言の葉庵 |能文社 |お問合せ

心にしみる名言、知恵と勇気がわいてくる名文を、千年の古典名著から毎回お届けしています。

名言名句 第十五回 徒然草 し残したるを、さて打ちおきたるは

 No.29
 し残したるを、さて打ちおきたるは、面白く生き延ぶるわざなり

 No.30
 速やかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり

~兼好法師『徒然草』

No.29 し残したるを、さて打ちおきたるは、面白く生き延ぶるわざなり
『徒然草』第八十二段

[解説]
出典は『徒然草』の第八十二段。この話は、『茶話指月集』、千宗旦のくだりに下のように引用されています。

 先年、さる人、旦翁へ見舞うたれば、折ふし、茶の湯前にて、僕(しもべ)露地の掃除しつるを、翁のみて、
「あの片隅の蜘の巣ひとつは、そのまま残して仕まえ」
 と也。
「古人の風流、今様のたぐいにあらず。感じ侍りぬ」
 とかたる。予も是を聞きて、かの兼好法師の、
「何(いずれ)も、事のととのおりたるは、あしきこと也。し残したるを、さてうち置きたるは、おもしろく、いきのぶるわざ也」
 といわれしを、おもいあわせ侍りぬ。

 完全無欠に整ったものは「悪しく」、し残し、打ち置いたものは「面白く」「生き延ぶるわざ」といいます。不足のもの、欠けたるものこそ日本人にとっての”美”であり、生命の芽生える”余白”すなわち”空間”なのです。
 これこそ侘びの根本精神であることは以前指摘したとおり。
完全の美=西洋、不完全の美=東洋という図式はさまざまな分野で見られます。蛇足を避けここでは、「し残」すことが、「生き延ぶるわざ」であることの一つの例を紹介するにとどめましょう。

 古代中国、殷(商)王朝初代の王、湯王は、ある時猟師が猟場に四面の網を張って囲い、鳥獣を捕らえようとしているのを見かけます。「これでは山中の生き物を一匹残らず取り尽くしてしまう」と、一面のみ残し、他の三面の網を撤去するよう命じました。湯王の高徳を伝えるこの「三面の網」の故事は、中国、日本の古典に多く引用されています。ちなみに本来、「徳」には「得」の意味もある。今でも、お徳用、などと使いますね。「徳」にはそもそも慈愛・仁などに加え、「利」「合理的」の概念も含まれている。
…茶の話に戻しましょう。

 もとは禅院から発生し、”養生”を主目的とした茶が、俗人、とりわけ貴人の賞玩するものとなる。やがて宮中に入って、格を重んじる”書院・台子の茶”へと変貌を遂げていきます。将軍家や有力大名が愛好するに及んで、式法はより厳格に、しつらえは一層華やかになっていきました。いうなれば茶法が「四面の網」に囲まれてしまったのです。「これでは、茶が死んでしまう」と、最初の一面を取り払ったのが、村田珠光。武野紹鴎が次の一面を、千利休がもう一面…と、順次「三面の網」を取り除き、「侘び茶」となって現在に生命を永らえることができたのです。
 鎌倉末から南北朝期の動乱を「侘び」ることによって生き抜いた吉田兼好。そのリアリスティックな視線がよく表れた一段といえましょう。『徒然草』第八十二段、原文(講談社)と現代語訳(能文社)を付します。

[原文]
「羅(うすもの)の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿が、「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか。一部とある草子・巻物などの、同じやうにもあらぬを見にくしと言へど、弘融僧都は、「物を必ず一具に調へんとするは、つたなき者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。し残したるを、さて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、或人申しき。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。
(講談社文庫)

[現代語訳]
「羅(うすもの)の表紙は、早く傷むので困る」
 とある人がいった。頓阿、これを聞き、
「羅の装丁は上下がほつれ、螺鈿の軸物は細工の貝が落ちた頃、風格が出てくる」
 と答えた。一段上の心のあり様だ。一揃えとなった本や巻物がみな、同様の状態でなければ見苦しい、というが、弘融僧都は、
「ものをみな一揃えにととのえようとするのは、稚拙な考え。揃っていないから良いのだ」
 といったが、なるほどその通り。
 なにごともすべて、きちんと整っていることはよくない。やり残しを、そのままに捨て置いてこそ、面白く、生き延びるやり方といえよう。
「内裏造営では、必ず一箇所わざと完成させぬまま残し置く」
 と聞いた。それゆえ聖人賢人の遺した仏典・漢籍にもわざと章や段の欠けたままのものがあるのだ。
(能文社)


No.30 速やかにすべきことをゆるくし、ゆるくすべきことを急ぎて、過ぎにしことの悔しきなり
『徒然草』第四十九段

[解説]
 あなたが今大至急とりかからねば、取り返しがつかなくなってしまうこと。逆に、ゆるゆると取りかかればいいのに、大いにあせって懸命にこなしていること。その緊急度、プライオリティが「あべこべ」になっているのでは?と、問いかけているのがこの『徒然草』第四十九段です。
 これを取り違えていると、いざ臨終の間際に「しまった!間違っていた」と気づいても後の祭り、と兼好法師は警告します。彼によれば「速やかにすべきこと」は、「道を行ぜんこと」、すなわち仏道修行。今日的に言えば、心の修練です。「ゆるくすべきこと」は、仕事を含め、日常生活すべての用務・雑事のようです。
 なぜなら「死」はこうしている間も、一分一秒、ひたひたと身に迫りつつあるから。人は明日をも知れぬ身、と無常観を訴えているのです。「死」がすぐそばにやってきた時、人ははじめてうろたえ、もろもろのことを後悔する。普段より「ただ無常(死)の身に迫りぬることを」「ひしと心にかけて」「束の間も」忘れぬことが、肝要と説く。一見『葉隠』の「只今の一念」「日頃の覚悟」を連想させますが、この話は真言宗、現世における成仏が主眼ですので、禅宗の死生観とは異なっているようです。
 さて、後半に紹介される二人の僧は本人の深刻さとはうらはらに、その姿はどことなくおおどかでユーモラス。『往生拾因』の僧は、
「今晩か明朝、大事なお客様をお迎えせねばならん。わしはおまえの相手をしているヒマなどない」
 と、いそいそとどこか嬉しげにも見えます。いうまでもなく、このずっと待ち続けていたお客様は「死」です。
 もうひとりの僧は、悲惨。その上にあぐらをかけば座布団が消え、腰掛けようとすれば椅子が消え、昇ろうとすれば階段が消えてしまいます。この心戒という僧は、平宗盛の子。平家の連枝としてわが世の春を謳歌したのも束の間。一の谷に敗れ、高野山で出家した人でした。この世のすべてはかりそめ。まことと見えたものがすべて幻であることを身をもって体験し、かくのごときあわれな姿と成り果ててしまうのです。
 それでは心戒のようにならず、臨終の時、悔いの残らないようにするには、どうすればいいのか。『徒然草』は明快な答えを与えてはくれません。
「自ら開悟し、尋ねあてるべし」。
道の修行とは、まさにそのことだからです。

[原文]
老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き塚は、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、はじめて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるれ。
誤りといふに、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんやは。
人はたゞ、無常の身に迫りぬる事を、ひしと心にかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などかこの世の濁りも薄く、仏の道を勤むる心もまめやかならざらん。

昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、
「今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり」
とて、耳をふさぎて念仏して、つひに往生を遂げけりと、禅林の拾因に書けり。
心戒といひける聖は、余りにこの世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐることだになくて、常はうづくまりてのみぞありける。
(講談社文庫)

[現代語訳]
 年老いてからでよい、と道の修行を先延ばしにすることなかれ。古い墓の多くは、少年のものではないか。思いもよらず病を得て、今まさにこの世を去ろうとする時にこそ、はじめて過去のあやまちに気づくものである。あやまちというは、他でもない。速やかになすべきことをゆっくりとなし、ゆっくりなせばよいことを急いてきてしまった、その過去の惜しさである。
 臨終間際に悔いても仕方ない。常にわが身に死が迫りくることを、しかと心にとどめ、束の間も忘れてはならぬ。かくすれば、現世の塵にまみれず、仏道修行の腰も据わろうというもの。
 昔、ある聖は、誰かがやってきて重要な相談事があるというと、こう答えたものだ。
「わしは今、火急の用あって手が離せぬ。それは今夜か明朝にも迫っておる」
 そして、耳をふさいで念仏を唱えていたが、ついに大往生を遂げたとか。禅林の『往生拾因』にある話だ。
 また心戒という聖は、この世のすべてがかりそめ、はかないものであることに気づき、静かに座っていることができずに、常に尻を浮かせて過ごしたという。
(能文社)

2008年04月06日 21:30

>>トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://nobunsha.jp/cgi/mt/mt-tb.cgi/95

バックナンバー

名言名句 第五十五回 風姿花伝 男時女時

名言名句 第五十四回 去来抄 句調はずんば舌頭に千転せよ

名言名句 第五十三回 三冊子 不易流行

名言名句 第五十二回 論語 朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

名言名句 第五十一回 葉隠 添削を依頼してくる人のほうが、添削する人よりも上なのだ。

名言名句 第五十回 申楽談議 してみて良きにつくべし。

名言名句 第四十九回 碧巌録 百花春至って誰が為にか開く

名言名句 第四十八回 細川茶湯之書 何とぞよきことを見立て聞き立て、それをひとつほめて、悪事の分沙汰せぬがよし。

名言名句 第四十七回 源氏物語 老いは、え逃れられぬわざなり。

名言名句 第四十六回 貞観政要 求めて得たものには、一文の値打ちもない。

名言名句 第四十五回 スッタニパータ 人々が安楽であると称するものを、聖者は苦しみであると言う。

名言名句 第四十四回 紹鴎遺文 きれいにせんとすれば結構に弱く、侘敷せんとすればきたなくなり。

名言名句 第四十三回 風姿花伝 ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし。

名言名句 第四十二回 葉隠 只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり。

名言名句 第四十一回 ダンマパダ 愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

名言名句 第四十回 玲瓏集 草木の苦しみ悲しみを、人は知らず。

名言名句 第三十九回 申楽談儀 美しければ手の足らぬも苦しからぬ也。

名言名句 第三十八回 紹鴎及池永宗作茶書 枯木かとをもへば、ちやつと花を咲様に面白き茶湯なり。

名言名句 第三十七回 申楽談儀 面白き位、似すべき事にあらず。

名言名句 第三十六回 徒然草 人の命は雨の晴間をも待つものかは。

名言名句 第三十五回 達磨四聖句 教外別伝。

名言名句 第三十四回 貞観政要 六正六邪。

名言名句 第三十三回 論語 逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎(お)かず。

名言名句 第三十二回 歎異抄 薬あればとて毒をこのむべからず。

名言名句 第三十一回 独行道 我事において後悔をせず。

名言名句 第三十回 旧唐書 葬は蔵なり。

名言名句 第二十九回 茶話指月集 この水の洩り候が命なり

名言名句 第二十八回 貞観政要 人君過失有るは日月の蝕の如く

名言名句 第二十七回 貞観政要 即ち死するの日は、なお生ける年のごとし

名言名句 第二十六回 春秋左氏伝 水は懦弱なり。即ちこれに死する者多し

名言名句 第二十五回 史記 怒髪上りて冠を衝く

名言名句 第二十四回 花鏡 せぬ隙が、面白き

名言名句 第二十三回 貞観政要 楽しみ、その中に在らん

名言名句 第二十二回 十七条憲法 われ必ず聖なるにあらず

名言名句 第二十一回 去来抄 言ひおほせて何かある

名言名句 第二十回 龍馬の手紙 日本を今一度せんたくいたし申

名言名句 第十九回 史記 士は己れを知る者のために死す

名言名句 第十八回 蘇東坡 無一物中無尽蔵

名言名句 第十七回 論語 後生畏るべし

名言名句 第十六回 歎異抄 善人なをもて往生をとぐ

名言名句 第十五回 徒然草 し残したるを、さて打ちおきたるは

名言名句 第十四回 正法眼蔵 放てば手にみてり

名言名句 第十三回 珠光茶道秘伝書 心の師とはなれ、心を師とせざれ

名言名句 第十二回 俳諧問答 名人はあやふき所に遊ぶ

名言名句 第十一回 山上宗二記 茶禅一味

名言・名句 第十回 南方録 夏は涼しいように、冬は暖かなように

名言・名句 第九回 柴門ノ辞 予が風雅は夏爈冬扇のごとし

名言・名句 第八回 葉隠 分別も久しくすれば寝まる

名言・名句 第七回 五輪書 師は針、弟子は糸

名言・名句 第六回 山上宗二記 一期一会

名言・名句 第五回 風姿花伝 上手は下手の手本

名言・名句 第四回 葉隠 武士道とは、死ぬことと見つけたり

名言・名句 第三回 南方録 家は洩らぬほど、食事は飢えぬ

名言・名句 第二回 五輪書 世の中で構えを取るということ

名言・名句 創刊 第一回 風姿花伝 秘すれば花なり。

◆言の葉庵推奨書籍

◆言の葉メールマガジン
「千年の日本語。名言・名句マガジン」

「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文まる秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)

◆お知らせ

ビジネス・パートナー大募集

現在、弊社では各業界より、マーケティング関連委託案件があります。
つきましては下記の各分野において、企業・フリーランスの協力パートナーを募集しています。

◇アナリスト、リサーチャー
◇メディアプラン(フリーペーパー、カード誌媒体等)
◇プランナー、アートディレクター、コピーライター
◇Web制作
◇イベンター、SPプロモーション
◆化粧品・健康食品・食品飲料・IT・通信分野

 

Copyright(c)2005.NOBUNSHA.All Rights Reseved

Support by 茅ヶ崎プランニングオフィス