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完璧を捨てて、侘びとなる。[目利きと目利かず 第四回]

己れを捨てて、茶となった名人の目利き。あれもいらぬ、これもいらぬと侘びを求めるこころは、「完全無欠」なものに違和感を覚えはじめます。すべての人が称讃し、嘆息する無上の大名物の完璧さそのものが、何やら足りぬ、欠けていると侘びの目には映るのです。いくつか例を見てみましょう。

1.一とせ千鳥の香炉千貫に求めて、やや時うつる程、畳に置えてみけるを、休が妻宗恩、
「われにもみせ給え」
 とてしばし見て、
「足が一分高うて格好悪しし。韯り給え」
 という。休、
「われも先ほどより、さおもうなり。玉屋(職人)をよべ」
 とて、ついに一分きる也。比の宗恩は、物数寄すぐれて、短檠にむかしは取手の穴なかりしを、はじめて明けさせたる人なり。(『茶話指月集』平凡社 東洋文庫)

 秀吉小田原御陣同行の利休に、袱紗を従来より大きく仕立て、もたせたのも宗恩である。利休はこれを賞賛し、常に用いた。今も茶の袱紗はこれを基準としている。

2.雲山といえる肩衝、堺の人所持したるが、利休など招きて、はじめて茶の湯に出だしたれば、休、一向気に入らぬ躰也。亭主、客帰りて後、
「当世、休が気にいらぬ茶入、面白からず」
 とて、五徳に擲ち破りけるを、傍らに有りける知音の人もろうて帰り、手ずから継ぎて茶会を催し、ふたたび休にみせたれば、
「是でこそ茶入見事なれ」
 とて、ことの外称美す。よて此の趣き、もとの持ち主へいいやり、
「茶入秘蔵せられよ」
 とて戻しぬ。その後、件の肩衝、丹後の太守、値千金に御求め候て、むかしの継ぎ目、ところどころ合わざりけるを、
「継ぎなおし候わんや」
 と小堀遠州へ相談候えば、遠州、
「此の肩衝破れ候て、つぎめも合わぬにてこそ利休おもしろがり、名高くも聞こえ侍れ。かようの物は、そのままにて置くがよく候」
 と申されき。(『同』)

3.古織、全き茶碗はぬるき物とて、わざと欠きて用いられしことあり。(『同』)

4.宗易が盛阿弥に
「棗は、漆の滓をまぜてざっと塗れ。中次は念を入れて真に塗れ」
 といいし。紀三、与三が棗は、塗りみごとすぎて、おもくれたり。(『同』)

5.利休の話に、ある時、宗能亭へ、紹鷗、利休、不干、宗也が茶会に招かれたが、道すがら紹鷗が店先にて花入を見立てた。が、同道のものもあったので、何ともいわず、明日にでも取り寄せ、珍しい茶会でも開くこととしようと思っただけであった。
翌朝、その花入を求めに人をやると、品物はすでに売られてしまっていた。残念に思っていると、利休より案内を寄越し、明朝先日の顔ぶれにてお越しください。お茶をさしあげましょう。昨日路頭にて花入を見立て求めましたので、お目にかけたい、とのことであった。紹鷗、さてはかの花入なり、出遅れて利休に取られた、と苦笑しながら出向いた。潜りの戸を開けたとたん紹鷗、手を打ち合せ、しばらくたたずむ。ややあって座入りしたものの、同道衆も不審に思う。かの花入に白椿二輪生けられてあった。花入は耳付きである。利休が挨拶に出ると、紹鷗は、
「わたしの見立てと同じ心で、この花入を求めたのは何も不思議ではないが、耳付きの片耳を打ち折って、出したこと、妙なる符合である。わたしも昨日見たとき、面白く完璧な花入である。片耳を打ち折ったなら数奇屋に用えよう、と思いついたものである。さて、今朝花入が出てきたならば、会が終わり利休と相談の上、打ち折ったところで何も面白くない。中立ちの間にも打ち折って、もう一輪と所望するつもりであった。懐中にその用意この通り」
と金槌を取り出したものだ。(『南方録 現代語完訳』能文社)

6.灰については、炭の手際を真に入り、粗相に見えるよう灰を入れるのである。(『山上宗二記』能文社)

7.懐石の場合(中略)、名物を用いて、粗相に見えるよう点前することが大切である。(『同』)

8.侘びの小座敷の道具はすべて、足りぬことがよい。少しの疵も嫌う人がいる。全く心得違いのこと。新しい焼き物などで、割れたりひびの入ったりしたものは使えぬ。唐物の茶入など用途のしかるべき道具は、漆継ぎをしても特別に用いてきたものである。(『南方録 現代語完訳』能文社)

9.曲尺に当てて一つ物を真中に置くことは、大法の通りである。されど、鉾の芯に当たることを嫌う。鉾外しといって、心もち鉾の真中を外すのだ。大秘事である。外し方に口伝がある。たとえば音楽の拍子でも、拍子に合うことはよく、拍子に当たることは下手の楽とかいう。舞楽の舞手の秘伝書にも、これを峯摺りの足という。利休は台子やその他でも、一つ物の曲尺を、峯摺りの曲尺とも、摺り曲尺とも呼んだ。いい加減に心得るものではない。(『同』)

10.三条敷の茶室は、紹鷗の代まで、道具のない侘数寄にもっぱら使われた。一品であれ、唐物所持の人は、四畳半に造作した。これに宗易は異見を唱え、二十五年前より、紹鷗の時と同じく唐物であっても三畳を用いたのだ。関白様の御代となって十年以内に、貴賎問わず三畳敷・二畳半敷を用いるようになった。珠光が、
「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」
 といった。さればすなわち、粗末な座敷にこそ名物を置くことがよいのだ。趣、なおもって面白いというもの。(『山上宗二記』能文社)


 珠光以来、侘び茶が骨法とした指針は、「全き物を、わざと欠く」ことです。これを言葉に表したものが、曲尺割という茶道具置き合わせの配置技法、上の9.の「中央の曲尺の峯摺り」と、村田珠光の「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」です。
 曲尺割、峯摺りについては、現在の茶法では行われなくなりましたが、台子の茶法がたどり着いた究極の配置分法。日本式、黄金分割とでもよべるものでしょうか。くわしくは機会を改め取り上げたいと思います。

 「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」は、まさに侘び茶の真言ともいえるもの。その美学は、上の1.から8.までの各章話に鮮明に汲み取ることができます。形而下で解釈すれば、名品に粗品を配することにより、均整のくずれた美を創り出し、余情を賞玩すること。しかし、形而上でとらえるなら、この侘びの概念の祖形、「捨てること」、「ずれること」は、禅宗にまず見られ、それが様々なヴァリエーションとなって中世の和歌・文学・芸能に色濃く発現しています。


  世を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ   西行

「一口に”世を捨てる”というが、”捨てる”とは一体どういうことなのか?そこにあらゆる工夫がかさねられ修行の方法が発生した。密教・浄土教・禅・法華と、すべては”捨”の一字をめぐって生死への思索を凝らしてきたと言ってよい。捨てようと思う心をも捨てようという工夫も生じた。~『日本人の精神史研究』亀井勝一郎」


 茶の湯における「捨てる工夫」は、堺茶人たちの”市中の山居”というものに、顕著にみられます。

「この都市にあるこれら狭い小家では、たがいに茶を招待し合い、そうすることによって、この都市がその周辺に欠いていた爽やかな隠退の場所の補いをしていた。むしろある点では、彼らはこの様式が純粋な隠退よりまさると考えていた。というのは都市そのものの中に隠退所を見出して、楽しんでいたからであって、そのことを彼らの言葉で”市中の山居”といっていた。それは街辻の中に見出された隠退の閑居という意味である。~『日本人の教会史』上巻 ロドリゲス」

 イエズス会士の目からみた茶人の隠退は、「閑居を楽しむ」と映ったようですが、西行が、たとえ野を流浪い、山に伏しても「まことに捨つるかは」と疑問を感じ続けたように、「茶の湯を世渡りの手立て(『山上宗二記』)」とした宗二、黄金の茶室を造作した利休こそ、「捨てぬ人こそ捨つる」の境地を市中の山居にて切り拓いたように思えてなりません。


 さて、利休、宗二と比べ正真正銘の無一物、己れのすべてをからりと捨てきった、幸せな侘び人の例もあります。珠光が称讃した粟田口善法、利休・秀吉に許された山科のJ貫(へちかん)がその人です。

「京、粟田口の善法。燗鍋ひとつにて、一生の間、食事をも茶をもまかなった。この善法の楽しみ、胸中きれいなるものとして珠光は称讃した。(『山上宗二記』)」


「山科のほとりに、へちかんといえる侘びありしが、常に手取りの釜ひとつにて、朝毎みそうず(雑炊)という物をしたため食し、終わりて砂にてみがき、清水の流れを汲みいれ、茶を楽しむこと久し。一首の狂歌をよみける

  手どりめよ おのれは口がさし出たぞ 増水たくと人にかたるな
  (『茶話指月集』)」

 善法、へちかんの例は「無一物」であって、「完璧の欠如」という考えからは離れますが、まず完璧を目指す、既成概念に捉われぬ自由な境涯に、茶匠として弟子をもち渡世しなければならなかった珠光・利休は憧憬の念をもったのでしょう。


 「完璧の欠如」という日本独自の美の概念は、近代、現代までもしっかり継承され、息づいています。岡倉覚三は、現代の名著『茶の本』で、完全無欠を目指す西洋の美に対し、中国・日本の美は余白、空白に宿ると提議しています。何も描かれぬ余白と大胆な非対称の構図に、美を感じる書と墨絵の技法を例に引く。結局それは、完全無欠を求めるゆえ、ある意味非寛容なキリスト教的合理的文化と、清濁併せ呑み、山川草木悉皆成仏を旨とする、非合理だけれども寛容な仏教文化との違いなのかもしれません。


ある人が、
「理と非の形がわかった」
 という。どんな形かと問えば、
「理は四角形である。きっちり収まって動かない。非は球形である。善悪邪正を別けず、所を定めず、転がるものである」
 と答えた。(『葉隠 現代語完訳』聞書十 能文社)

 結局「目利き」とは美の審判であり、美とは時代によりその基準が変化するものであれば、ひとところに未来永劫「きっちり収まって動かない」ものではありえません。茶人もある水準に達すれば、師とは西東、袂を分かち、己れの考えを出し上手の名をとる。果ては己れをも否定し、何もない無一物の境地にたどり着く。このように生涯、代々移り変わってゆく「美」こそ、能では「花」と呼ばれ、茶では「数寄」とされるものです。数寄者がたどり着く無一物の境地、凍てついた一面の雪原は、ある意味「何もない」というもうひとつの完璧。もう一段上の境地として、この完璧に生じるほころびの美を利休はみつめていました。


 紹鷗、かつて侘び茶の心は、新古今集定家卿の

  見わたせば 花も紅葉もなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ

 この歌にあると仰った。(中略)花、紅葉をつくづくと眺め、鑑賞し尽くした後に、無一物の境界、浦のとまやにたどり着くのである。また、宗易は、今一首見出したと、定家の歌と、この一首を書きつけ日頃信奉したという。同集、家隆の歌、

  花をのみ 待らん人に山ざとの 雪間の草の春を見せばや  (『南方録』)


【日本文化のキーワード】バックナンバー

・第五回 位
・第四回 さび
・第三回 幽玄
・第二回 風狂
・第一回 もののあはれ

※「侘び」については以下参照
・[目利きと目利かず 第三回]

2006年04月12日 22:12

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