南方録 現代語全文完訳
著者:南坊宗啓著 水野聡訳
●形式:オンデマンド・ブック版(簡易書籍)
本体価格:3,300円(税込価格3,465円)
判型:A5版 全324ページ
発売日:2006年5月10日
出版社:能文社
[千利休とは]
千利休 大永二年(1522)- 天正十九年二月二十八日(1591年4月21日)は中世末期、安土桃山時代の茶人。侘び茶(草庵の茶)の完成者として知られる。
父は田中与兵衛(田中與兵衞)、母は宝心妙樹。父の「千」は氏であり、利休の名字は田中である、名は与四郎(與四郎)。のち、法名を宗易(そうえき)、抛筌斎と号した。
広く知られた利休の名は堺の南宗寺の大林宗套から与えられた居士号で正親町天皇の勅許による。この名は『茶経』の作者とされる陸羽にちなんだものとの説がある。…
茶聖とも称せられる。
和泉の国堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」)の生まれ。若年より茶の湯に親しみ、17歳で北向道陳、ついで武野紹鴎に師事し、京都郊外紫野の大徳寺に参禅。
織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として召され、のち豊臣秀吉に仕えた。1585年の北野茶会を主催し、一時は秀吉の篤い信任を受けた。この時期、秀吉の正親町天皇への宮中献茶に奉仕し、居士号を許される。また北野大茶会の設営、黄金の茶室の設計などを行う一方、楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、侘び茶の完成へと向かっていく。いわば茶人としての名声の絶頂にあった利休は、突然秀吉の勘気に触れ、堺に蟄居を命じられる。利休七哲のうち古田織部、細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したが、助命は適わず、切腹を命じられる。七十歳であった。死後、利休の首は一条戻橋で晒し首にさせられた。
利休が死ぬ前日に作られたとされる辞世の句が残っている。
人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺
堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛つ
死罪の理由は定かではない。表立っては大徳寺改修に当たって増上慢があったためとされるが、秀吉の女性関係のため、あるいは豊臣秀長死後の豊臣政権内の不安定さから利休に親しい大名と石田三成らの政治闘争に巻き込まれたためなど、さまざまな説が立てられている。
結婚は二回。先妻の子と後妻・宗安の連れ子がそれぞれ堺千家・京千家を起こしたが、利休死罪とともに蟄居し、千家は一時衰亡した。のち堺千家は再興せず、京千家のみが現在に伝わる。薮内流家元藪内家と千家ともこの時期姻戚関係が生じる。なお宗安は袱紗を現在の形に定めるなど、自身茶の湯に精通し、利休のよい補佐役、理解者であったといわれる。
三千家は利休の養子となった宗安の息子と利休の娘の間の子、利休の孫 千宗旦が還俗して家を再興し、その次男・三男・四男がそれぞれ初代として茶道を継承したもので、表千家・裏千家・武者小路千家(別称は官休庵流)の総称である。
利休忌は陽暦(現在の日本の暦)の3月27日および3月28日に大徳寺で行われる。
[南方録とは]
千利休の茶法を伝える秘伝書。古来数多い茶書の中でも、最も重要視されてきた茶道の聖典とよばれる名著である。
利休の高弟、南坊宗啓の聞書で、利休が奥書・印可を加えたという。「覚書」「会」「棚」「書院」「台子」「墨引」「滅後」の七巻より成る。このうち「墨引」までは、利休在世中に成立。「滅後」は利休没後の成立(当然利休の奥書・印可はない)と伝える。
利休没後、著者南坊宗啓自身とともに、その所在は長らく不明となっていた。しかし、元禄三年(1690)筑前福岡侯黒田綱政の家臣、立花実山がこれらを偶然発見、書写・編集した。この全七巻の成立は、まず貞享三年(1686)に実山が京都のなにがしの所持する利休秘伝茶の湯書五巻を人手を介し書写、入手。さらに不足分を元禄三年に南坊宗啓の一族と伝える納屋宗節から借用して大坂にて書写。これが「墨引」「滅後」の二巻だったので、全七巻が揃ったという。この年が、たまたま利休百回忌に当たったということも注目される。
これら七巻を三部に分けると、第一部は「覚書」「会」、第二部「棚」「書院」「台子」、第三部が「墨引」「滅後」となる。第一部「覚書」は、利休の茶の伝統的な展開と、利休が創造した新しい茶の哲学、その根本理論を体系立てたものであり、「会」は、利休と著者宗啓が、豊臣秀吉を中心として営まれた茶会を記録したものということになっている。しかしこの会の記録は客観的な史料と整合性に乏しく、「利休百会記」をもとに他の茶会記録を付き合わせ、創作したものと評価されている。
第二部の「棚」「書院」「台子」は、利休の茶の詳細な技法の記録である。とりわけ「台子」は、一枚一枚の切紙五十余ものいわゆる切紙伝授を受けたものをまとめて一巻の巻物に仕立て、その全体をさらに利休が印可証明した、ということになっている。
第三部の「墨引」は、第二部の実技に対応して、曲尺割(かねわり)の法則という、「南方録」独特の厳密な茶法実演の美学を詳述したものである。この「墨引」は秘伝についてあまりに詳細に書きすぎるということで師、利休が墨を引いて消した、ということでこの名がある。よって奥書はあるが印可はない。「滅後」も曲尺割について論じ、その他利休の説いた茶技・茶論を多方面に及んで取り上げている。
2005年12月11日 22:14
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先日帰天した義祖母の家を訪ねました。
その本棚には、茶とキリスト教関係の本がたくさん並んでいました。
「これ、どうするのですか?」と訪ねましたら、
「... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年03月27日 19:58
コメント
>はじめまして。言の葉庵主と申します。
>「南方録」の検索からここへたどり着きました。
>当方古典の翻訳をしており、「南方録」「山上宗二記」を今年はじめ自社より版行しました。
>http://nobunsha.jp/book/post_14.html
>お茶の世界は、禅宗がベースとなっているといいますが、やはり宗教そのものではなく日本人の「生活学」とでもいえる独特のもので、このあたりこの二書に学ぶべきものがとても多いです。
>さて、実は当方もPHPエディターズグループより本を出しており、当方編集担当のIさんより、亜さんの「リーダーの易経」の話は出版前より伺っていました。さっそく読んでみたいと思います。中国つながりですが、次回翻訳作品には「貞観政要」を予定しています。本来当社翻訳は、日本の古典が対象だったのですが、「今の日本に必要な名著で、入手の難しいもの」の基準で探したところ、「貞観政要」には非常に感銘を受けたので、向こう見ずではありますが、ぜひ手がけてみたいと思い立ちました。
>また、このページに遊びに来ます。よろしくお願いいたします。
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言の葉庵主さんへ
はじめまして。
ようこそ!
ご案内、ありがとうございます。
実は1ヶ月ほど前に内海倫先生(裏千家顧問)から
熊倉功夫さんの「南方録を読む」を戴いたのです。
この本が実に分かりやすく、楽しんで読み進めているところです。
まずこれを熟読してから、お知らせいただきましたご本の購入に移りたいと思います。
「貞観政要」は是非とも読ませていただいて勉強したいと思います。
拙著「リーダーの易経」の読後のご感想やご意見などを
頂戴できましたら、嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。(^^)
投稿者 竹村亞希子 : 2006年06月22日 12:26
読後の感想、ありがとうございました。
本当に丁寧にお読みくださったのですね。
嬉しいです!
『風姿花伝』は大好きです。
あの名文を読んでいるだけでも、ときめいてきます。
『五輪書』は、まだしっかりとは読んでいません。
勉強することがいっぱいあります(^^;;
易経も何度も繰り返し読んでいます。
読む度に新しい発見があり、心が躍ります。
投稿者 竹村亞希子 : 2006年07月04日 08:34
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