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いろは歌に隠された、怨念とSOS 【言の葉庵】No.11

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┣┫OW┃O        いろは歌に隠された、怨念とSOS 2006.8.20
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 今年の夏は、暑い熱い篤い。言の葉メルマガは長い永い長居…。ちなみにA4
でプリントしてみたら、創刊から2,3号目までは5-7ページほどだったのですが、
最近の号はなんと10-12ページ平均。日本一長いメルマガを目指していないので、
今号からコンパクトにします。レギュラーの「名言名句」「読解教室」「ジャ
ングル」の各コラムは今後”テレコ”でお届けします。
さて、ジャングルは、いろは歌の秘密。出てくる出てくる、奇想天外・驚天動
地の新学説。20年分のアーカイブを2回に分けてお送りします。箪笥貯金は高
月美樹、旧暦レッスン第二回。ためになるよ。10月から、言の葉庵がカルチャ
ー講座となって、読者の皆様の町にやってきます。新作『奥の細道』ほぼ完了。
芭蕉の凄文に唖然とします。ではでは。


…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】日本語ジャングル      いろは歌に隠された、怨念とSOS〈前編〉
【2】エディターの箪笥貯金        旧暦スト太陽と月の夢 第二回
【3】言の葉通信            言の葉庵カルチャー講座スタート
【4】お知らせ                 『奥の細道』第一稿完了
…編集後記…
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【1】日本語ジャングル     いろは歌に隠された、怨念とSOS〈前編〉
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 七五調のリズムと同様、ぼくたち日本人の血の中を脈々と流れる四十七個の
音球。それが、いろは四十七文字で、この文字をひとつずつ、全く重複なしに
編んだ歌がいろは歌です。

 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ…。

日本人なら誰でも知っている、もっとも有名で、もっとも美しく完成された歌。
これは一体いつ、誰が、何のためにつくったものなのか。意外と知られていな
いのではないでしょうか。また、この歌が伝えようとした表向きのメッセージ
と、隠された真実のメッセージとは何か。今回、日本語ジャングルでは、いろ
は歌に封印された、古代の悲しいメッセージを読み解いていきます。

 〈前編〉では、いろは歌の成立・内容・歴史、どんなことが歌われているの
か、隠されたものは何か。次号〈後編〉では、隠された暗号の解読と、さまざ
まな日本語研究分野での斬新な解釈を紹介していきます。

1.いろは歌の成立と歴史


字母歌「いろは」   いろは歌

いろはにほへと    色は匂へど
ちりぬるを      散りぬるを
わかよたれそ     我が世誰ぞ
つねならむ      常ならむ
うゐのおくやま    有為の奥山
けふこえて      今日越えて
あさきゆめみし    浅き夢見じ
ゑひもせす      酔ひもせず
(松村明編『大辞林』三省堂)

上が、いろは歌の仮名書きオリジナルと、漢字表記と濁点を付した読み下し形
のものです。
いろは歌は、代表的な日本人の手習い歌の一つ。七五調四句の今様形式になっ
ています。その仮名の配列順は、今日の「五十音」と同様に、「いろは順」と
して中世~近世の辞書類等に広く利用されました。
また、いろは歌は、47文字すべての仮名を一度だけ使って作られている歌で、
これを字母歌と呼びます。47文字から成り立つ字母歌は、確かに日本語を表記
するために用いられる全ての表音文字を1個ずつ含んでいるだけでなく、歌と
してすぐれた文芸性を表現し、なおかつ見事に一貫した文脈を形成して、重層
的なメッセージを投げかけているのです。


いろは歌が、文献上に最初に見出されるのは1079年成立の『金光明最勝王経音
義』であり、大為爾の歌で知られる970年成立の源為憲『口遊』には同じ手習
い歌としてあめつちの歌については言及していても、いろは歌のことはまった
く触れられていないことから、10世紀末~11世紀中葉に成ったものと思われま
す。
いろは歌の作者は不詳です。院政期以来、空海作とされてきましたが、その可
能性は現在ほぼ否定されています。空海の活躍していた時代に今様形式の歌謡
が存在しなかったということもありますが、何より最大の理由は、空海の時代
には存在したと考えられている上代特殊仮名遣の「こ」の甲乙の区別はもとよ
り、「あ行のえ(e)」と「や行のえ(je)」の区別もなされていないことです。
ただし、「や行のえ」については、破格となっている2行目に「あ行のえ」があ
った可能性(わがよたれそ えつねならむ)を指摘する説も出されていますが。


いろは歌は、本来、無常観を歌った極めて仏教的な内容の歌とされてきました。
新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』の中でいろは歌の注釈を記し、い
ろは歌は世に無常偈として知られる『涅槃経』の偈「諸行無常、是生滅法、生
滅滅已、寂滅為楽」の意であると説明しました。
以下に、いろは歌の各句と涅槃経の偈との対応関係を示します。


いろは歌        『涅槃経』の偈

色は匂へど散りぬるを  諸行無常
我が世誰ぞ常ならむ   是正滅法
有為の奥山今日越えて  生滅滅己
浅き夢見じ酔ひもせず  寂滅為楽

2.いろは歌には何が歌われているのか(表の意味は?)

まず、各句の語釈を、見ていきましょう。以下のサイトからご紹介します。

FC2ブログ「ことばの遊歩道」より
http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/iroha.htm

 「色はにほへど(におえど)散りぬるを」 「散り」とあるので「色」が
花の色であることが分かる。「にほふ」は何かが視覚的に映えることを示し、
現代語のような嗅覚的な意味ではない。嗅覚的な意味の場合は、古語では百
人一首の「ひとはいさ心も知らず故郷は花ぞ昔の香ににほひける」の歌にあ
るように、「香ににほふ」という。「色はにほへど散りぬるを」は、「花の
色は鮮やかに映えるけれども、(いずれは)散ってしまうものなのに」とい
う意味である。

 「我が世たれぞ常ならむ(ならん)」 「私の生きているこの世で誰が一
定不変であろうか、いや誰も一定不変ではない」という意味である。「誰」
は現代語では「だれ」と濁るが、古語では濁らない。ヘミングウェイの小説
の訳題である「誰(た)がために鐘は鳴る」や「たそがれ」を思い出してい
ただきたい。「たそがれ」は「誰そ彼れ」であり、夕暮れ時の闇で人の顔の
識別が難しいことからできたことばである。「ぞ」は「それ」の「そ」と同
じ語源で古くは清音だったが、平安時代からは濁音となった。

 「有為の奥山今日越えて」 仏教的な世界観では万物は何らかの原因があ
ってこの世に存在している。「有為」とは原因があることを示す語だが、こ
こでは、原因があって存在している万物を意味している。万物で満たされた
この世を一日生きることを山を越えることにたとえて、このように表現して
いる。

 「浅き夢見じ酔ひ(えい)もせず」 「はかない夢など見るまいよ、酔っ
ているわけでもないのに」という意味である。「酔ふ」はもともと「ゑふ」
といった。それが現代語で「えう」にならず「よう」になった経緯について
は、塔婆守のホームページの中の「やまとことばレッスン」の第48回を御覧
いただきたい。「酔えば」を「ええば」では言いにくいであろう。


いろは歌を覆うトーンは、仏教末法思想による、平安時代特有の無常感だと
いわれています。
『方丈記』で鴨長明が克明に記録した、京中いたるところに人の死骸が散乱
する”地獄図絵”は、この時期相次いで京都を襲った天災、大火災・大地震・
飢饉・日照り・洪水などの自然災害が原因です。
 さて、それではいろは歌全文の解釈を見てみましょう。後述する、篠原央
憲『いろは歌の謎』から以下、一部引用します。


一般には、次のような意味とされている。
 「この世に、はなやかな歓楽や生活があっても、それはやがて散り、滅ぶ
ものである。この世は、はかなく無常なものである。この非常なはかなさを
乗り越え、脱するには、浅はかな栄華を夢見たり、それに酔ってはならない」
 しかし、私は「いろは歌」の本当の意味は、かなり違っているものと考え
ている。「いろは歌」は、もっと悲壮で恨みに満ちた歌なのである。私は次
のように訳す。

 「自分はかつて栄光の座で華やかに生きたこともあったが、それはもはや
遠い過去のものとなった。この世は明日が分からない。いま栄華を極めるも
のも、いまにどうなるかわからないのだ。生死の分かれ目の、厳しい運命の
ときを迎えた今日、自分はもう何の夢を見ることもないし、それに酔うこと
もない」

 最初の訳は、普通一般の訳であり、いわば仏教の教理であり、人生の教訓
である。つまり、これが表向きのテーマである。これなら警戒されることは
ない。これまでの研究者はすべてこのように解釈し当然作者は弘法大師か、
そうでなくともたれか僧侶か仏教関係者であろうとしていた。だが、第二の
訳になると、ここではテーマがまったく逆転する。悟りの教えどころか、個
人の怨念であり絶望感そのものである。実に暗鬱なニヒリズムがただよって
いるのだ。

この「個人の怨念・絶望感」「暗鬱なニヒリズム」とは、一体何を意味する
のでしょうか。

3.いろは歌に隠されたものは何か。

 いろは歌には、ある人物のメッセージが暗号として隠されている。その驚
くべき事実は、上古の為政者が打ち立てた日本正史を根底から覆すものであ
り、記紀・万葉集の成立の謎を解き明かす…。今から約20年前、いろは歌、
万葉集などに隠された古代人の暗号メッセージを解読することにより、全く
新しい歴史観を樹立・展開する「古代史暗号」ブームが巻き起こりました。
このブームの中で、『水底の歌』梅原猛、『猿丸幻視行』井沢元彦、『もう
ひとつの万葉集』李寧熙など数々のベストセラーが生み出されました。
 今回、いろは歌の暗号をデコードするため、下2冊のすぐれたナビゲーシ
ョンをご紹介しましょう。

『いろは歌の謎』 篠原央憲 光文社 1976 http://www.japanology.cn/paper/jp/06sinohara_iroha.htm

『いろは歌の暗号』 村上通典 文藝春秋 1994 http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-03.htm


 『いろは歌の謎』『いろは歌の暗号』ともに、デコードされた暗号(キー
ワード)は同じです。そして、このキーワードの発見が、前述の古代史再構
築の暗号ブームを引き起こすこととなりました。デコードのアルゴリズムと
キーワードに関わる主要人物は両著とも同じですが、その仮説検証の方法、
暗号作者の特定、そして何より主要人物特定後の経緯の推理・プロットが、
二著ではまったく異なります。
 それでは、まずは隠された暗号とは何か、見ていきましょう。村上通典
『いろは歌の暗号』を、コンパクトに読書ガイド化した、HP

「いろはかるた漫談」
http://www.tokaido.co.jp/lab/wada/iroha.htm

より、本著のエッセンスを抜粋、再構成してご紹介します。


●いろは歌の暗号解読より浮かび上がる言葉は

 簡単に謎解きの例を要約します。
いろは歌を7文字で折り返して記述すると行の終わりに並ぶ文字「沓」を
上から下に読んで行くと,「とかなくてしす」と読めます。

い ろ は に ほ へ と ↓
ち り ぬ る を わ か ↓
よ た れ そ つ ね な ↓
ら む う ゐ の お く ↓
や ま け ふ こ え て ↓
あ さ き ゆ め み し ↓
ゑ ひ も せ す ←

つまり「咎無くて死す」になるのです。
そこでこれは,無実の罪を着せられて死んだ,万葉の歌人,柿本人麿が怨念
を込めて残した暗号では無いか? と推理できるのです。

 しかし,この説には時代考証上の無理があって,一笑に付された経緯があ
るのですが,誰かが柿本人麿の思いを暗号にして後世に伝えようとしたこと
は確かでしょう。
『いろは歌の謎』を書いた篠原央憲は,この暗号を,偶然作業中に気づい
たと書いています。
それほど,この暗号は巧妙に隱され続けていましたが,すでに江戸時代に
は,気づかれていたようです。
 井沢元彦の「猿丸幻視行」(前述)は「かきのもと」の5字が,巧妙に折
り込まれていることを推理して好評を得た作品でした。

い (ろ) は に ほ へ (と)
ち り ぬ る を わ [か]
よ た れ そ つ ね な
ら む う ゐ [の] お く
や ま け ふ こ え て
あ さ [き] ゆ め み し
ゑ (ひ) [も] せ す (ま)

中央の[の]に注目して下さい。右上の[か]に対して[の]を中心に対
象の位置にある文字は[き] です。
同じく右上の(と)に対して「の]を中心に対象の位置にある文字は[も]
です。
左上の(ろ)に対して[の]を中心に対象の位置には本来文字がありません。
ここに(ま)をあてるのは江戸火消し48組で,「万」組を作ったりした事
例からみて,文字の最後を「万」つまり(ま)にしても無理ではありません。
ちなみに,江戸火消し48組では,「へ」は「へ」のようで失格。「ら」は男
根の意味なので禁句,「ひ」は火に通じてやっぱり禁句という分けで,それぞ
れ「百」組,「千」組,「万」組に代えられています。
こうして列挙すれば,[の]を中心とした斜め右上から左下への往復で、
[か][き][の][も](と)が表れます。
そして,これらの文字が格納された正方形の対角に着目すると、(ひ)(と)
(ま)(ろ)が表れるのです。


(次号〈後編〉へ続く。)


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【2】エディターの箪笥貯金        旧暦スト太陽と月の夢 第二回
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 旧暦では各月の一日は必ず新月、三日目は三日月、十五夜が満月になります。
「晦日の月」といえば、「ありえないこと」を指していましたが、現在では死
語になりました。この月の朔望とは別に、太陽の運行を二十四等分したのが立
秋、処暑、白露といった二十四節気で、約十五日毎の季節のめやすになってい
ます。誤解されやすいのですが、旧暦は月と太陽、両方のリズムを組み合わせ
た太陰太陽暦なので、単純な陰暦ではありません。一年の始まりは、「立春」
に近い新月の日から始まります。種蒔きの好日である八十八夜、台風のくる二
百十日などの雑節も、立春から数えた日数で計算されています。

 この二十四節気をさらに三等分し、約五日毎に気象、動物、植物の変化を記
したものが七十二候で、中国から導入されたものですが、日本の風土に合わせ
てアレンジされ、花鳥風月の源泉を感じさせるこまやかな内容になっています。
もっとも七十二候は、さほど重要視されていませんでした。また行事なども記
載されないことが多かったのです。自然の変化が風土によって異なったことと、
それにともなう生活行事や祭事も、当たり前すぎてことさら記載する必要がな
かったからです。作家の石川英輔氏によれば、江戸時代までの特徴は、季節に
応じた節句や行事によって人々に村単位、職業単位の個性的な祝祭日、休息日
が存在していたことだといいます。かつては自然と日々、向き合う生活が現実
としてあり、旧暦はそうした風土や地域性に添うことのできるスローな暦だっ
たのです。

 ところで、旧暦が不便なものだと思われがちなのは、各月の日数が29日か
30日で不定期であること、数年に一度、閏月が入ることなどがその理由です。
江戸時代の人々は、29日の月を「小の月」、30日の月を「大の月」と呼ん
でいました。毎月の日数が変わるのは面倒ですが、あくまでも月の朔望に忠実
なので、カレンダ−がなくても月を見上げれば大体何日かわかる、シンプルなし
くみです。ただ商売上、月末がいつかを知ることは次第に重要となってきたの
でしょう。たとえば「大大小小大小大小大大….」というように、毎年変わる複
雑な並び方は百通り以上もあるのですが、これを絵文字や隠し絵などにしたも
のが「大小暦」です。まず商人が年末に引き出物として絵暦を配る習慣が広ま
り、競って腕のいい絵師に依頼するようになりました。次第に洗練され、頓知
のきいた絵暦が盛んに描かれ、各地で盛んにコンクールが開かれたほどでした。
この絵暦の工夫が多色刷りのきっかけになり、その絵が素晴らしいというので、
暦と切り離し、絵だけが出回るようになったのが「錦絵」のはじまりといわれ
ています。

 ちなみに江戸末期の暦の発行部数は、幕府公認のものだけで年間450万部。
それ以外の非公式な海賊版も多く出回り、これは世界でも類を見ない普及率な
のだそうです。なぜこれほど暦が普及したのか。それは日本にこれほど明確で
変化に富んだ四季があり、それに合わせた農耕、衣食住の工夫が必要だったか
らに他なりません。

 旧暦は明治5年で廃止され、政府は使用することを厳しく禁じてきました。
祝祭日を統一し、全体主義国家を形成する上で旧暦は排斥すべきものとなった
のです。しかし、実際には農村を中心に根強く残り、昭和21年の調査で、五
節句など月遅れの行事を行っている地域は42%を占めていたというデータも
あります。公式に使われなくても、旧暦ベースの風習をなくすのにいかに時間
がかかったか、想像がつきますね。その後、週休二日制の浸透とともに、旧暦
は急速に衰退し、今日に至っています。現在も旧暦でおこなっている祭は出雲
大社を始め、各地に残っていますが、催行する人々の都合上、旧暦に近い土日
などに変更されるケースも少なくありません。日にちが固定している祭でも、
仙台七夕は8月初旬、松尾大社の八朔祭は9月第一日曜、長崎おくんちは10
月初旬というように、旧暦に近い月遅れで定着した祭も意外と多いのです。

 さて、東西を問わず、暦の始まりはすべて天文学です。天体と自然の循環を
観察し、年月日という目盛りになるべく合致するように工夫されたもの。とこ
ろが、円周率でもおわかりのように、自然界は不思議なことにすべて永遠にわ
りきれない「無理数」で成り立っています。旧暦に限らず、暦というものは正
確であろうとすればするほど複雑になってしまうという面があるのです。月の
朔望も平均すると29.53日ですが、実際には不規則な楕円軌道なので、長い周
期と短い周期があります。毎年、変わる旧暦の大小月はより自然に忠実である
ともいえ、ともかく新月の日が各月の朔日として始まります。そして月の朔望
にしたがう十二ヶ月は354日。太陽の運行する365日とは11日余りのず
れがあります。このずれが約1ヶ月になる数年に一度、閏月を入れて調整しま
す。閏の入る年は1年が13ヶ月になるというだけで、月の朔望にしたがうこ
とに変わりはありません。

 ちなみに今年は閏文月が入ります。なので、おそらく今年は梅雨明けが遅く、
残暑が長引くのではないかと予想していましたが、本当にその通りになりつつ
あります。閏月による変則は、自然界の1/f揺らぎと一致しているという説
もあるのです。今現在、科学的でないものも、科学的に解明される日がくるか
もしれません。実際に気象データをとり続けている旧暦お天気博士・小林弦彦
氏の予測的中率は七割とか。こうした予測をビジネスに生かそうという動きも
あるようです。

 いずれにしても旧暦を手元に置くようになってから、季節が面白いように二
十四節気に沿って動いていることを実感できるようになりました。ちなみに新
暦8月8日は立秋でしたが、我が家の周辺では奇しくも夏の終わりを告げる蜩
が鳴き始め、13日には秋のソリスト、鉦叩きの声があちこちから甲高くチン、
チンと響き始めました。まだしばらく残暑は続きますが、朝夕の涼しさや夕立
ちはすでに秋のもの。マンションの小さなベランダには遅く生れた二羽の小雀
が献身的な母親に連れられて、なんとも微笑ましい姿を見せてくれるのですが、
本格的な秋がやってくる前に無事に育ってほしいと願っています。こんなふう
に身の回りの変化で、自分なりの歳時記を作ってみても面白いかもしれません。


■プロフィール■
高月美樹(たかつきみき)
1962年東京都生まれ。和文化エディター。和文化手帖「旧暦日々是好日」を発
行するLUNAWORKS代表。http://www.lunaworks.jp

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【3】言の葉通信            言の葉庵カルチャー講座スタート
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 今年10月度より、東急セミナーBE渋谷校にて、【言の葉庵】がカルチャー講
座となって登場します。二講座同時スタート。


〔講座1.花と幽玄の秘伝書『風姿花伝』を読む。〕

講師 : 古典翻訳家 水野 聡
日  時 : 10月3日 (火曜) から6ヶ月 全6回
      第一火曜 (1月は第三)13:00~14:30
受講料 : 17,400円
講義内容 : 千年にひとりといわれる天才能役者、世阿弥。六百年間一子相伝
のみにて封印されてきた、その秘伝書を、当講座で読み解きます。日本人だけ
が「美しい」と感じるものは何か。また、それはなぜか…。
「花」と「幽玄」をキーワードに、磨き抜かれた達人の知恵と感性から、美の
本質を学んでいきます。

東急セミナーBEオフィシャルHP講座のご案内
http://www.tokyu.co.jp/be/0410c/index.html

『風姿花伝を読む』案内パンフレット
http://nobunsha.jp/img/tokyubefushi700.jpg

〔講座2.『葉隠』に学ぶ、武士道ビジネス・コミュニケーション術〕
(一日特別講座)

講師 : 古典翻訳家 水野 聡
日  時 : 10月23日(月曜) 19:00~20:30
受講料 : BE会員 2,500円 一般 2,700円(入会金不要)
講義内容 : 「武士道というは死ぬことと見つけたり」―武士道の聖典と位
置づけられる『葉隠』より、現代人が熾烈なビジネスシーンでいかに強く、
正しく生き抜くべきか。その知恵と秘訣を、『葉隠』本文に散りばめられた、
数々の名言・名文から汲み取り、学ぶための一日特別講座です。


東急セミナーBEオフィシャルHP講座のご案内
http://www.tokyu.co.jp/be/0410c/index.html

『武士道ビジネス・コミュニケーション術』案内パンフレット
http://nobunsha.jp/img/tokyubehaga700.jpg


 講座1.花と幽玄の秘伝書『風姿花伝』を読む。は、月1回開講、6ヶ月間の
通常講座。能楽プロデューサー対談、能楽堂見学野外講義、名人ビデオ鑑賞
など、視聴覚・五感を総動員して、実地に学ぶ体験型カリキュラム。能楽初
心の方にぴったりのコースです。
講座2.『葉隠』に学ぶ、武士道ビジネス・コミュニケーション術は、入学金
不要の誰でもご参加いただける一日体験特別講座。究めつけの名言が少なく
とも200はある『葉隠』から、今すぐビジネスに役立つとっておきの名言と
秘話を、さまざまなシーンで活用法を交えながらわかりやすく噛み砕いて解
説します。

なお以下の日程にて、当講座を掲載する、東急セミナーBE10月期新講座の新
聞折込を実施しています。ぜひご覧ください。
8/17(木) 朝日新聞
 /18(金) 読売・日経新聞
9/6 (水) 朝日新聞  再配布
※一部地域によっては折込のない場合もあります。なお、東急電鉄各駅およ
び、東急セミナー渋谷校にて随時配置しています。

 お申し込み・お問合せは、下記まで直接お願いいたします。(講座1.花と
幽玄の秘伝書『風姿花伝』を読む、のお申し込み・ご予約は東急セミナー
渋谷校受付カウンターで承ります)

東急セミナーBE 渋谷校
東京都渋谷区道玄坂1-2-2渋谷東急プラザ7・8F
電話番号 03-3477-6277
受付時間  月~土 10:00~20:00
      日曜  10:00~16:00(祝日定休)


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【4】お知らせ                 『奥の細道』第一稿完了
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 芭蕉は、旅と風狂の人。舟に生涯をうかべ、馬のくつわ取って老いるのみ。
他には何も求めませんでした。杜甫を師とし、西行を鑑としました。義仲を愛
し、実盛に涙しました。酒を飲まず、家を持たず、妻も子もありません。舞い
降りる俳諧の神を待ち、西の空を見上げ見続け、死んだ後もその言の葉は魂と
なって枯野をかけ巡るのです。

 『奥の細道』には、自然描写がほとんどありません。これは名所をただ案内
する紀行文ではなく、俳諧・俳文のかたちを借りた、芭蕉の文章芸術の集大成
であり、記述は事実ではなく創作だからです。芭蕉が細道で重要としたものは、
古人の夢の跡をたどることと今生きている人々との魂の交歓でした。五ヶ月間、
全行程六百里にもおよぶ生涯最大の旅程の中で、実に多くのところの人、門人
たちと心を通わせ、それはまた句となり文となって本稿に綴られていきます。

 奥の細道を終えた芭蕉の作風、蕉門俳諧はがらりとその姿を変えたといいま
す。晩期芭蕉のめざしたものは「軽み」。滑稽、修辞技巧を旨としたそれまで
の談林俳諧の軽さとは、まったく似て非なるもの。細道の旅の後入門した、新
人の凡兆はじめ、去来・曾良などベテラン、中堅の門弟もよく師匠の新しい教
えを飲み込み咀嚼し、俳諧に展開していきました。ところで、芭蕉が生涯家庭
も財産も持たず、ただ純粋に俳諧と旅に打ち込めたのも、これら多くの門人の
経済的・精神的援助と協力があったからです。芭蕉はただその能を見抜き、才
を愛し、人を身なり出自で拒みません。乞食をしていた路通を拾い上げ門弟と
し、当初、曾良のかわりに細道の旅に同行させようとしたほどでした。当然、
俳名が高まるにつれ入門希望者もどんどん増えていきました。

 この門人たちと芭蕉の交わりをよくうかがい知るエピソードがあります。奥
の細道の終点大垣でのひとこまです。まずは大垣の段より。


 露通もこの湊まで迎えに来て、ともに美濃国に向かう。駒の助けを借り、大
垣の庄に入れば、曾良も伊勢より来たる。越人も馬を飛ばして、みな如行の家
に入り集う。前川子、荊口父子、その他親しい人々が昼夜訪ねてきて、まるで
死者が蘇生したとでもいうように、ともに悦び、かついたわってくれる。旅疲
れいまだ癒えぬ内、長月六日になれば、伊勢の遷宮を拝もうと、また舟に乗り、

 蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行秋ぞ

鑑賞(はまぐりの蓋と身が別れるというが、ここで皆と別れ、二見が浦を見に
行こうとする。ふたたび相見える時もあるものか、と心細い秋である。「行
秋ぞ」は、冒頭の「行春や」と合わせ、紀行文を閉じる)
 ~『奥の細道』水野聡訳 能文社


 芭蕉が滞在した大垣、如行の家では、門人十数名がぞくぞくと集まって来
て、「まるで死者が蘇生」したかのように、師の帰着を喜び祝います。集ま
った門人に、芭蕉はねぎらいのことばとともに、旅の携行品を記念として分
け与えます。蓑・笠・筆・墨。そして、紙衾(かみぶすま。旅行に携帯する
紙製の寝具)が、特別に「紙衾の記」を付され如行の門人、竹戸へと授けられ
ました。鍛冶職人の竹戸が、大垣滞在中、大師匠の肩・腰を毎晩揉んだ功に
よるものです。


 古き枕古き衾は、貴妃が形見より伝へて、恋といひ哀傷とす。錦床の夜の
褥の上には鴛鴦をぬひ物にして、二つの翼に後の世を託つ。彼はその膚に近
く、其にほひ残りとどまられんをや、恋の逸物とせん、むべなりけらし。い
でや、此紙の衾は恋にもあらず、無常にもあらず。蜑の苫屋の蚤を厭ひ、駅
の埴生のいぶせさを思ひて、出羽の国最上といふ所にて、ある人の作り得さ
せたる也。越路の浦々、山館野亭の枕の上には、二千里の外の月をやどし、
蓬葎の敷寝の下には、霜に小莚のきりぎりすを聞きて、昼は畳みて背中に負
ひ、三百余里の険難をわたり、終に頭を白くして、美濃の国大垣の府に至る。
なほも心の侘びを継ぎて、貧者の情を破る事なかれと、我を慕ふ者にうち呉
れぬ。
「紙衾の記」~『全釈奥の細道』山崎喜好 塙書房


 世話になったものへ寝具を賜ることは、失礼なことや、ましてや艶めいた
ものなどでは全くありません。当時、師や主君に忠なるものほど、その肌身
に触れた御物を賜ることは至上の喜びとされていました。『葉隠』著者、山
本常朝は、主君よりひとりひそかに召し出され、「自分の私用に使う者(御
歌書役)に、公には何も褒美をやれないのでせめてもの気持ちとして自分の
夜具を下す。家老にもいうな」と主君の布団を賜って感涙に咽び、主君に万
一のことがあれば、この布団を敷きその上で追腹を切る、と決心した逸話が
あるほどです。
 さて、紙衾とこの書付まで与えられた竹戸は有頂天となって一句。

竹戸「首出して初雪見ばや此の衾」


まわりを取り囲む先輩門人も、心中おだやかではありません。しかし…。こ
の句に対し、先輩門人たちは、

越人「此ふすまとられけむこそ本意なれ」
曾良「いま竹戸にあたへられし事をそねんで、奪はんとすれど大石のごとく
   あがらず」
  「畳みめは我が手のあとぞ其衾」

 と銘々即興の句を詠みます。旅の終わりを悦ぶほっとした空気と、なによ
りも師匠を中心とした門弟たちの和気藹々とした空気、仲のよさが感じられ
るではありませんか。蕉門俳諧が一世を風靡した理由のひとつに、門人ひと
りひとりの俳人としてのレベルの高さと同時に人格の高潔さがあるといわれ
ます。助け助けられ、教え教えられして、社中互いに睦み高めあう、理想的
な芸道組織が芭蕉門では自ずと実現されていたのでしょう。


 言の葉庵新訳書、『奥の細道』は、現在第一稿が完了したところ。
本著の特徴は、岩波文庫版を底本として、所収『おくのほそ道』本文、『曾
良旅日記』、『奥細道菅菰抄』の三篇をすべて現代語にて完訳・併載したも
のです。2006年11月刊行予定。
 細道本文は、紀行文ではなく「俳文」であることを重視し、意訳・置き換
えをせず、かつ逐語訳・直訳のぎこちなさを克服しました。また、所収各句
には最低限句の意味を知るための「鑑賞」を置きます。鑑賞者・解釈者自身
が「感動」し、「歌う」ことを堅く戒めた客観的なものさしです。曾良旅日
記と菅菰抄は、史上初の現代語訳(全文)。ともに奥の細道の世界に、分け入
るための初心者・上級者すべての必須ガイドでしょう。

 『奥の細道』発刊までは、言の葉庵HP・メルマガにて、随時エッセンスを
ご紹介していく予定です。

……………《編集後記》………………………………………………………………

 川崎花火大会に行きました。夏の終わりは、なぜこうもうら寂しいのでしょ
うか。思えば古来、日本人ほど去るもの、過ぎ行くものに思いをいたし、これ
を惜しみ愛する民族はいなかったのではないでしようか。反面、強いもの、尊
大、驕りを嫌う。日本文化は、こうした民族の好み、”滅びの美学”で成り立
っているように思えます。禅・茶・能・連歌・俳諧…。武士道さえもそうです。
「侘び」「寂び」「幽玄」「細み」「軽み」。ただ、この”滅び”好みが高じ
ると、少々おかしなことにもなってきます。侘び茶の世界を友人が評したこと
ば、「お金持ちの貧乏ごっこ」。ゆえに、利休の作った黄金の茶室の解釈は実
に難しい。きんきらきん、なのにやつしです。しかし、利休はみごと割腹して
”滅び”をまっとうしました。また、一部の地方を除いて、芭蕉「奥の細道」
の旅は、地元の富裕な門人たちの援助により結構優雅で豪勢であったとさえい
います。さて、このへんの「?」が庵主の夏休みの課題。提出期限迫る!汗汗
(言)

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2006年08月28日 10:21

 

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