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【日本文化のキーワード】第五回 位

言の葉庵HP開設時より続くコラム、「日本文化のキーワード」。今回、第五回目は、「位」をとりあげました。
日本の芸術・芸道や文芸、生活文化など幅広い分野にわたって古来より根源的な通則として重んじられ、継承されてきた概念。「位」の軽重を問うことで、その作品なり、表現の価値が決定された、といっても過言ではありません。

シテの位・ワキの位・ツレの位。鬘物、「定家」の位は重く、「羽衣」は軽い。序の舞と真の序の舞の位取り…。とりわけ、能においては「位」を抜きにしては何も始まらない…というほどに尊重され、すべての基調となっています。曲・三役・役種・段落の違いなど主要なものはもちろん、たとえば、狂言の足袋の色・地謡と後見の襟の色など、瑣末な規則にいたるまで、能においては「位」が、すべてを支配するルール、歴史的規範とされてきました。
和歌や俳句などの文芸、書画、茶道、武道など各分野において「位」は主要概念とされていますが、今回は「位」がもっとも象徴的かつ具体的にあらわれる<能の現場>を見本として試論にまとめてみました。


―目次―

1.『風姿花伝』の位・長・かさ
2.現代の位の定義
3.能における位とは
4.世阿弥の『九位』
5.『兼資芸談』にみる位の現場
6.日本文化のキーワード バックナンバー

1.『風姿花伝』の位・長・かさ


世阿弥の『風姿花伝』第三 問答條々では、「位」について観阿弥、世阿弥父子の間で以下のような具体的な問答が取り交わされています。


問。能に位の差別を知る事、如何。

答。これ、目利きの眼には、やすく見ゆるなり。およそ、位の上がるとは能の重々の事なれども、不思議に、十ばかりの能者にも、この位自れと上る風體あり。ただし、稽古なからんは、自れと位ありとも、徒ら事なり。先づ、稽古の却入りて、位のあらんは、常の事なり。また、生得の位とは、長なり。かさと申すは、ものものしく、勢のある形なり。また云はく、かさは一切に亙る儀なり。位・長は別の物なり。例へば生得幽玄なる所あり。これ、位なり。しかれども、さらに幽玄にはなき爲手の、長のあるもあり。これは、幽玄ならぬ長なり。
 また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。
 よくよく公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。


『風姿花伝』では、「位」「長」「かさ」を、それぞれ芸位を測る基準として、まずは取り入れています。これらの尺度は現代ではどのように定義付けられているのでしょうか。一般的な辞書の解釈を以下ご紹介してみましょう。


2.現代の位の定義

【位】
1.地位
2.席次・位階
3.等級・順位
4.品位・品格
→生得幽玄なる所「風姿花伝」
→生得の位は長なり「風姿花伝」

【長(たけ)】
1.高さ
2.身長
3.(丈)程度、深さ
4.四尺~四尺九寸の馬
→却入りたる所「風姿花伝」

【かさ(嵩)】
1.大きさ・量
2.高所
3.勢い・威圧・貫禄
4.能芸の幅・厚み
→一切にわたる儀「風姿花伝」
→ものものしく勢のある形「風姿花伝」
→金剛はかさありしシテなり「申楽談儀」


今日的解釈では、「位」とは上の3.「等級・順位」と4.「品位・品格」が組み合わさったもの、
「長」とは1.「高さ」または3.「深さ」、そして「かさ」とは、4.「能芸の幅・厚み」ととらえれば、一応簡単な説明はつくかと思われます。
風姿花伝では、「位をめざした稽古は実りがなく、稽古を積み重ねた結果自然と身につくもの」と定義。そして、「位」は生得のものとして「幽玄」と重ね合わせ、「幽玄の位は生得のもの」「長けたる位は却入りたる所」とそれぞれの質的差違に一線を画するのです。


3.能における位とは

能でもっとも重視される「位」とはいかなるものか。何に、いつ、誰によって、どのように適用され、現れるものか…。平凡社『能狂言事典』(1987)から、その概要をご案内してみましょう。

◆〔位〕くらい

能、狂言の用語で、演技・演出全般を規定する理念。奏演する演目の曲籍(初番目脇能、二番目修羅能、三番目鬘能、四番目雑能、五番目切能)や曲柄(神舞物、序ノ舞物、早舞物、神楽物、狂女物、老女物など)・級位(大習、重習、九番など)と、演ずる人物の役種(シテ、ワキ、アイ、地謡など)と役柄(老人、女、男、僧、神、鬼など)の別をそれぞれ把握し、理解したうえで作られる全体的な表現方法。
普通、(位が重い) (位が軽い)と表現されるが、これは演出効果の上で重々しい充実した感じをうけるか、逆に軽い爽快な感じをうけるかの違いを示す。
位は、謡・雛子・所作のすべてにわたって、それぞれの技法によって総合的に表現される。謡では音高(高低)、速度(緩急)、息扱い(強弱、抑揚の変化)などがボイントとなる。囃子のうち、打楽器は掛声(高低と長短)、速度(緩急)、音扱い(強弱)、音高(高低)、長短などが、また笛では速度、音高、長短のほかに修飾音がポイントとなる。所作では全体のカマエ、足のカマエ・ハコビ、動作の緩急などがポイントとなる。
位は流派による差や個人差のほかに、面、装束、曲籍などの変更によっても変化する。また、小書がつくと一般に位は重くなる。


〔実例〕
能を何度かご覧になった方ならお気づきと思いますが、三役の中でとくに「位取り」といって、「位」なしでは成立しないのが囃子方です。能の舞を主に囃しますが、序の舞・中の舞・男舞・早舞などの舞事では、笛の譜や大小の手付けはほとんど変わらないため、主に舞の種類を「位取り」によって〔掛声(高低と長短)、速度(緩急)、音扱い(強弱)、音高(高低)、長短〕などの違いで演奏し別けるのです。
これはもしも目をつぶって耳だけで囃子を聞いたとしたら、たとえばさらり目の中の舞と男舞などは、能をよく見ている人でもなかなか聞き分けが難しい。たとえば、序の舞物の「江口」、「揚貴妃」、「杜若」を囃子だけ聞いて曲名を言い当てることができるのか?鑑賞と判定の難しいところですね。
それにひきくらべて初心者でも、歴然と囃子の位がわかるのが、狂言の囃子ではないでしょうか。狂言の舞事などで囃子がつく場合、まず大小は床几を降りて向かい合って端座します。そして異様に低く、短い掛け声でまるで「気の抜けた」ように囃すのです。笛も決して本気で吹き込みません。これはシテ方と狂言方の「位」の違いによるもの。世阿弥の時代から引き継がれてきた伝統の“型”なのです。同じ楽器、同じ拍子と旋律でも、まったく「別の音楽」になってしまう、わかりやすい現場の実例といえましょう。


4.世阿弥の『九位』

世阿弥の能芸論『九位』をひもとき、能の「位」についてさらに探求していきます。


●世阿弥が定義する『九位』とは

『九位』は、世阿弥晩年の能芸論。能役者の芸位を上位三位、中位三位、下位三位の合計九位に別け、稽古や修行の進行過程とめざすべき目標を明確に定義したものです。
禅の「却来」という概念を修行に取り入れることにより、様々な分野に幅広く応用できる、普遍的な芸道修行論として位置づけられましょう。また、この九位は役者の芸位であるとともに、能の曲目の順位付けにも適用される。日本独自の文化であり、また抽象的な「位」という概念を、世阿弥独自の命名法と定義によって具体化し、後世へ明確な芸の指標としたことは、とりわけ高く評価されています。

『九位』の概要図(付表)と各位に付した世阿弥の注釈を以下ご紹介しましょう。

●世阿弥の「九位注」

〔上三花〕
妙花風―「新羅、夜半日頭明らかなり」
寵深花風―「雪、千山を覆ひて、孤峯如何か白からざる」
閑花風―「銀椀裏に雪を積む」

〔中三位〕
正花風―「霞明らかに、日落ちて、万山紅なり」
広精風―「語り尽す山雲海月の心」
浅文風―「道の道たる常の道にあらず」

〔下三位〕
強細風―「金槌影動きて、宝剣光寒し」
強麁風―「虎生まれて三日、牛を食ふ気あり」
麁鉛風―「木鼠は五の能あり。木に登ること・水に入ること・穴を掘ること・飛ぶこと・走ること。いずれもその分際に過ぎず」


●中初→上中→下後と稽古は進む

『九位』のなかで世阿弥は、〔幽玄〕を境界に置き、シテの芸位を妙花風・寵深花風・閑花風の上三花、正花風・広精風・浅文風の中三位、強細風・強麁風・麁鉛風の下三位、すなわち上・中・下の九位であらわしました。稽古の進むべき理想的な道筋が、中初→上中→下後であることを説いているのです。

これは、上の『九位』概要図に示されるとおり、まず初めに「浅文風」(二曲)より入門して「広精風」(三体)を経て「正花風」(得花の境)へと進む。得花の境に至ることで、はじめて〔幽玄〕の基礎が構築される、としています。
以降、さらに高位の幽玄の花風を示す上三花、すなわち上の下「閑花風」・上の中「寵深花風」・上の上「妙花風」にたどり着き、ここにいたって「奥義・至上の道は果てる」、としています。この境地から「却来して」(最高無上の境地から、下位に立ち戻り)、下三位の芸にも通じ、遊んで、下位の非幽玄風の曲を和らげて生かす〔道の絶えたる位〕へ到達することとなります。


●中三位では、「二曲三体」をわがものとする

二曲三体と九位との関係をみると、「浅文風」と「広精風」が二曲三体をまず学び、幽玄風の基礎を築く段階(無主風)だとすれば、「正花風」は三曲三体を完全に修得して幽玄風を自在に操れる(有主風※)に相当します。「正花風」が得花の境とされるのは、中三位で始めた修行がここにいたらなければ、やがて芸位が非幽玄風の下三位に転落してしまうからです。

※師に似せるだけで我がものになっていない芸を「無主風」と呼ぶとすれば、師の芸を自分のものにし、安々と演ずることができる状態を「有主風」としている。


●上三花は、芸の最高位

能の芸位のもっとも高い段階が上三花です。上三花のスタート、「閑花風」は、得花の位をさらに突き抜けて、この道を極めたシテが幽玄な風体を安々と演ずることができる位(『拾玉得花』でいう安位)。
「寵深花風」は、安位を得て芸に工夫公案をめぐらし、幽玄無上の風体を演ずることができる闌けたる位(『至花道』でいう闌位)をさします。
そして「妙花風」とは、その闌位の上を行く無心無位の境地に入って、言語を絶する無心の感を催させる所(『花鏡』でいう妙所)、自ずから心のなかの想いと一致してあらわれ出るような、幽玄無上の風体の考え得る〔最高絶対の境地〕を表しているのです。

このように『九位』では能に限らず、すべての芸道にも適用され得るほど、修行・稽古の段階と芸風・芸位との相関関係が合理的に明示されています。
世阿弥の「九位注」の、たとえば「寵深花風―雪千山を覆ひて、孤峯如何か白からざる」、「閑花風―銀椀裏に雪を積む」などの表現は、とかく抽象的に流れやすい高次の概念を、文学的ともいえる具体イメージに転換し、修行者にとって明解な指標となっているのです。


●下三位に却来する”悟りの芸位”

非幽玄風の下三位を、前述「九位注」によって見てみましょう。
「金鎚影動きて、宝剣光寒じ」の「強細風」は砕動風と定義され、下の上に位置付けられます。「虎生れて三日、牛を食ふ気あり」の「強麁風」(「鹿」は「細」の反対で荒く粗野なの意)は、力動風とされる下の中。「五木鼠」(五つの能力を持つ木鼠(むささび)の意。五つの能力とは木に登る・水に入る・穴を掘る・飛ぶ・走るの五つのことを言い、そのうちのどれひとつとってもその分際に過ぎず、優秀な能力はない)にたとえる「麁鉛風」に至っては、下の下。芸も粗野で鈍重なら、曲の位もすぐに廃曲になってしまうほど、取るに足らぬつまらないものということになります。『申楽談儀』で世阿弥は、<どっという位>という表現を用い、「たとえば京にはじめてのぼった者が、南外れの東寺を見て“あっ”と声を上げるようなもの」と、下三位の低い芸位を説明しているのです。

しかしまた、低い芸位・曲位である下三位を活かすための方法論として、前述の禅に由来する「却来」という概念が導入されます。世阿弥は、「悟りの境地に達した者が一切を放下して初心に立ち戻る」というこの禅語を借用して、上三花を極めた達人が下三位の芸に気楽に立ち入るという意味に転換して用いたものです。同書「九位習道の次第條々」には、「中初より入門して、上中・下後と習道したる、堪能の達風にては、下三位にても、上類の見風をなすべし」とあります。

目利き、目利かずによらず、すべての人に愛されることこそ芸能の本意であり、またその道が永遠に続いていく秘訣―。『風姿花伝』で、「衆人愛敬」を能の指針とした世阿弥は、下の下の麁鉛風の曲でも、これを観客が求める限りは「上類の見風」をなして生かし切ろうとした。さらにいえば低い芸位に過ぎない下三位の曲も、位を超越した達人が演じることにより「巌に花の咲かんが如き」幽玄な味わいが生まれえる可能性をも示唆したのかもしれません。
いいかえれば、この「却来」が導入、実行されたことで、いたずらに高尚・難解につき進むことなく、逆に下世話・娯楽に堕落することもなく、幅広い世界観と奥行きを得て、能という芸能の命が650年後の今日へと伝えられたともいえましょう。


5.『兼資芸談』にみる位の現場

『風姿花伝』『九位』、世阿弥の二つの著作により、「位」の理論的根拠は明らかになったものと思われます。最後に「位」について、現場の能役者がどのように考え、どのように実行していったのか。明治、大正、昭和期の大名人とされ、現代能役者の誰もがあこがれ、かつ目標とした、宝生流故野口兼資師の芸談から、能の現場におけるいきいきとした「位」の姿をご紹介します。
『兼資芸談』は昭和28年発刊。現在、古書店でも入手が困難と思われますので、以下の段落を全文引用してご紹介しました。


■曲の位と心得

能にしても謡にしても、その曲の位と心持とがあらわれてこなくては、藝の味いというものは感じられません。仮りに脇能物だからといつても、曲によつてそれぞれ位の取り方が違わなければなりません。高砂でも加茂でも養老でも、すべて眞の一セイでありますが、高砂は尉と姥だし、加茂の方は色有(若い意)の女二人、養老はまた親子二人だから、そこに違いがあるのです。シテが老人だからと申しても、高砂や老松などの老人と、阿漕や鵜飼や融の老人では位が違います。尤も阿漕や鵜飼は漁師の化身だし、高砂や老松のシテは同じ老人でも神の化身なので気韻があつて、そこにも自然に違いがある訳です。能の方からみますと、高砂や老松などはすべて眞の一セイで、阿漕や鵜飼や融は唯の一セイであります。また同じ一セイの老人でも融は大臣の化身で、心持に於ても阿漕や鵜飼の老人とは違っている。謡い方からみると眞ノ一セイ物は普通の一セイ物よりは位もあり、調子も静まつた所がなければなりません。

二番目物では公達物、勝修羅物、普通の修羅物とではそれぞれ位も心持も違わねばなりません。田村、八島、箙などの勝修羅物でも、前シテはそれぞれ人物にも違いがあつて、この点に心の持ち方があり、公達は所謂平家の公達をシテとしたものだけに、優雅な柔かみがなくてはならず、女物の朝長と巴がありますが、朝長の前シテと巴とでは年配も違うし、趣きも違う。朝長は静かな落着きをもつているし、巴の方はどこかにはでやかさがあるのです。曲によつてよくその趣きを弁えて謡うことが肝心であります。

老人は頼政と實盛の二番丈です。普通の修羅物と違い、このキリは、ノリ合いよくしつかり謡います。ノリがいいとかるくなるし、しつかり謡うとノリがなくなります。難しいところです。

髪物は総じて優美でなければなりません。位も調子も静かを第一とします。松風は眞ノ一セイで出るだけに位も心持も静かですが、熊野の方は静かな中にも幾分花やかな所があり、序ノ舞物の江口、揚貴妃、杜若では内容も違い、曲の軽重もあつて、位にも心持にも違いがある訳です。江口などは特に心持も多く謡も余程難しいのであります。
狂女物は総じて位、心持など変化が多いものが多いのですが、同じ狂女物の中でも柏崎などは、一曲が中入と、物着と、その後との三段にわかれていまして、心持の変わりもあり深味があつて、百萬や櫻川などとはかなり違いがあつて、謡もむつかしくなります。

何れの曲でもその成り立ちをよく心得て、その曲の心持に添うように位を取り、調子を整えることが大切なことで、唯文句に節を附けて謡うだけでは、本当の謡の趣味は出てこないのです。先づ曲柄のこと、それから人物、装束、舞のことなどを考えて、位や心持をわきまえて謡うように心掛けないと、謡の趣きを謡い出せないという事になる訳です。

以上の事柄は大体シテの心構えを主としたお話ですがツレもワキも、トモもすべてシテの心と、曲の内容を十分に心得て謡わねばならぬ事は勿論です。殊にシテヅレはシテに件うものが多いのですから、シテの位や心持に添うことが肝心です。例えば高砂のツレ姥にいたしましても、ツレだからすべて軽く謡うのですが、軽いからとて調子を高々と謡つたり、かけ出したりして、余りにシテとかけはなれるなどの事はよろしくありません。松風のツレなども甚だしくシテとかけ離れた調子でなく、やはりシテの風情をそこなわぬよう影の形に添うように謡つて行く事が大切です。又女ツレが男ツレのようになつてしまうなどというような事は、常に避けるように注意をしなければなりません。

謡い方について、段々に深みへ考えを及ぼして行きますと、細かい節の扱い方とか、緩急とか、抑揚とか調子のメリハリなどに及びますが、これ等の事柄は一曲について申しても、仲々容易につきませんから後日にゆずりますが、遅速、動静とでも申しましようか、人間でも走つたあとは休むとか、ゆつくり歩くとか、働いたあとは休養するといつたように、謡でも、ヒキ節の前やヒキ節を謡つたあとはかかりめになるとか、しめたあとはゆるめるとかするように、動静の原理を失つてはいけません。また駈け週ぎてもいけないし、遊びすぎてもいけないように、物事には程合が必要で、それらの原理とかほどあいとかは謡にも必要なことで、大きい聲で謡うばかりがよいのでもなし、聲を締めたり絞り適ぎるのもよい事ではなし、やたらに力むこともよろしくない。萬事は程合、頃合ということが肝腎でありましよう。

『兼資芸談』わんや書店 昭和28年


6.言の葉庵HP【日本文化のキーワード】バックナンバー

・第四回 さび
・第三回 幽玄
・第二回 風狂
・第一回 もののあはれ

※「侘び」については以下参照
・[目利きと目利かず 第三回]
・[目利きと目利かず 第四回]

2011年12月31日 08:27

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