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名言・名句 第十回 南方録 夏は涼しいように、冬は暖かなように

 No.19
 夏は涼しいように、冬は暖かなように

 No.20
 侘びの小座敷の道具は、すべて足りぬことがよい

~『南方録』覚書より

[解説] No.19 夏は涼しいように、冬は暖かなように。

 ある人が、夏・冬、風炉・炉、それぞれ茶の湯の極意を問うたとき、千利休が答えた有名な句です。「そんなことは当たり前じゃないか」と反駁した相手は、茶の湯のまことを伝えたつもりの利休にきつくたしなめられる…。

 客をもてなす心、「夏は涼しいように、冬は暖かなように、茶は呑みよきように」…。これが秘伝、極意のすべて、と言い切る利休。つまり、当たり前にみえることほど、実は難しいということ。

 日常生活、卑近な例でいえば、例えば”挨拶”。ぼくもあまり自信がありません、実は。人間関係、コミュニケーションの基本中の基本。なのに、きちんとできている人は、今あまりいないのかもしれません。
 能狂言に造詣が深く、いつもきんと和服を着こなしている友人が、わが子に「相手に聞こえない挨拶は、挨拶ではない」と、しつけているとか。また、ぼくがニースの片田舎を散策していた時のこと。登校中の小学生の列が、延々とつながり、すれ違い様に、
「ボンジュー、ボンジュー、ボンジュー、ボンジュー、ボンジュー」…。ほほえましくもあり、やや閉口でもありました。
『葉隠』では、「相手と場に応じて、礼をしようとするから、すべて不足するのだ」といいます。

 さて芸道では、「当たり前」のことが、初心から奥伝、秘伝にいたるまで、ずっと一筋につながっている。宮本武蔵『五輪書』には、「太刀は振りよきように、静かに振るもの」。力任せにぶんぶん振り回す太刀では人に当たらないし、決して斬れるものではない、といいます。

 能役者にとっては、歩くこと=ハコビが、芸の入口であり、到達点でもあります。舞台の上をすべるように、美しく無音で移動する「すり足」が、「当たり前」の基本となります。某能楽師が友人たちと、ぬかるみの中を駆け抜けたことがあった。彼のズボンだけ、泥はねひとつなかったと聞いています。

 結局、この話の最後に、同席した笑嶺和尚がいった「諸悪莫作衆善奉行」につきるのかもしれません。「悪いことはなすな、良いことをせよ」。”諸”を”すべて”ととるなら、これは非常に難しい。当たり前にみえたことが、実行不可能な大難問と転じてしまいます。当たり前のことを軽く見ず、おろそかにせず、ひとつひとつ心をかけて、扱い、積み重ねていくこと。神は細部にしか宿らぬ、と悟るべきでしょうか。

[本文抜粋]No.19

十 ある人が、
「炉と風炉、夏と冬、茶の湯の心得と、その極意をお聞かせ願いたい」
 と宗易に問うた。これに答えて、
「夏はいかにも涼しいように、冬はいかにも暖かなように。炭加減は湯の沸きやすいよう、茶は呑みやすいよう。これにて秘事はすべてです」
 といえば、問うた人は興醒めして
「そんなことは当たり前ではないか」
 というので、
「されば、この心に叶うようにしてご覧ぜよ。宗易、客にまいり、貴殿の弟子となろう」
 と申したものだ。
 同席の笑嶺和尚がこれに、
「宗易申すこと、至極もっとも。かの鳥窠禅師が、諸悪莫作諸善奉行、と答えられたのと同然である」
 とおっしゃった。


[解説] No.20 侘びの小座敷の道具は、すべて足りぬことがよい。

 日本の中世、文芸・芸道分野での美的中心概念は、「足りないこと」「欠けていること」です。言の葉庵が扱う、茶道・能・禅・武士道各領域での実例は、先の「庵主のくたびれ日記~目利きと目利かず」で詳述しました。

目利きと目利かず

 南方録、名言の鑑賞にいま少しアップデイトしてみましょう。まず、茶の湯から。

 南方録では、今は失われてしまった利休の茶法、口伝が詳しく説かれています。その中心が”曲尺(かね)割り”と呼ばれる、茶道具の取り合わせ、配置分法。茶の湯版「黄金分割」ともいうべき、厳密詳細なレイアウト技法です。「陽曲尺」「陰曲尺」という二つの分数体系により、各道具の配置ポイントが定められます。
道具置き位置の中心を「中央の曲尺」とし、ここにもっとも重要な茶器を置く。当然道具は、珠光時代、東山御物クラスの大名物しか置きません。南方録ではこれを「一つ物」と呼んでいる。曲尺割りの奥伝に、「一つ物は中央の曲尺に、峰摺りに置く」と定められています。「峰摺り」は、たとえば山の頂の真中に物は置けないので、心持ち右か左にずらすこと。「頂点をかする」というほどの意です。この中心から、少しずれることが、侘び茶の美学、骨法となります。石州流松平不昧は「皆人々程ほど不足にても事足るものということを知らない」といいます。野水淳氏HP、「江戸の面影 第十九回」より、以下ご紹介しましょう。

侘びの精神は、古くから浄土渇仰(厭世)思想の中の伝統的文化教養でもあるが、前述の
様な白楽天の生き方の影響や禅の影響も深い。
「 山里はものの寂しきさまこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり  惟喬親王 」

 また、茶道にも整い過ぎているより何か欠けている物事の方が、かえって心を傾けるに値するものとの観念があった。「山上宗二記」は、それを次のように著わしている。
「 物モ持タズ、胸、覚悟一ツ、手柄一ツ、コノ三箇条ノ調イタルヲ侘数奇トス」

 桃山時代に時の権力とも結び付いた千利休は、茶の作法などを一層洗練し完成させて広く我が国に茶道を普及させた。そしてまた侘び茶、草庵式の茶室からさらに独自の工夫をして露地庭の創造をした。
 露地とは茶室を囲む小庭を指し、仏教で俗世が火宅に対し、そこから抜け出た清浄無垢の境地のことで、転じて幽玄な趣を漂わせる茶庭を云う。本来は茶室に通じる通路、路地であったが、利休から飛び石、つくばい、灯篭、樹木などを配し、自然に見えるよう造りなし茶庭の形式を整えた。その心は次の歌に表わされているという。
「 花をのみ待らむ人に山里の雪間の草の春を見せばや  家隆(古今集)」

また、
「 露地はただ浮き世の外の道なるに心の塵をなに散らすらむ  利休 」

 このように利休が大成した侘び茶の精神は、茶道のあり方の心構えとされ、石州流不昧派の開祖、松平不昧も「贅言」の中でそれを次の様に言い表わしている。
「 それ茶道は知足の道なり。知足は足ることを知ると読むなり。皆人々程々不足にても事足るものといふことを知ることなり。」


 さて、能の例では、南方録「峰摺り」のように、完璧を避ける=中心をずらすことが、実に多く見られます。シテの足拍子は、囃子の拍子アタリより、少しタイミングをずらせて踏むことが正しい”とされています。極端な言い方をすれば、「間にあたるは、下」というような風潮が、能の世界では標準であったりします。また、シテが橋がかりを運んでくる時、橋掛かりの中心をやや左に外れて、進むことが故実とされています。「能にして能にあらず」といわれる「翁」の時だけ、橋がかりの真中を運ぶそうです。

 これらすべて、「不足」「欠如」の美的概念のあらわれ。俳諧の世界では、芭蕉が生涯憧れ続けた、一所不住・無一物・乞食の境界に、このことは色濃くあらわれています。芭蕉の門人に、医者の地位を捨て乞食に身をやつし、芭蕉に拾われ俳諧の道を進んだ路通(露通)という破格なものがいる。『野ざらし紀行』の帰路、芭蕉は路通と邂逅するのですが、その折のエピソードを『芭蕉翁頭陀物語』より紹介します。


 おきな一とせ、草津・守山を過て、松蔭に行やすらふ。かたへをみれば、いろしろき乞食の草枕涼しげに、菰はれやかにけやりて、高麗の茶碗いと古びたるに瓜の皮拾ひ入れ、やれし扇に蝿をひながら、一ねぶりたのしめる也。

 後年、路通が湖南の蕉門俳人グループにうとまれ、排斥された折の句も、なかなかいい味を出しています。

 いねいねと人にいわれつ年の暮


 満ち足りた境地から、逃げ出さずにはいられない、俳人の”風狂”は、豪華な唐物茶器を打ち砕かずにはおれなかった、桃山茶人の”侘び”と非常に近い匂いをもっています。いずれも、中世日本精神文化、「足りぬ」「欠けている」ことのシンボルではないでしょうか。

[本文抜粋]No.20

一七 侘びの小座敷の道具は、すべて足りぬことがよい。少しの疵も嫌う人がいる。まったく心得違いのこと。新しい焼き物などで、割れたりひびの入ったりしたものは使えぬ。唐物の茶入など用途のしかるべき道具は、漆継ぎをしても特別に用いてきたものである。
 さてまた道具の取り合わせということ。新作の茶碗と唐の茶入れ、かように心得るがよい。珠光の時代にはまだまだ立派な道具が揃っていたにも関わらず、秘蔵の井戸茶碗を袋に入れ天目同然に扱っては、必ずや棗や新作などの茶入れを取り合わせて出したと聞く。

南方録はこちら

2006年11月25日 11:04

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