【内容紹介】
千利休の茶法を伝える秘伝書。古来数多い茶書の中でも、最も重要視されて
きた茶道の聖典とよばれる名著である。
利休の高弟で禅僧、南坊宗啓の聞書とされている。利休が奥書・印可を加え
たもの。
「覚書」「会」「棚」「書院」「台子」「墨引」「滅後」の全七巻。このう
ち「墨引」までは、利休在世中に成立。「滅後」のみ利休没後の成立(当然利
休の奥書・印可はない)と伝える。
現代茶道には、すでに現存しなくなっている「カネ割り」と呼ばれる、南方録
独自の茶道具配置技法が克明に展開される。
利休秘伝伝授とされる詳細な点前の図版150点余も収載。


『山上宗二記 現代語全文完訳』
やまのうえそうじき

著者:山上宗二著 水野聡訳
形式:オンデマンド・ブック
本体価格:2,300円
(税込価格2,415円)
判型:A5版 全140ページ
発売日:2006年5月10日
出版社:能文社
ISBN978-4-9904058-2-3
分類:C0076

【本書の特徴】
1.初の現代語全文完訳。
2.小説のようにすらすら読める、全く新しい現代語再生作品。
3.安土桃山時代に活躍した第一級茶人によって、利休茶法をもっとも正統に伝
えるとされる作品。

【内容紹介】
山上宗二は 安土・桃山時代の茶匠(1544~1590)。千利休の高弟。堺の山上に
住み、これを姓とし号は瓢庵、屋号は薩摩屋。利休よりその茶道の極意を皆伝
され、秀吉に仕えて茶頭をつとめたが、後に秀吉の意に逆らい、処刑されてし
まう。奇しくも一年後には、師の利休も秀吉より、切腹を命じられた。
山上宗二記は、茶の湯の開祖、村田珠光より千利休にいたる茶道の秘伝書。茶
道の正統を伝える歴史的解説書であり、名物道具の目利き鑑定書であり、茶道
精神の真髄を開眼したものである。当時の茶人自身の手になることが立証され
ており、その内容と記述の正確さ、信憑性により、茶道史第一級の史料として
今日的価値は非常に高い。


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【2】名言・名句第十五回               『徒然草』の名言
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 身の回り、すべてがきちんと完璧に片付いていないと気がすまない…という
人には「悪魔のささやき」に聞こえるかもしれません。でも、この徒然草No.
29の名言は、美学、芸術ではなく、”生命原理”を述べたもの。生物は「ゴミ」
がないと生きてはいけないのです。No.30も、大事だと思って生涯懸命に取り組
んできたことが、実はしてもしてなくてもいいことだった…。逆転の発想とい
うよりは、肩から力が抜けてふっと楽になる、名言です。いずれも、動乱の時
代を生き抜き、70歳に近い長寿をまっとうした兼好の実践的”知”が光る名段
落。言の葉庵現代語訳も付しましたので、賞玩してみてください。


No.29 し残したるを、さて打ちおきたるは、面白く生き延ぶるわざなり

No.30 速やかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにし
ことの悔しきなり

~兼好法師『徒然草』

No.29 し残したるを、さて打ちおきたるは、面白く生き延ぶるわざなり
『徒然草』第八十二段

[解説]
出典は『徒然草』の第八十二段。この話は、『茶話指月集』、千宗旦のくだり
に下のように引用されています。

 先年、さる人、旦翁へ見舞うたれば、折ふし、茶の湯前にて、僕(しもべ)露
地の掃除しつるを、翁のみて、
「あの片隅の蜘の巣ひとつは、そのまま残して仕まえ」
 と也。
「古人の風流、今様のたぐいにあらず。感じ侍りぬ」
 とかたる。予も是を聞きて、かの兼好法師の、
「何(いずれ)も、事のととのおりたるは、あしきこと也。し残したるを、さて
うち置きたるは、おもしろく、いきのぶるわざ也」
 といわれしを、おもいあわせ侍りぬ。

 完全無欠に整ったものは「悪しく」、し残し、打ち置いたものは「面白く」
「生き延ぶるわざ」といいます。不足のもの、欠けたるものこそ日本人にとっ
ての”美”であり、生命の芽生える”余白”すなわち”空間”なのです。
 これこそ侘びの根本精神であることは以前指摘したとおり。
http://nobunsha.jp/blog/post_28.html
完全の美=西洋、不完全の美=東洋という図式はさまざまな分野で見られます。
蛇足を避けここでは、「し残」すことが、「生き延ぶるわざ」であることの一
つの例を紹介するにとどめましょう。

 古代中国、殷(商)王朝初代の王、湯王は、ある時猟師が猟場に四面の網を張
って囲い、鳥獣を捕らえようとしているのを見かけます。「これでは山中の生
き物を一匹残らず取り尽くしてしまう」と、一面のみ残し、他の三面の網を撤
去するよう命じました。湯王の高徳を伝えるこの「三面の網」の故事は、中国、
日本の古典に多く引用されています。ちなみに本来、「徳」には「得」の意味
もある。今でも、お徳用、などと使いますね。「徳」にはそもそも慈愛・仁な
どに加え、「利」「合理的」の概念も含まれている。
…茶の話に戻しましょう。

 もとは禅院から発生し、”養生”を主目的とした茶が、俗人、とりわけ貴人
の賞玩するものとなる。やがて宮中に入って、格を重んじる”書院・台子の茶”
へと変貌を遂げていきます。将軍家や有力大名が愛好するに及んで、式法はよ
り厳格に、しつらえは一層華やかになっていきました。いうなれば茶法が「四
面の網」に囲まれてしまったのです。「これでは、茶が死んでしまう」と、最
初の一面を取り払ったのが、村田珠光。武野紹鴎が次の一面を、千利休がもう
一面…と、順次「三面の網」を取り除き、「侘び茶」となって現在に生命を永
らえることができたのです。
 鎌倉末から南北朝期の動乱を「侘び」ることによって生き抜いた吉田兼好。
そのリアリスティックな視点がよく表れた一段といえましょう。『徒然草』第
八十二段、原文(講談社)と現代語訳(能文社)を付します。

[原文]
「羅(うすもの)の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、
「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこ
そ、心まさりして覚えしか。一部とある草子・巻物などの、同じやうにもあら
ぬを見にくしと言へど、弘融僧都は、「物を必ず一具に調へんとするは、つた
なき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるを、さて
打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作
り果てぬ所を残す事なり」と、或人申しき。先賢の作れる内外の文にも、章段
の欠けたる事のみこそ侍れ。
(講談社文庫)

[現代語訳]
「羅(うすもの)の表紙は、早く傷むので困る」
 とある人がいった。頓阿、これを聞き、
「羅の装丁は上下がほつれ、螺鈿の軸物は細工の貝が落ちた頃、風格が出て
くる」
 と答えた。一段上の心のあり様だ。一揃えとなった本や巻物がみな、同様
の状態でなければ見苦しい、というが、弘融僧都は、
「ものをみな一揃えにととのえようとするのは、稚拙な考え。揃っていない
から良いのだ」
 といったが、なるほどその通り。
 なにごともすべて、きちんと整っていることはよくない。やり残しを、そ
のままに捨て置いてこそ、面白く、生き延びるやり方といえよう。
「内裏造営では、必ず一箇所わざと完成させぬまま残し置く」
 と聞いた。それゆえ聖人賢人の遺した仏典・漢籍にもわざと章や段の欠けた
ままのものがあるのだ。
(能文社)


No.30 速やかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎに
しことの悔しきなり
『徒然草』第四十九段

[解説]
 あなたが今大至急とりかからねば、取り返しがつかなくなってしまうこと。
逆に、ゆるゆると取りかかればいいのに、大いにあせって懸命にこなしている
こと。その緊急度、プライオリティが「あべこべ」になっているのでは?と、
問いかけているのがこの『徒然草』第四十九段です。
 これを取り違えていると、いざ臨終の間際に「しまった!間違っていた」と
気づいても後の祭り、と兼好法師は警告します。彼によれば「速やかにすべき
こと」は、「道を行ぜんこと」、すなわち仏道修行。今日的に言えば、心の修
練です。「ゆるくすべきこと」は、仕事を含め、日常生活すべての用務・雑事
のようです。
 なぜなら「死」はこうしている間も、一分一秒、ひたひたと身に迫りつつあ
るから。人は明日をも知れぬ身、と無常観を訴えているのです。「死」がすぐ
そばにやってきた時、人ははじめてうろたえ、もろもろのことを後悔する。普
段より「ただ無常(死)の身に迫りぬることを」「ひしと心にかけて」「束の間
も」忘れぬことが、肝要と説く。一見『葉隠』の「只今の一念」「日頃の覚悟
」を連想させますが、この話は真言宗、現世における成仏が主眼ですので、禅
宗の死生観とは異なっているようです。
 さて、後半に紹介される二人の僧は本人の深刻さとはうらはらに、その姿は
どことなくおおどかでユーモラス。『往生拾因』の僧は、
「今晩か明朝、大事なお客様をお迎えせねばならん。わしはおまえの相手をし
ているヒマなどない」
 と、いそいそとどこか嬉しげにも見えます。いうまでもなく、このずっと待
ち続けていたお客様は「死」です。
 もうひとりの僧は、悲惨。その上にあぐらをかけば座布団が消え、腰掛けよ
うとすれば椅子が消え、昇ろうとすれば階段が消えてしまいます。この心戒と
いう僧は、平宗盛の子。平家の連枝としてわが世の春を謳歌したのも束の間。
一の谷に敗れ、高野山で出家して命拾いした人でした。この世のすべてはかり
そめ。まことと見えたものがすべて幻であることを身をもって体験し、かくの
ごときあわれな姿と成り果ててしまうのです。
 それでは心戒のようにならず、臨終の時、悔いの残らないようにするには、
どうすればいいのか。『徒然草』は明快な答えを与えてはくれません。
「自ら開悟し、尋ねあてるべし」。
道の修行とは、まさにそのことだからです。

[原文]
老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き塚は、多くはこれ少年
の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、
はじめて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるれ。
誤りといふに、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事
を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんやは。
人はたゞ、無常の身に迫りぬる事を、ひしと心にかけて、束の間も忘るまじ
きなり。さらば、などかこの世の濁りも薄く、仏の道を勤むる心もまめやか
ならざらん。

昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、
「今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり」
とて、耳をふさぎて念仏して、つひに往生を遂げけりと、禅林の拾因に書け
り。
心戒といひける聖は、余りにこの世のかりそめなる事を思ひて、静かについ
ゐることだになくて、常はうづくまりてのみぞありける。
(講談社文庫)

[現代語訳]
 年老いてからでよい、と道の修行を先延ばしにすることなかれ。古い墓の
多くは、少年のものではないか。思いもよらず病を得て、今まさにこの世を
去ろうとする時にこそ、はじめて過去のあやまちに気づくものである。あや
まちというは、他でもない。速やかになすべきことをゆっくりとなし、ゆっ
くりなせばよいことを急いてきてしまった、その過去の惜しさである。
 臨終間際に悔いても仕方ない。常にわが身に死が迫りくることを、しかと
心にとどめ、束の間も忘れてはならぬ。かくすれば、現世の塵にまみれず、
仏道修行の腰も据わろうというもの。

 昔、ある聖は、誰かがやってきて重要な相談事があるというと、こう答え
たものだ。
「わしは今、火急の用あって手が離せぬ。それは今夜か明朝にも迫っておる」
 そして、耳をふさいで念仏を唱えていたが、ついに大往生を遂げたとか。
禅林の『往生拾因』にある話だ。
 また心戒という聖は、この世のすべてがかりそめ、はかないものであること
に気づき、静かに座っていることができずに、常に尻を浮かせて過ごしたとい
う。
(能文社)


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【3】連載葉隠 No.4                   「恩」第二回
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 毎号、葉隠全千三百話の中から、日本精神を象徴する任意のテーマを設定。
珠玉の名段落をピックアップしてご紹介する連載コーナー。今回は、テーマ
「恩」の第二回です。
 


聞書第六 一七六 
 我が死後に信濃に意見申す事成るべきや。

 弁財岳訴訟の時、山内の者どもが皆、襟に小さな布切れを縫い付けて集まっ
てきた。鍋島普周へ、深堀新左衛門が訊ねたところ、
「これには深いわけがございます。先祖の鍋島六左衛門が八十石取りで山内に
住んでいた時、太鼓門の番をしていました。その頃、直茂公は暇つぶしに番帳
をぱらぱらめくり、
『なにがしは何歳だ。これは、なにがしの子か。これが孫か』
 と言ってはお休み前に見ていたものです。その日、六左衛門は当直だったの
ですが、いつものように番帳を見ていた公に呼び出されたのです。
『お前はわしが死んだ後、勝茂に意見できるか』
 と聞く。
『大殿のご意向とあらば、ご意見できましょう』
 と請合った。
『良い答えじゃ。さらば言って聞かすべし。山内の者どもは元々神代勝利の家
来だ。それゆえお前を遣って見張らせ、当家に帰順した形で従っている者ども
じゃ。勝茂が狩などで来た折、この者どもに酒を振舞っておるが、後々自分ら
だけで台所で飲みたい、と言い出す者が出てくるだろう。その時が来たら、お
前に意見してほしい。必ず、勝茂の前で飲めというのじゃ。そうじて物をくれ
てやる場合、勝ち戦の時しか効き目がないもの。敗軍においては、主君から直
に情けをかけてもらった者でなければ奮い立たぬものだ』
 と頼まれました。それから数年後、勝茂公は山内で雉狩をし、日暮れに戻っ
て足を洗っていました。そこへなにがしがまいり、
『当所の者が申しております。下されるお酒は台所でいただきたいと。御前で
は恐れ多く、気持ちよくお受けすることもできかねると。ゆるゆると気楽に台
所で飲ませてやっていただけませんでしょうか』
 というので、『それも、そうだな』
 と答えられました。六左衛門はこれを聞くと御前にまかり出る。
『山内の者どもへは必ず御前にて御酒を下されますように』
 と申し上げた。勝茂公はこれを聞くと、樽に残った洗足用の水を頭からざぶ
りとかぶる。そして、裃に着替えて出てくると六左衛門を床の間に座らせた。
その前に平伏して、
『ただいま、わたくし過ちを犯しました。どうかお許しください』
『六左衛門が言ってくれたことは、父上のご遺言であろう。さても、ありがた
いことじゃ』
 と言われたとのことです。ご父子様より折々に裃や小袖などを拝領した者ど
もの子孫たちが、これらを小さく切り裂きお守りとして持っていたものをこの
たび皆、襟に縫い付けて出てまいったのです」
 と話した。この話をさる年、新左衛門が鍋島庄兵衛と大木八右衛門に語って
聞かせたところ、庄兵衛は、
「綱茂公が家督を継がれた時、山内の者がお目見えにやってきた。それで原田
吉右衛門が、御酒拝領は台所でしますか、と聞いたところ、それはいうまでも
ない、お家大事の口伝である、わしの前で酒を飲ませること」
 と命じたと語った。


聞書第八 二四 
 頭鮒を此方料理候ては、心よくこれなく候。

 石井八郎左衛門が鮒(ふな)を献上したこと。勝茂公が夜の鷹狩に出かけた。
あちこちと狩って回っている内に、魚網を引いている者に会った。
「獲れるか」
 と声をかけてみると、漁師は相手を勝茂公とも知らずに、
「今夜はよく獲れるね」
 と答えた。網を引き上げてみると大鮒が入っている。
「さてさて、でっかい鮒じゃ」
 といえば、
「このぐらいでかい奴をもう二つもとった」
 と答える。
「明日は大鮒のごちそうじゃな。うらやましい」
 といったところ
「何を言う。たわけが」
 といい、
「俺は旦那持ちだ。鮒がお好きなので、いつも初物は旦那に喰わせている。
こちらは小鮒ばかり喰っている。初物なぞ喰おうものならバチが当たる」
 といった。
「結構な心がけでござる」
 といって、勝茂公は帰っていった。翌朝、台所役が献立を伺いにきたので
「しばし待て。鮒が参るべし」
 と言うや、まさしく石井八郎左衛門より
「昨夜獲れた鮒です。献上」
 といって件の鮒を差し上げたとのこと。
 勝茂公の時代は、末端の百姓であっても、作物の初穂はお城に献上する習
慣があった。
「接木の初生え」
 などと呼んで、村々よりたとえ木の実一つ二つであっても献上したという。

(『葉隠 現代語全文完訳』2006 能文社)


■鑑賞

聞書第六 一七六
「恩」は、貯金のようなもの。長年月少しずつ積み重ねていけば、やがて大き
な実りを結ぶのです。これは、佐賀鍋島藩祖直茂から三代藩主綱茂にいたる、
長い「恩」の物語。
物語の「山内」は地名。佐賀と隣接する筑前黒田藩とのちょうど国境一帯の辺
境地域をこう呼ぶ。ここは元、鍋島家の主筋にあたる佐賀前領主竜造寺家、神
代勝利が代々治める土地でした。
「弁財岳訴訟」とは、同地域背振山の国境領有を、鍋島藩と黒田藩が争った事
件。二代藩主光茂の時、両藩は幕府に訴訟し、ちょうどこの頃、裁きが下され
ようとしていたのです。
結局、判決では鍋島側の勝訴となりましたが、この時は、判決によっては黒田
藩が国境を犯し、侵攻してくるかも知れぬ、と不穏な動きが予知された。それ
で、国境防備のために山内の住民たちが自主的に警備出動してきていたのです。

彼等が各々襟に縫い付けた小さな布切れこそ、長年にわたる主君の「恩」の象
徴。戦となれば、当然命を落とす。いわば死に装束、錦の飾りだったのです。
山内、元は主筋の民。この治政の難しい人々をいかに新領主になつかせるか。
旧領主をしのぐほどの思慕、忠誠を抱かせ、自然と鍋島家に帰服させるにはど
うすればよいか。戦国期を生き抜いた謀将、鍋島直茂の方略は意外とシンプル
なものでした。「山内の民への御酒拝領はかならず主君の面前で行うこと」。
しかも代が変わり、時間が経つほどに厳格に遵守させました。「お家大事の
口伝」として、臣下より諫言させたのです。一言聞いただけですべてを悟り、
桶の水をざぶりとかぶって斎戒沐浴した勝茂は、けだし名君といえましょう。
こうして、祖父から父、父から子、孫へと大事に積み立てられた「恩の貯金」
を、鍋島家は明治維新まで決して取り崩すことがなかったのです。


聞書第八 二四 
「此方料理候ては、心よくこれなく候」。いくら空腹でも、いくらおいしそ
うでも、初物を自ら食べる気がしない…。これが自然な日本人の民の感情な
のです。一昔前には、日本中ほとんどすべての家に仏壇(商家には神棚)があ
り、果物でも魚でも、季節の初物は必ず神様仏様にお供えしていたものです。
これは、自然から恵まれた「恩」をすべてわが腹に収めず、一部神様にお返
しし、また来年の豊作を祈願するもの。殷の湯王の「三面の網」と同じ思想
です。たとえ木の実ひとつ、ふたつでも、自らの手でお城に献上する。かけ
がえのない国と土地を代々守ってくれる領主、いわば”神様”への報恩です。
戦国時代、敵に土地を蹂躙されれば、食物はおろか命すら保てないからです。
中国の聖帝、堯・舜の時代、あまりに治世が完璧に行われていたため、それ
すら気づかぬ愚かな民は「わが田を耕して喰らい、わが井戸を掘って水を飲
むだけのこと」といい、口いっぱいに食物をほおばっては腹鼓を打ち「帝な
んて何の関係もない」と、うそぶいていたといいます。堯・舜はこの民の様
子に目を細め、満足げにわが髭を撫していたことでしょう。本物の恩とは、
その対象を知らず、その存在すら相手に気づかせぬもの。大鮒をとり、胡乱
な者(実は藩主の勝茂)を大喝した漁師が「心よくこれなく候」と感じている
恩こそ、恩の究極のあり方なのかもしれません。

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【4】カルチャー便り NEW!              4月/5月の講座案内
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 今回より各地で開講中の「言の葉」カルチャー講座内容を一部ご紹介してい
きます。今月、4月は各カルチャースクール新講座スタートの月でした。今期
より新規受講の方、前期より継続受講の方(中にはスタートより丸二年間受講
されている熱心な方も!)、みなさま新しい分野にチャレンジしようと大変意
欲的に取り組んでおられ、講師も襟を正してのぞんでおります。
 このコーナーでは、折々に各講座のテーマ、トピックス、質疑応答内容な
どをレポートして行きたいと思います。なお各講座とも途中受講も可能です。
ご興味がございましたら、各教室のお問合せ先よりお申し込みください。


1.【能の名曲と名人芸をたずねる】東急セミナーBE 渋谷校
・問合/申込先 
■第一回 4/1(火)13:00[終了]
世阿弥の頃から、現代まで、各時代の能の名人とその名舞台をたどっていく講
座。第一回目は、世阿弥・観阿弥、田楽の一忠・喜阿弥・増阿弥、日吉座の犬
王などの伝説の名舞台を追体験しました。田楽と猿楽(能)が、同じ舞台で同じ
曲を演じていた室町時代。現在の舞台と変わらぬところ、異なるところ、それ
ぞれに興味は尽きません。

■第二回 5/13火)13:00[予告]
安土桃山から、江戸時代までの舞台の様子をたどります。信長・秀吉・家康な
ど戦国の英雄たちも能の大ファン。自身もたびたびシテを舞ったり、囃子を奏
したりしています。
観世・金剛・喜多、シテ方各太夫の超絶技巧の演技や、細川幽斎・柳生宗矩な
どの能舞台秘話などもご紹介しましょう。


2.【南方録を読む】栄中日文化センター(名古屋)
・問合/申込先 
■第一回 4/3(木)15:30[終了]
第二期目は『南方録』後半を読み進めていきます。第二期第一回目は、新規
受講生も参加するため、南方録以外の各時代重要な茶書を紹介する特別講座。
『山上宗二記』『珠光心の文』『紹鴎侘びの文』『茶話指月集』から、侘び
茶の精神と桃山期の名茶人の逸話を講読、解説しました。普段のお点前の稽
古では触れることのない「曲尺割り技法」「乱れ飾り」など、南方録独自の
世界に受講生の皆様が興味深く感じておられるようです。

■第二回 5/29(木)15:30[予告]
前期に引き続き、『南方録』台子の後半部分を読み進めていきます。式正茶
法の根元である、台子の点前。桃山時代台子の伝授には時の最高権力者の認
可が必要だったといわれています。いわば茶の最奥の秘伝。『南方録』で利
休が親しく南坊に手ずから伝授したといわれる秘法をひとつずつ解明してい
きます。


3.【葉隠を読む】栄中日文化センター(名古屋)
・問合/申込先 
■第一回 4/3(木)13:00[終了]
前期よりの継続講座。今期より多くの新規受講生の方がご参加くださっていま
す。今回のテーマは「傑僧」。葉隠作者、山本常朝は若年期、鍋島家菩提寺で
ある、曹洞宗高伝寺の湛然和尚の元に参禅し、その思想形成に少なからず禅宗
の影響を受けているといわれています。
「武士道というは、死ぬことと見つけたり」の真意も、禅の死生観抜きには語
れません。死を伴侶のごとく親しむ鍋島侍の精神的支柱を佐賀の歴代傑僧の事
跡に探っていきます。

■第二回 5/29(木)13:00[予告]
武士道の講座で、「女性」がテーマ。一見不思議に思われるかもしれませんが、
いつの時代も女性が活躍する国や共同体ほど活力があり、治政が行き届いてい
るものです。鍋島藩、またしかり。夫の戦死後、自ら鍋島家へと後妻に入り、
竜造寺、鍋島両家が平和裏に政権交代するための策略を実行した、直茂の義母、
慶?。わが一命をなげうち、正統な後継者たる光茂の藩主擁立を成し遂げた、
光茂乳母の小倉局。藩政確立期、陰に日向に夫を支えた、直茂糟糠の妻、陽泰
院。これら”葉隠の妻”たちの足跡をたどることで、もうひとつの「生きた」
葉隠の世界に光を当てる試みです。


……………《編集後記》………………………………………………………………

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ 
(西行 山家集)

花に酔へり羽織着て刀さす女
(芭蕉 続深川集)

西行の濃密な「死」の充溢と、芭蕉のきらめく「生」の泡沫。映像として想像
する時、いずれの歌も、句も、花は満開で未だひとひらたりとも落ちていない
こと、人物は独りであること、が絶対条件です。いつか東北の人知れぬ山里の
春に、こうした一幅の名画を幻視したいものです。(言)

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2008年04月17日 11:24

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