葉隠 現代語全文完訳
著者:山本常朝、田代陣基著 水野聡訳
本体価格:4,480円 +税
版型:A5版上製 本文2段組 全526ページ
発売日:2006年7月1日
出版社:能文社
ISBN978-4-9904058-0-9
※品切/重版未定
[山本常朝とは]
江戸元禄年間の佐賀藩士。万治二年(1659)、代々鍋島家忠臣の家、山本神右衛門重澄の末子として生まれる。重澄七十歳の子である。生まれながら病弱で、父親は塩売りの子にでもくれてやろうとしたが、組頭に留められ松亀と名付けられ育てられた。九歳で藩主光茂付きの小僧として召し出され、名を不携と変える。十三歳で市十と改名、小姓役となる。二十歳で元服、権之丞と改め、御書物役手伝いを勤めた。その後、主君に一時役目を解かれ奉公を離れる。この頃、高名な儒者石田一鼎、鍋島菩提寺 高伝寺住持の湛然和尚等と親交を深め薫陶を受ける。二十八歳で再び召し出され、江戸書写物御用、京都詰緒書物役を勤めることとなる。
元禄十三年(1700)、藩主依頼の「古今伝授」を京都から佐賀の光茂へともたらす。が、光茂はこれを拝受した後、十五日で他界。常朝は主君逝去とともに剃髪して出家。以降、金立山黒土原に隠棲する。
十年後の宝永七年、葉隠筆録者、田代陣基の訪問を受ける。その後、約七年間にわたり陣基に、葉隠の原話を語って聞かせ、享保元年(1716)頃完成をみる。享保四年、六十一歳にて生涯を終える。戦のない太平の世に、古き鍋島侍の矜持を守り、「葉隠武士道」を身をもって貫いた一生であった。
[葉隠とは]
葉隠は、今から約290年前、佐賀藩士山本神右衛門常朝の物語を同藩士田代陣基が筆録・編纂した聞書体裁の佐賀鍋島武士道語録である。聞書の内容は、武士として鍋島藩士としてのあるべき姿、心構えをまず説いたものであり、歴代の藩主、鍋島侍、僧から町人にいたるまで広汎な人々の言行録を膨大な説話として収録したものである。
「武士道というは死ぬことと見つけたり」で有名なように、その激烈な論調でとかく異端視、誤解されやすい書物ではあるが、戦もなく太平の世にて戦国侍の気風が失われつつあった当時にあって、これを嘆き正しい奉公人、侍の姿を真摯に追い求めた武士道の聖典といわれる歴史的名著である。
その今日的意味はどうであろう。本文中にたびたび出る「奉公」「追腹」を、「会社勤め」「退職」と読み換えれば、そのまま現代日本の閉塞的状況を言い表しているようなリアルな視点を感じさせる。常朝がいいたかったのは、ただ嘆き告発することではなく、こうした状況をものともせず、鍋島武士としていかに恥を忘れず剛の者として生きていけばいいのか、ということだと思う。
葉隠は、全十一巻、総項目数1,299話の膨大な書物である。ただ、短いエピソードが、それほど強い関連もなく構成されているため、どこからどのように読んでも構わないようになっている。つまり評論家はわが得意の分野のみピックアップして批評を加えるため、三島由紀夫をはじめとしていかに歪曲、換骨堕胎された私葉隠論の多いことか。現在出ている現代語訳も聞書一、二の教訓部分のみを選択した「抄」がほとんどである。本文量の多さも忘れ、あっという間に読了してしまう物語的な面白さに満ち溢れた本である。誤った葉隠感を持たぬためにもぜひ、当現代語完訳を通読されることをおすすめする。
巻頭の「夜陰の閑談」を序章とし、以下十一巻の各内容。
聞書第一 教訓
聞書第二 教訓
聞書第三 鍋島藩祖、鍋島直茂の言行録、逸話。
聞書第四 初代藩主、鍋島勝茂と、嫡男忠直の言行録、逸話。
聞書第五 二代藩主、鍋島光茂、三代綱茂、従弟直之と姫達の言行録、逸話。
聞書第六 鍋島藩士の逸話と古来よりのお国ぶりについて。
聞書第七 鍋島国侍の武勇と奉公について。
聞書第八 鍋島国侍の武勇と奉公について。
聞書第九 鍋島国侍の武勇と奉公について。
聞書第十 他藩、他家の由緒、批評。
聞書第十一 以上十巻にもれた内容の雑録・補遺。
2006年07月05日 16:07
このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/45
「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文まる秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)
現在、弊社では各業界より、マーケティング関連委託案件があります。
つきましては下記の各分野において、企業・フリーランスの協力パートナーを募集しています。
◇アナリスト、リサーチャー
◇メディアプラン(フリーペーパー、カード誌媒体等)
◇プランナー、アートディレクター、コピーライター
◇Web制作
◇イベンター、SPプロモーション
◆化粧品・健康食品・食品飲料・IT・通信分野