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名言名句 第五十回 申楽談議 してみて良きにつくべし。

 No.66
してみて良きにつくべし。せずば善悪定め難し~世阿弥『申楽談議』よろづの物まねは心根


『申楽談議』にある、世阿弥晩年の至言です。

「舞台で実際に演じてみて、結果の良かった方法を採用せよ。演じてもみぬ内からいずれがよしともいえまい」。

長男元雅の新作能、〈隅田川〉。舞台のクライマックスに、子方を出すか、出さぬか、の演出をめぐり、父子の間で意見が戦わされます。その中で、世阿弥が断じた結論の語です。
まずは、当段落を現代語訳でご紹介しましょう。


■よろづの物まねは心根

 すべての演技の根本には心根がある。まず詞章の心根をよくよくわきまえれば、所作・かかり※1を表すことができるのだ。

 人は、息をつめ食い入るように能を見ることがある。または、ただ漫然と能の雰囲気を楽しむ時もあろう。
 息をつめ、「ああ。とめるぞ、とめるぞ」とすべての観客が集中して見る時は、ふととめるべし。かたや観客の大方がのんびり楽しんでいる時は、きっと気を引き締め、突如とめるべし。眼前の観客の期待とまったく違うとめ方をすれば、さだめて面白いはず。人の心を化かすのだ。このことを固く秘して、観客には決して知られてはならない。

 近頃「化かす」ということについて、「ようよう化けの皮がはがれてきた」などという。これはそのようにいう人の目が利かぬ証拠である。少年の可憐な芸を上手だと思い込み、真実の上手との見分けがつかない。「化かす」は、上手だけのもの。年の功により悪い芸であることは充分承知の上で行うものだ。世阿弥は出家の後、座敷芸で観客をそっと化かしたことがある。これが本物の「化かす」である。「下手な役者の化けの皮をはがす」などは、ただの目利かずの戯言といえよう。

 〈浮船の能〉の「この浮船ぞ寄辺知られぬ」というところが肝要である。ここだけを一日、二日がかりでやりおおせるほどの気持ちで、根を詰めて演じ納めよ。

〈経盛の能〉 では、ツレの女を思い入れ深く演じるべきである。しかしみな浅く扱っている。シテの謡の間、俯いて聞き入っているが、その途中より思いがあふれるように謡い出すべし。そうじて女の能姿では、始終面を伏せ、時折ふっと顔を見上げるものだ。

〈隅田川の能〉で、
「塚の中の子供はいないほうがより面白く演じられよう。この能では生きている子供は見つからず、亡霊である。とくにその本意を手がかりにせよ」
と父世阿弥はいったが、元雅※2は
「とても私にはできません」
 と答えたのである。これに世阿弥は、
「かようなことは、してみて良きにつくべし。せずば善悪定め難し」
 と諭したものだ。


注※1 かかり
芸の風情、情趣。
※2 元雅
世阿弥の長子とされる。能〈隅田川〉の作者。

(『申楽談議』現代語訳水野聡 2015年)

現代の能〈隅田川〉では、ほとんどの場合、シテの母が探す子は最後に“亡霊”となって舞台に姿を現します。子方のあわれな姿に、思わず涙を誘われる、定型の演出です。しかし元雅による初演時、実際に子を出すか、出さぬかは、いまだ決せられていなかった。

元雅は詞章に従い、子方の亡霊を舞台に出し、わが子へ向かって駆け寄る母の悲哀を描こうとした。それに対し、世阿弥は上のようにアドバイスを与えました。世阿弥の真意は、ただ謡とシテの演技により、舞台の上に、観客の想像力で幻の子の姿をまざまざと描き出すべし、というもの。元雅は自身の芸力をわきまえ、「とてもできそうにない」と率直に意見を述べたのです。
ここにいたって、父子の間にしばし沈黙の時間が流れたことでしょう。

世阿弥はふと悟り、「してみて良きにつくべし」と自身の意見を保留しました。
父観阿弥より引き継いだ『風姿花伝』にある、芸の根本理念を思い返したからではないでしようか。

「風体・形木は面々各々なれども、面白きところはいづれにも亘るべし。この面白しと見るは、花なるべし。」
「この芸とは衆人愛敬をもて、一座建立の寿福とせり。」
(『風姿花伝』第五奥儀に讃嘆して云)

〈冷え・枯れた〉最奥の芸を追求することこそ、猿楽者の究極の目標。しかし、「田舎の愚かな目にも、げにや」と喜ばれる芸も、能には大切です。上下の眼にあまねく面白いものこそ〔衆人愛敬〕を実践し、心より心へ花を伝え、能の命を千年先へと伝えていけるはず、と世阿弥は思い至ったのかもしれません。

「してみて良きにつくべし」は、一見判断忌避のようにも思えますが、世阿弥は瞬時に、数百年先の能の姿を見越していたのです。
子方の幽玄な亡霊の姿は、〈隅田川〉の悲劇性をあまねく人に伝え、近世の文楽・歌舞伎、さらにはイギリスのオペラへと改作、実演され、六百の時を超えた名作として永遠の命を与えられたのです。

2015年03月23日 21:47

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