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『葉隠』名段落集

言の葉庵の古典翻訳書シリーズは現在全10作。翻訳方針として、ポピュラーな古典文学作品ではなく、現在埋もれているけれども、時代を越えた達人の普遍的な智慧を今に伝える〔秘伝書〕をとりあげたラインナップとなっています。

これらはとりわけ芸道分野の相伝書、能や茶道などが中心ジャンルとなっていますが、趣味性の強い分野にふれたことがない一般の読者が読んでも充分理解でき、面白い作品群が「武士道」もの。

武士道書のバイブルとされる『葉隠』は全1300話の膨大な記録ですが、どこを切り取っても、面白く、興味の尽きない、戦国期ノンジャンルの代表的な著作といっても良い珠玉の作品です。

先般、TVドラマ『影武者徳川家康』が放映され注目を集めました。原作者、隆慶一郎が時代フィクションに開眼し、ストーリーテラーとしてもっとも大きな影響を受けたのが、『葉隠』だといわれています。三島由紀夫も『葉隠』の魅力にとり憑かれ、ことのほか愛読しました。

『葉隠』は、その内容の面白さはいうまでもなく、磨きぬかれた名言名句の多さでも群を抜いています。最初の一篇(聞書一)のみを見ても、以下のような名言が随所に散りばめられているのです。


◇葉隠の名言名句

・武士道とは、死ぬことと見つけたり。

・一人の知恵は一本の木が突っ立っているようなものである。

・総じて用がない限り、呼ばれぬ席には顔を出すものではない。

・酒は公式なものである。

・その道に深く入れば、ついに果てもないことを知るゆえ、これでよしと思うことができなくなる。

・大事な思案は、軽くすべし。

・聖の字をヒジリと読むのは、非を知るという意味。

・勝負は時の運。恥をかかぬしようは別のこと、死ぬまでである。

・奉公人に疵のつくことがひとつある。富貴になることだ。

・大雨の感ということ。

・自分の出した手紙は、先様の床の間で掛け軸になると思え。

・災難というものはあらかじめ予想していた程ではないものを、その時を思い描いて苦しむのは愚かなことである。

・人の心を見たければ、病気になれ。

・常にないことが起きれば異変だとかいい、何々の前触れとして扱うことは愚かなことだ。

・究め役は罪人の言い分を立てて、助かるようにと願って裁くべきだ。

・分別も久しくすれば寝まる。

・人をもつとは、わが口で物を食ってはならずということだ。

・添削を依頼してくる人のほうが、添削する人より上なのだ。

・一生の間、不足、不足と思い、思い続けて死ぬことが、後から見れば成就した人といえるのである。

・物事二つに分かれることがよろしくない。


現在、学校でも家庭でも、決して教わることのできない、人が人として生きていくための必須、かつ普遍の智慧を含む『葉隠』の名段落を以下ご紹介します。ぜひこの機会に味わってみてください。


●『葉隠 現代語全文完訳』能文社 2006年

聞書第一


二 武士道とは、死ぬことと見つけたり。生死分かれ目の場に臨んで、さっさと死ぬ方につくばかりのこと。特に仔細などない。胸すわって進むのだ。うまく行かねば犬死、などとは上方風の打ち上がった武道のこと。生か死かの場面で、うまく行くかどうかなどわかるわけもない。人皆生きる方が好きである。されば、好きな方に理屈をつける。もしうまくいかずに生き残ってしまえば腰抜けだ。この境目が危うい。うまく行かずに死んでしまえば犬死で気違いである。しかれども、恥にはならぬ。これを武道の大丈夫という。毎朝毎夕くり返し何度も死んでみて、常時死に身となって居れば、武道に自由を得、一生落度なく家職も仕果たせるものである。


五 わが一分の知恵ばかりで万事進めようとするゆえ、私となり天道に背き悪事となるのだ。他人から見ると、汚く、手弱く、狭く、効果もなく見える。よい智恵を思いつかぬときは智恵のある人に相談すればよい。その人はわがことにはあらぬゆえ、私がなく自然な智恵で考える。されば道に叶うものである。はたから見ると、根強く確かに見えるもの。たとえば大木がしっかりたくさんの根を張っているようなものだ。一人の知恵は一本の木が突っ立っているようなものである。


一八 明日のことは前夜より案じ、書いておいたものだ。これも人に先んじて計画しておきたい心得である。いずれかへ約束により出向く時は、前夜より先様の諸事万端、挨拶の会話、礼の仕方まで案じおいた。某所に同道した時、以下のように話した。訪問する時は、まずご亭主のことを良く考えながら行くがよい。和の道であり、礼儀である。また、貴人のもとへ招かれたなら、億劫に思ってゆけば座が持たぬ。さてさて、ありがたいことかな。どんなに面白いことであろう、と思い込んで行くとよい。総じて用がない限り、呼ばれぬ席には顔を出すものではない。招待された場合は、さてもよい客ぶりだ、と思われるようにしなければ客ではない。いずれにせよ、その座の段取りを前もって呑み込んで行くのが大事なこと。酒席は一番大事だ。引け際が肝である。飽きられず、かといって早すぎもしないようにありたいもの。また常のことでもあるが、出された料理を遠慮しすぎるのも、かえってよろしくない。一度二度すすめられ、さらに言われたらいただきなさい。はからずも行きがかり、引き留められた時などの心得もかくのごとし。


二一 覚の士、不覚の士ということが軍学で取り沙汰されている。覚の士とは、色々な出来事を経験し、対応方法を身に付けただけということではない。前もって予想される方法をいろいろ準備しておき、いざその時に至り、やりおおせた者をいう。つまり、万事前もって決め置くのが、覚の士である。かたや不覚の士は、その時になってたとえ上手くいったとしても、それはたまたまのことである。前もって検討しないものを不覚の士というのだ。


二三 酒席は厳格であるべき。気をつけて見ていると、大方はただ飲んでいるだけだ。酒というものは、きれいにしめてこそ酒といえるのだ。気遣いがなければ、いやしく見えるばかりである。飲み方次第で、その人の心入れも器もおおよそわかってしまう。酒は公式なものである。


四五 某剣術者が晩年にこう語った、
「剣術家は一生の修行に段階がある。下位は修行しても物にならず、われも下手と思い、人も下手と見る。この段階では役に立たない。中の位はいまだ役には立たないが、わが不足に気がついて、人の不足も見えてくる。上の位は、わが術を体得して自慢でき、人にほめられて喜び、他人の不足を残念に思うのだ。これは役に立つ。上々の位は、知らんふりをしている。人も上手と見る。大方はここまでだ。この上に一段立ち越え、道の絶えた位がある。その道に深く入れば、ついに果てもないことを知るゆえ、これでよし、と思うことができなくなる。われに不足あることを真実悟るので、一生成就の念なく、自慢なく、卑下の心もなくして終わるのだ。柳生殿がいった
『人に勝つ道は知らず、われに勝つ道を知りたり』
も、昨日よりは上手になり、今日よりは上手になりして、一生日々仕上げて行くことである。これも果てがないという意味なのだ」。


四六 直茂公のお壁書に、
「大事な思案は軽くすべし」
とある。一鼎の注には、
「小事の思案は重くすべし」
としている。大事というものは、せいぜい二、三箇条くらいのものであろう。これは普段詮議しているものなので皆よく知っているはず。前もってよくよく思案しておき、いざ大事の時には取り出して素早く軽く一決せよ、との意味と思われる。事前に考えておかなければ、その場に臨んで、軽く分別することも成り難く、図に当たるかどうかおぼつかない。しかれば前もって地盤を据えておくことが
「大事な思案は軽くすべし」
といった箇条の基本だと思われる。


四七 宗龍寺の江南和尚のもとに、美作守殿、一鼎などの学問仲間が集まり学問談義をしかけたところ、
「皆様方は物知りで結構なことである。しかれども道に疎いという点では凡人にも劣るようだ」
といったので
「聖賢が説く道以外に、道というものはなかろう」
と一鼎が反論した。江南和尚は
「物知りが道に疎いというたとえは、東にいくはずの者が、西へ行ってしまうがごとしである。物を知るほど、道から遠ざかってしまう。その仔細は、古の聖賢の言動を書物にて見覚え、話にて聞き覚え、見識が高くなり、もはや自分も聖賢に達したかと凡人を虫のように見下すからである。これが道に疎いということである。そもそも道とはわが非を知ることである。考えに考えて非を知り、一生打ち置かないものを道という。聖の字をヒジリと読むのは、非を知るという意味。仏は知非便捨の四字でもってわが道を成就すると説いている。
心に心をつけてみれば、一日の間に悪心が起きること、数限りない。われはよしと思うことなどできるはずもない」
と諭したので一同はそれより和尚を尊敬したとのこと。しかれども武辺は別物だ。大高慢にて、われこそ日本に並びなき勇士と思い込まねば武勇をあらわすことは成り難い。武勇をあらわす覇気の位は、かくあるものだ。口伝あり。


五五 なにがしが、喧嘩の打ち返しをしなかったため恥をかいた。打ち返しの仕方は踏み込んで行き斬り殺されるだけのことである。これで恥にはならぬ。仕留めるべし、と思うから間に合わないのだ。敵は大勢などといって、時を移すから、結局やめとなる相談に落ち着いてしまう。相手が何千人であろうと片っ端からなで斬り、と思い定めて立ち向かうだけで成就するのだ。たぶん、仕遂げることができるもの。
浅野殿浪人の夜討ちも、泉岳寺にて腹を切らなかったのは落ち度だった。また、主を討たれてから、仇を討つまで延々であった。もしその内に吉良殿が病死でもしてしまえば、残念千万。上方衆は智恵賢きゆえ、褒められる仕様は上手だが、長崎喧嘩 ※1のように無分別にはできぬとみえる。曽我兄弟の夜討ちも、ことのほかの延引。幕の紋見物の場面で、祐成が目的を果たせなかったのは不運だったが、五郎の申しようは見事であった。そうじてかような批判はすべきでないが、これらも武道の吟味ゆえあえていう。
前もって吟味しておかねば、行き合って分別できないため、大方恥となってしまうもの。話を聞き覚え、物の本を見るのも、前もって覚悟するためである。なかんずく武の道は、今日の命も知らず、と思って日々夜々箇条を立て吟味すべし。勝負は時の運。恥をかかぬ仕様は別のこと。死ぬまでである。その場で叶わぬなら、打ち返しだ。これに智恵も技もいらぬ。曲者は勝負を考えず、無二無三に死に狂いするばかり。これにて夢覚めるべし。


五六 奉公人に疵のつくことがひとつある。富貴になることだ。貧乏さえしていれば、疵はつかぬもの。また、なにがしは利口者だが、仕事の非が目に付くたちだ。この位では立ちかねるもの。世間は非だらけと、初めに思い込まねば、おそらく顔つきが悪くなって人が受け入れぬ。人が受け入れねば、いかによい人でも本義ではない。これもひとつの疵と覚えたとの由。


七九 大雨の感ということがある。道中にわか雨にあい、濡れたくないと道を急いで走り、軒下などを通ったとしても濡れることに変わりはない。最初から腹をくくって濡れるのであれば、心に苦しみはない。どっちにしても濡れるのだ。これは、よろずにわたる心得である。


九二 なにがしがいうには、
「浪人などといえば難儀千万この上もないもののように、皆思っている。その期に及ぶとことのほかがっくりとなり、へこたれてしまうものだ。浪人してより後はさほどでもない。前に想像していたのとは違う。今一度浪人したいくらいだ」
とあった。もっとものことである。死の道も、平生死に習っていれば、心安らかに死ねるもの。災難というものはあらかじめ予想していた程ではないものを、その時を思い描いて苦しむのは愚かなことである。奉公人の打ち留めは、浪人切腹に極まると常々覚悟すべきである。


九四 「人の心を見たければ、病気になれ」
という。普段親しくし、相手が病気または難儀の時大方にする者は腰抜けだ。誰であれ不幸な人には別けて立ち入り、見舞いや付け届けをすべきだ。恩を受けた人には、一生疎遠にできないものだ。かようの事にて、人の心入れはわかるもの。しかし、わが難儀には人に頼り、その後思い出しもしない人が多いものだ。


一〇五 常にないことが起きれば異変だといい、何々の前触れとして扱うことは愚かなことだ。皆既月食、箒星、籏雲、光る物体、六月の雪、師走の雷などは、五十年、百年の間には起こることである。陰陽の運行に伴って出現する。日が東より出で、西に入るも、常にないことならば、異変というべきだろう。同じことだ。また天変地異に伴って、世間に必ず事件が起こることも、籏雲を見ては何か起こるはずだ、と人々がわが心に異変を映し事件を待ちわびるゆえ、その心から事件を招いているのだ。異変の使い方には口伝がある。


一一〇 目付け役は、大局的にものを見なければ、国の害となる。目付けを仰せ付け置かれるのは、殿が国をお治めするためだ。殿様おひとりで国のすみずみまで見聞なさるのは無理なこと。殿様のお身持ち、家老の邪正、処分の是非、世間の声、下々の苦楽を克明にお耳に入れ、政道を正せるようにするためである。
目付けとは、上に目を付けるのが本意である。しかるに下々の悪事を見出し聞き出し、いちいち言上するので世の中悪事が絶えず、かえって害を招くといったのだ。下々に直なる者は稀である。下々の悪事は国家の害にはならぬもの。また、究め役は罪人の言い分を立てて、助かるようにと願って裁くべきだ。これもすなわちお家のためになる。


一二二 古人の言葉に、七息(しちそく)思案というものがある。隆信公は
「分別も久しくすれば寝まる」
と仰った。
直茂公は、
「万事しだるいものは十に七うまくいかぬ。武士は物事手っ取り早くするものぞ」
と仰った。
心気がうろうろしだすと、分別も埒が明かず。淀みなく、さわやかに、凛とした気では、七息の間に分別は済むものだ。胸すわって突っ切れた気の位である。口伝する。


一三二 山本神右衛門(善忠) ※2が常々いっていたことは、侍とは人を持つことが究極である、ということだ。いかにご用に立つべしと存じていても、一人で戦はできぬもの。金銀は人に借りて作れる。人はにわかにできあがるものではない。かねてよい人を懇ろに扶持すべきである。人を持つとは、わが口で物を食ってはならずということだ。一飯を分けて、下人に食わせれば、人を持つことができる。それゆえ
「神右衛門ほど身上のわりに多くの人を持っている人はなし。また、おのれより優れた家来も多く持っている」
と当時取り沙汰されたものだ。仕立て上げた人材に、直参の侍、手明槍に抜擢された衆が数多いる。さてまた、組頭に仰せ付けられた節
「組の者は、神右衛門が気に入った者を新たに召抱えるように」
とて、新規分の扶持米も与えられた。が、召抱えたのは皆自分の家来だった。勝茂公が月祭りの時、神右衛門に寺井の神水を取って来るよう命じた。
「神右衛門の組の者どもに命じるよう。この者どもは深みに入り込んで汲もうとする者だから」
とのご意向であった。このようにお心遣いいただいては、誠心誠意お仕えしないわけにはいかぬ。


一三八 人を越えたければ、わが振る舞いを人に言わせ、意見を聞くだけでよい。並の人は、自分ひとりの考えで済ますゆえ一段越えるということがない。人に談合した分だけ、一段越えたものとなる。
なにがしが役所の書類について相談にやってきた。自分よりもよく書けるし、勉強もしている人である。添削を依頼してくる人の方が、添削する人より上なのだ。


一三九 修業というものは、これで成就したということがないものだ。成就したと思う心そのものが道には背く。一生の間、不足、不足と思い、思い続けて死ぬことが、後から見れば成就した人といえるのである。純一無雑、打成一片とは、なかなか一生の間には成りがたい。混じり物がある間は道ではないのだ。奉公武辺一片になるよう心がけるべきである。


一四〇 物事二つに分かれることがよろしくない。武士道ただひとつに専念し、他に答えを求めようとしてはならぬ。道の字は、ひとつの同じことを意味している。しかるに、儒道や仏道を学んだ後、武士道も修行するというやり方は道にかなわぬ。かくのごとく心得て、諸道をも聞くのであれば、道の修行にはいよいよ役に立つ。


※1 長崎喧嘩 『葉隠』本文において度々言及される長崎市中での鍋島家中の私的騒動。元禄十三年、泥水の跳ね返りが元で、鍋島茂久家来、深堀三右衛門、志波原武右衛門が長崎市中において、長崎町年寄、高木彦右衛門の中間、惣内と口論したことに端を発す。三右衛門、武右衛門に打擲された惣内は、その夜報復。高木家家来十余名にて深堀家を襲い、三右衛門、武右衛門を袋叩きの上、刀を奪い引き揚げる。さて、これを聞いた三右衛門の子、嘉右衛門と武右衛門の下人は急ぎ国許より長崎に駆けつけ、三右衛門、武右衛門とともに高木屋敷を襲い、惣内はじめ高木家中多数を斬殺し本望を達した。三右衛門、武右衛門はその場で切腹。後日、江戸での裁き。加勢した十名には切腹、騒ぎに出遅れた者には遠島との仰せ渡しであった。

※2 山本神右衛門(善忠) 常朝の父、先代山本神右衛門重澄。戦国武士の遺風を色濃く残し、著者常朝の武士道思想形成に大きな影響を与えた。

2014年01月23日 19:34

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