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名言名句 第三十六回 徒然草 人の命は雨の晴間をも待つものかは。

 No.53
人の命は雨の晴間をも待つものかは。
~吉田兼好『徒然草』


『徒然草』の中で無常観を深く説く段落として有名な第百八十八段。その文中の名言です。まずは現代語訳にて、本文をご鑑賞ください。


〔現代語訳〕

 ある者が子を法師にした。
「学問をして因果の理を悟り、説経で世を渡るたずきとせよ」
 というので、その通り説経師になろうとして、まず馬の乗り方を習った。
 輿や車をもたず、導師として招かれて馬で迎えられたとき、尻が座らず落馬でもしようものなら情けない、と考えたからである。
 そして法事の後には酒をすすめられることもあろう。坊主が芸なしでは、さぞや檀家も興醒めにちがいない、と早歌を習うことにした。
 この二つがようやくものになりだしたので、ますます稽古に熱が入る。とこうする内に、説経を習うひまもないまま、この者は年老いてしまったのである。

 なにもこの法師ばかりではなく、世間の人はおしなべてこういうものである。若い内は、何はともあれ、身を立て、大きな目標を掲げ、技芸を身につけ、学問にも励まんと、将来の希望を心にかけているものだ。しかし自分の一生を長いものと思い、ついつい怠り、さし迫った目の前のことにとり紛れて月日を送れば、とくに何かを為したというものもなくして年をとる。ついには何の上手にもならず、目指したように立身せず、悔やんだところでもはややり直しのきく年でもなく、車が坂を転がり落ちるように衰えるばかりである。

 つまり一生の内自分が大事と思うことの中でも、どれがいちばん大事かよくよく案じ、定めるのだ。その他は思い切って捨て、その一事のみ励むべし。一日の間、一時間の間にも、何と多くの用事がわいてくるものであろうか。なるべく役に立つことだけ取り上げ、その他の雑事はうち捨て、大事のみ急ぎとりかかるべし。どれも捨てられぬ、と欲張ろうものなら一つのことすらできはしない。

 たとえば碁打ちが、一手も無駄にせず先手をとって、小利を捨て大利を狙うがごとしである。三つの石を捨て十の石をとることはたやすい。しかし十ある石を捨て、十一をとりにいくことは難しい。一つでも多くとる手を打つべきだが、石が十にもなると惜しむ気持ちがわいてきて、さほど数の違わぬ石とは換え難くなる。これをも捨てられず、かれをも取りたいと思う心が、かれを得られず、これをも失うことを招いてしまうのだ。

 京都のある者が東山に急用があり、まさに東山へ到着した。しかしここで、実は西山にこそ、もっと役に立つことがあると知ったなら、すぐさま引き返し西へ向かうべきであろう。
 せっかく東山に着いたのだからこの用事をまず済まそう。日限のあるわけでもなし、西山のことはいったん家へ帰ってから、また日を改めればよい、と思うゆえに、一時の懈怠が一生の懈怠へとつながっていくのだ。これを恐れずばなるまい。

 一事を必ず成し遂げようと思うのなら、他事の破れるをも惜しむべからず、危険をも顧みるべからず、人の嘲りをも恥ずべからず。万事を犠牲にせねば、一つの大事は為せぬものである。

 ある席に大勢の人が集まっていた。ある人が、
「ますほの薄・まそほの薄などといわれる秘伝がございます。なんでも渡辺に住む聖人がこのことを伝え知っておられるとか」
 と語るのを、同席していた登蓮法師が耳にした。雨が降っていたが登蓮は、
「蓑と笠をお借りしたい。その薄のことを伝授いただくため、渡辺の聖人をお訪ねしたいのだ」
 という。主が答える。
「あまりに急なお申し出ではありませんか。せめて雨が上がってからにされてはいかが」
「つまらぬことを仰るものかな。人の命は、雨の晴間を待ってくれるものか。われが死に、聖人も亡くなってしまわれたなら、どうしてこれを尋ねることができよう」
 と登蓮法師は走って飛び出し、ついに秘伝を伝授されたということだが、なんとも非凡な御仁ではないか。
「敏なる時は、則ち功あり」
 と論語にもある。この薄のことを知りたいと思ったように、一大事の因縁を考えねばなるまい。

(現代語訳 水野聡 2012年12月)

〔原文〕

〔解説〕

 世に“秘伝”というものがあり、その道を究めた者のみに伝授されるのが、奥伝・奥儀。古来日本では、内容は知らずその存在のみが謎のベールに包まれて伝えられてきたものです。
『徒然草』当章、最後の段落は、秘伝“ますほの薄”をめぐる登蓮法師の高名な逸話。

 この段落、実は吉田兼好が鴨長明の『無名抄』から引用した逸話であり、“ますほの薄”の秘伝は、登蓮法師→源俊頼→鴨長明へと伝えられたのです。歌道で有名な古今伝授の“三木・三鳥”と同様、ますほの薄は、

「人あまねく知らず。みだりに説くべからず」(無名抄)

 と長明が注記したように、まこと秘すべき歌道の奥儀なのですが、秘せねばならぬゆえ断絶し、永遠に失われてしまう危機を常にはらむものでもありました。

「人の命は雨の晴間を待つものかは」

 雨がやんでから行け、というアドバイスを一言のもと退け、雨の中を駆け出す登蓮法師。これは何も数奇道の執心からのみ発せられた言葉ではなく、当段落前半の兼好の

「その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり」

 を身をもって決行したものです。人の命の短さ、運命の仮借なさに対し、「今この一瞬を最大限に生きる」ことを説く、禅と同根の思想がこの逸話に一貫してあらわれています。卑近な例をもってたとえるならば、

 少年老いやすく学成り難し
 命短し、恋せよ乙女

 というがごとしです。また後世の例を引くならば、登蓮法師に勝るとも劣らない、“数奇の鬼”古田織部の故事もなかなか面白いものです。


利休、各々昼の参会の席にて、
「勢多の橋の擬法師(ぎぼし)(擬宝珠)の中に、形(なり)のみごとなるが二つ有り。見分くる人なきにや」
 とかたる。
 その座に古織居られたるが、俄(にわか)に見えず。何(いず)れもあやしむ所に、晩方かえりまいられたれば、休、
「何の御用候えつるぞ」
 といえば、
「いや、別儀も候わず。彼のぎぼうし、試(ためし)に見分け申さんため、はや打ちにて勢多へ参り、只今かえり候也。さて、二つの擬法師は、東西のそこそこにてや候」
 と問われたれば、休、
「いかにもそれにて候」
 と答う。一座の人々、古織の執心、ことに感じ申されき。

(『茶話指月集』)

 利休の話を耳にすると同時に、無言で飛び出し無言で帰ってきた織部。登蓮のごとき気の利いた一言も残さぬところに、織部の命がけの数奇がうかがい知れようというものです。
 大阪夏の陣の後、家康の嫌疑を受けるや、一言の申し開きもなく、即座に腹をかっさばいた男。今一瞬一事に己のすべてをかけ、
「雨の晴間を待つ」
 ことなど毛筋も念頭にうかぶことはなかったことでしょう。

 “ますほの薄”の秘伝については、『無名抄』に鴨長明が伝えています。が、「みだりに説くべからず」。ゆめゆめ人にはお話なさられぬよう。


 この事、第三代の弟子※にて習ひ侍るなり。この薄、同じさまにてあまた侍り。ますほの巣数寄・まそをの薄・ますうの薄とて、三種侍るなり。ますほの薄といふは、穂の長くて一尺ばかりあるをいふ。かのます鏡※をば、万葉集には、「十寸鏡」と書けるにて心得べし。まそをの薄といふは、真麻の心なり。これ、俊頼朝臣の歌によみて侍り。「まそをの糸を繰りかけて」と侍るかとよ。糸などの乱れたるやうなるなり。ますうの薄とは、真にすはう※なりといふ心なり。ますはうの薄といふべきを略したるなり。色深き薄の名なるべし。これは古今集などにたしかに見えたることはなけれど、和歌の習ひ、かやうの古事(ふるごと)を用ゐるも、また世の常のことなり。人あまねく知らず。みだりに説くべからず。

※第三代の弟子 登蓮法師→源俊頼→鴨長明と伝えられたこと
※ます鏡 増鏡
※すはう 蘇芳色

(『無名抄』鴨長明)

2012年12月31日 09:07

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