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『山上宗二記』 第一稿できました。

『山上宗二記』の下訳全文が、ようやく先日完成しました。これからルビ、附注、推敲、校正と仕上げ作業にかかるのですが、電子ブック版アップまでいましばらくお待ちください。さて、南方録に続いての茶書です。簡単にご紹介すると。著者、山上宗二は堺の人。号は薩摩屋。字は瓢庵。誤解を恐れずあえていうなら、千利休の一番弟子です。

茶については、むろん第一級の腕前を誇る当時筆頭の茶人であるが、芸術家に多い一徹もので、気に入らぬとなれば歯に衣着せず、相手かまわず、ずばずば直言するタイプであったらしい。師匠とともに、太閤秀吉の茶頭をつとめる。が、上のような性格が災いし、秀吉の勘気を蒙り追放・牢人。ついには逆鱗に触れ、耳・鼻をそがれ凄惨な最期を遂げました。

『山上宗二記』は、死の直前、当時身を寄せていた小田原北条家の家臣で、宗二に師事した板部岡融斎らに、珠光から利休へと続く、珠光流茶道の精髄を相伝した秘伝書です。まだ年齢も46歳と若く、この時期これを書いたということは、うすうす自身の身の上に起こることを予感していたのかもしれません。利休自身ものした茶の伝書がなく、また、南方録も後世の作なので、この『山上宗二記』がリアルタイムで、利休の”侘び茶”の精神をもっとも忠実に伝えたものといえる。「珠光一紙目録」など所収の記事内容は、他の歴史資料と突き合わせても、誤記・矛盾がほとんどなく、史料としても第一級の価値を誇る代表的な茶書です。第一稿を訳了し、胸が痛んだのは、おびただしい数の茶の名品が、信長本能寺の変にて灰燼と帰したこと。茶の湯の開祖、村田珠光が目利きし、歴代将軍が精魂こめて収集した”東山御物”など、当時の国宝級名品のほぼ8~9割がこの一瞬に失われてしまったのです。

さて、今この『山上宗二記』の読書環境を一読書家として客観的にながめると、これまでご紹介してきた歴史的名著の中で、”最悪”=”どん底”といえる状況です。流通市場では原典すら、すべて絶版。そもそもこれまで原典全文を所収した本が、僕の調べた限り、淡交社、平凡社、河原書店版の三冊しかない。現代語訳は、訳文がきちっと付されたものでは、『山上宗二記を読む 筒井紘一 淡交社』一冊のみ。しかも解説中心の抄訳です。ぼくは、この状況下とにかく興味があり、とにかく中味を全文読んでみたかった。今、全文訳し終わり、ひとまずはこの猛烈な「根本的読書環境欠如」のフラストレーションだけは癒されたのかなあ…と思っています。さて、まだ全然推敲できていませんが、ほかほかのところで少しお味見してみますか?


『山上宗二記 現代語全文完訳』抜粋

茶の湯者の覚悟十体

一 上を粗相に、下を律儀に。これを信念とする。

一 万事にたしなみ、気遣い。

一 心の内より、きれい好き。

一 暁の会、夜話の会の時は、寅の上刻より茶の湯を仕込む。

一 酒色を慎め。

一 茶の湯のこころ。冬・春は雪をこころに昼、夜ともに点てる。夏・秋は初夜過ぎまでの茶席を当然とする。月の夜は、われひとりであっても深更まで釜をかけおく。

一 われより上の人と交わるがよい。人を見知って伴うものだ。

一 茶の湯では、座敷・露地・環境が大事である。竹木・松の生えるところがよい。野がけには、畳を直に敷けることが大事となる。

一 よい道具を持つことである。(ただし、珠光・引拙・紹鷗・宗易などの心に掛けた道具をいう)

一 茶の湯者は、無芸であること一芸となる。紹鷗が弟子どもに、
「人間六十が寿命といえども、身の盛りはわずか二十年ほどのこと。絶えず茶の湯に身を染めてはいても、いずれの道にも上手は見られぬ。まして他芸に心奪われては、皆々下手となってしまおう。ただし、書と文学のみ、心がけよ」
 といわれた。

追加十体

一 目明き
 茶の湯道具はいうにおよばす、いずれの品であっても、見たままに善悪を見分け、人の誂え物を殊勝に好むよう始めることがまず第一である。してはならぬ目利きは、名品に似たものばかりを偏好することである。

一 点前
 薄茶を点てることが、専らの大事となる。これを真の茶という。世間で、真の茶を濃茶としているが、これは誤りである。濃茶の点てようは、点前にも姿勢にもかまわず、茶が固まらぬよう、息の抜けぬようにする。これが習いである。そのほかの点前については、台子四つ組、ならびに小壺・肩衝の扱いの中にある。

一 囲炉裏・風炉・炭・灰の事
 朝は、炭が自然とくずれ面白いように置くものである。冬は、寅の刻より、茶の湯をしかける。そうすれば日の出に炉中のさまが面白い。茶事の前にあっては、湯が早く沸くように無心に炭を置くこと。また、客人帰り間際には、面白く置く。日中は炭の形にこだわらず、成り行きにまかせ置くのである。日暮れから夜話の席では、夜が更けるにしたがって面白く置くべし。灰については、炭の手際を真に入り、粗相に見えるよう灰を入れるのである。口伝する。

一 客の振る舞いこそ、一座建立の要である。細部にわたって秘伝の多いもの。初心者のため、その意義を紹鷗は語り伝えた。ただし、当時このように教えることを宗易は嫌ったもの。それで、夜話のついでにぽつりぽつりと語ったのである。一番大事なことは、朝会夜会に寄り集まった間合いであれ、道具披き、口切の茶会はいうにおよばず、普段の茶会であっても、露地に入り、露地より出るまで、一期に一度の会と思い、亭主を畏敬することである。世間話は無用。夢庵の狂歌、

  わが仏 隣の宝聟舅 天下の軍 人の善悪

 この歌にて心得るべきである。もっぱら茶の湯の事、数寄談義を語るべし。

一 茶の点前は無言でなす。次に亭主ぶりとは、心の底より客人を敬うこと。貴人で茶の湯上手はいうにおよばず、平凡な参客をも、心の底で名人のごとく思うべし。かように客となり亭主となって招き合うことが第一である。道具披きには、客一人か。

一 数寄雑談のこと。古人が言い伝えてきた、古い名物の評判や茶会の話題をなすべし。達人に二十年以上は習うべきものである。

一 茶の湯では、習い・基本・法度が大事であるが、まずもって数寄になるということである。秘伝である。達人の弟子となり、尋ねるべし。ただし、この五箇条ことごとく究めるといえども、創作がなければ、若狭屋宗可・梅雪のように立ち枯れてしまう。茶の湯の作法・習いは伝統に専ら従うべき。創作は新しいかどうかが命。独自の風を確立した先達に学ぶべし。また、その時代に合うように思案するのだ。

一 茶の湯の師と袂を分かった後、すべての分野の上手を師とする心がけをもつ。仏法・歌道ならびに、能・乱舞・剣法の上手に、さらにまた端々の所作までをも、名人の仕事を茶の湯と目明きの手本とするのだ。茶の湯の師たる心がけで、茶の湯ひとすじに三十年身を抛ち、己の茶の湯に精進し、こと茶に関しては決して茶坊主にはなるまい、と逼塞する目利きをば、おのずから天下は呼び出すものである。わが茶の湯のたけを取り違え、天下一と茶頭ぶるものは、梅雪同然落ちぶれる。茶席での控え方は、右に述べたような心がけでなすものである。さらに口伝する。

2006年02月11日 17:18

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» 『山上宗二記 現代語全文完訳』抜粋 from 風庵 (茶の湯と茶陶) 
『山上宗二記』に現代の茶の湯のヒントとなる節がありました。 山上宗二は、千利休の弟子の一人。 利休自身ものした茶の伝書がなく、また、南方録も後世の作... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年02月16日 12:41

コメント

『山上宗二記』の下訳全文は、大変興味があります。

"利休自身ものした茶の伝書がなく、また、南方録も後世の作なので、この『山上宗二記』がリアルタイムで、利休の”侘び茶”の精神をもっとも忠実に伝えたもの"として。

”現在迷いがちな茶の湯”の原点を確認できるのではないかと期待しています。

現実的には、
一 囲炉裏・風炉・炭・灰の事
をまず拝見したいと思っています。

このサイトから、出版されましたら購入できるのですよね。

投稿者 風庵亭主 : 2006年02月11日 18:26

風庵亭主さま
いつもコメントありがとうございます。
『山上宗二記』翻訳が完成しましたら、他の本と同様に、当サイトにてご提供いたします。
利休の茶法も精神も、江戸時代すでにかなり変質してしまっていた、と聞きます。そんな中、「利休に帰れ」との機運に導かれ、元禄の茶人が編纂したのが、『南方録』。しかし、『山上宗二記』は、利休の侘び茶が頂点に達そうとした、まさにその時代、一番弟子により、当時の息づかいも生々しく、利休の茶法・精神を克明に筆録・相伝したものです。
”現在迷いがちな茶の湯”の状況は、アウトサイダーのぼくにはわかりません。が、茶の心を、利休や宗二の道に立ち帰って真摯に追い求めようとされる方にとっては、そこかしこに重要な発見がある。『山上宗二記』はそんな著作であると確信しています。

投稿者 Anonymous : 2006年02月12日 08:48

『山上宗二記』の訳全文、すごく興味があります。
今の茶道は時代に合わせて変わってきたものだと思いますしそれは良い変化だと信じていますが、どんな思いからこの『形』ができたのか、それにどういう意味があるのか。先人がどんなことを思い、どんなことに心を砕いてきたか。
知りたいことは山のようにあります。

訳す作業は大変でしょうが、きっと心躍る作業でもあったのではないかと思います。読ませて頂くのを楽しみにしていますね。

投稿者 hijiri : 2006年02月12日 21:38

Hijiriさま

毎度。です。
世間では、ネッシーやつちのこ(古い?)なみに、噂はあれど、その姿を誰もみたことのない『山上宗二記』ですが、それこそご指摘のように、茶のこころや作法、法度の解説に強い説得力をもつ記述が惜しげもなく山盛りです。茶道に関わっていない人でも、中世の精神文化に興味があれば、ぜひ読むべきと思っています。

それと、これもまさに「よくわかってらっしゃる…」と驚いてしまったのですが、第一稿目の翻訳作業が、やっていて一番楽しく、わくわくする仕事なんです。推敲やら校注やらは、ほんとに骨が折れ、時間もかかる、できれば逃げ出したい作業といえますね。
でも、本としてより深く理解してもらい、面白く読み進めてもらうためには本文訳よりも、ある意味重要な仕事だと思っています。
ゆえに、完訳アップまで少し時間かかります…という単なる言い訳ですが。

投稿者 庵主 : 2006年02月13日 15:46

コメントありがとうございます。

茶道のお稽古は、最近再開いたしました。
学生の時のお稽古は身体に覚えさせましたが、茶道の心までは学習しても身に染込みませんでした。
歴史物の小説が好きな私ですので、今更ながら少しずつお勉強です。

これからココも訪問して参考にさせていただきたいと思います。
ヨロシクお願いします。

投稿者 白薔薇牡丹 : 2006年03月18日 10:07

白薔薇牡丹さま

庵主です。ご訪問ありがとうございます。
お茶道のお稽古再開、おめでとうございます。
茶道や能楽の心はなかなか年齢がいかないとつかみづらいかもしれません…。
歴史小説がお好きでしたら、ぜひぜひ「葉隠」をお読みください。池波、司馬、藤沢なんどの原型がぎっしり詰まっていますよ。しかもフィクションではありません。

投稿者 庵主 : 2006年03月18日 22:26

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