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第三回 隠された主語は、動作をヒントに探しだせる。

◆原文
 慶長四年石田反逆の時関東下向の大名の妻子を人質と為し、伏見御城に取り入るべく、先づ長岡宅御城より一番目の屋敷に付て、妻子罷りあがるべき旨上使を遣はし、忠興妻女御請に、「の留守にの身として登城仕る儀迷惑に候間、差し免され候様に。」と御断り申し上げ候。重ねて上使の節も、同前に申し上げ候。三度目の上使、「若し異議に及び候はば、手込に仕り召し連れ候様に。」と上意の旨申し達し候。

忠興妻室これを承り、「この上は力及ばず、登城仕るべく候。女の儀に候へば、身拵隙入り申すべく候。御苦労ながら上使暫く御待ち下され候様に。」と申し達し、留守家老小笠原正斎、川北何某、石見何某を呼び出し申し聞けられ候は、「我等越中守殿と夫婦になり候後、父明智日向守殿不義の行跡に付越中守殿意見召され候へども、承引これなく候故、不義の人と縁を結び置き候事叶はずと候て、我等を離別召され候。然る処、父日向守殿程なく滅亡に付て、我等身の置所これなく候。この節越中守殿よりの使を給はり、昔は日向守不義に付て離別せし処に、今流浪の難儀不憫なり。その上道路に恥をさらし、越中守が妻女なりと云はれては一分立たず。呼び取り申すべくと候て、又々立ち帰り、男女の子二人出生候。この厚恩生前に報じ難き事と兼ておもひ込み候。然るにこの度お城へ召させられ、力及ばず罷り上り候節、越中守殿への一分立たず、旦は家康公の御味方にて候処、妻子人質に取られ候と聞し召し候はば、恩愛の道にて心も替り候時は、不義の名を取らせ申すにて候。然らば越中守殿へ恩報じに唯今我等自害をいたすなり。妻子相果て候と聞し召し候はば、憤り深くなり、無二の忠節を召さるべく候。時刻移り候てはならず、居の間の内に早く焼草を積み、我等自害を見て、火をかけ候へ。」と云ひて、居の間に入り、十歳の女子にこの趣を申し聞け、引き寄せて刺し殺し、八歳の男子に向かひ、「武家に生れたる験に腹を切れ。」と申され候に付て、「心得申し候。」と押肌ぬぎ、小脇差を腹に突き立て候時、憂目を見せんよりはとやがて首を打ち落とし、その身自害候へば、焼草に火を附け、思ひ思ひに働き、火の中に駆け入りて死する者多かりしとなり。七月十七日の事なり。この後妻子籠城相止み候なり。

岩波文庫『葉隠 下』聞書第十/一〇九より

◆読解
 今回は、『葉隠』より、有名な”ガラシャ夫人(細川忠興妻/玉子)”、最期のエピソードを取り上げます。
 読解教室第二回「主語を探す」では、人間関係(師弟関係)で話者を探しました。今回は、述語と動作で、つまり話者が「何をしたか」によって、それが誰なのかを探し当てる方法をご紹介しましょう。

 最初に、前半部の石田三成上使とガラシャ夫人のやりとりに申し達しという動詞があります。「若し異議に及び候はば、~と上意の旨申し達し」は、上意すなわち豊臣秀頼の意を含んだ三成の命令を上使が伝えた、という意味。次の「御苦労ながら上使暫く御待ち下され候様に。と申し達し」は、ガラシャから、上使への伝言を細川家取次ぎの家臣へと伝えたものです。達しは、目の前にいる相手ではなく、ワンクッション置いた遠くの人(物理的・精神的に)へ伝言する動詞であるため、眼前の相手と伝言する相手が実際誰なのかを推察することができます。

 さて後半部、「居の間に入り、十歳の女子に」から、「火の中に駆け入りて死する者多かりしとなり」までの段落は、短い文脈の間に、話者(動作主)が6回も入れ替わっている。ここでの話者の見分け方は、”何をしたか””何をいったか”の動作の内容がヒントとなります。

1.まず、居の間に入り、十歳の女子から、武家に生れたる験に腹を切れまでは、この章の中ほどに「男女の子二人出生」とあることから、ガラシャ夫人からの二人のわが子に対する言葉であることがわかります。
2.心得申し候から腹に突き立て候までは、八歳の男の子。
3.憂目を見せんよりはは、ガラシャの親心。
4.やがて首を打ち落としは、文脈からはガラシャですが、高貴な生まれつきの夫人が太刀を扱えるとは思えないので、ここは夫人に命ぜられた家臣の動作と考えます。
5.その身自害候へばはガラシャ。
6.焼草に火を附けから、火の中に駆け入りて死するまでは、細川家留守居の家臣たちです。

 このように劇的なクライマックスでは、切迫した文章表現による効果上、主語は徹底して省かれます。しかし、それまでのストーリーの流れ、それぞれの取るべき行動により、比較的容易に主語(動作主)を見つけることが可能でした。


読解表技>
特徴のある動詞形と、「何をしたか」によって、主語と動作主は探し出せる。


 次に、うっかり見過ごすと文意があいまいになってしまう、クセモノの古語を一つずつ読解ハンティングしてゆきましょう。

 まず、歴史的一般常識から、読み取るべきパラフレーズは、「石田反逆の時」「関東下向の大名」「長岡宅」の3つです。石田反逆は、葉隠があくまでも江戸幕府体制側の立場をとっていますから、ここは関ヶ原合戦の「西軍決起の時」と読むべき。つまり、これに対して関東下向の大名は、家康の上杉征討に従軍した「東軍側の大名」ということになります。長岡は、細川家の従来の姓。江戸幕府成立後、しばらくは家康の命により長岡を称していました。
 読解の前提として、文頭、この3つの語義をおさえておかなければ、ガラシャ夫人がなぜ人質にとられ、なぜ自害しなくてはならなかったのかが見えてきません。

 次に、最初のガラシャの言葉、「の留守に、の身として」。これは、文脈から、男=夫、女=妻と読むのは当然。その次の、迷惑は現代語の意味とはニュアンスが異なり、「当惑」、「途方に暮れる」という意味。そして同じくガラシャの「我等越中守殿と夫婦になり」の我等の「等」は、もちろん現代語の複数型ではなく謙譲語です。身共の「共」と同じ語法。
 さて後半部、ガラシャの長い独白中の「恩報じに唯今我等自害をいたすなり」ですが、周知のとおりガラシャはキリシタンですので、自殺は教義上固く戒められています。この記述は風説によったものでしょう。実際は、家老小笠原正斎に長刀で胸を突かせて果てたと伝えます。
 そして最後の「憂目を見せんよりはとやがて首を打ち落とし」のやがて。現代語の「やがて」の意味は、「しばらくたって」ですが、古語では意味が違います。「すぐに」「即刻」です。辞書にあります。八歳のいたいけな男の子が、腹に脇差を突き立てているのに、「しばらく」ながめているはずがありません。読解教室第一回でもお伝えしましたが、あれっ?と思ったら、知っている言葉でも辞書を引いてみるべき。

「ガラシャと忠興が、男と女の間柄」、「主筋の命令に、迷惑」、「一人の夫に、われら=複数の妻たち」、「苦しむわが子を、やがて、とながめる親」…???
辞書を引く、たった1分間の時間があれば、読解の迷宮から抜け出し、古文はすっと意味が通るものです。


◆訳文
慶長四年、石田三成が叛逆した時、家康について関東へ下向した大名の妻子を人質として伏見城に入れるよう命じた。まず、城に一番近い長岡(細川)家の屋敷に、妻子を接収する旨の上使がやってくる。忠興の妻(ガラシャ夫人)は
「夫の留守中に、妻が無断で登城することは、とてもできません。ご勘弁願います」
と断った。再度上使が来るも、同様に辞退する。三度目の上使が、
「まだ拒否するようであれば、力づくでも連行せよ」
との上意を通達する。忠興の妻はこれを聞き
「仕方ありません。登城することにいたします。女なので身支度に時間がかかります。お手間をかけますが、しばらくお待ちください」
と返答した。そして、留守家老、小笠原正斎、川北なにがし、石見なにがしを呼び出して
「自分が忠興殿と夫婦になった後、父の明智日向守が不義を行いました。忠興殿は父に意見しましたが、父はこれを聞き入れなかった。不義の人と縁を結んでおくことはできぬ、といって私を離別したのです。しかし、父日向守はほどなく滅亡。私は身の置き所がなくなりました。この時、忠興殿が便りをくれる。
以前は、そなたの父の不義により離別したが、今流浪の身となったこと、不憫に思う。その上、路頭に迷わせ、あれは忠興の妻だ、といわれては一分が立たぬ。帰ってこい、といってくれたので、元の鞘に納まり、男女二人の子をもうけました。
この厚恩に生きている間報いることもできない、と思っていました。それなのに、こたびの命令により敵方に人質に取られてしまう。まず妻として信頼してくれる夫へ一分が立たない。それに、今は家康公方に従軍している立場なので、妻子が敵の人質に取られたと聞けば、情愛にほだされ心変わりし、やがて不義の悪名を着せられてしまうことにもなる。
私は、今忠興殿の恩に報いるために自害します。妻子が死んだと知れば、敵への憎しみ
も一層強くなり、無二の忠節を果たせることとなりましょう。
さあ、一刻も早く。居間に枯れ草を積んで、私が死んだら火をかけるのです。召使の者たちは、思い思いに落ちていかせなさい。もし忠興殿のお目にかかれたら、この事をくわしく話してほしい」
といって居間に入った。十歳の娘によくいって聞かせ、引き寄せて刺し殺す。八歳の息子へは
「武士に生まれた証拠に腹を切るのです」
という。
「心得ました」
と着物を押し広げ、小脇差を腹に突き立てた時、辛い思いをさせるよりは、と即刻首を打ち落とした。忠興の妻も自害して果てると家来たちは、枯れ草に火をかけ、それぞれの行動をおこす。火の中に飛び込んで、焼け死んだ者が多かったという。七月十七日のことである。
この事件により、その他の大名妻子を人質に取ることは中止された。


能文社『葉隠 現代語完訳』聞書第十/一〇九より

2006年05月16日 11:45

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第三回 隠された主語は、動作をヒントに探しだせる。

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