著者: 水野聡訳
本体価格:1,200円(税別)
製本:並製(ソフトカバー)
判型:四六版 全152ページ
発売日:2008年9月9日
出版社:PHPエディターズ・グループ
ISBN978-4-569-70218-6
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[本書の特徴]
1.浄土真宗開祖、親鸞の教えを説いた、日本宗教書の代表作『歎異抄』の現代語訳。もっとも権威ある蓮如写本を原本とし、併載する。
2.すらすら読める、著者独自の現代語再生作品。
3.現代語訳、原典ともに大きな活字で読みやすい。
[親鸞とは]
本書のまことの著者ともいうべき親鸞は、法然の法燈を継ぐ、浄土真宗の開祖として知られている。承安三年(一一七三)~弘長二年(一二六二)。別名、綽空・善信、後に愚禿と号した。
源平動乱の平安末、京都にて出まれる。父は藤原氏の流れをくむという皇太后宮権大進、日野有範である。幼くして父母を失い、九歳の春、比叡山に上り、青蓮院慈円慈鎮のもとで出家し、天台僧となる。約二十年間の修行の後、下山し、聖徳太子の夢告により、法然と出会い、浄土の教えに廻心する。以降、九十歳にて入滅するまで、生涯を弥陀の本願他力信仰に捧げた。
旧仏教諸宗による浄土宗の弾劾、いわゆる承元の法難(一二〇七)により越後へ流罪となった親鸞は、やがて関東に布教の大きな基盤を築いてゆく。晩年は京都に戻り、打ち続く弾圧から逃れながら、多くの著作を執筆する。また、和讃や消息(手紙)により、念仏の同心同朋の信仰を導き続けた。
親鸞の九十年にもおよぶ長い生涯は、大きく次の五期に分けられよう。
第一期 慈円のもとで得度した後、比叡山で修行時代を送る。約二十年間(九~二十九歳)
第二期 師法然と邂逅の後、浄土宗に廻心し専修念仏に信楽した七年間(二十九~三十五歳)
第三期 無実の罪により配流された越後で、信心を深めた八年間(三十五~四十二歳)
第四期 一家とともに常陸へ移住し、関東一円へ念仏の地盤を築いた約二十年間(四十二~六十三歳)
第五期 晩年は故郷京都に戻る。著述と教導に打ち込んだ約二十六年間(六十三~九十歳)
著書には、浄土真宗教義をまとめた主著、『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(略称 教行信証)や、『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』、『愚禿鈔』などの教義書、和語によって仏を称える『三帖和讃』、関東の同朋に送った手紙『親鸞聖人御消息』などがある。
これまで「聖人」と呼ばれた大宗教家は幾人かいるが、私たちが「聖人」と聞いてまず連想するのは、親鸞ではないだろうか。
戒律に縛られることなく肉食妻帯を公言し、自ら「愚禿」(愚かで非僧非俗の半端者)と号し、裸足で庶人の塵界に分け入った。大悪人の心の闇にも踏み込んで、自ら弥陀の光明とひとつとなり、ひとり残らず人間を救わんと生涯を尽くした人。
「実は私も浄土へなんぞ行きとうない」
と実にあっけらかんと告白する人。聖者と拝み奉られることなく、人々と同じ煩悩具足の身をもって、それゆえにこそ必ず救われる、と教えてくれた人。その人だけを日本人は八百年間慕い、「しょうにんさま」と呼び続けてきたからだと思える。
[歎異抄とは]
『歎異抄』は、鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞の教えを門弟がまとめたものである。師の没後、正しい信心が徐々に失われ変貌して行く有様を嘆き、異義を排し、正しい信仰の姿をあらためて示そうとして著された。
著者は親鸞晩年に直接教えを受けた門弟、常陸国河和田(現茨城県水戸市)在住の唯円とされている。
書名の由来は、本書後序末の
「一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、なくなく筆を染めて、これをしるす。なづけて『歎異抄』といふべし」
より名付けられたことがわかる。
以上、本著「作品の案内」より
●歎異抄の名言
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
「親鸞は弟子一人ももたずさふらう」
2008年08月27日 10:03
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