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名言名句 第三十二回 歎異抄 薬あればとて毒をこのむべからず。

 No.49
薬あればとて毒をこのむべからず。
~『歎異抄』第十三条 親鸞


『歎異抄』にある、高名な親鸞のことば。もとは、親鸞が常陸の門弟にあてた手紙にあります。

「酔ひもさめぬさきになを酒をすすめ、毒もきえやらぬにいよいよ毒をすすめんがごとし。くすりあり、毒をこのめとさふらふらんことは、あるべくもさふらはずとぞおぼえ候。」
(慶長四年親鸞消息)

“薬”とは阿弥陀如来の誓願にもとづく親鸞の悪人正機説、“毒”は悪事、とりわけ悪人正機をたてにした“本願ぼこり”による造悪のことです。「悪人ほど救われると聖人は仰せだ。なればすすんで悪事をなさん」とする邪説を戒めたもの。ともあれ『歎異抄』本文をご紹介しましょう。

〔現代語訳〕

第十三条

一 阿弥陀様の本願、不思議の力に寄りかかって、悪を恐れぬことは、また「本願ぼこり」といって、往生が叶わぬ、とする説。これは本願を疑っており、善悪の宿業(しゅくごう)を心得ていません。良い心が起こるのも宿善がうながすゆえ、悪事がもよおされ為されるのも悪業のはからいゆえなのです。

 故親鸞聖人は、
「兎や羊の毛先についた塵のような罪も、宿業によらないものはありません」
 と、おっしゃいました。

 またある時聖人が、
「唯円房(ゆいえんぼう)は、私のいうことを信じますか」
 と、おっしゃったので、
「信じております」
 と、お答えしたところ、
「それでは、私のいうことに違(たが)うことはあるまいな」
 と、念をおされました。慎んでうけたまわりますと、
「それでは人を千人殺してほしい。しかればおまえの往生は決定(けつじょう)しましょう」
 と、おっしゃったのです。
「仰せではございますが、わたくしの器量では千人はおろか、ひとりの人も殺せようとはとても思えません」
「ならばなぜ、親鸞のいうことに違わない、といったのですか」
「これでわかるはずです。
なにごともわが心のままになるのであれば、往生のために千人殺せ、といわれればためらわずに殺せましょう。しかし、たったひとりでも、殺す業縁がなければ殺すことはできません。
 自らの良心に従って殺さないのではなく、また、殺すまい、と思っても百人、千人の人をも殺してしまうものなのです」
 と、おっしゃられたのは、私たちが自らの良心を良いと思い、悪心を悪いと思って、本願の不思議によって救われることを弁えていないからなのです。

 昔、間違った考えに取りつかれた人がいました。悪事を犯した人を救うのが本願であるからと、わざわざ好んで悪事をこしらえ、往生の業とすべきである、と説いたのです。
 このため様々な悪事が行われるようになり、伝え聞いた聖人が手紙で、
「薬があるからといって、好んで毒を飲んではなりません」
 と申し送られたのも、その邪説を取り除こうとされてのことで、必ずしも悪が往生を妨げるということではありませんでした。
戒律を守ることによってのみ、本願を信じるというのであれば、私たちはどうして生死を離れることなどできましょうか。このようなあさましい身であっても、本願を信じてこそ、それをほこり甘えることができるのです。
 だからといって、身に備わっていない悪業を、よもやつくることなどできましょうか。「海や川に網を仕掛け、釣りをして渡世する者や、野山に猪を狩り、鳥を獲って命をつなぐ人々。また商人や田畑を作って世を過ごす人も、ただ同じことなのです。しかるべき因縁に導かれたなら、人間はどのようなこともやってのけるもの」
と、聖人はおっしゃいました。

 しかし近頃、念仏者のふりをして、
「念仏は善人だけのもの」
 と、いってみたり、道場に貼り紙をして、
「これこれの行いをした者、道場に入るべからず」
 などという者がいます。これらは、ひとえに立派な仏弟子との外面をつくろい、心の内には嘘・偽りをもつ者でしょうか。
本願ぼこりで犯した罪も、宿業にうながされてなしたもの。されば善事も悪事も、行為の報いにうち任せ、本願に頼んでこそ、他力信仰なのです。『唯信抄(ゆいしんしょう)』にも、
「阿弥陀様にどれほどの力があると知って、罪深い身ゆえ救われ難いと思うのか」
 と、ありましょう。本願にほこる心のあるにつけ、他力を頼む信心も定まるものです。
 およそ悪業煩悩を断ち尽くした後に、本願を信じるというのなら、本願に甘える思いもないはず。煩悩がなくなればすなわち仏となって、弥陀の誓願も必要ないものとなってしまいます。
 「本願ぼこり」を戒める人々も、煩悩や不浄にまみれているはず。その身もまた、本願ぼこりなのではないでしょうか。どのような悪を「本願ぼこり」と呼び、どのような悪を「本願ぼこり」でないとするつもりなのですか。
 これは、かえって未熟な考えではありませんか。

『歎異抄』親鸞(唯円著)水野聡訳 PHPエディターズ・グループ 2008
http://nobunsha.jp/book/post_70.html


「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
http://nobunsha.jp/meigen/post_63.html
親鸞の教えは平易な語り口ながら、大胆に逆説を用いるため、ときに納め難い誤解、邪説を呼び起こしてしまう危険をはらんでいます。本条の“本願ぼこり”も、親鸞の教えを受けられなくなった関東の弟子たちを大混乱に陥れた信仰上の一大危機でした。教義の異端は、冒頭で指摘したとおりまず“造悪”としてあらわれ、さらに“偽善”の顔を借り、救いがたく進行していった、と〔歎異抄研究会〕では考察しています。

「第十三条は、「本願ぼこり」の人びとを批判している。「本願ぼこり」とは、悪事を犯したものをたすける本願があるのだから、意図的に悪事を犯そうとする人びとのことである。
 ところが、『歎異抄』著者の批判の焦点はそこにない。むしろ、「本願ぼこり」を批判している人びとにこそ焦点を当てている。「本願ぼこり」を「悪人」とし、「本願ぼこりを批判するひと」を「善人」と考えれば、「悪人」ではなく「善人」に批判の力点がある。これは私たちを戸惑わせる。なぜなら、私たちの発想が「善人」と同化していたことが炙り出されたからである。「善人の毒」のほうが「悪人の毒」以上に深刻だ、と『歎異抄』の著者は見ている。悪人の毒は目立つが、善人の毒は目立たない。毒は常に「善」を装って浸食するからである。(武田定光)」
(聖典の試訳『歎異抄』研究会 親鸞仏教センターHP)

偽善の仮面に隠された、恐るべき猛毒、それが“本願ぼこり”です。

「一室の行者のなかに信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』といふべし」
『歎異抄』後序

親鸞の死後、邪見により聖人の正しい教えが歪められ、教団が瓦解してしまう危機を深く愁えた、唯円。まさに唯円をして『歎異抄』を執筆させた直接的な機縁は、この“本願ぼこり”にあったといえるかもしれません。事実、唯円は本篇中“本願ぼこり”を弾劾するこの第十三条にもっとも多くの紙幅をさいているのです。

「人千人殺してんや」

聖職者の口から出たとは、とうてい信じられないようなことばを親鸞は唯円に投げかけます。真意は善悪の業縁を説くことにあったにせよ、これを耳にした唯円はおそらく心臓が口から飛び出すほど驚いたに違いありません。なぜなら、親鸞に出会う前の彼は、殺生をこのむ極悪人であったとする伝承があるからです。唯円開基の報仏寺に、唯円の出自と回心について、次のような縁起が伝えられています。

「報仏寺には、唯円房は北条修理之介平芳将の次男、北条平次郎則義とする伝承があります。

平次郎は仏法の道理を知らず、常に殺生を好む放逸無懺の悪人でした。しかし妻は夫と違い親鸞聖人の御教化を受け信者となり、折々夫の目を盗んで稲田の草庵に参詣していました。あるとき聖人に夫平次郎は仏法誹謗の者なので、我が家では一遍の念仏さえもできないと涙にむせび嘆きました。聖人はその深い志に感じ入られ、十字名号を書かれ女房に与えられました。女房は歓びの涙を流し、御名号を押し頂き我が家に帰り、その名号を手箱の中に隠し、夫の不在の折を窺って香花と灯明を供えていました。ある時夫の不在の時に奥の間に名号を広げ、一心に念仏を称えていました。
平次郎が帰ってきて家の中の様子を伺うと、女房が何か書いたものに向かい読んでいるのを見て、夫は他の男の恋文と思い込み、戸を開けて家に入ります。女房は驚きすばやく名号を懐の中にしまい出迎えました。平次郎は今隠したものは何か問い詰め懐に手を入れようとしますが、女房が逃げ出たため、夫は逆上し腰に差していた山刀を抜いて斬りかけ殺してしまいました。
平次郎は女房の死骸を竹やぶに埋め、家に戻りますが、不思議に家の中より女房が出迎えたので、平次郎は今までのことを女房に語りました。女房が懐を改めると名号がありません。二人で共に藪の中の埋めたところを掘り返してみると死骸はなく、代わりに帰命尽十方無碍光如来の名号が帰命の二字のところから袈裟懸けに切られており、血潮に染められていました。女房は座り込み天を仰ぎ、お慈悲のご恩を喜び、お念仏を称えました。平次郎も、涙を流し膝をつき伏し拝み南無阿弥陀仏と称え、持っていた刀で髻を切り落とし、このような尊い名号を刀にかけるとは勿体無い、何とか免じて欲しいと涙が止りませんでした。それから夫婦で稲田に参詣して、ことの次第を申し上げると、そもそもこの名号は逆悪の衆生を捨てずに光明の中に接したまう徳号なのだからそのようなことになったのであろう。これは悪人往生の証拠の名号であるから大切にしなさいと御教化くださり、悪人平次郎は改心しお弟子となったと伝えています。」
『報仏寺略縁起』築地本願寺HP

「人千人殺してんや」と親鸞に命ぜられたものの、「一人もこの身の器量にては殺しつべしともおぼえずさふらふ」と答えた唯円。しかし実際は、女房を殺めた過去をもつ身でした。法力により、幸い女房は死ななかったにせよ。わが身の業縁は、人目に立つ“悪人の毒”。そして今、真の敵、心に虚偽をかかえながら立派な仏弟子の外面をとりつくろう“善人の毒”と戦おうとするのです。師、親鸞のことばこそ、この毒を消し去る唯一の“薬”。
こうして唯円は弥陀本願の良医となって、千年後の世にも人を救う永遠の処方箋『歎異抄』を私たちに伝えてくれました。

2011年09月25日 19:46

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