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第五回 名文の「圧縮美」を解凍する。

◆原文
 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やや年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心くるはせ、道祖神のまねきにあひて取もの手につかず、もも引の破をつづり、笠の緒付かへて、三里に灸すうるより、松島の月先心にかかりて、住る方は人に譲り、杉風が別
墅に移るに、

  草の戸も住替る代ぞひなの家

 面八句を庵の柱に懸置。

岩波文庫『芭蕉 おくのほそ道』序章より

◆読解
 今回は、日本文芸史上屈指の名文と評される『おくのほそ道』序文を読み解きます。残念ながら当段落は、これまでのように、特定の語句、用法を知ることで、すんなり意味が通る<読解裏技>はありません。あくまで正攻法<読解表技>のみにて、丁寧に読み進めたいと思います。表技は以下の三つ。


読解表技>
① 時制をよむ。基本
② 出典を知る。中級
③ 構成を味わう。上級


まず、古文読解の基本中の基本、① 時制をよむ。そもそも、この物語はいつの話なのか。過去どのような経緯があり、これからどのような展開があるのだろうか…。これらが、作品理解の骨格となります。どのような詩的で、芸術的な文章であろうと、時制を知らずには鑑賞はありえません。前提として、松尾芭蕉と『おくのほそ道』の最低限の知識はもっている(芭蕉は俳聖。おくのほそ道は、北陸・東北地方への紀行文、程度)読者を想定して進めましょう。

 まず、この序文の時制は、いつか。段落末に、

草の戸も住替る代ぞひなの家

 の発句があり、「面八句を庵の柱に懸置」とあります。ご存知のとおり、俳句には必ず季語があります。ここでは「ひな」。つまりこの句が詠まれたのは三月です。まず現在が、確定。ただし、「住る方は人に譲り、杉風が別墅に移る」とありますので、現在、引越しの最中のようです。

 次に、過去に何があったのでしょうか。段落中ほどに「去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひ」とあります。江上は、「川のほとり」、深川芭蕉庵のこと。「蜘の古巣をはらひ」とありますので、去年の秋に、長い不在ののち庵に戻ったことがわかります。其の前に「海浜にさすらへ」とあり、この不在は、いずれかの海岸方面を旅行していたということがわかります。(岩波文庫の注によれば、去年とは貞享五年の『更科紀行』の旅のこと。ただし、海浜にさすらったのはその前年、貞享四年『笈の小文』の旅にて、鳴海・伊良湖崎・和歌の浦・須磨・明石を巡遊したこと)
 その後、「やや年も暮」とあることから、芭蕉庵にて年を越したことになります。ここまでが過去の時制。

 次に未来。すなわちこの旅行の行く先です。

1.「やや年も暮」のあとの「春立る霞の空に、白川の関こえん」
2.「住る方は人に譲り」の前の「松島の月先心にかかり」

 この二つの文により、目的地は白川と松島であることがわかりました。しかし、どうもそれぞれ訪れる時期の間に微妙な齟齬がありますね。長い一文中にたち入れられた言葉なので、まぎれてしまいそうですが、よく気をつけて見ると、「春立る白川の関」、「松島の月」。つまり白川には春、松島には秋に訪れる予定だったようです。白川の関から、松島までどう考えても半年はかかりません。計画の途中で日程が変更になったのです。「やや年も暮」から「道祖神のまねきにあひて取もの手につかず」までが、おそらく年末あたりの予定。「もも引の破をつづり」から「杉風が別墅に移るに」までが、出発直前おそらく二月ごろの予定でしょう。時間の経過とともにどんどん変更されていく旅の予定を一文中に入れ込んだため、起きたものと思われます。実際には、白川へ四月二十日(新暦六月七日)頃、松島へ五月九日(新暦六月二十五日)に訪れています。いずれにしても、芭蕉が旅の日程に無頓着だったわけではなく、自身の最大の紀行文の序に「春霞とともに奥州への関を立ち越え」「松島の絶景に名月を配する」二つの景を是非とも描く必要があったためでしょう。

 序の時制を整理すると、「昨年海岸方面の旅行から、深川芭蕉庵に秋、ひさしぶりに帰着」、「芭蕉庵にて年越し。年末あたりから白川~奥州への『おくのほそ道』紀行を計画」、「正月頃より具体的な旅行計画を立案。松島へは秋頃訪問予定。旅行準備のため三月に、芭蕉庵を引き払い、杉風の別宅に引っ越した」、となります。


② 出典を知る

 俳句は世界最小にして、最奥の”短詩型文芸”。五七五、たった十七文字の中に自然と人が織り成す無限のドラマを最高度に圧縮して表します。芭蕉が得意とする俳文、紀行文にもこの”圧縮”の技法は常套的に用いられている。日本の歌や句などの、短詩型文芸のもっともポピュラーな圧縮技法が「本歌取り」。漢詩・和歌・連歌・謡曲など先行文芸から、古歌の一部分を引用することで、「本歌」の歌風・背景・情緒・宗教感情・哲学概念までをも句の意味に付加し、最小の文字数にして、無限の外延をもつ豊潤な意味世界を創造することを可能とします。

 おくのほそ道の江戸期の代表的注釈書『奥細道菅菰抄』に、本編を評して、

 比細道の一篇など、打見には安らかにして、七歳のわらべの耳にも入ながら、其意の微妙に至ては、八十の老翁も是をよく得ること難し

 とあります。たしかに『おくのほそ道』の文章は非常に平易で、一見現代語訳も注釈も必要ないかとも感じられます。人名、地名さえわかれば通読に何の障害もないことでしょう。でも、出典と引用を知ることで、芭蕉がその語句の裏と行間で本当は何を伝えようとしたのか、が二重写しに見えてくるのです。注は単なる知識です。また、注釈者の色眼鏡で作品を見ることともなります。しかし、七歳のわらべと八十歳の老翁のもっとも大きな違いは、知識と経験。何よりも人生経験に基づく深い洞察力と智恵こそが、一を聞き十を知る先達の徳といえるのではないでしょうか。
 以下、先達の智恵を借り「ほそ道」序文に一歩踏み込んでみたいと思います。

・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
『古文真宝後集』「春夜桃李園に宴する」の序に「それ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客」とあります。逆旅は宿、過客は旅人のこと。(奥細道菅菰抄)

・古人も多く旅に死せるあり
芭蕉の敬慕する古の詩人たちは、みな旅の途上で亡くなりました。西行は河内弘川寺で、宗祇は箱根湯元で、李白は当塗で、杜甫は湖南省湘江の舟上でそれぞれ亡くなっている。芭蕉その人もまた旅先、大坂の地で帰らぬ人となっています。(岩波文庫版)

・海浜にさすらへ
前年元禄元年の『笈の小文』紀行のこと(前述)。

・江上の破屋
江上は、海・川のほとり。すみだ川を臨む深川芭蕉庵をさします。

・春立る霞の空に、白川の関こえん
芭蕉書簡によれば、三月中に白川に到着する予定であった。(岩波文庫注)
『拾遺集』、「春立つといふばかりにやみよし野の山もかすみてけさは見ゆらん」忠岑(菅菰抄)

・そぞろ神
この後の「道祖神」と韻を踏むために創作した芭蕉の造語。白川の関で春霞を見るためには日も迫っていたため、気がせきたてられ「そぞろ」となったことにちなみます。

・道祖神のまねきにあひて
祖は門出の祭名であり、旅立ちの祭りです。黄帝の妹、累祖は、遠出を好み、ついに途上にて亡くなった。これにちなんで岐路の神として祀ります。日本においては、猿田彦命が分かれ道の神。神代に天津彦火瓊瓊杵尊、下界に降臨の時、迎え導いた神で、『日本書紀』にくわしくみられます。後世、仏教徒が青面金剛を伝来し、これを庚申と称しました。道路に庚申の像を置き、巷の神とするのはこのためです。(菅菰抄)

・三里に灸
灸孔の名。膝頭のした、外側のくぼみをさす。ここに灸をすえると健脚になるという。(岩波文庫)

・松島
奥州の名所。『新勅撰』、「心あるあまのもしほ火焼すてて月にぞあかす松が浦島」、祝部成茂。『新後撰』、「まつしまや雄島の磯による波の月の氷に千鳥鳴也」、藤原俊成。(菅菰抄)

・杉風が別墅
杉風は江戸蕉門高弟、杉山市兵衛。富裕な幕府御用魚商であり、芭蕉の有力なパトロンでもあります。別墅は別宅。(言の葉庵)

・草の戸も住替る代ぞひなの家

《鑑賞》
古びたこの草庵も、住む人が変われば、代替わりするもの。愛らしい雛など飾る若やいだ家にもなるのであろうか。(言の葉庵)

頃は二月末、上巳の節(桃の節句)に近いため、雛を売る商人が、芭蕉の空いた庵を借り、売り物を入れて倉庫としたため、この句があるといいます。もちろん雛の家箱には、あるものは二つの人形を一緒に入れ、またあるものは大小に箱を入れ替え、と毎年収蔵時に定めのないものなので、「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」の心にて人生の常ないさまを観想した句といえましょう。(菅菰抄)

・表八句
百韻連句は四枚の懐紙に書きました。はじめの懐紙の表に記す八句をさします。(岩波文庫)
実際には、この八句の存在は確認されていません。


③構成を味わう

 名文の条件は、論理の確かさや詞章の美しさよりも、むしろ”リズム”にあると考えます。
 名文は、文の長短・漢字と仮名の比率・字切れ、区切れが目で見て美しい姿をしているもの。そして、それを口に出して音読した場合、非常に美しく心地よいリズムをもつものなのです。日本語のリズムの典型は、五七調。しかし実はこれ、間に休符を補った四拍子体系であることは、以前言の葉庵メルマガでも解明しました。
 五七調は、和歌や俳句などの短詩型には非常に有効ですが、散文・長文には適しません。あまり長く続くと単調に感じるからです。それでは長文のリズムとは、一体何でしょう。文章全体の構成を考える場合、一般に「起承転結」というものがある。しかし、これはリズムではありません。日本人の構成全体を支配するリズムは古来より「序破急」とよばれます。序破急の中の各単位で、リズムを担当するパートが、ひとつは「五七調」であり、もうひとつが「対句・対比」です。
 漢詩文は韻を踏みます。これが中国の言語のリズム。日本語には中国音の「声」がないため、厳密に韻は踏めません。その代用品として発明されたのが、「対句」であり「対比」という手法。句と語をそれぞれ対応させて、「音」ではなく「意味」で協調あるいは反発の息遣いを与え、ここにリズムを発生させました。長い息→安定した継続的な息→急速調の息。これが「序破急」、すなわち文章のリズムです。『おくのほそ道』を日本文芸史上屈指の名文にしているのは、この伝統的な日本人の息遣い、ことばの神様のリズム体系である、と思います。序文の序破急は以下の通り。

 「月日は百代の過客~旅を栖とす」→序
 「古人も多く旅に死せる~松島の月先心にかかりて」→破
 「住る方は人に譲り~庵の柱に懸置」→急

 この三つの息の単位、長さを意識して、音読してみてください。序はゆったりと、破はきっちりと、急はたたみこむように。ただし、「草の戸も」の句の前後には一呼吸いれます。

 「対句・対比」については、おくのほそ道序文すべてが、それで構成されているといっても過言ではありません。『平家物語』『方丈記』『徒然草』などの古典名作の序文も同様です。
 「月日は百代の過客→行かふ年も又旅人」などのように、対句・対比を意識して音読してみてください。意味と意味、音と音同士が、それぞれギュッと手を握り、パッと手を離し、ダイナミックな緩急と調子が各文節に波のように立ち上がり、本編へといやおうなく読み手を運び去る、リズムの効果を実感できるはずです。


◆訳文
 月日は百代の過客であり、行き交う年もまた旅人である。舟の上に生涯を浮かべるもの、馬のくつわを取って老いを迎えるものは、日々これ旅にあり、旅を住みかとしているのだ。古人も多く旅に死んだという。私もいつ頃よりであろう、ちぎれ雲のように風にさそわれては、漂泊の思いやまず、海辺をさすらったものである。去年の秋、江上の破れ小屋に蜘蛛の古巣を払い、ようよう年も暮れる。春立つ霞の空に、白川の関を越えてみたいもの、とそぞろ神にとりつかれ心乱され、道祖神にも招かれては取るものも手につかぬありさま。股引きの破れをつくろい、笠の緒すげかえ、三里に灸をすえなどしているが、松島の月、いかがであろうかとまず心にかかる。それゆえ住まいは人に譲り、杉風の別宅に引っ越すにあたって、

 草の戸も住替わる代ぞひなの家

 これを発句に、表八句を庵の柱へと掛け置いた。

『完読 おくのほそ道』序章より

2007年06月14日 21:56

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