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後生畏るべし 【言の葉庵】No.29

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┣┫OW┃O             『論語』の名言恐るべし 2008.7.9
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 中国四千年の名言、恐るべし。今回の名言名句は誰もが知る『論語』のあの
名言をご紹介。はっきりいって誤用多いです、御用!秋の能狂言、一日体験講
座開講です。「幽玄の美、能の世界」へとあなたを誘いましょう。どなたでも
一回限り、ご参加いだける公開特別企画です。連載葉隠は、今回より「忠」が
テーマ。忠義と諫言は、もはや過去の遺物なのでしょうか。この興味深いテー
マで、何と!今時の小学生のみなさんに議論してもらいました。
急いで読まないと。

…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】能狂言公開一日体験講座           幽玄の美、能の世界へ
【2】名言名句 第十七回 論語      後生畏るべし
【3】連載葉隠 No.5                   「忠」第一回
…編集後記…
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【1】能狂言公開一日体験講座           幽玄の美、能の世界へ
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 はじめて能狂言を見る方、一度見たけれども「何だかよくわからなかった」
「寝ていた??」という方に、おすすめの一日入門講座が、この秋開講されま
す。

「幽玄の美、能の世界へ」(池袋コミュニティ・カレッジ9/17開講)

非会員・一般の方もご参加いただける、一回限りの特別公開講座。講師の能狂
言講座実施の経験から、これまで受講生の方から寄せられた疑問・質問をもと
に集大成して企画しました。当講座に一回参加すれば、疑問は一度に解消!
「そういうことだったのか!」と目からウロコで、能がダンゼンわかりだし、
面白くなります。感動のあまり、涙がポロポロ出ます。映像・音源資料もふん
だんに使い、目と耳から能狂言の基礎知識をしっかり学んでいただけます。


●能狂言一日体験講座「幽玄の美、能の世界へ」
※上のページから「心と身体の健康」をクリックしてください。

日時 2008年9月17日(水) 13:00-14:30
場所 池袋コミュニティ・カレッジ
〒171-8569 東京都豊島区南池袋1-28-1池袋西武イルムス館8・9F
Tel.03-5949-5487
講師 水野 聡(古典翻訳)
受講料 会員\3,150 一般\3,465
申込 8/20(水)より上記池袋コミュニティ・カレッジにて受付。

[講座予定内容]
1.能はいつ、誰が作ったのでしょうか?
2.独特の能舞台。こんな仕掛けと秘密が。
3.世阿弥と『風姿花伝』一口講座。
4.能の登場人物とストーリー早わかりガイド。
5.能の謡・舞・囃子の魅力とは?
6.ズバリ。初めて見るなら、この曲をこの役者で。
7.チケット入手方法、能楽堂設備一挙ご紹介。


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【2】名言名句 第十七回 論語      後生畏るべし
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 孔子の『論語』は名言の宝庫。今回ご紹介する二つの名言も、みなさまよく
ご存知のものと思われます。そしてまたこれらは、あまりに短く簡潔に過ぎる
こと、前後の文脈から切り離されてフレーズだけが「一人歩き」してしまった
ことなどから、時が経つにしたがって多くの誤解・誤用を生んでしまっていま
す。それらの正しい意味を知るためにまずは、簡単なクイズを設定しました。
気軽にチャレンジしてみてくださいね。


No.33
後生畏るべし

No.34
過ぎたるは猶及ばざるがごとし

~孔子『論語』


No.33 後生畏るべし
『論語』子罕 第九

 誰もが知る、孔子の名言。解説はのちほどとして、まず下の設問に答えてみ
てください。

[質問]
「後生畏るべし」の正しい用法を下の1.~3.から選びなさい。

1.あの子は小学生なのにソフトのプログラムが書ける。後生畏るべしだ。
2.あんな小さい頃から嘘をついても平気な顔をしている。後生畏るべしだ。
3.新卒社員はみな、後生畏るべしである。課長もうかうかしていられない。


 人間の本性として、相手を若者や後輩とみれば無条件に侮りがちです。「あ
んな子供に、あんな若造に…」。でも冷静、客観的に考えれば、もしも彼等が
自分と同じ年齢になった時、果たして自分より智恵や実績が劣るなどと断言で
きましょうか。

 後生とは、自分より後から生まれた人、すなわち後進のこと。正解は3.の
「後進は成長するのだ。侮らず謙虚に接するべし」です。

 さてこの句に上のような様々な解釈・用法が見られるようになった最大の理
由は、後々「後生」が、「こうせい」と読まれることから、「後世」と書かれ
るようになったため。辞書や『論語』関係書籍では、さすがに正しく「後生」
とありますが、「後世畏るべし」と書いて、1.の「どこまで伸びるかわからな
い→他人の子をほめる」用法が世の中では大変多く見られます。1.のさらに転
用・誤用例が2.の「末恐ろしい」。負の方向にすくすく伸びるわけですね。

 正解の3.の用例を『徒然草』から拾います。

「先進、後生おそると云ふこと、この事なりと侍りき」219段

1.の用法も結構古くから使われています。

「おや釣れましたかね、後世恐るべしだと野だがひやかすうち」
『坊ちゃん』夏目漱石

「後世畏るべしという感じを子路はこの青年に対して抱いている」
『弟子』中島敦

 ただし『弟子』には、3.の用法のニュアンスも感じられます。いずれにしろ、
論語のこの段落より「後生畏るべし」だけが抜き出され、有名になり、その部
分のみ一人歩きしてしまったことがすべての原因です。
しかし大事なのは、ここで孔子が何をいちばんにいわんとしたか、ということ。
この段落の話し相手は、孔子十哲といわれる、門人の中でも高弟とされる人々。
すなわちもはや若者ではなく、中高年に達した人々なのです。「後進は成長す
る、侮らず謙虚に接するべし」の後、「しかし四十・五十になっても芽が出な
ければ、はじめて恐れる必要がないとわかる」といっています。孔子はそもそ
もこの言葉を若い人に向けて発してはいない。むしろ自分も含め、社会的地位
のある中高年に向けて語ったものなのです。
「私もお前たちもいい歳になったが、今世の中で自分たちがどのように評価さ
れているのだろうか。若い者を見下す資格はないぞ」。このようにいいたかっ
たに違いありません。


[原文]
子曰く。後生畏るべし。焉(いずく)んぞ来者の今に如かざるを知らんや。
四十・五十にして聞こゆる無きは、斯れ亦畏るるに足らざるなり。

『論語』加地伸行訳注 講談社 2006.10.20

[現代語訳]
先生は、このようにおっしゃった。
「後進を恐れねばならん。ゆくゆくは我々をしのぐような存在になるかもしれ
んのだ。その者たちが四十、五十となっても名が世に出ない時、はじめて恐れ
るに足りぬことがわかるのではあるが」

現代語訳 能文社 2008.7


No.34 過ぎたるは猶及ばざるがごとし
『論語』先進 第十一

[質問]
「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」の正しい用法を下の1.~2.から選びなさい。

1.過剰も未達も、未完成という点では全く同じ。すべて中庸がよい。
2.なにごとも度を越えることが良くない。謙虚に、慎ましくふるまうべきだ。

 孔子十哲と呼ばれる孔門高弟に、子貢、子張、子夏の三人がいます。
子貢は弁舌巧みで外交手腕に優れ、一時期その能力が師をも越える、と噂され
るほど有能な人。孔子没後、門弟たちの実質的な取りまとめ役を担うことにな
ります。
子張は頭脳明晰で活発、押し出しの強いキャラクター。それに対して、子夏は
学者肌、自分の城を守る「深く狭く」の人でした。
ある日、人物批評を好む子貢が、子張、子夏、二人の弟子について師の評価を
求めました。これに対する孔子の答えが「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」。
孔子は儒教の中心概念、「中庸」の観点から、子張の出過ぎることも、子夏の
引っ込み思案なことも、いずれも不可と判定を下したのです。

 すなわち正解は、1.の「過剰も未達も不可。二人とも失格」です。

 この名言も上の「後生畏るべし」と同様、一般的に本来の用法では用いられて
いないかもしれません。誤用の原因は、「及ばざる」の意味を「不足」ととった
こと。すなわち「やり過ぎは、不足よりも、さらによくない」としたことに起因
します。
 さらに、根源的な要因は、孔子の「中庸」の概念を私たちが正しく認識してい
ないことにあるのかもしれません。そもそも「中庸」には、「ほどほど、折衷主
義、ことなかれ、控えめ」の意味はありません。孔子自身「中庸」を明確に定義
していませんが、後世、南宋時代の朱子が以下のように定義付けています。

「不偏不倚、過不及なくして平常の理なり。乃ち、天命の当に然るべきところに
して、精微の極なり」

翻訳すれば
「中庸とは、円満ですべて整っており、恒久不変の真理である。すなわち、天の
意思そのままに、精妙にして、万に一つも取りこぼしがないものである」
となります。

さらに、「中」と「庸」の語形より、原義をたどるとその概念は、より明確に
なると思われます。
「中」の文字はもともと「あたる」と読み、象形文字では、的に突き当たった
矢の形でした。「庸」は、棒を持った二本の手が左右から、上に天井を突き上
げる形。
参考画像はこちら。

つまりこれらの意味を組み合わせると、
「異質な物を組み合わせながらも和合させ止揚。完璧を目指し向上していくこ
と」
となります。ぼくたちが、想像している「中庸=妥協・折衷」からはずいぶん
と隔たったものだとわかります。
つまり孔子はこの名言で、子張も子夏も、儒教の根本「中庸」から過ぎたもの、
及ばざるもの、と同程度の評価を与えつつ、加えて子貢や他の弟子にも「和合」
と「精進」を訓示しようとしたのでしょう。

[原文]
子貢問いて曰く、師と商と孰(いず)れか賢(まさ)れる、と。
子曰く、師や過ぎたり。商や及ばず、と。
曰く、然らば則ち師愈(まさ)れるか、と。
子曰く、過ぎたるは猶及ばざるがごとし、と。
『論語』加地伸行訳注 講談社 2006.10.20

[現代語訳]
子貢が先生に問うた。
「師(子張)と商(子張)では、いずれが勝っておりましょうや」
先生が答える。
「師は過ぎておる。商は及ばぬ」
「つまり、師が勝っているのでございますね」
「いや。過ぎるも、及ばぬもまるで同じ。いずれも達しておらぬのだ」

現代語訳 能文社 2008.7


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【3】連載葉隠 No.5                   「忠」第一回
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 毎号、葉隠全千三百話の中から、日本精神を象徴する任意のテーマを設定。
珠玉の名段落をピックアップしてご紹介する連載コーナー。今回は、テーマ
「忠」の第一回です。
 

聞書第一 九
 一はまりはまれば、
 究竟の御家来出現するなり。

 いつも主人につき、よいことも悪いこともすべて打ち任せ、一身をなげうっ
ているような家臣は、他事なきものである。このような家臣が二三人もいれば、
お家は安泰である。長く世間を見ていると、順調なときは知識・分別・技芸を
もってご用に立ち、忠義を宣伝しているものが多い。ひとたび主君が引退する
か亡くなられた時は、すぐに後ろを向き、日の出る方へ取り入る者を何人も見
たので、思い出すたびに胸が悪い。大身、小身、智恵深い者、芸ある者、我こ
そはと色めいてご用に立ちたがるが、主君のために命を捨てる段になるや、へ
ろへろになるものだ。芳しさのかけらもなし。何の役にも立たぬ者が、かよう
な時こそ、一騎当千となることはかねがね一命を捨て、主君と一心同体となっ
ているゆえである。
 先君ご逝去の時、これを目の当たりにした。日頃えらそうなことをいい、肩
肘張ったお歴々が、殿の御目がふさがれると同時に、後ろを向いたのだ。
主従の契りとか義を重んじるとかいうことは何か遠いことのように感じるが、
目前に現れている。ただ今ひとはまりはまれば、究極の家臣が出現するのだ。

[鑑賞]
 『論語』では、忠と礼について、以下のように定義しています。

 君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。
(巻題二 八佾第三 一九)

 『論語』、儒教の忠は、理想的な主従関係を前提としたものです。主君は
家臣を礼遇し、臣は主に忠をもって仕える。その想いは双方向です。
 それでは『葉隠』、山本常朝の考える忠とはどのようなものでしょうか。
この段落から読み取ってみると…

・主君に善も悪も打ち任せること
・万一の時に本物の忠があらわれる
・智恵・分別・芸は何の役にも立たない

 これらはあくまで下から上への視点ではありますが、いかにも忠烈。
『葉隠』らしい純粋無比の忠の形といえるかもしれません。しかし世の中
現実的には、孔子や常朝のいうような忠を貫き通すのが難しいケースもあ
るようです。次の話で、忠の様々な形と応用例をみてみましょう。


聞書第一 一一一
 志の諫言は脇に知れぬ様にするなり。

 主人に諫言するやり方は色々ある。志のある諫言は、他に漏れぬようにする
ものである。勘気に触れぬようにして、お癖をお直しするもの。細川頼之の忠
義などがこれである。
昔、ご道中において寄り道をしたいと言い出されたので、年寄りのなにがしが
これを聞き
「それがし一命を捨てて申し上げます。さんざん遅延の上、さらに寄り道など
とは、もってのほか。お聞き入れできかねます」
 と諫言するという。諸人に向かって
「お別れです」
 と挨拶する。行水し、白帷子を下に着て御前にまかり出たが、ほどなく退出。
さて、諸人に向かって
「拙者が申し出た諫言をお聞き入れくださり、本望至極。皆様方に生きてもう
一度お目にかかれたことは不思議のめぐり合わせでござる」
 などと広言したという。これはみな主人の非をあげつらい、わが忠義を掲げ、
威勢を立てる仕事だ。おそらく他国者に違いあるまい。

(『葉隠 現代語全文完訳』2006 能文社)


[鑑賞]
 葉隠がめざす「忠義」の理想形、究極の姿が「諫言」です。家臣がおのれ
の命をかけて主君を諫めるのが、諫言。山本常朝の生涯の夢は、「家老とな
って、主君を諫言する」ことでした。しかし、この話の人物は、諫言のため
のルールを理解していない。それはたとえば以下のようなこと。

・志の諫言は、他人に決して聞かれてはならない。
・諫言は公言するものではない。
・諫言は命がけで行う。すなわち大事に対してのみなすもの。

 この話の人物はおのれの外聞のためだけに行ったのであり、一片のまこと
もない。そこに常朝の憤りが叩きつけられます。
 さて、忠義と諫言について日本の子供たちがどのように感じるのか、興味
深い調査が行われました。

二〇〇三年、某大学が教材開発研究のために、都内小学校六年生のクラスに
「武士道」の授業を実施。葉隠と忠臣蔵のビデオを元に、「忠義とは何か」を
学習してもらいました。授業終了後、クラス全員に以下の質問を提示し、答え
てもらう。

〔質問一〕もし主君の命令が間違ったもの、自分の信念に照らし合わせて納得
のいかないものであったらどうするか

1.主君の命令であるので、どんなに納得のいかないものであっても自分をおさ
えて言うとおりに行動すべきである
2.たとえ主君の命令でも間違っていると思った時はどこまでも間違いをただそ
うとすべきである

〔質問二〕いくら諫言しても行いを正さない殿様だったらどうするか。
皆さんがこの藩の家老だったらと考えて選んでほしい

1.だまって従う
2.どこまでも諫言する
3.幕府に言いつける
4.牢屋にとじこめる

子供たちの答えは、以下の通りでした。
〔質問一〕1.と2.ほぼ半数ずつ
〔質問二〕1.なし 2.と3.が大多数 4.ごく少数

 〔質問一〕では自分の立場が明確になっていなかったため、答えが分かれま
した。しかし、〔質問二〕では、「もしも自分が家老だったなら」と考えさせ
たため、大半が「諫言することが忠義である」と得心できたようです。
 しかし頭で理解できたとしても、実行することは非常に難しい。上の葉隠の
武士も過ちを犯していますし、現実的には偉大な政治家であっても二の足を踏
むものなのです。
さて、それでは諫言をしてもどうしても受け入れられない場合、どうすればよ
いのか。たとえば儒教から例を引くと、孔子は下のように言っています。

〔主君の場合〕三度諫言して容れられなければ、去る。
〔親の場合〕三度諫言して容れられなければ、大声をあげて泣き(哭)、その後
は何もいわずに従う。

……………《編集後記》………………………………………………………………

みなさんは「テルミン」という電子楽器をご存知でしょうか?1960年代、ロ
シアで開発されたムーグ・シンセサイザーの一種です。鍵盤や弦、ホーンなど
は一切なく、ただ四角く黒い鉄の箱が本体。その左側にアンテナ、右側に金属
パイプがついており、プレイヤーはその二本の棒の間で指揮者のごとく両手を
動かすことで音楽を自由に奏でることができるのです。
「そんなの知ってらい!」あ。失礼いたしました。
先日、そのテルミンのライブが世田谷区等々力でありました。他にも見たこと
のないオリジナル手作り電子楽器の合奏があり、なかなかに不思議時間を楽し
ませていただきました。怪奇映画の効果音そのものであるテルミンの「ボヨヨ
ヨヨヨ~~ン」という呪いの音色、シタール+胡弓のエスニックサウンド、外
見はギターなのに弾くと尺八+能管の邦楽サウンド。これらで、現代音楽から
テレサテンまで、恐ろしく幅広いレパートリーを演奏してくれました。
「大人の科学と学習」の附録という、手のひらに乗るミニ・テルミンもゲスト
出演。アニメキャラのようなキュートな「鳴き声」に会場爆笑でした。

 以上はアート関係の知人が主宰する”WINDS CAFE 138 in 等々力”
よりの一コマでした。ライブ・パフォーマンス・ダンスなど、非商業ベース
(チケット不要。投げ銭形式)で毎回超ユニークなクリエイターたちが「ワザ
」を披露してくれます。機会があればぜひのぞいてみてください。損はしま
せん。(言)

……………………………………………………………………………………………
  
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 皆さんの声をお待ちしています。Good!の投稿は次号にてご紹介いたします。
  
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■ 発 行 能文社 http://nobunsha.jp/
■ 編集長 水野 聡 mizuno@nobunsha.jp 
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2008年07月16日 09:58

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