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第四回 名人は、造語に遊ぶ。

◆原文
 およそ、三日に三庭の申楽あらん時は、指寄の一日などは、手を貯いて、あひしらひて、三日の中に、殊に折角の日と(おぼしからん)時、よき能の得手に向きたらんを、眼睛(がんせい)を出だしてすべし。一日の中にても、立合などに、自然、女時に取り逢ひたらば、初めをば手を貯いて、敵の男時、女時に下る時分、よき能を揉み寄せてすべし。その時分、また、此方の男時に復る時分なり。ここにて能よく出で来ぬれば、その日の第一をすべし。この男時・女時とは、一切の勝負に、定めて、一方色めきて、よき時分になる事あり。これを男時と心得べし。勝負の物数久しければ、両方へ移り変わり移り変わりすべし。

ある物にいわく、「勝負神とて、勝つ神・負くる神、勝負の座敷を定めて、守らせ給ふべし。弓矢の道に、宗と秘する事なり」。
敵方の申楽よく出で来たらば、(勝神)彼方にましますと心得て、先づ、恐れをなすべし。これ、時の間の因果の二神にてましませば、両方へ移り変わり移り変わりて、また、我が方の時分になると思はん時、頼みたる能をすべし。これ、即ち、座敷の中の因果なり。返す返す、おろそかに思ふべからず。信あらば徳あるべし

ワイド版 岩波文庫『風姿花伝』花伝第七別紙口伝より


◆読解
 今回は、世阿弥の最高傑作『風姿花伝』を読解します。中でも、文芸的価値、論理構築性の両面から、世阿弥全著作中の名段・名文とされる「第七別紙口伝」から、”時の因果”を説く一段落を取り上げましょう。

 今回の読解テーマは「造語」。研究者・翻訳者泣かせの代表が、古文中の「造語」の存在。
周知のように、古典芸道書は秘伝書として、ごく一部の人の間で、写され伝承されてきました。それも何百年もの間。また、原本が失われている場合が多く、校合は、複数の信頼すべき(?)写本によるしかありません。この写本校合の作業が、これら古典籍の主な研究分野となります。『山上宗二記』など、現在、十三種類、五十余もの写本が発見されています。
 このような状況の中、原本・写本中に解読不能な”典拠不明””怪しげな”言葉が度々発見されます。これらは、原著者、筆写者らの単なる誤記なのか、あるいは意図的な新語・造語なのか、判別できないと、本文読解に大きな齟齬をきたしてしまいます。
 結論からいってしまえば、文筆を生業としませんでしたが、和歌の伝統・教養に基づき、文芸的価値の非常に高い『井筒』『野宮』『西行桜』などの曲を作った世阿弥には、新語・造語がとても多い。当時、芸能の最先端モードであった猿楽能の詞章に”使い古された””ありきたり”な言葉ではマッチしないし、将軍から民衆までの幅広い観客層に強くアピールすることができなかったからです。
 言語センスの鋭敏な名人・達人は、いつの時代にもオリジナルの新・造語を生み出す傾向がある、といってよいでしょう。江戸時代、俳諧に新風を巻き起こした芭蕉など、当然新語・造語がとても多いのです。


読解裏技>
意味・典拠不明のことばは、革新的作者の場合、誤記ではなくまず造語の可能性を疑う。


さて、それでは造語の系列をまず整理してみましょう。造語はおおむね、以下3つのグループに大別されます。

①成語(イディオム)
②命名(ネーミング)
③転用(パラフレーズ)

 ①は、慣用句・熟語風に、どこかで聞いたことのあるフレーズの体裁を真似たもの。例えば、論語「三十にして立つ」をもじった言い回しなど。
 ②は、現在広告コピーライターの仕事として知られる分野ですが、今までになかった全く新しい名称を創作したもの。
 ③は、謡曲や俳諧に多用される手法。文字や音のひとつを差し替え、あるいは同じ音を違う意味に用いて、斬新な、そして重層的な意味を元の言葉に付け加えます。和歌の掛詞からの伝統。ことば遊びの代表ですね。

 世阿弥も芭蕉も、造語の天才です。
 まず、芭蕉『奥の細道』をみると、
「そぞろ神」(序)は、同じ文節にある「道祖神」から着想し、対比句として置いた②命名と③転用のミックスタイプの造語。
「呉天に白髪の恨み」(草加)は、三体詩「五天に到らん日、頭白かる応し」と禅林句集「笠は重し呉天の雪」を掛け合わせた③転用。
「芦角一声の心」(最上川)は、胡角(つの笛)と芦茄(あし笛)を組み合わせ③転用した、②命名の新造語です。

 『風姿花伝』第七別紙口伝には、下2つの際立った造語がみられます。

眼睛(がんせい)を出だし
男時・女時

 眼睛とは、目玉・瞳のこと。直訳するなら「目玉が出るほど、気を入れてやる」。これで意味が通らなくもないのですが、この訳では名文にそぐわない。それで、もう一度この一文を前からよく見直してみます。
 「殊に」「折角の日」「よき能」「得手に向きたらん」。立て続けに、上昇気流、パワーに満ち溢れるフレーズが4つも並んでいます。最後のツメとして、眼睛を出して、完成・成就させるのです。
 ピン、ときましたね。そうです。正解は、

画竜点睛

 世阿弥は、この成語の意味を使いたかったのです。そのまま「画竜の睛に点じ」としては、この一文中そこだけ表現が浮いてしまう。それで普通の言葉、「竜の睛」を「眼睛」に、「点じ」を「出だし」に置き換えたのです。文章中には、「画竜点睛」を連想させることで、全力で仏を作り、最後の仕上げとして魂を入れよ、とのニュアンスが生まれました。
 ①成語を分解・再構築し、意味だけを③転用した、高度な新・造語です。


 男時・女時は、一見②命名のようにも思えますが、陰陽思想の「陰」と「陽」を、日本人によりよく伝わる「男」と「女」の概念にあて、置き換えた③転用パターンです。そもそもは、同章中にある「勝負神=勝つ神・負ける神」も同じ比喩なのですが、『易経』の陰陽思想=移り変わる時の論理を応用した説で、『易経』のシンボル、飛龍、亢龍に着想を得たものに違いありません。
 能の芸・演技の最大の特徴は、男の役者が女に化けること。そこで『風姿花伝』では、飛龍、亢龍に換えて、男・女をシンボルとして用い、「易」=「変化」の根元である「時」とそれぞれ組み合わせ、「男時・女時」としたのです。これは、③転用と②命名タイプの造語。
 ところで、『易経』の説く「変化」の概念は、『風姿花伝』においても、「秘すること」と同等に最も重要な論理的バックボーン。それは「花」ということばで、手を変え品を変え、幾度も本文にあらわれています。

 それでは、以下本文読解のため、各個の語釈ポイントをご説明しましょう。

 冒頭三日に三庭と、最後の座敷の中の因果。この「庭」と「座敷」は、両方とも能を演じる場所をあらわします。「第六花修」にも「夜などの庭に相応すべし」とありますが、能はもともと寺社仏閣の前庭など、野外で演じられていたため、「庭」は演能の場と解読します。 これに対して「座敷」も演能の場ですが、語のニュアンスとして室内の敷舞台、または能舞台と解釈すれば、読解はよりシャープです。
 指寄は、「指す」も「寄る」も近距離をあらわすため、「一番最初の」という意味。
 手を貯いては、手をガマンしてじっと温存する。つまり「手をこまねいて」。
 あひしらいては「あしらって」。
 折角は、現代語では「わざわざ」の意味のみになりましたが、もともとは「高慢さをくじく」。転じて「力を尽くす」という意味でした。
 勝負の物数久しければは「勝負の回数が重なって、長引けば」。
 信あれば徳あるべしの「徳」は、現在、道徳・人徳など、人の器量・品性・節操をあらわす意味に限定されがちですが、この文字の旁(十+四+心の字)の原義は、「のぼり行くこと」。利を増やす、「得」の意味もあります。今でも「お徳用サイズ」などと使いますね。ここは、こちらの意味で「信じてやれば、よい結果がついてくる」と読むべき。この章が「男時・女時」を捉え、勝負を制することを説いているので、「信用されて徳をつもう」とはならず、「信じよ、さらば与えられん」との実利的な結論に落ち着くわけです。


◆訳文
 およそ三日に三公演申楽がある時は、初日には技もほどほどにあしらって、三公演のここ一番という時に、よい曲でしかも得意な芸を精魂込めてやってみる。
一日のうちでも立合い勝負のさなか、自然に女時につかまってしまうことがある。立ち上がりは手をこまねいて待つ。敵の男時が女時に転じた頃合いを見逃さず、よい能を揉み寄せて出すのだ。ここがふたたびこちらの男時に転じる時分である。ここで能がよく出で来たれば、その日の目玉を演じるのだ。
さて男時、女時とはすべての勝負に必ずどちらか一方が色めいて、いい感じになるときがある。これを男時と心得る。勝負の回数が多く長くなれば、双方へ移り変わり、移り変わりするものである。ものの本には「勝(しょう)負(ぶ)神(がみ)といって勝つ神様、負ける神様それぞれがご自分の勝つ部屋、負ける部屋を定め守っておられる。弓矢の道ではこれを第一の秘事となす」とある。敵方の申楽がよく出で来れば、勝つ神様はあちらにいらっしゃると心得、まず畏(かしこ)まるべきだ。これは時の間(ま)の因果を司る二(に)神(しん)にてましませば、双方へ移り変わり、移り変わりなさるのである。ふたたびこちらの時分がきたと感じたら、自信のある能を出すこと。これすなわち、演能の場の因果である。返す返すおろそかに思ってはならない。信じてやるからこそよい結果がついてくる。


『現代語完訳 風姿花伝』第七別紙口伝より

2006年09月15日 15:39

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