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名言名句 第三十七回 申楽談儀 面白き位、似すべき事にあらず。

 No.54
面白き位、似すべき事にあらず。
~世阿弥『申楽談儀』


世にいう「名人」、そして「名人の位」とは何か。
世阿弥、晩年の芸談を息子の元能が聞き書きした、『申楽談儀』。この中で、名人位すなわち“面白き位”について世阿弥が定義した言葉です。まずは本編を原文と現代語訳にてご紹介しましょう。

〔原文〕

どつと云位、初入門にも入るべからず。
たとへば、京へ上るもの、東寺をみてあつといひたる程也。
又、をも白き位は上也。物をことごとくしたるはして也。
しての上によくするは、はや上手也。
上手の上にをも白所也。しかれば、をも白き位、似すべき事にあらず。
名筆の草に書き捨てたるもの、似せはなるべからず。真より功をへて、後自在なる所也。
能にむくやぎ※と云は用也。花だにあらば、むくやぎまでも入るまじき也。
むくやぎなきと云は、まづは毛を吹きて疵を求めたる也。

※むくやぎ。やさしさ、やわらかさ等。
(『世阿弥 申楽談儀』表章校注 岩波文庫1960)


〔現代語訳〕

 観客を“どっ”とわかせる芸位は、初心にも及ばぬ低いもの。
たとえば初めて上京した者が、東寺を見て「あっ」と声をあげるほどのものであろう。
面白い芸とは最上位のもの。物まねをことごとく修得した者を為手(シテ)という。
さらに鍛錬を重ねたシテが、ようやく上手とよばれる。
上手のもう一段上に面白さがある。
つまり面白い芸位とは、いくら似せようとしても似せられないものである。
書の大家が、草書に書き下したものを真似られまい。真、行、草と功を積んだ後、ついに自在の境地に至る。これが面白い芸位である。
能の余情とは、本体の芸に対する影のごときものである。芸に花さえあれば、余情を求める必要はない。
花を見ずに、余情がない、などというのは「毛を吹いて疵を求める」ようなものである。

(能文社 水野聡訳 2013年3月)

 面白き位、似すべき事にあらず。

上手や達人の域をはるかに超え、“自在なる所”へと至った芸はもはや他人にとって“似すべき事”ではない、と世阿弥は位置づけます。
ただ一人、舞台に登場し「そこにいるだけ」で特別何をすることもなく観客の目と耳を釘付けにし、心をとりこにしてしまう名人の芸と圧倒的な存在感。

たとえば『申楽談儀』で紹介される田楽役者増阿弥の舞台。東より西へと舞台をぐるりと回り、扇の先だけでそっと舞い留めた芸に、世阿弥は「感涙も流るるばかり」の感動を覚えたといいます。観客の高い鑑賞力を前提とするとはいえ、芸位もここまでくると並みの鑑賞法や批評をもはや受け付けるものではありません。大半の観客は目の前で起こったことが何なのかおそらく知ることはない。ましてやこの芸を「似せよう」と考えるなど愚の骨頂。世阿弥が『風姿花伝』でまず説いた達人の“似せぬ位”をそれはさらに突き抜けたものなのです。


物まねに、似せぬ位あるべし。物まねを窮めて、その物に
まことになり入りぬれば、似せんと思う心なし。
さるほどに、面白きところばかりをたしなめば、などか花なかるべき。
(『風姿花伝』第七別紙口伝 岩波文庫)


かくて名人の創意や所作は、凡人のまなこをはるかに超えいくもの。
待庵の二畳の茶室すら、ぼくたちにとってはいかにも小さく、きゅうくつに感じられる。ところが千利休は後年、一畳半の茶室を設計したと伝えます。


宗易は、京にて一畳半を初めてつくった。当時珍しい造作であったが、これまた凡人には無用のものである。名人の宗易ならでは山を谷、西を東と、茶の湯の法を破り、自在になすとも面白いのである。凡人がこれをそのまま真似たとしたら、それはもはや茶の湯ではあるまい。

(『山上宗二記 現代語全文完訳』水野聡訳 能文社2006)


ものまねの語源は「物学(まね)び」。人は先達、師匠を真似、学ぶことで成長し、なにごとも身につけていくもの。しかし鍛錬の末もっとも面白く感じる、その究極にあるものを、ぼくたちはまねることができず、また決してまねすべきではないという。そこは名人のみが無心の位で自在に遊ぶ、“危ふきところ”。それは、当人の意志やはからいすらはるかに隔絶したところに咲く“無の花”。手に取ろうとした瞬間、雪のように消えてしまうものなのです。

2013年03月15日 17:15

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