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名人はあやふき所に遊ぶ 【言の葉庵】No.18

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┣┫OW┃O            名人はあやふき所に遊ぶ 2007.4.23
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 若いかたは、新入学、新入社。そうじゃない方は、新年度の異動や転勤…。
4月は、心機一転やる気がもりもり湧き上がってくる。花粉も終わりだ。さあ、
がんばるぞ!!さて、でも…。「何かおもったほどではないなあ…」「どーも
うまくいかんじゃないか」と、壁に早くも当たってしまったとき、よくきく対
処法あります。今週の名言「きのふの我に飽くべし」「名人はあやふき所に遊
ぶ」です。いいまわしもうまいが、意味が深い、応用がきく。さすが芭蕉、達
人です。風姿花伝は重版となりました。おくのほそ道は入稿直前。葉隠精読会
は満員御礼、4月度よりレギュラー講座になりました。


…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】名言・名句第十二回            名人はあやふき所に遊ぶ
【2】言の葉ニュース               風姿花伝 重版決定!
【3】新刊情報                 おくのほそ道 制作快調
【4】言の葉講座             葉隠精読会 レギュラー講座に

…編集後記…
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【1】名言・名句第十二回            名人はあやふき所に遊ぶ
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No.23 きのふの我に飽くべし。
No.24 名人はあやふき所に遊ぶ。

~松尾芭蕉

No.23 きのふの我に飽くべし。
『俳諧無門関』蓼太より

[解説]
偉大な芸術家ほど、生涯を通じてその表現スタイルを劇的に変えていくもの。
古今東西、その例は数多く認めることができるでしょう。ここで、捨て去るべ
きスタイル、打ち勝つべき敵は、周りの何か、誰かではなく、昨日までの退屈
な我とわが身。剣聖宮本武蔵はいいます。

「けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝つ」
『五輪書』水の巻

 俳諧の猛者が揃った当時の蕉門高弟どもを前に、芭蕉は、

「上手になる道筋たしかにあり。師によらず、弟子によらず、流によらず、器
によらず、畢竟句数多く吐き出したるものの、昨日の我に飽きける人こそ上手
なり」
『篇突』許六

 と説いています。芭蕉には『俳諧七部集』という、自身直接編集に関わった
俳諧選集がある。『冬の日』『春の日』『曠野』『ひさご』『猿蓑』『炭俵』
『続猿蓑』の七つの句集です。これらに目を通すとき、その作風の変遷は一目
瞭然。「さび」を代表として、「しをり」「ほそみ」「新しみ」「かるみ」「
あだ」…、次々と新しい俳諧美学・文芸概念を打ち出してきました。同時にい
とも軽々とそれらを捨て去り、打ちこわし、また新しい概念、スタイルへと移
り変わってゆきました。芭蕉没後、綺羅星のごとく多士済々であった蕉門門下
生たちは、四分五裂。ついに芭蕉の正統を継ぐものが生まれなかった原因は、
このあまりにも激しい師の変遷に誰もついていけるものがなかったから、とい
われているほどです。

 人口に膾炙した、芭蕉の俳諧理念、「不易流行」。そして、それまでの蕉門
句風を全否定する衝撃的な「かるみ」の提唱も、多くの有力な門人たちが目標
としてきた指針を奪い、混乱を巻き起こした原因とも目されています。

「点者をすべきより、乞食をせよ」
『石舎利集』孟遠

 と言い切る、孤高の俳人。確立された門風句風により多くの弟子を養い、大
宗匠として安定した地位を得る。そして、後世に有用な”俳諧の種”を伝える
ことに、芭蕉は何の興味もありませんでした。あれほど骨身を削り、長年月丹
念に磨き上げてきた自身の美学「きのふの我」に、朝目が覚めると、耐え難い
眠気、物足りなさを感じ、一瞬の躊躇なくリセット・ボタンを押すのです。

 筆者を含め世の凡人は、過去の小さな実績・成功にすがり、幾度もこれを反
芻しては心地よい満足感に身をゆだねるもの。誰しも「きのふの我」は、懐か
しくいとおしい。この居心地のよい、幸せな場所には、夢も未来も、何もあり
はしない、と枯野の果てから秋風のごときその人の声が聞こえてきます。

 No.24 名人はあやふき所に遊ぶ。
『俳諧問答』許六より

[解説]
 白洲正子のエッセイ集同名タイトルにより、広く知られるようになりました。
が、これは能役者のことばではなく、俳聖松尾芭蕉の名言です。
 一見、前項の「きのふの我に飽くべし」と意味が似ているようにも思えます。
しかし、この句の真意は、ずいぶんとへだたったところにある。理由を述べる
前に、この句の生まれた背景を見ましょう。

 元禄六年春。弟子の許六宿元を訪れた芭蕉は、当日三月晦日であったことか
ら、許六に「衣更」の句をよむようすすめます。許六は、芭蕉晩年の愛弟子。
前年元禄五年入門していますが、諸道に秀で、俳諧のたしなみ深く、芭蕉に深
く傾倒していたため入門と同時に師に認められて、めきめきと頭角を現し、蕉
門十哲の一と数えられるようになる高弟です。
 さて、このとき許六、師を前に緊張し、何句吟じてもなかなか、われにも師
にも叶うものがなせぬ。芭蕉は、

「仕損ずまい、という気持ちばかりでは到底よき句の生まれるものではない。
”名人はあやふき所に遊ぶ”もの」

 と教えます。許六大いに悟り、ただちに

人先に医師の袷や衣更え

 の句を得、師にほめられます。

 さて、「きのふの我」と「名人はあやふき」では、芸道者自身その時点での
段階(レベル)がまるで違います。「きのふの我」が目指すのものは、「上手」
のレベル。「名人はあやふき」は、その句のとおり「名人」レベル。芸道でい
うところの「上手」とは、プロフェッショナルの上位をさします。俳人でいえ
ば、職業俳者、いわゆる「業俳」の最上位の人。蕉門でいえば、其角あたりで
しょうか。これに比べ、名人は、その時代その道にひとり出るかでないか、と
いうほど神技に近いレベルに達した人。すべての分野をマスターしつくし、完
全に尋常なレベルから抜け出た段階をさします。

 「きのふの我」は、いいかえれば、発達段階・成長段階です。まっとうな領
域にて、上を目指しています。かたや、「名人」が遊ぶ、「あやふき所」は、
正統な芸道過程を逸脱したところ。時により、タブー、邪道の領域。時により、
素人・初心者が陥る範囲です。

 世阿弥の芸道論では、能役者の芸のあるレベルをあらわす段階に、「蘭けた
る位」といわれるものがある。また、通常の芸の段階は「九位」に分かれると
されます(『至花道』世阿弥)。九位は、まず下位の三つのレベル、「麁鉛風」
「強麁風」「強細風」。次に中位の「浅文風」「広精風」「正花風」。そして
上位の「閑花風」「寵深花風」「妙花風」。これらに区別、分類されると説き
ます。

 修行の順番として、中三位からはじめたものが、順調に上がってゆけば、や
がて上三位に達し、上がれぬものは、下三位に転落する。しかし時として、上
位の三位に達したものが、場合により芸が高い位に停滞するを潔しとせず、変
化を求めてあえて下三位の芸を演ずることがある、とします。これは、名人の
みに許されること。世阿弥は、これを却来、あるいは向却来とよび、このレベ
ルの芸を「蘭けたる位」としています。

 「あやふき所に遊」び、芸が芸として成立するのは、名人のみに許されるこ
と。むろん入門一年目の許六は、名人ではありませんが、師芭蕉の「わたしな
ら、そのように観じて、飛び越える」とのアドバイスに、元来勘のよい許六、
ハッと悟るところあり、迷いを断ち切ったのです。本来、「あやふき所に遊ぶ」
は誰にも許されない禁じ手。「あやふき」をわきまえ、悟り、あえて禁断の地
へ遊ぶ、名人の心のあり方のみを伝えようとした、と解釈すべきでしょう。


『おくのほそ道』はこちら


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【2】言の葉ニュース               風姿花伝 重版決定!
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 店頭在庫品薄で、書店では求めにくい状態が続いておりましたが、『現代語
訳 風姿花伝』(PHPエディターズグループ)重版決定。初版第2刷が、5月より
増刷されることとなりました。
 本文100ページ足らずのコンパクトな作品ですが、「秘すれば花なり」「初
心忘るべからず」など、日本人なら誰でも一度は耳にしたことがある珠玉の名
言、そして人生のあらゆるシーンで応用が利く達人の智恵とノウハウが、ぎっ
しりと濃縮された、国、時代、分野の境界を越えた名著です。

風姿花伝はこちら


 現在、名古屋栄中日文化センターの4月度カルチャー講座「花と幽玄の秘伝
書。風姿花伝を読む」でも、テキストとして使用。世阿弥の含蓄にみちた味わ
い深い一文・一段落を毎月、受講生のかたと読み進めています。読み返すたび
に新しい発見があり、また、自分自身の成長とともに新たな意味が立ち上がっ
てきます。能狂言愛好家はもちろん、興味があまりないかたでも、日本文化と
日本の美に関心があればどなたでも、その普遍的な価値を認めていただける一
冊だと思います。

●栄中日文化センター 「花と幽玄の秘伝書『風姿花伝』を読む」

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【3】新刊情報                 おくのほそ道 制作快調
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読者のみなさまには、大変ながらくお待たせしております。『おくのほそ道 
現代語訳』入稿を目前にひかえ、鋭意制作作業進行しております。著者松尾芭
蕉と『おくのほそ道』本文については、ご存じない方はほとんどいらっしゃら
ない、と思われます。しかし、当著併載の二編、『曾良旅日記』と『奥細道菅
菰抄』については、俳諧愛好家の方以外なかなか触れる機会もなく、またその
作品内容についてもあまり知られていないものと思います。本著「まえがき」
より、おくのほそ道本編および曾良旅日記と奥細道菅菰抄概要を以下、ご紹介
しましょう。

本作の特徴

 本著は、岩波文庫『芭蕉 おくのほそ道』を底本とする三篇の現代語全文完
訳作品です。「おくのほそ道」本編、「曾良旅日記(元禄二年日記抄)」、「奥
細道菅菰抄」各全文をはじめて現代語訳にて所収しました。
 計り知れぬほど高く、普遍的な文芸的価値をもつ古典文学の傑作、松尾芭蕉
「おくのほそ道」。また、当作の紀行実録である、同行者曾良による「旅日記」
。江戸期の代表的注釈書「菅菰抄」。はじめてこの作品に触れる読者の方には
もちろん、原文やその作品世界にすでに親しんでいる、芭蕉と俳句愛好者の方に
も、その作品世界により親しんでいただくためには、本編とこれら二編をあわせ
読むことで得られるものは決して少なくないのではないか、と考えています。
芭蕉の言葉、一言一句に新たにもう一歩踏み込んで、そしてその典拠やシチュエ
ーション、時代背景を知ることでさらに発見できるものがもっともっとあるので
は、と考えています。
訳出の方針としては、「原典の香気を損なわず、意図を伝える正確な直訳。意
訳排除」、なおかつ「現代日本語としてすこぶる自然な文体、すらすら読めて
楽しめる、現代への古典の再生」。この二つを指標としました。
 以下、原著者松尾芭蕉、「おくのほそ道」、「曾良旅日記」、「奥細道菅菰
抄」について、それぞれ簡単にご説明します。

松尾芭蕉とは

 江戸期の俳諧師。それまでの大衆的・遊戯的な俳諧に対し、和歌のみに偏ら
ない和漢の浩瀚な典拠に基づく高い教養と芸術性、禅的な深い精神性を併せ持
つ、蕉風俳諧を樹立し、俳壇を刷新。今日の俳句と俳壇の礎を築き上げたこと
で、俳聖とも称されています。
寛永二十一年(一六四四)?元禄七年(一六九四)。伊賀国上野の人。父は松尾姓。
幼名金作。成長して名を宗房と呼びました。後には、桃青。芭蕉は庵号に由来
する戯号。若くして伊賀上野、侍大将藤堂新七郎良精家に仕えます。主君の若
君、藤堂良忠(俳号蝉吟)とともに、京都北村季吟に師事、俳諧を嗜みました。
若君早世の後、江戸に出て俳諧師を目指します。
延宝八年(一六八〇)「桃青門弟独吟二十歌仙」を刊行。当代の代表的選者と目
されるようになります。しかし、同年江戸中心を離れ、深川に隠棲。草庵を結
び、芭蕉庵と称しました。貞享一年(一六八四)以降、「野ざらし紀行」「鹿島
詣」「笈の小文」「更科紀行」「おくのほそ道」などに描かれた旅行を繰り返
し、その死もまた旅の途中、大坂においてでした。

 旅に病んで夢は枯野をかけ巡る (病中吟 元禄七年十月八日)

 侘び、寂び、軽み、しをり、風狂など、その独自の句風により近世日本文化
の美的概念形成に大きな影響を与えました。また、漂泊の詩人とも呼ばれ旅に
生き、旅に死ぬ芸術的人生の完遂により、現在も多くの信奉者、追随者が後を
絶ちません。なお、芭蕉来歴くわしくは、菅菰抄「芭蕉翁伝」をご参照くださ
い。

おくのほそ道とは

 芭蕉の代表作である俳諧紀行。書名は本文中、仙台の次に「おくのほそ道の山
際に十符の菅有」とあるように、地名によったものと思われます。成立について
は詳らかではありませんが、素龍筆芭蕉所持本の書写が終わったのが元禄七年(一
六九四)初夏ですから、元禄七年初春のころ決定稿を得たものであろうとされて
います。刊行は阿誰軒「俳諧書籍目録」によって、元禄十五年と推定されていま
す。
 元禄二年三月、弟子の曾良を伴い江戸を出発し、関東・奥羽・北陸の諸地を巡
遊。所要全日数百五十五日、歩行距離およそ六百里。八月下旬大垣に着き、さら
に伊勢の遷宮を拝するため出立する、という箇所で本文は終わります。芭蕉の紀
行文中もっとも整った、またもっとも優れた作品として高く評価されています。
 この書が世に出て各方面に多大な影響を与え、奥羽旅行の追随者が多く出るこ
とに。すなわち、路通、沾徳、支考、桃隣、蕪村などがそれぞれ紀行文を残して
いるのです。

 おくのほそ道、本文の内容と特色を見ていきましょう。
 まず第一に、この旅の大きな目的が、古歌の歌枕探訪にあったということです。
芭蕉が憧憬する歌人達、西行、宗祇、能因法師。また、追慕するゆかしい古武将、
佐藤継信・忠信、斉藤別当実盛、源義経らの史跡を訪れ、悠久の時に思いをはせ、
いにしえ人と発句によって時代を越え、感応しあうことでした。
 次に、いまだ見ぬ奥の名所、佳景に実際触れ、松島、象潟などの絶景を見事な
筆致、俳文にて、永遠に記銘すること。
 また、何よりも感動的なのは、旅先で出会うさまざまな人々との心の交流です。
俳壇の古い仲間、偶然出会った地元の民、宿主、土地の長者、武家、隠者。芭蕉
の筆は、自然の景物を詠む場合より、むしろこれらの人々との出会いと別れを描
写する時、一層の冴えと深みを見せます。
 そして、何よりも最大の目的は「旅に死んだ多くの古人のように、漂泊の思い
やまず」「覉旅辺土の行脚、捨身無常の観念、道路に死なん是天の命なり」と、
旅から旅へと俳諧の神に突き動かされるかのごとく、風狂を生き、芸術を日常と
することでした。これこそが、芭蕉の人生観、哲学感そのもの。奇しくもまさに
旅に死ぬこととなったその生涯が、いまなお多くの風狂人にその足跡をたどらせ、
奥のほそ道へと誘う理由となっているのです。

 本作が、「ほそ道」の旅の実録に沿って編纂されたものでは必ずしもなく、後
日再構成、または新たなエピソードと発句を加え、成立した、半ばフィクション
であることは有名です。原文を練りに練り、推敲を重ね彫琢を加えて、ようやく
完成を見た芭蕉畢生の完璧な紀行文芸作品。作中の発句も、旅中の原作九四のう
ち、原作のままが十八、原句の改作が二十一。これらに旅行後の新規創作十一句
を加えた、合計五〇句が作中句として採択されています。


曾良旅日記とは

 「おくのほそ道」に、ただひとり随行した芭蕉の古い弟子、曾良がしたため
た旅の実録です。昭和十八年、『奥の細道随行日記』の名で、はじめてその全
貌が公刊されました。それまでも、抄録はありましたが、研究家の間ではほと
んど取り上げられず、「おくのほそ道」記載の日程・行程・できごとが、すべ
て事実であるかのような認識が一般的でした。しかし、この日記が公刊される
と同時に、「おくのほそ道」の虚構、芭蕉の創作が大きくクローズアップされ、
盛んに論議されるようになったのです。たとえば、飯塚の貧宿で持病に襲われ
気も失せそうになったこと、一振にて遊女と泊まり合わせたエピソードなどは、
「旅日記」にはありません。事実、芭蕉は「おくのほそ道」で得た題材・歌材
をもとに、芭蕉独自の紀行文を、さまざまなフィクションを織り交ぜ、文芸作
品として創作したのです。芭蕉自身も、どこそこにいつ行って何を見た、雨が
降った晴れた、などというのは日記であって紀行文にあらず、と表明していま
す。旅で得られた発句を歌仙形式に配列し、序破急を整え、句と俳文を創作・
推敲・改作し、完璧な構成をもつ紀行文に仕立て上げたのです。「おくのほそ
道」の作品としての巧みな構成と創作の精緻を鑑賞するため、「曾良旅日記」
は大きな発見を与えてくれました。
 同行者曾良は、本名、岩波庄右衛門正字(まさたか)。「ほそ道」に出てくる
「河合」姓は、芭蕉の創作。曾良が母の実家「河西」家に一時引き取られてい
たことからつけたものでしょう。
信州上諏訪の生まれ、元伊勢長島藩士でした。蕉門には貞享年間の早い時期に
入門。江戸蕉門の古参の一人です。深川芭蕉庵近くに住まい、何くれと日々師
匠の世話をし、親炙したことは、ほそ道本文にも「菅菰抄」にも見られるとお
り。「ほそ道」の旅以前にも、すでに前回の『鹿島詣』紀行に宗波とともに随
行していました。人格円満なことに加え、歌枕・地誌・神道にくわしい教養人
であったことからも、旅のお供に選ばれたものと思われます。随行に際し、延
喜式の『神名帳』を抄録、『類字名所和歌集』『楢山拾葉』から所の歌枕を抜
書きして携行。名所、歌枕の探索、縁起の確認にずいぶんと貢献したものと思
われます。


奥細道菅菰抄とは

 江戸中期に刊行された、『おくのほそ道』はじめての完全な板本の注釈書。
安永七年八月、江戸、京都、大坂の三書肆から発刊されました。
 著者、蓑笠庵梨一(さりゅうあんりいち)。姓は高橋、武蔵児玉出身のすぐれ
た芭蕉研究家。孔孟老壮、四書五経をはじめ、古事記、日本書紀、源氏、伊勢
物語、元亨釈書、古今、千載集など、和漢、仏典総数百二十三部にもおよぶ古
今東西の参考文献を縦横に渉猟、参照し『おくのほそ道』の一文・一句・一語
におよぶまで、詳細な注釈をほどこしました。現在にいたるまで、『おくのほ
そ道』研究にこの書を参照しないものはない、といわれるほどの代表的な参考
文献となっています。
 菅菰抄序によれば、俳諧を愛し、芭蕉を思慕するあまり、地方役人となって、
折ある毎に芭蕉の足跡をたどり、四十までにそのすべてを踏査したといいます。
俳諧の師柳居の死後、『おくのほそ道』注解を志す。越前丸岡隠退後、それま
での芭蕉研究の集大成として『奥細道菅菰抄』を成した、とあります。

「祖翁の文章は、もともと和漢の雅語より出て、それに俳諧の風流を交えたも
の。この細道の一篇など、一見するとやさしげで、七歳の童の耳にも入るよう
ではあるが、その文意の微妙にいたっては、八十の老翁にもこれを良く知り得
ることは難しい」

 と、菅菰抄「文章論」にありますが、これが『おくのほそ道』が成立後三百
年の今もなお崇拝者が後を絶たぬ、古典文学の代表作、永遠の名作たりえる、
秘密を解き明かすものと思います。
 一見、七歳の子供にでもわかりそうなやさしいものほど、その本意、真意の
奥深さは計り知れぬ、ということが、日本文化のさまざまな分野で見られます。
芸道、文芸の秘伝書、仏教の経典、絵画、書…。『おくのほそ道』の生命とも
いえる発句、現代でいう俳句などはその現れの最たるものではないでしょうか。
それは、子供にも外国人にもわかるし、作ることもできる。しかし、芭蕉が五
七五に「圧縮した全宇宙」の無限の意味を汲み尽すことは、およそどのような
文化的才覚者、言語の達人であっても不可能なこと。
 当著三篇をすべて現代語でお届けした理由がここにあります。「おくのほそ
道」原文を暗誦するほど、何度も何度も繰り返し読んだ熱心な愛好者の方にこ
そ、「ほそ道」「旅日記」「菅菰抄」をあわせ読んでいただきたい。その後、
はじめて立ち現れてくる、幾重にも折りたたまれ、無限の外延をもつ芭蕉の言
葉と意味の豊饒な世界に触れていただきたい。いままでのイメージとは全く違
う、翁の横顔、後姿、足跡が、そこに忽然と現れてくる驚き、喜びをまず共有
したいと思います。
この国の文の伝統へとつながる、ただ一筋の「ほそ道」がある。はかなげに見
えたとしても、はてしなく続く道のり。そのひとつめの岐路に、ささやかな枝
折を残すことができれば、これほどうれしいことはありません。


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【4】言の葉講座             葉隠精読会 レギュラー講座に
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 本年一月体験講座としてスタートした、「武士道の真髄を読む。葉隠精読会
」講座(NPO新現役ネット)。2~3月度講座に大変多くの受講生の方々にご参加
いただき、4月よりレギュラー講座として開講、継続していくこととなりまし
た。

本講座は、岩波文庫版を原文テキスト、能文社版現代語訳をサブテキストとし
て、受講者の方といっしょに、原文を音読。葉隠各逸話の由来や人物・用語解
説、時代背景の補足などを適宜交えながら、武士道についての考察を進めてい
く趣旨となっています。

1/25(木)第一回目は「体験講座」として、葉隠成立と著者山本常朝、鍋島藩の
歴史などの総合的な講義と、本文中のもっとも有名な段落を五話転読しました。

2月からの本講座では、各回任意のテーマを選び、これに沿った段落をピック
アップし、受講生とともに読み進めます。テーマと武士道の関連を、周辺分
野まで広め(江戸期儒書・武道書、中国古典籍など)、解説し葉隠武士道の理
解を深めます。ちなみに、各回の予定テーマは以下です。

1/25(木) 体験講座「葉隠とは」
2/22(木) 第一回「恥」 6話
3/22(木) 第二回「恩」 6話
4/26(木) 第三回「忠節」 9話
5/24(木) 第四回「主従」 11話
6/28(木) 第五回「家族」 6話
7/26(木) 第六回「ユーモア」 9話
8/23(木) 第七回「僧侶」 4話
9/27(木) 第八回「女」 9話

10月以降の予定
 第九回「義」 5話
 第十回「死」 4話
 第十一回「勇気」 4話
 第十二回「機知」 7話
 第十三回「心得」 8話
 第十四回「信念」 7話
 第十五回「曲者」 3話
 第十六回「慈悲」 5話

 4月以降の講座は原則、毎月第四木曜日18:00-19:30開講予定です。

普段、わたしたちは本を、声を出して読むという習慣がありません。音読は
年代、年齢によらず脳の活性にとてもよいと言われています。葉隠の原文を声
に出して読むと、なにとはなしに元気になり、勇気がこんこんと湧いてきます。
不思議なもので、つまらない小さなことでくよくよ悩むのがバカらしくなり、
「よし、いっちょやってみよう!」「明日もがんばろう!」となってきます。
単独回のみの聴講もOKですので、ぜひ一度試しにご参加ください。

ご参考までに、1月度第一回体験講座で使用したテキストをこちらに置きました

『葉隠精読会』講座の詳細とお問い合わせ・お申し込みはこちら(新現役ネット)

……………《編集後記》………………………………………………………………

 昨年の今頃、ここにお能の大会で「高砂」を演じることを書きました。早い
もので、今年も例年通り大会を催す時節となりました。一年がたつのは本当に
あっという間ですね。今年は、素謡の『百万』をつとめます。
番組はこちら

世阿弥作、華やかな狂女ものの代表曲。子を失った母が、狂女となって笹を手
に舞い、謡い、頃しも大念仏が催されている、嵯峨清涼寺の境内へとさまよい
入ります…。最初から最後まで、見所、聞き所が連続する、能には珍しい「眠
くない」曲。面白尽くしの、狂女ものの人気ナンバーワンです。

狂女が手に持つ笹は、いうまでもなく古事記の天のうずめの尊が、天の岩戸前
で手にした小竹葉のオマージュ。神の依り代。また、それは芸能の神のシンボ
ルでもある。あられもない姿で、笹をふりたてふりたて、奇声を発しては歌い
踊り、伏せた桶の上に飛び乗って足拍子踏みとどろかす。八百万の神々は、こ
の芸にやんやの喝采。表が騒がしいので気になった天照大神は、なにげなく岩
戸の隙間から外をのぞき見ます。すると、大神から発する光で、漆黒の闇に閉
ざされたこの世に再び、日の光がまぶしく行き渡る。八百万の神々の顔もみな、
光に照らされ「白く」見えました。お互いの顔をみて愉快、愉快…。みなげら
げら笑う。「面白い」の語源はこのときの神々の顔が白く見えたことから来て
います。また、女曲舞芸者「百万」の名も、この「八百万の神々」すなわち、
この天岩戸の逸話に由来しています(庵主説)。

去年、「高砂」を信長の位で演じましたが、今年の「百万」は天のうずめ。そ
れをいうだけでこんなに長くなってしまいました。ごめんなさい。

ところで4/30当日「百万」本番では、幽体離脱して自分の背後斜め上にふわ
ふわ浮かぼうと思っている。目前心後で、舞台を見守るつもりです。いった
いどうなりますことやら…(庵)

……………………………………………………………………………………………


……………………………………………………………………………………………
  
【言の葉庵】へのご意見、ご感想、お便り、ご質問など、ご自由に!
 皆さんの声をお待ちしています。Good!の投稿は次号にてご紹介いたします。
 http://nobunsha.jp/nobunsha.html
 
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■ 編集長 水野 聡 mizuno@nobunsha.jp 
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2007年05月01日 17:41

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