言の葉庵 |能文社 |お問合せ

心にしみる名言、知恵と勇気がわいてくる名文を、千年の古典名著から毎回お届けしています。

名言名句 第十六回 歎異抄 善人なをもて往生をとぐ

 No.31
 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

 No.32
 親鸞は弟子一人ももたずさふらう

~唯円『歎異抄』

No.31 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

『歎異抄』第三条

[解説]
「あなたは悪人ですか?」という問いかけに、迷わず「はい。そうです」と答える人はほとんどいないのではないでしょうか。では、「あなたはこれまでに悪いことを一度もしたことがありませんか?」という問いなら、どうでしょう。ひるがえってほとんどの人が、ためらいながらも「いいえ」と答えるはずです。

 善人ですら死んだら極楽浄土に往生できる。ましてや悪人が往生できないはずがあろうか…。
 日本の宗教史上、もっとも有名で、かつもっとも逆説に満ちた親鸞のことば。このことばもまた、当HPでこれまで紹介した「秘すれば花なり」「一期一会」などと同様、その真意が正しく理解されてこなかったのではないでしょうか。

 日本仏教の最大宗派、浄土宗。他宗の日蓮のことばによれば、
「源信によって日本人の三分の一が、永観によってさらに三分の一、そして法然によって残りの三分の一も浄土教信者となって、結局日本人はすべて浄土教信者となった」
 といわれています。親鸞は、この法然の弟子。念仏を唱えるだけで、老若男女悪人も善人も、どんな人も差別なく、阿弥陀仏の本願他力により、極楽浄土にいける、と説き、浄土真宗を開きました。道のための厳しい修行、難行、荒行は一切必要なし。人徳や智恵、もちろん富も財力もまったく関係なし。ただ念仏を唱えるだけの易行で、どのような極悪人も救われる…。いや、むしろ真っ先に救われるべきは、悪人である。これこそまさに、阿弥陀様の本願。信じなさい…。

 この教えは、誇張ではなくすべての日本人に受け入れられました。そもそも「善」や「徳」は、道徳・儒教の概念。「智」は学問の産物。そして、「善」「徳」「智」を努力によって獲得し、積み上げていけば、富や財が手に入ります。こうした自力による最終的な自身の救済、往生を目的とした在来宗教を親鸞は否定しました。ただ、阿弥陀仏の本願によってのみ、人は浄土にまいることができる。自力を捨てよ、念仏申せ…。
 この「他力本願」の教えは、わたしたち日本人の血と遺伝子の中に、凄まじい早さ、広さ、深さで浸透していったのです。

 さて、出版界では今年千年紀をむかえる『源氏物語』よりも売れ行き好調な『歎異抄』。時代は、ロマンスよりもスピリチュアルやヒーリングを求めているのかもしれません。『歎異抄』が、すべての宗教書の中でもっとも広く、多くの人に読まれているのは、その峻厳な精神性が、平易な語り口、美しい文章、明快な論理で展開されているため。法然、親鸞、唯円と続く、ゆるぎない阿弥陀信仰と師弟の絆が、まれに見る美しいことばとして紡がれ、日本人の一編の聖書となって結実しているからです。

[原文]
 一。善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。この条一旦そのいはれあるにたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。

『歎異抄』梅原猛 校注・現代語訳 講談社 1995.5

[現代語訳]
 一 善人ですら往生をとげる。まして悪人が往生できないことなどありましょうか。しかし世の中で普通は、悪人であっても往生できる、まして善人が往生できないはずはない、といっています。一見こちらの方が理屈にかなうようにも思えますが、本願他力の本旨に背いているのです。つまり自身の力で善いことを行い努力する人は、ひたむきに他力を頼る心がありませんので、阿弥陀様の本願にかなわない。それでも自力の心を捨て、他力におすがりもうせば、まことの極楽浄土に往生できるのです。
多くの煩悩にとらわれているわたしたちは、どんな修行をしたとしても生死を離れることなどできません。阿弥陀様がこれを憐れみ、お立てくださったのが、この本願。悪人成仏のためのものだから、他力にすがるしかすべのない悪人こそ、本来の往生の対象なのです。これにより、善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おっしゃられたのです。

現代語訳 能文社 2008.5

No.32 親鸞は弟子一人ももたずさふらう

『歎異抄』第六条

[解説]
自分自身のはからい、考えで教えを伝えるのなら、それは「わが弟子」といえよう。しかし、念仏の教えは、ただ阿弥陀仏の導きと、それを伝えてくれた師、法然の縁によるもの。わが弟子などというものは、そもそもいるはずがないではないか…。これが、親鸞のこのことばの真意です。他力念仏の信仰は、親子関係も師弟関係も超越するもの。人はもちろん、鳥獣まで、生きとし生けるものすべて、仏の機縁に導かれ、つながっているものです。ここには、弟子を拒絶する冷たい心はありません。ただ血縁、師弟関係による宗派の争い、教えの乱れに釘をさしたものとみるべきでしょう。

 宗派といえば、面白いことにあの禅宗の一休宗純も、親鸞を敬慕していたという逸話があります。

 襟巻きのあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり

 友人の本願寺八代、蓮如に招かれ、親鸞二百回遠忌法要にお参りした一休が、本願寺にあった親鸞の黒漆の木像を見て詠んだ狂歌です。一世の破戒僧として何ものにもとらわれず恐れず、自在な境涯をおくった一休にとって、仏教史上はじめて肉食妻帯を宣言し実行した親鸞に宗派を超えた理想的な宗教人の姿を見たのかもしれません。

 さて、他の分野をみても、自身一派、一道を拓いた偉人・達人は、直系の弟子を持たなかった人が多いのです。剣聖宮本武蔵は「万事において、我に師匠なし」(五輪書 地之巻)といっています。そして後世、二天一流は絶えている。
 能楽の世阿弥も自家に後継者を得ず、女婿の金春禅竹と交流しました。千利休は「利休十哲」とよばれる大名門人をもちながらも、利休流茶道を誰にも正式に相伝せず、生前交わりをもたなかった孫の宗旦が、血縁の上で千家を再興したのです。
 松尾芭蕉は、其角・嵐雪など錚々たる実力派門人を揃えながらも、本人没後、門弟たちは離反、四分五裂。その正風を継承する直系の本流をもちえませんでした。

 芸道の世界では「名人は一代かぎり」といわれます。一生かけて自身の魂だけが感得しえたもの。異なる道を歩んできた、別の魂に自分とまったく同じものを感じ取れ、といってもそれは無理。二百年に一人といわれる小鼓の名人、幸祥光も「間(ま)だけは、人に教えようがない」といいます。

 親鸞の没後、師の教えが歪められ、異端、邪説がはびこりだすのをみかね、弟子の唯円は筆を取りました。師の教えとは「異なる」教義を「嘆く」書。これが『歎異抄』の書名の由来。後に、前述蓮如はこの書をみて、その内容に一驚し、しかし親鸞の思想を完全に了解します。了解した上で、

 宿善の無きにおいては 左右なくこれを許すべからざる者也

 と奥書を付し、本願寺の蔵の奥深く封印しました。この書があまりにありのままに真実を述べる信仰の告白であったため、後世これを正しく理解できぬ者の手に渡った場合、真宗教団そのものの存立を危うくする可能性を見抜いたからです。

 それから数百年経った今、わたしたちはふたりの師弟による、この真実の信仰の文を自由に手に取ることができます。しかし、自分が死んだらその骸を鴨川に流し、魚の餌とするように、と遺言した親鸞も、愛弟子のこの勝手なふるまいを静かに微笑んで許すのではないでしょうか。

[原文]
 一。専修念仏のともがらの、わが弟子ひとの弟子といふ相論のさふらうらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまふさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、弥陀の御もよほしにあづかて念仏まふしさふらうひとを、わが弟子とまふすこと、きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきてひとにつれて念仏すれば、往生すべからざるものなりなんどいふこと、不可説なり。如来よりたまはりたる信心をわがものがほにとりかへさんとまふすにや。かへすがへすも、あるべからざることなり。自然のことはりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々。


『歎異抄』梅原猛 校注・現代語訳 講談社 1995.5


[現代語訳]
 一 専修念仏の一派の間で、あれはわが弟子である、これは誰それの弟子であるなどと争論が起こるということですが、もっての他の沙汰です。親鸞は、弟子を一人ももってはおりませぬ。そのわけは、もしもわが一存によって、人に念仏を唱えさせているのであれば、その人はわが弟子といえましょう。しかし阿弥陀様のお導きによって、念仏する人をわが弟子、などということは荒唐無稽の極みだからです。また師弟というものは、縁があればつき、縁がなければ離れるもの。それなのに、師に背き、他の人について念仏をすれば往生できぬ、などといっていますが、言語道断というべきでしょう。すべての人が阿弥陀如来より賜った信心を、わが者顔に取り戻すとでもいうのでしょうか。どのように考えてもありえないことです。仏の真理に近づこうと信心すれば、やがて仏恩を知り、導いてくれた師の恩も知る時がくるはずです。

現代語訳 能文社 2008.5

2008年05月12日 18:43

>>トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/98

バックナンバー

名言名句 第五十五回 風姿花伝 男時女時

名言名句 第五十四回 去来抄 句調はずんば舌頭に千転せよ

名言名句 第五十三回 三冊子 不易流行

名言名句 第五十二回 論語 朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

名言名句 第五十一回 葉隠 添削を依頼してくる人のほうが、添削する人よりも上なのだ。

名言名句 第五十回 申楽談議 してみて良きにつくべし。

名言名句 第四十九回 碧巌録 百花春至って誰が為にか開く

名言名句 第四十八回 細川茶湯之書 何とぞよきことを見立て聞き立て、それをひとつほめて、悪事の分沙汰せぬがよし。

名言名句 第四十七回 源氏物語 老いは、え逃れられぬわざなり。

名言名句 第四十六回 貞観政要 求めて得たものには、一文の値打ちもない。

名言名句 第四十五回 スッタニパータ 人々が安楽であると称するものを、聖者は苦しみであると言う。

名言名句 第四十四回 紹鴎遺文 きれいにせんとすれば結構に弱く、侘敷せんとすればきたなくなり。

名言名句 第四十三回 風姿花伝 ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし。

名言名句 第四十二回 葉隠 只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり。

名言名句 第四十一回 ダンマパダ 愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

名言名句 第四十回 玲瓏集 草木の苦しみ悲しみを、人は知らず。

名言名句 第三十九回 申楽談儀 美しければ手の足らぬも苦しからぬ也。

名言名句 第三十八回 紹鴎及池永宗作茶書 枯木かとをもへば、ちやつと花を咲様に面白き茶湯なり。

名言名句 第三十七回 申楽談儀 面白き位、似すべき事にあらず。

名言名句 第三十六回 徒然草 人の命は雨の晴間をも待つものかは。

名言名句 第三十五回 達磨四聖句 教外別伝。

名言名句 第三十四回 貞観政要 六正六邪。

名言名句 第三十三回 論語 逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎(お)かず。

名言名句 第三十二回 歎異抄 薬あればとて毒をこのむべからず。

名言名句 第三十一回 独行道 我事において後悔をせず。

名言名句 第三十回 旧唐書 葬は蔵なり。

名言名句 第二十九回 茶話指月集 この水の洩り候が命なり

名言名句 第二十八回 貞観政要 人君過失有るは日月の蝕の如く

名言名句 第二十七回 貞観政要 即ち死するの日は、なお生ける年のごとし

名言名句 第二十六回 春秋左氏伝 水は懦弱なり。即ちこれに死する者多し

名言名句 第二十五回 史記 怒髪上りて冠を衝く

名言名句 第二十四回 花鏡 せぬ隙が、面白き

名言名句 第二十三回 貞観政要 楽しみ、その中に在らん

名言名句 第二十二回 十七条憲法 われ必ず聖なるにあらず

名言名句 第二十一回 去来抄 言ひおほせて何かある

名言名句 第二十回 龍馬の手紙 日本を今一度せんたくいたし申

名言名句 第十九回 史記 士は己れを知る者のために死す

名言名句 第十八回 蘇東坡 無一物中無尽蔵

名言名句 第十七回 論語 後生畏るべし

名言名句 第十六回 歎異抄 善人なをもて往生をとぐ

名言名句 第十五回 徒然草 し残したるを、さて打ちおきたるは

名言名句 第十四回 正法眼蔵 放てば手にみてり

名言名句 第十三回 珠光茶道秘伝書 心の師とはなれ、心を師とせざれ

名言名句 第十二回 俳諧問答 名人はあやふき所に遊ぶ

名言名句 第十一回 山上宗二記 茶禅一味

名言・名句 第十回 南方録 夏は涼しいように、冬は暖かなように

名言・名句 第九回 柴門ノ辞 予が風雅は夏爈冬扇のごとし

名言・名句 第八回 葉隠 分別も久しくすれば寝まる

名言・名句 第七回 五輪書 師は針、弟子は糸

名言・名句 第六回 山上宗二記 一期一会

名言・名句 第五回 風姿花伝 上手は下手の手本

名言・名句 第四回 葉隠 武士道とは、死ぬことと見つけたり

名言・名句 第三回 南方録 家は洩らぬほど、食事は飢えぬ

名言・名句 第二回 五輪書 世の中で構えを取るということ

名言・名句 創刊 第一回 風姿花伝 秘すれば花なり。

◆言の葉庵推奨書籍

◆言の葉メールマガジン
「千年の日本語。名言・名句マガジン」

「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文まる秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)

◆お知らせ

ビジネス・パートナー大募集

現在、弊社では各業界より、マーケティング関連委託案件があります。
つきましては下記の各分野において、企業・フリーランスの協力パートナーを募集しています。

◇アナリスト、リサーチャー
◇メディアプラン(フリーペーパー、カード誌媒体等)
◇プランナー、アートディレクター、コピーライター
◇Web制作
◇イベンター、SPプロモーション
◆化粧品・健康食品・食品飲料・IT・通信分野

 

Copyright(c)2005.NOBUNSHA.All Rights Reseved

Support by 茅ヶ崎プランニングオフィス