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月日は百代の過客にして 【言の葉庵】No.26

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┣┫OW┃O            行き交う年もまた旅人なり 2008.3.13
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 山崎宗鑑、松永貞徳の名を知らなくとも、松尾芭蕉の名を知らない日本人は
あまりいないのではないでしょうか。日本はおろか広く海外まで”haiku”と
いう日本文化を知らしめたその功績は今後も日本文芸史上に燦然と光り輝き続
けることでしょう…。さて本日、言の葉庵現代語訳シリーズ『奥の細道』発
刊となりました。第七作目です。言の葉カルチャー講座、四月期ラインナッ
プ出揃いました。今回より新たに、池袋コミュニティ・カレッジでもスター
トします。ぜひお出かけください。連載葉隠No.3は、「恩」の第一回。「仰
げ尊し…」はいまだ、卒業式で歌われているのでしょうか。


…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】言の葉ブック New!        芭蕉『奥の細道』ついに発売開始!
【2】セミナー情報 New!             言の葉講座4月期ご紹介
【3】連載葉隠 No.3                   「恩」第一回
…編集後記…
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【1】言の葉ブック New!        芭蕉『奥の細道』ついに発売開始!
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 言の葉庵現代語訳シリーズ第七弾、松尾芭蕉不朽の名作『奥の細道 現代語
訳』発売開始となりました!


 本書は、言の葉庵初の「文芸」分野作品。当書併載の『曾良旅日記』『奥
細道菅菰抄』の二編により、奥の細道作品世界がより奥行きをもち、かつ芳
香を放って、その姿を立ち現すものと思います。詳細は当HPの推奨名著をご覧ください。「立ち読みコーナー」もありますので、ぜひ内容をご確認
ください。

 松尾芭蕉と『奥の細道』は、日本人であればその名を知らない人はおそらく
いないと思われるほど、有名な人であり、作品です。しかし、芭蕉その人につ
いては意外に知られていないのではないでしょうか。本名は何と言う?俳句
の師は誰?生まれはどこ?どこで死んだのか?若い頃、有名になる前は何を
していたのか?芭蕉の俳句の処女作は…?
 本書併載の代表的な江戸期『奥の細道』注釈書、『奥細道菅菰抄』には、
「芭蕉翁伝」として、松尾芭蕉若年期の略伝があります。以下に再掲しました
ので、ぜひご覧ください。


   芭蕉翁伝

 祖翁は、伊賀の国、柘植郷(つげのさと)の生まれ。弥兵衛宗清の子孫である。
(柘植郷に宗清住居跡があるという)兄は、松尾半左衛門といい、翁は次男で
(正保元年生まれ)、最初の名は半七、後に忠左衛門宗房と改名する。(松尾家
代々の実名は、元祖宗清の「清」の字を継ぐという。調べると、延宝以前の俳
書には多く名を宗房としている。桃青としたのは東都下向以降である)国主藤
堂家の同姓同国、上野の城士、藤堂新七郎良精の家臣となり、それより嫡子、
主計良忠(俳名蝉吟(せんぎん))に仕えた。蝉吟は京都の季吟に俳諧を学んだ。
ゆえに、翁もともに同門に入り、

 いぬとさるの世の中よかれ酉の年

と、発句したのは十四の年という。(明暦三年のこと)しかし、蝉吟は不幸にし
て、寛文六年の四月、早世してしまう。翁は、君臣の因、風雅の縁、もちろん
ひとかたならぬ悲嘆のあまり、遺骨を負って高野山に上り、報恩院に納め、六
月帰国。その後、ひそかに遁世(とんせい)の志をもったのであろうか、二君に
仕えぬ由を告げ、しきりに暇乞いを願い出たが、たって許可されなかったので、
その秋であろうか同僚城孫大夫というものの門に短冊を貼り、

 雲とへだつ友かや雁の生わかれ

と一句を残し、国を去って、(この時、年二十三という)都に上り、季吟師のも
とに遊学した。その後、東武に下向して、
(梨一がかつて東国に遊学したころ、本船町内、八軒町というところの長卜尺
という俳人と交わったことがある。彼によると、
「わが父も、卜尺を俳号として、当時世にも知られていたもの。ある年都へ登
った際、芭蕉翁と出会い、ともに東武へ下り、当面の生活のためにと、縁故を
たよって水辺の官職を世話した。風流人のならい、俗事にうとく、その任に堪
えなかったので、やがて辞職し、深川というところに隠棲。俳諧をもって生計
をたてた」
 と、彼の父が話したそうである。〈この時延宝六年、年二十三である〉また
一説には、本船町の長序令というものにさそわれて下ったともいう。卜尺、序令
ともに古い俳集にその名がみえる。あるいは両名、同一人物か)
深川の六間掘というところに庵を結び、天和二年まで住んでいたが(この間七年。
年三十九)、その冬、回禄の災に遭い、しばらく甲州に疎開。彼国にて年を越し、
翌三年夏の末ころであったか、深川の旧地に戻り、草の露を払って、芭蕉ひと株
を植え、

 ばせを野分して盥に雨をきく夜かな

 の吟あり。この句にちなみ、在所を芭蕉庵と名付け、人々も芭蕉の翁と呼ぶよ
うになったとか。
 翌年、改元があり、貞享となる。この秋、江戸を発って、美濃・尾張から(この
時四十一。ゆえに美濃にて、薄に霜の髭四十一、の脇句あり)、伊勢路を経て、故
郷上野で越年した。翌貞享二年の春も、さらに大和・難波・京都などを通過し、
(これが野ざらし紀行)その夏ふたたび深川へ立ち帰り、同四年の秋まで住んだ(こ
の間にかしま紀行あり)。冬にはふたたび上方へ旅立つ(笈(おい)の小文紀行が
これである。時に齢四十四)。翌年さらに元号を改め、元禄となす。この年、八
月末ころ東武へ帰り、翌元禄二年の春、北国行脚におもむくこととなる(奥の細
道紀行がこれである。時に齢四十六)。その後、美濃・尾張・伊勢路を経て、大
津で年を越し、翌三年の夏、石山の奥に幻住庵を結び、四年秋までここに隠棲す
る(この間に嵯峨日記あり)。その後、庵を出て東武へ下り、同七年の秋(東武の
庵に三年居住した)また東武を出発、東海道を経て、石山の幻住庵にしばらく留
まった。京都などへ往来しながら、その後故郷伊賀へと立ち越え、奈良を経て
大坂に逗留する内、病に犯される。十月十二日に世を去った。(享年五十一。
この時の旅宿は、大坂御堂前花屋仁左衛門というものの借家で、地主の家は今
も現存する)遺体は江州松本の義仲寺に葬られる。(この病中から終焉までのこ
とは、其角が編んだ枯尾花集、支考の笈日記等に見える。よってここに記さず)

 右伝記は、上野の俳人、桐雨の筆記(桐雨は猿雖の曾孫で、猿雖は翁の門人で
あった)、加賀若杉の僧、既白坊の覚書をあわせて、ここに記した。

 芭蕉翁を「翁」と称することについて、去来の旅寝論に、
「昔、其角がわれに語る。このたび都に来たって、わが師の名高いことをます
ます知った。同門の人みな、師を尊敬して翁とお呼びするばかりではない。
他門の人まで、われに向かって翁が、翁がという。季吟、そもそも師の師である

季吟の子、湖春から率先して、翁と呼ぶのだ。されば、門人のはばかることは
あるまい。今後、句集を出すときには、翁と書くべし」
とある。(調べると、祖翁の古俳集に武蔵曲というものがある。序文は季吟の撰
にて、その文に以下のようにいう)

 今は昔、逍遥遊びのおきなというものがあった。細川の流れに和歌水を汲みな
がら、老いのさざ波、高波越えて、滑稽の島に逍遥し、ついにはその島守となる

予、ちなみにその島風(しまぶり)を問えば、おきな答えていわく。この島は世
界のまんなかなので、あまり上手すぎるものは歓迎されぬ、と。以下略

 蕉師を翁と称することは、あるいはこの序文がはじまりかも知れぬ。時は天
和二年にて、祖翁の春秋はいまだ四十歳に満たず。しかしながら、この号を得
られたこと、孤高の大徳、いよいよ尊ぶべきであろう。

伝記 了


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【2】セミナー情報 New!             言の葉講座4月期ご紹介
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 東京、名古屋で開催中の【言の葉講座】、2008年4月度新講座カリキュラム
が出揃いました。今回より、池袋西武コミュニティ・カレッジでも新講座ス
タートです。西武クラブオンカード(ただしゴールド/プラチナ会員)で入学
金は無料だそうです。見学も随時OKとのこと。ぜひ一度、ご来場ください。
東急セミナーBE第四期目は「能の名曲と名人」講座。田楽の一忠、犬王道阿
弥、野口兼資、初代宝生九郎知栄から、現代の友枝喜久夫、観世寿夫まで、
感動の名舞台を仮想体験する講座です。面白いよ!名古屋栄中日文化センタ
ーでは、「南方録を読む」後期講座。日本茶道界ではすでに絶滅してしまっ
た幻の台子秘法、「曲尺割り」について半年かけてじっくり解釈していきま
す。
 

〈NEW〉 1. 池袋コミュニティ・カレッジ〈池袋西武〉

講座名:『葉隠 精読会』 ~声に出して読む武士道の真髄
日 時:4月7日(月)第一回スタート。毎月第1月曜日 13:00~14:30
受講料:6か月 6回 15,750円
設備費:945円
見 学:可。随時 ※要事務局問合せ
問合/申込:池袋コミュニティ・カレッジ〈池袋西武イルムス館8・9F〉
電話03-5949-5487

■新現役ネット提携講座(公開講座)。武士道の聖典と呼ばれる『葉隠』の名
段落を原文で読み進めます。毎回、「死」「義」「忠」など葉隠独自の世界
からテーマを設定し、全千数百話の中からピックアップ。現代日本人が忘れ
てしまった、しかし実は最も大切な「日本人の心」を学んでいきます。第一
回テーマは「葉隠の武士道とは?」

2. 東急セミナーBE 渋谷校

講座名:能の名曲と名人芸をたずねる日 時:4/1(火)第一回スタート。毎月第1火曜日 13:00~14:30
受講料:6か月 全6回 16,200円(会員コース)
申込、支払締切:3日前まで受付可
途中受講:可
問合:東急セミナーBE 渋谷校 電話03-3477-6277

■東急BE能楽講座、第四期。名人の至芸はいつの時代にも魂がふるえるほ
どの感動を与えてくれるもの。当講座では能の名役者が演じた伝説の名舞
台を、映像・芸談・能評を通してくわしく解説していきます。室町時代の
世阿弥・犬王・増阿弥から、現代の観世寿夫・友枝喜久夫にいたるまで、
数々の名演技と名舞台を再現、鑑賞し、その至芸の秘密に美学的、科学的
に迫ります。

3. 名古屋・栄 中日文化センター

講座名:武士道の聖典『葉隠』を読む日 時:4/3(木)第一回スタート。毎月第1木曜日(昼)1:00~2:30
受講料:6ヵ月分 13,230円
問合/申込:名古屋・栄 中日文化センター 電話 0120-53-8164
Mail sakae-cc@chunichi-culture.com

■「武士道というは死ぬことと見つけたり」。佐賀鍋島藩武士道書『葉隠』
から、興味深い逸話を毎回テーマに沿ってピックアップ。名言・名文をわ
かりやすく解説しながら、名段落を音読し鍋島武士の生きる智恵を学んで
ゆきます。岩波文庫の『葉隠』原文を読んでいきます。2007年10月から始
まった継続講座第二期目。第一回テーマは「傑僧」。武士よりも勇ましい
鍋島藩の禅僧たちの滋味深い物語を音読していきます。


4. 名古屋・栄 中日文化センター

講座名:千利休・わび茶の心『南方録』を読む日 時:4/3(木)第一回スタート。毎月第1木曜日(夕)3:30~5:00
受講料:6カ月分 13,230円
問合/申込:名古屋・栄 中日文化センター 電話 0120-53-8164
Mail sakae-cc@chunichi-culture.com

■利休茶書の中で、最も重要視されてきた茶道の聖典。利休の高弟、禅僧南宗
啓の聞書に、利休が奥書・印可を加えたといわれます。本編から、名文・名段
落を選んで音読。利休茶の骨法を当時の名茶人の逸話なども交えながら、初級
者向けにくわしくやさしく解説していきます。2007年10月から始まった継続講
座第二期目。第一回テーマは「利休と桃山時代の名茶人」。「珠光心の文」
「紹鷗侘びの文」「山上宗二記」「茶話指月集」などの代表的な茶書から
、茶
人の等身大の姿が垣間見える、名エピソードを読解します。


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【3】連載葉隠 No.3                   「恩」第一回
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 毎号、葉隠全千三百話の中から、日本精神を象徴する任意のテーマを設定。
珠玉の名段落をピックアップしてご紹介する連載コーナー。今回は、テーマ
「恩」の第一回です。
 


聞書第三 一二
 私何も望みこれなく候。

 直茂公は幼少の頃、梅林庵にて手習いをされた。当時、梅林庵近くに住む
宝持院が、ご調髪、ご衣裳から諸事お手伝いにいたるまで、心を込めお仕え
申し上げたものだ。直茂公は、成人後宝持院へ、
「いかなる望みも、叶えて差し上げましょう」
 と申し入れられたところ、
「私には何の望みもありません。ですが、こんにゃくが好きなので、一生食
べられたら、と思います。ねんごろに仰って下さることでもありますから、
この望みをお叶えください」
 と答えた。その日から、一生の間二日に一度、使いの者にこんにゃくを届け
させた、とのこと。


聞書第六 四三
 一家、家来までも鮑を喰わず。

 千葉氏の祖先が西国下向の際、海上で大嵐となり船底に穴があいてあわや
難破に。その時、どこからともなく鮑が集まってきて船の穴をふさぎ、これ
で千葉氏は命拾いする。それ以降、千葉一門は家来にいたるまで鮑を食べぬ。
もし誤ってこれを口にしてしまえば、身体に鮑の形の腫れ物ができるからだとい
う。


聞書第六 八八 この度の一番乗、首賭け。

(金丸氏、立川杢右の話) 小田原宿、久保田屋七右衛門の話。島原の乱に下
向、出陣のため、細川、黒田、勝茂公の行列が順次、小田原の宿を通って
いった。本陣の主人たちは街道に出て、雄藩の行列を見物、賞賛していたが、
当鍋島家の供衆は見栄えも行儀も悪かったので、皆侮って
「あんなもので城攻めのできるものか」
 などといった。これを聞いて、久保田屋立腹し、
「参勤交代の行列が、そのまま戦場で役に立つと思われるか。細川、黒田は
旅装のみいかめしく、長い道中には疲れ果て、いざ戦となっては役に立つは
ずがあるまい。肥前衆は戦慣れしておるゆえ、道中にて無駄な力は使わぬ。
敵との対戦を第一に心がけているゆえ、かくのごとくである」
 といってみたが、皆さらに大いに嘲笑った。久保田屋は激昂。
「されば、この度の一番乗りに、この首を賭けるべし」
 と言い切った。
さて、落城の早飛脚を待つ内に、細川家の飛脚が通りかかったので呼び止め
て聞くと
「細川家が一番乗り」
 という。
「約束だ。久保田屋、首を寄越せ」
 と皆いった。されども最初の飛脚だけでは真偽のほどが確かめられぬゆえ、
さらに待つと黒田家の飛脚がやってくる。
「黒田家、一番乗り」
 という。その次に、当家の飛脚が来て
「一番乗り」
 という。いうことが、まちまちなので判断がつかず、江戸まで出て行って、
幕府への報告を聞き合わせてみると、鍋島藩の一番乗りに紛れもなかった。
さて久保田屋、相手の首を申し受けるべし、と押しかけてまいったが、地元
の者どもがなだめすかして思い留まらせた。しかし久保田屋、やはり納得で
きぬ。領主がこの騒動を聞きつけ
「町人の分際で武家の批判をするとは不届き千万」
 と、三人まとめて追放してしまった。が、後には赦されて帰参。今も久保
田屋は当家の本陣をつとめている。

■鑑賞

聞書第三 一二
「私何も望みこれなく候」は、まさに無償の愛を絵にしたような話です。幼
名、彦法師といった直茂は、名家である千葉家に養子として入ったものの、
直後に実の子が産まれ、困った養父に隠居料と家来を下付され、この梅林庵
に逼塞したといいます。体よく追い払われたわけです。この哀れな少年を、
近くに住む宝持院が、母代わりに愛を注ぎ、手を尽くし心を尽くして育てた
のでしょう。
 そして後年佐賀一国の領主となった直茂は、老いさらばえた宝持院に恩返
しを申し出る。「なんなりとねがいを叶えましょう」。返ってきた答えが「私
何も望みこれなく候」。しかし、せっかくの申し出をことわるのも申し訳ない。
そうだ。せめて「こんにゃくを送ってください」。直茂は、何も言わずに宝持
院がなくなるまで、一生の間二日に一度「こんにゃく」を届けさせた。その都
度使者に、宝持院の様子を見舞わせ、報告させるために。実の親子よりも血の
通いあった、なんとも尊い物語。葉隠の、もっとも美しい挿話のひとつです。

聞書第六 四三
 末代までも「あわび」は喰えぬ。誤って口にすれば、体中あわび形の腫れ物
ができる…。なんとも恐ろしい話ではありませんか。これは、報恩なのか、そ
れとも因果応報なのか。上の聞書第三 一二の千葉氏が鎌倉幕府の命により、
はじめて関東から九州の地に下向した時のこと。当時のいわゆる元寇に備えた
軍事防衛のためです。
恩を受けるといっても、その相手は人間ではなく「あわび」。貝類です。貝類
ですら、君よりありがたい恩を受け生存している。その恩に報い、国の危難を
救わんと、沈み行く船の穴を一致団結して群がり、塞いだという。そして今度
は、命の恩人を一生喰ってはならぬという。葉隠特有のアイロニーが色濃く現
れた一編だと思います。一笑に付すか、大切なことを学ぶかは、読み手次第と
いうところが葉隠の食えないところではありますが。


聞書第六 八八
 本陣とは、街道筋の大名家の定宿。玄関にパトロンの大名家の家紋が染め抜
かれた大きな暖簾がかけられていました。葉隠が書かれた江戸元禄期以降、
経済の主流が武家より町人に徐々に移動し、歌舞伎でよく見られるように、尾
羽打ち枯らした貧乏旗本侍が、ぺこぺこと大商人に頭を下げて、金子を受け
取る図がみられるようになっていきます。しかしこの島原の乱の時代には、
いまだ武家は商家に対して大きな態度をとっていました。が、この話では、
その力関係は対等、もしくは助け合い、支えあう関係といったものに見える
ようです。周りが何といおうと、ウチの宿は鍋島様を応援するのだ。文句が
あるなら、この首、かけて進ぜよう…と啖呵を切った久保田屋。各有力大名
家早飛脚の間抜けぶりも笑えますが、町人の身分を忘れ、刀を抜き負けた相
手の宿に押しかけた久保田屋の「逸れ者」ぶりもなかなかのものです。
別の話に、正月の年賀に主家を訪れた古つわものの家臣が、初試合を挑まれ、
あげくに主君をさんざんに打ち負かせ、大笑しながら挨拶も忘れて帰ってい
く…というのがある。武家と商家。主君と家臣。主と従、二極対立の関係で
はなく、時に反撥し、時に助け合い、いざという時にはためらうことなく命
を預け合う「一味同心」の思想がどの人間関係にも見て取れる。このあたり、
葉隠が江戸儒教をベースとした他の武士道書、思想書と一線を画す、ひとつ
の目安ではないかと思っています。

……………《編集後記》………………………………………………………………

 行春や鳥啼魚の目は泪

 春は別れの季節。ぼくたちの年代は、ユーミンの「卒業写真」です。みなさ
んの年代はどの曲ですか?さて、別れは悲しみではありません。未知、出会い、
旅立ちです。運命を変えるような、びっくりするほど新しいものと出会ってく
ださい。ぽん、と飛び越えてください。イケメンではなく、異形メンを血眼
になってみつけよう!仏五左衛門やコンノ源太左衛門が、20km走って倒れた
あなたに柄杓一杯の水を黙って差し出すはず。…何も調べずに書くのは楽で
すね。あいだみつをはずるい(言)


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【言の葉庵】へのご意見、ご感想、お便り、ご質問など、ご自由に!
 皆さんの声をお待ちしています。Good!の投稿は次号にてご紹介いたします。
  
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■ 編集長 水野 聡 mizuno@nobunsha.jp 
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2008年03月23日 08:39

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