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西洋が見た中世日本人の奇行? 【言の葉庵】No.28

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┣┫OW┃O      フロイス「日本と西洋、風習の対照」 2008.5.13
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 久しぶりの”日本語ジャングル”では、ポルトガルの宣教師による、中世の
日本vs西洋文化対照表をご紹介します。現代の西洋化されたぼくたちの目では、
一体どちらがヘン?”名言名句”は、親鸞『歎異抄』の「善人なをもて往生す」
を読解。信者でないにもかかわらず、すべての日本人はなぜ浄土真宗的な発想
をするのか、その謎に迫ります。能文社書籍、東京の主要大型各書店に、ほぼ
完備!立ち読みしに行こう!(でも読んだら買ってね…)


…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】日本語ジャングル          西洋が見た中世日本人の奇行?
【2】名言・名句第十六回               『歎異抄』の名言
【3】言の葉ブック情報         新宿紀伊国屋本店・南店発売開始!
…編集後記…
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【1】日本語ジャングル          西洋が見た中世日本人の奇行?
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 ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイス。1536年、日本へのキリスト教布教
のため西九州、横瀬浦に上陸。うまれてはじめて日本の地を踏みます。以降12
年間に渡り、畿内を中心として布教活動に精力的に従事。日本人の民族性に布
教の手ごたえを感じたフロイスは、徐々にこの国民に親近感を覚え、たくみに
日本語をあやつり、大いなる「日本通」となっていきます。

 地元の武士や民衆と生活をともにし、熱心に布教すると同時に、時の政権保
持者、織田信長、豊臣秀吉らにも積極的に接近。主に布教の保護と許可を得る
ため、数十度にわたって接見、親しく意見を交換し合いました。

 フロイスは本国で、もともと秘書官をつとめ、文才を認められての派遣であ
ったため、この間の知見を膨大な公式文書として政庁に報告しました。後世こ
の貴重な記録をもとに日本で翻訳・出版されたのが、有名な「フロイス日本史
」です。

『完訳 フロイス日本史』全十二巻 川崎桃太訳 中央公論社

 信長や秀吉をはじめ、時の武将、毛利元就、黒田官兵衛、小早川隆景、細川
忠興などの言動が、等身大に、生々しく語られるリアリティにより、往年の
NHK大河ドラマ「信長」の原作ともなりました。

 今回の【日本語ジャングル】では、これら歴史上の人物ではなく、当時のご
く普通の日本人、民間人がどのような興味でもって、フロイスに見られ、評価、
判断されていたのかをご紹介してみましょう。
宗教観、死生観はもとより、生活習慣、風俗、モラルなどの生活のあらゆるシ
ーンで、思いもよらぬ発見があります。中にはむしろ、現代日本よりは今の西
洋に近いのでは…?と思われるような不可思議な日本人のふるまいもあります。

 以下、フロイスが克明に記述した「日本とヨーロッパの風習の対照」から、
いくつかをピックアップしてみました。


●我々は、挨拶は厳粛な顔で行う。日本人はいつも必ず偽りの微笑で行う。

●ヨーロッパでは言葉において明瞭さが求められ、曖昧さを避ける。日本で
は曖昧なのが一番よい言葉であり、最も重んぜられる。

●我々は、別れる時とか、外から帰ってくると、抱擁するのが慣わしである。
日本人は全くその様なことはしない。むしろその様なことを見ると笑う。

●我々の書物の最後の頁が終わるところから、日本人の書物が始まる。

●我々は、いろいろな音響の音楽を響きがよく快いと思う。日本のはただ単調
に鳴り響くだけで、全くもってぞっとさせられる。

●ヨーロッパの貴人は、夜に寝て昼に楽しむ。日本の貴人は昼に寝て、夜に宴
会や娯楽を行う。

●我々は人を殺すことは恐ろしいことであるが、牛や鶏や犬を殺すことは恐ろ
しくない。日本人は、動物を殺すのを見ると肝を潰す。が、人殺しはありふれ
たことである。

●我々は自殺はきわめて重罪とみなされる。日本人は戦いにおいて、最早力尽
きた時、切腹することを勇敢とみなす。

●我々は食事をするのにひどく音を立てたり、葡萄酒を最後の一滴まで飲み干
すのは卑しいことだとされている。日本人は、そのどちらも立派なこととみな
している。

●我々は招かれた者が招いた者に礼を言う。日本では招いた者が招かれた者に
礼を言う。

●我々は食卓で、客の前でゲップを吐くことは不作法とされる。日本でははな
はだ頻繁にやることで、全然気にしていない。

●我々は食後に歯を清める。ところが日本人は顔を洗う前に歯を磨く。

●我々は、誰かが酩酊するとそれは大いなる恥辱であり不名誉であると考える。
日本ではそれを自慢する。

●我々の死者は顔を上に向けて横たえられる。日本の死者は座らされ、顔を膝の
間にして縛られる。

●我々は死者を埋葬する。日本人は大抵死者を焼く。

●我々はすべての物を手で食べる(この頃のヨーロッパではまだフォークやナイ
フを使っていなかった)。日本人は男女とも、幼児の時から二本の棒で食べる。

●我々は焼いたり煮たりした魚を好む。日本人は生のままで食べることを喜ぶ。

●我々は、甘い物が大好きだが、日本人は塩辛いのを好む。

●我々は食事のはじめと終わりに手を洗う。日本人は食物に手をふれないから、
手を洗う必要がない。

●我々は葡萄酒を冷やす。日本では酒を温めて飲む。

●我々は、自分が飲みたいだけしか飲まないし、他人に強要することもない。
日本ではひどく無理にすすめ合う。そのためある者は吐き、ある者は酔っ払う。

●日本の女性はあまり純潔を重んじない。

●我々は二十歳の男でもほとんど剣を帯びない。日本では十二、三歳の少年も
刀と脇差を帯びる。

●我々の子供は青年になってもまだ使者になれない。日本の子供は十歳でもそれ
を果たす判断と賢明さにおいて五十歳にも見える。

●我々は俗人の教師について読み書きを学ぶ。日本ではすべての子供が僧侶の寺
で学習する。

●我々の子供は、まずはじめに読むことを習い、ついで書くことを学ぶ。日本の
子供はまず書くことからはじめ、その後に読むことを学ぶ。

●我々は息子は親の死にともなって相続する。日本では親が息子に財産を渡すた
めに生前非常に早く引退する。

●我々の女性は顔に化粧品や美顔料が目立つならば、不手際とみなされる。日本
の女性は白粉を塗れば塗るほど美しいとみなす。

●我々は、夫婦の間で財産は共有である。日本では各々が自分の分け前を所有し
ており、時々妻が高利で夫に貸し付けている。

●我々は、妻を離別することはそれが罪悪であることはともかく、最大の不名
誉である。日本では望みのままに幾度でも離別する。そして女性たちは、それ
によって名誉も結婚する資格も失わない。

●我々は、妻は夫の許可なしに家から外出しない。日本の婦人は夫に知らさず
自由に行きたいところに行く。

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【2】名言・名句第十六回               『歎異抄』の名言
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No.31 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

~『歎異抄』第三条

[解説]
 「あなたは悪人ですか?」という問いかけに、迷わず「はい。そうです」と
答える人はほとんどいないのではないでしょうか。では、「あなたはこれまで
に悪いことを一度もしたことがありませんか?」という問いなら、どうでしょ
う。ひるがえってほとんどの人が、ためらいながらも「いいえ」と答えるはず
です。

 善人ですら死んだら極楽浄土に往生できる。ましてや悪人が往生できないは
ずがあろうか…。
 日本の宗教史上、もっとも有名で、かつもっとも逆説に満ちた親鸞のことば。
このことばもまた、当HPでこれまで紹介した「秘すれば花なり」「一期一会」な
どと同様、その真意が正しく理解されてこなかったのではないでしょうか。

 日本仏教の最大宗派、浄土宗。他宗の日蓮のことばによれば、
「源信によって日本人の三分の一が、永観によってさらに三分の一、そして法
然によって残りの三分の一も浄土教信者となって、結局日本人はすべて浄土教
信者となった」
 といわれています。親鸞は、この法然の弟子。念仏を唱えるだけで、老若男
女悪人も善人も、どんな人も差別なく、阿弥陀仏の本願他力により、極楽浄土
にいける、と説き、浄土真宗を開きました。道のための厳しい修行、難行、荒
行は一切必要なし。人徳や智恵、もちろん富も財力もまったく関係なし。ただ
念仏を唱えるだけの易行で、どのような極悪人も救われる…。いや、むしろ真
っ先に救われるべきは、悪人である。これこそまさに、阿弥陀様の本願。信じ
なさい…。

 この教えは、誇張ではなくすべての日本人に受け入れられました。そもそも
「善」や「徳」は、道徳・儒教の概念。「智」は学問の産物。そして、「善」
「徳」「智」を努力によって獲得し、積み上げていけば、富や財が手に入りま
す。こうした自力による最終的な自身の救済、往生を目的とした在来宗教を
親鸞は否定しました。ただ、阿弥陀仏の本願によってのみ、人は浄土にまいる
ことができる。自力を捨てよ、念仏申せ…。
 この「他力本願」の教えは、わたしたち日本人の血と遺伝子の中に、凄まじ
い早さ、広さ、深さで浸透していったのです。

 さて、出版界では今年千年紀をむかえる『源氏物語』よりも売れ行き好調な
『歎異抄』。時代は、ロマンスよりもスピリチュアルやヒーリングを求めてい
るのかもしれません。『歎異抄』が、すべての宗教書の中でもっとも広く、多
くの人に読まれているのは、その峻厳な精神性が、平易な語り口、美しい文章、
明快な論理で展開されているため。法然、親鸞、唯円と続く、ゆるぎない阿弥
陀信仰と師弟の絆が、まれに見る美しいことばとして紡がれ、日本人にとって
”はじめての聖書”となって結実したからです。

[原文]
 一。善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつね
にいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれ
あるにたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、
ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれど
も、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往
生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるること
あるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のため
なれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だに
こそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。

『歎異抄』梅原猛 校注・現代語訳 講談社 1995.5


[現代語訳]
 一 善人ですら往生をとげる。まして悪人が往生できないことなどありまし
ょうか。しかし世の中で普通は、悪人であっても往生できる、まして善人が往
生できないはずはない、といっています。一見こちらの方が理屈にかなうよう
にも思えますが、本願他力の本旨に背いているのです。つまり自身の力で善い
ことを行い努力する人は、ひたむきに他力を頼る心がありませんので、阿弥陀
様の本願にかなわない。それでも自力の心を捨て、他力におすがりもうせば、
まことの極楽浄土に往生できるのです。
多くの煩悩にとらわれているわたしたちは、どんな修行をしたとしても生死を
離れることなどできません。阿弥陀様がこれを憐れみ、お立てくださったのが、
この本願。悪人成仏のためのものだから、他力にすがるしかすべのない悪人こ
そ、本来の往生の対象なのです。これにより、善人だにこそ往生すれ、まして
悪人は、とおっしゃられたのです。

現代語訳 能文社 2008.5

No.32 親鸞は弟子一人ももたずさふらう

~『歎異抄』第六条

[解説]
 自分自身のはからい、考えで教えを伝えるのなら、それは「わが弟子」と
いえよう。しかし、念仏の教えは、ただ阿弥陀仏の導きと、それを伝えてく
れた師、法然の縁によるもの。わが弟子などというものは、そもそもいるは
ずがないではないか…。これが、親鸞のこのことばの真意です。他力念仏の
信仰は、親子関係も師弟関係も超越するもの。人はもちろん、鳥獣まで、生
きとし生けるものすべて、仏の機縁に導かれ、つながっているものです。
ここには、弟子を拒絶する冷たい心はありません。ただ血縁、師弟関係によ
る宗派の争い、教えの乱れに釘をさしたものとみるべきでしょう。

 宗派といえば、面白いことにあの禅宗の一休宗純も、親鸞を敬慕していたと
いう逸話があります。

 襟巻きのあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり

 友人の本願寺八代、蓮如に招かれ、親鸞二百回遠忌法要にお参りした一休が、
本願寺にあった親鸞の黒漆の木像を見て詠んだ狂歌です。一世の破戒僧として
何ものにもとらわれず恐れず、自在な境涯をおくった一休にとって、仏教史上
はじめて肉食妻帯を宣言し実行した親鸞に宗派を超えた理想的な宗教人の姿を
見たのかもしれません。

 さて、他の分野をみても、自身一派、一道を拓いた偉人・達人は、直系の弟
子を持たなかった人が多いのです。剣聖宮本武蔵は「万事において、我に師匠
なし」(五輪書 地之巻)といっています。そして後世、二天一流は絶えている。
 能楽の世阿弥も自家に後継者を得ず、女婿の金春禅竹と交流しました。千利
休は「利休十哲」とよばれる大名門人をもちながらも、利休流茶道を誰にも正
式に相伝せず、生前交わりをもたなかった孫の宗旦が、血縁の上で千家を再興
したのです。
 松尾芭蕉は、其角・嵐雪など錚々たる実力派門人を揃えながらも、本人没後、
門弟たちは離反、四分五裂。その正風を継承する直系の本流をもちえませんで
した。

 芸道の世界では「名人は一代かぎり」といわれます。一生かけて自身の魂だ
けが感得しえたもの。異なる道を歩んできた、別の魂に自分とまったく同じも
のを感じ取れ、といってもそれは無理。二百年に一人といわれる小鼓の名人、
幸祥光も「間(ま)だけは、人に教えようがない」といいます。

 親鸞の没後、師の教えが歪められ、異端、邪説がはびこりだすのをみかね、
弟子の唯円は泣く泣く筆を取りました。師の教えとは「異なる」教義を「嘆く」
書。これが『歎異抄』の書名の由来。後に、前述蓮如はこの書をみて、その内
容に一驚し、しかし親鸞の思想を完全に了解します。了解した上で、

 宿善の無きにおいては 左右なくこれを許すべからざる者也

 と奥書を付し、本願寺の蔵の奥深く封印しました。この書があまりに率直に
真実を述べる信仰の告白であったため、後世これを正しく理解できぬ者の手に
渡った場合、真宗教団そのものの存立を危うくする可能性を見抜いたからです。

 それから数百年経った今、わたしたちはふたりの師弟による、この真実の信
仰の文を自由に手に取ることができます。しかし、自分が死んだらその骸を鴨
川に流し、魚の餌とするように、と遺言した親鸞も、愛弟子のこの勝手なふる
まいを静かに微笑んで許しているのではないでしょうか。

[原文]
 一。専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子といふ相論のさふらうらん
こと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、
わがはからひにて、ひとに念仏をまふさせさふらはばこそ、弟子にてもさふら
はめ、弥陀の御もよほしにあづかて念仏まふしさふらうひとを、わが弟子とま
ふすこと、きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべ
き縁あればはなるることのあるをも、師をそむきてひとにつれて念仏すれば、
往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説なり。如来よりたまはりた
る信心をわがものがほにとりかへさんとまふすにや。かへすがへすも、あるべ
からざることなり。自然のことはりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の
恩をもしるべきなりと云々。


『歎異抄』梅原猛 校注・現代語訳 講談社 1995.5


[現代語訳]
 一 専修念仏の一派の間で、あれはわが弟子である、これは誰それの弟子
であるなどと争論が起こるということですが、もっての他の沙汰です。親鸞
は、弟子を一人ももってはおりませぬ。そのわけは、もしもわが一存によっ
て、人に念仏を唱えさせているのであれば、その人はわが弟子といえましょ
う。しかし阿弥陀様のお導きによって、念仏する人をわが弟子、などという
ことは荒唐無稽の極みだからです。また師弟というものは、縁があればつき、
縁がなければ離れるもの。それなのに、師に背き、他の人について念仏をす
れば往生できぬ、などといっていますが、言語道断というべきでしょう。
すべての人が阿弥陀如来より賜った信心を、わが者顔に取り戻すとでもいう
のでしょうか。どのように考えてもありえないことです。仏の真理に近づこ
うと信心すれば、やがて仏恩を知り、導いてくれた師の恩も知る時がくるは
ずです。

現代語訳 能文社 2008.5

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【3】言の葉ブック情報         新宿紀伊国屋本店・南店発売開始!
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 『奥の細道 全現代語訳』発刊にともない、言の葉ブック全ラインナップを
全国書店店頭に随時配本しています。
今月は、以下の都内大型書店様にて新規取扱い、店頭販売開始いたしました。

◆紀伊國屋書店 新宿本店
TEL 03-3354-0131

◆紀伊國屋書店 新宿南店
TEL 03-3354-0131

◆ジュンク堂書店 池袋本店
TEL 03 (5956) 6111

◆丸善 日本橋店
Tel:03-6214-2001

※その他の既存取扱い(店頭販売)書店は、取扱書店リストにてご確認く
ださい。

 とりわけ紀伊國屋書店 新宿南店様では『葉隠』『奥の細道』を多数入荷。
また、丸善 丸の内本店様では『山上宗二記』を棚に平置きにてディスプレ
イしています。
ぜひご来店の上、手にとってご参照ください。

……………《編集後記》………………………………………………………………

 「水」でできた茶室があります。アート作品です。でも、その中でちゃんと
お茶がいただけます。先日訪れたのは、東京乃木坂のTOTO ギャラリー間。
ここで、今月末まで開催中の

 “杉本貴志展 水の茶室・鉄の茶室” 

です。(入場無料)

 水の茶室は、文字通り壁が流れる水の粒でできている。言葉での説明はむず
かしいのですが、上から伝い落ちる水滴に、真下から光を当ててカーテン状に
なった水=光の壁が、茶室の四方を囲んでいます。会場でスピードくじの抽選
に当たれば、客となってその中で一服薄茶がいただけます。
透明なクリスタル製の風炉、発光体でできた水指。胎内のような薄暗い闇と静
謐の中で体験する、ひとときの不思議な時間と空間。老いも若きも、学生も外
人さんも、みな平等に一椀の茶がつなぐ一期一会を楽しんでいました。
(言)

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【言の葉庵】へのご意見、ご感想、お便り、ご質問など、ご自由に!
 皆さんの声をお待ちしています。Good!の投稿は次号にてご紹介いたします。
 
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■ 発 行 能文社 http://nobunsha.jp/
■ 編集長 水野 聡 mizuno@nobunsha.jp 
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2008年05月19日 10:05

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