言の葉庵 |能文社 |お問合せ

 

第二回 主語を探す。誰が誰に言っている文か。

◆原文
五つガネのこと、間あいだ六を加へて十一のカネ伝授ありし時、いまだ陰陽の差別くはしく会得せざりければ、迷惑のこと多かりしなり。第一五十かざりの台子、草庵の置方に至るまで、五つガネのみにて教へらるゝ。これに依り不審晴れがたく、尋申しけるに、云、丁寧の問感喜す。五十かざり知ても、この間のカネを分別せざれば不自由、またはあやまちすることなり。

某も道陳に再三問しかども、秘事とのみ云て伝授せず。紹鷗に尋申たれば、道陳は教へずやと仰せらる。秘して教へずと申す。いやいやさにあらず、我等あるとき道陳に尋ねしに、空海もこの事何とも申さずと答て分明ならず、我等また宗陳に問しかどもしらず。宗悟に問いしに、は珠光の伝深切(しんせつ)の人にてありしゆへ、たしかに覚へてつぶさに伝へられしなり。かほど大切にて知人まれなることゆへ、第一の伝授事なり。凡三つわり五つガネまでは教へずして事とゝのはぬゆへ、誰にも伝るなり。間の六つガネのこと沙汰にも及ばず、問尋ぬる弟子もなし。宗易に於て秘事を残すべきにあらずとて、委く相伝ありしなり。御坊は深切に工夫して、かくの如く問尋らるゝこと、我等がへの心入よりまされり。いかにも伝へ申べし。吉日を撰て改て相伝すべしとて、天正九年十月二十三日相伝をうけ申けるなり。その次第、あらあら左に記す。
(南方録 墨引四/同)

◆読解
 南方録、葉隠等伝書スタイルの作品は、聞書が多い。弟子が師匠の教えを聞き取り、それを筆録、代書するという体裁です。もともと日本語は主語を省略する言語なので、誰しもそれなりに免疫はできていると思われますが、古文の場合その程度がさらにはなはだしくなり、主語・述語の関係がわかれば、読解は大変楽になります。特に聞書では、話者が入り混じることが多く、書き手なのか、話し手なのかは前後の文脈や敬語で判断するしかなく、難易度は結構高い。
 ここでは、五つ曲尺の間にある、六つ曲尺の秘伝について、珠光以来、師弟の間での、伝承の経過が語られています。まず登場人物を把握。聞き手南坊、話し手利休。加えて利休の師匠関係が、紹鷗、道陳、空海、宗陳、宗悟。合計七人となります。南方録では人の名前を一文字に省略する独特の書式があり、利休は「易」または「」、紹鷗は「」、宗悟は「」。南坊→利休→紹鷗/道陳→空海、宗陳、宗悟までの師弟関係は、この章まで読み進んでいれば理解できていると仮定して。弟子が師に尋ねるわけですから、最初は当然南坊から始まる。つまり最初から「尋申しけるに、休云、」までが南坊。その後ずっと利休の答えが続き、さて、どこまでが利休の文かを次に読み取ります。利休は当然、師である紹鷗に問うわけだから、利休が尋ねると、の後から紹鷗の言葉となって行きます。「紹鷗に尋申たれば、」以降が、紹鷗ですが、ここは短い会話の応答なので、「いやいやさにあらず、」からが紹鷗の回答となります。ここから会話文が二重構造となり、鍵カッコで示すと、南坊「利休『紹鷗』利休」南坊、というように話者が変わります。 
 ところで、この後赤字で「深切(しんせつ)の人」が出てきますが、第一回の読解ポイントに従って正しい意味を調べます。ついつい「親切」と読んでしまうと意味が通りません。心入れが深い、という意味です。辞書で調べましょう。
 さてこの後、紹鷗の文がどこで終わるかですが、文意と師弟関係を把握していれば、さほど難しくはない。「宗易に於て秘事を残すべきにあらず」までだと容易に気付くことでしょう。その後の利休の文は「吉日を撰て改て相伝すべし」まで。古典原文には会話体のカッコ、鍵カッコは当然ありませんので、人物名と会話の内容で推量するしかありません。が、ここでは、秘伝を師から弟子、そのまた弟子へと、直線的に話が展開していくため比較的読解が容易な部類だと思われます。単純に言葉尻だけで見分けるなら、「尋ねしに(尋ね申すに)」と「…とて」の後、話主が変わります。読みながら、鉛筆で原文にカッコ、鍵カッコを入れていくといいかも知れません。主語、人名が省略されている場合、敬語の使われ方で主語を類推する高度な方法もありますが、これはまた次回お伝えいたします。


読解表技>
主語の見分け方は、まず人物関係を把握し、原文会話にカッコを入れてみる。


◆訳文
 五つ曲尺のこと。その間それぞれに六を加え、合計十一の曲尺を伝授された時、いまだ陰陽の区別をくわしく会得できていなかったゆえ、戸惑うことが多かった。まず台子の五十種の飾りより、草庵での置き方に至るまで、五つ曲尺のみをもって教わった。これをもって不審晴らし難く、尋ねてみると、利休は、
「よく尋ねられたものだ。感心なこと。五十飾りを知っても、この間の曲尺を理解せねば不自由し、過ちを犯してしまうもの。それがしも道陳に再三問うたものだが、秘事とのみおっしゃり伝授してはくれなかった。紹鷗に尋ねてみると、道陳は教えなかったか、と聞く。秘してお教えくださいませんでした、と答えた。紹鷗は『いやいや、そうしたものではないのだ。自分がある時、道陳に尋ねたところ、空海もこのことを何もいわなかった、と答え、はっきりしなかった。宗陳に問うたが、彼も知らぬ。それで宗悟に問うと、この人は珠光に深く心入れして伝授を受けた人であったので、確かに覚えており、くわしく教えを受けることができた。このように大切なもので、知っている者も稀なので第一の秘伝となっている。
 およそ、三つ割、五つ曲尺までは教えずして、何もできぬので、誰にでも伝えるもの。間の六つ曲尺のことは、話にも上らず、問い尋ねる弟子もない。宗易の代で、秘事を葬り去るわけにはまいらぬ』とて、くわしく相伝を受けることとなった。御坊は心入れ深く、工夫を凝らしているので、このように問い尋ねてくれた。自分が紹鷗に師事した心入れより勝っている。なるほどお伝え申そう。吉日を選び、改めて相伝すべし」
 といって、天正九年十月二十三日、相伝を受けた。その次第、概略を左に記す。

 瓢(ふくべ) 夕顔で作った花活け。

2006年01月12日 22:46

>>トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/24

バックナンバー

第十回 『戴恩記』話者を敬語の程度で見つけ出す。

第九回 謡曲『羽衣』クセを完全読解する。

第八回 世阿弥絶筆「佐渡状」を読む。

第七回 時代により「価値転換」するモノとコトバ

第六回 「候文」完全攻略の裏技公開!

第五回 名文の「圧縮美」を解凍する。

第四回 名人は、造語に遊ぶ。

第三回 隠された主語は、動作をヒントに探しだせる。

第二回 主語を探す。誰が誰に言っている文か。

第一回 現代語とは意味の変わった言葉

◆言の葉庵推奨書籍

◆言の葉メールマガジン
「千年の日本語。名言・名句マガジン」

「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文まる秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)

◆お知らせ

ビジネス・パートナー大募集

現在、弊社では各業界より、マーケティング関連委託案件があります。
つきましては下記の各分野において、企業・フリーランスの協力パートナーを募集しています。

◇アナリスト、リサーチャー
◇メディアプラン(フリーペーパー、カード誌媒体等)
◇プランナー、アートディレクター、コピーライター
◇Web制作
◇イベンター、SPプロモーション
◆化粧品・健康食品・食品飲料・IT・通信分野

 

Copyright(c)2005.NOBUNSHA.All Rights Reseved

Support by 茅ヶ崎プランニングオフィス