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名言名句 第三十四回 貞観政要 六正六邪。

 No.51
六正六邪。
~魏徴『貞観政要』巻第三 論擇官第七

●『貞観政要(上)(下) 呉兢 撰/水野聡 訳』2012年能文社

〔解説〕

「六正六邪」は、『貞観政要』中、諫臣魏徴の上疏文にあることば。しかし魏徴のオリジナルではなく、前漢末の『説苑(ぜいえん)』から政策提言のため引用された句と文です。

この句がある『貞観政要』巻第三の「論擇官第七」は、新国家樹立に向け人材登用と任官について君臣、忌憚なく論を戦わせた段落。
貞観十四年、太宗の治世下では、強敵高昌国を討伐し、内外共に磐石の体制が築かれました。わが国では“人は城”と呼ばれるように、国家運営の要が人材登用・活用にあることは、古今東西を問わない永遠のテーマです。国づくりは、すなわち人づくり。外憂のなくなった唐朝廷と天子に対し、人材登用促進と、現家臣団の綱紀粛正のため、まさに時宜を得た献策が魏徴によりなされました。

「六正六邪」、すなわち「六人の正しい臣」と「六人の邪悪な臣」。この基準に従って、正しい人材登用と任官を行なえば、君主は安らかとなり、人民は治められる、と魏徴は説きます。
聖臣・良臣・忠臣・智臣・貞臣・直臣。これら六人の正しい臣が「六正」。たとえば、「直臣」について、本文では以下のように規定しています。

 国家が傾き乱れる時、上に諂(へつら)わず、あえて主の厳しい顔も犯し、面と向かって主の過失を指摘する。こうした者を直臣という。

かたや、具臣・諛臣・姦臣・讒臣・賊臣・亡国の臣。これら六人の邪悪な臣を「六邪」とする。姦臣とは以下のような輩です。

内面は陰険邪悪であるのに、外見は謹厳実直。弁舌巧みで人当たり温和、善人賢人を妬み憎む。われが推挙する人物の美点を目立たせ、欠点をおおい隠す。退けようとする人物の過ちを暴きたて、長所を隠す。主の賞罰は当たらぬよう、命令は行われぬように取り計らう。こうした者を姦臣という。

『説苑』が紀元0年頃、『貞観政要』が紀元700年頃に、それぞれ成立しました。今より1300年から、2000年も前のこと。宇宙開発が現実となり、インターネットが瞬時に全世界を結ぶ現代。人類の科学文明はなんと進化し、人の心はなんと変わらないものでしょうか。今、ぼくたちが属する会社や地域社会にも、六正六邪の「直臣」や「姦臣」にぴったりあてはまる人たちが数え切れないほどにいる。この段落を読んだあと、あなたは今机をならべて一緒に働く同僚や上司、ご近所の人々に「六正六邪」を見つけ、驚くかも知れません。

そしてこれこそ、『貞観政要』が世界の歴代皇帝や為政者たちに読み継がれてきた最大の理由なのです。論語や四書五経は、古の賢人・聖人の教えを伝える儒教の聖典。礼や仁、徳についてこれらの古典は普遍的な真理を垣間見せてくれるかもしれません。しかし、現代の実社会でこれらを実行、実践するにはあまりに抽象的です。『貞観政要』は儒教の聖典や前代の古典を引きながらも、現実に日々発生する政治課題の一つ一つに、明確な指針と具体的な方策を、まるで手のひらを指すように示してくれるのです。この書を手元に置き愛読した中国歴代皇帝はみな、善政をしき後世名君と呼ばれました。日本では、徳川家康がことのほか注目し、早くも関が原の合戦前に、わが国で初めて出版させたと言われています。そして徳川の世は三百年の長き命数を保つ。『貞観政要』に触れた記録のない天下人、信長、秀吉は一代で滅びました。

ところで六正六邪の「六」は、そもそもどういう意味をもつのでしょうか。漢字は周知の如く古来中国より伝わったもの。六朝・六国・六経・六法・六韜・六道など、「六」を冠した漢語は多い。「六」とは、もともと易の陰爻〔--〕をあらわす文字。ちなみに陽爻〔─〕をあらわす文字が「九」です。こちらも、九重・九族・九卿・九鼎・九仞・九拝など、多くの単語が今なお用いられています。易、陰陽思想では「六」と「九」は基本となるもっとも重要な数。「六正六邪」の意味は、陽をあらわす「九」を天子と仮定して、その対を成す臣下を「六」であらわしたものではないでしょうか。


〔訳文〕

第十章

 貞観十四年、特進の魏徴が上疏(じょうそ)する。
「臣は聞いております。臣を知るは君にしくはなし※1、子を知るは父にしくはなし、と。父がわが子を知らねば、一家睦まじくすることはかないません。君がわが臣を知らねば、万国を統一することはかないません。万国みな安泰で、天子が慶賀を受けることができるのは、必ず良臣が天子を輔弼しているからです。才能と徳を備えた人材が官にあれば、あらゆる功績がたちどころに押し広められ、天子は何もしなくても、国は教化されるもの。堯舜や周の文武帝が古書に称せられるのも、みな人を知ることが明らかであったからです。多くの人材が朝廷に満ち溢れ、元凱(げんがい) ※2は巍巍(ぎぎ)たる功を立て、周公※3、召公※4が輝かしい国威を大いにしました。さて、では四岳(しがく) ※5・九官(きゅうかん) ※6・五臣(ごしん) ※7・十乱(じゅうらん) ※8などの名臣は、ただ古代にのみ現われ、現代にはいない者なのでしょうか。これらが現れないように見えるのは、ただ求める求めない、好む好まない、というところに原因があるだけです」

「いったい何をもってこのように言えるのでしょうか。そもそも美玉明珠、孔雀翡翠、犀(さい)や象、大宛(たいえん) ※9の馬、西旅※10の犬などには、足がない、あるいは心がない。これらは遠い外国に発生し、万里の遥かな道程を、いくつもの通訳を重ねて入貢してくる。この国の道路にその列が絶えないのはどうしてでしょうか。単に、中国がこれらを好むからであります。いわんや国に仕える者は、君の栄誉を慕い、君の禄を食んでいる。これを率いてともに義を立てれば、どこであろうと行けないところなどありましょうか」

「臣は思います。これとともに忠をなせば、龍逢(りゅうほう)・比干(ひかん) ※11があらわれる。これとともに孝をなせば、曾参(そうしん)・閔子騫(びんしけん) ※12があらわれる。これとともに信をなせば、尾生(びせい)・展禽(てんきん) ※13があらわれる。これとともに廉※14をなせば、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい) ※15があらわれる。しかし今の群臣に清廉潔白な者が見られないのは、これを求めるに切実ではなく、これを励ますに努力が欠けているからです。
もしも、この者どもに忠公をもって励まし、多大な期待をかけ、各々得意分野で専任させ、高位の人が登用する人材を見、富める人が与える物を見、普段何を好むかを見、学んだ後、その意見を聞き、貧窮しても受けない物を見、卑賤の者がなさないところを見、その才によって登用し、その能を明らかに見て任命し、長所を伸ばし、短所を覆い、六正(りくせい)によって推し進め、六邪(りくじゃ)によって戒めれば、たちまち厳命せずとも自ら励み、推奨せずとも自ら努めるようになりましょう」

「これは、説苑(ぜいえん) ※16では以下のようにいっております。
『人臣の行いには、六正と六邪がある。六正を修めればすなわち栄え、六邪を犯せばすなわち辱めを受ける。六正とは何か。
第一。萌芽いまだ気配もなく、予兆いまだ現れぬ内に、決然としてひとり存亡の危機を察す。事の現れる以前に制し、主を安らかに高みの座、繁栄に立たせる。こうした者を聖臣という。
第二。虚心坦懐に、善を進め、道に通ず。主に礼儀を努めさせ、主に長久の策を献じて諭す。その美点を奨励して従い、その欠点を正し救う。こうした者を良臣という。
第三。朝は早く起き、夜は遅く寝る。賢人を勧めて怠らず。しばしば往古の故事をひいて、主の意志を強めさせる。こうした者を忠臣という。
第四。ものごとの成功失敗を明瞭に見抜き、事が大きくなる前にすばやく手を打つ。食い違いの隙間を埋め、凶事の源を断ち、禍を転じて福となし、君の憂いをつねに取り除く。こうした者を智臣という。
第五。書物に通じ、法を奉じ、任官と事務を司る。禄を辞退し、賜物は人に譲り、衣食は慎ましく。こうした者を貞臣という。
第六。国家が傾き乱れる時、上に諂(へつら)わず、あえて主の厳しい顔も犯し、面と向かって主の過失を指摘する。こうした者を直臣という。
以上が、六正である』」

「『六邪とは何か。
 第一。高位に居座り、禄を貪(むさぼ)る。公務をつとめず、世間とともに浮き沈みし、つねに周りばかり気にしている。こうした者を具臣という。
 第二。主のいうことはみな良しといい、主のなすことはみな可という。ひそかに主君の好みを調べては、これを奉る。よって主君の耳目を快くし、つねに迎合追従し、主君とともに遊んで、後の差しさわりを顧みない。こうした者を諛臣(ゆしん)という。
 第三。内面は陰険邪悪であるのに、外見は謹厳実直。弁舌巧みで人当たり温和、善人賢人を妬み憎む。われが推挙する人物の美点を目立たせ、欠点をおおい隠す。退けようとする人物の過ちを暴きたて、長所を隠す。主の賞罰は当たらぬよう、命令は行われぬように取り計らう。こうした者を姦臣という。
 第四。非を繕う智をもち、自説を押し通す弁舌が巧みである。内にあっては骨肉家族を離間させ、公には朝廷に争乱を持ち込む。こうした者を讒臣(ざんしん)という。
 第五。権力を独占、勢力をほしいままとし、自分に都合の良いように規則を変える。一門で徒党を組み、わが家だけを富貴に栄えさせ、好き勝手に主命を変え、これを利用して高位に昇る。こうした者を賊臣という。
 第六。主にへつらって近づき、邪悪な誘いで主を不義に陥れる。同族で団結、徒党を組んで、明臣を排斥する。白黒の別なく、是非の違いもわきまえぬ。主の悪事を国内にいいふらし、遠く四隣の国にまで聞こえさせる。こうした者を亡国の臣という。
 これらを六邪という。賢臣は、六正の道を行い、六邪の術をとらぬ。ゆえに、上は安らかとなって、下は治まるのだ。主は、民に生きている間は親しまれ、死んだ後は慕われる。これが、人臣の術である』」

「礼記(らいき) ※17ではこういいます。『はかりに分銅と天秤棒が正しくかかっていれば、重さをごまかすことはできない。墨縄(すみなわ)が正しく張られていれば線を曲げて描けない。定規と円定規を使えば、歪んだ円と四角を描くことはできない。君子が礼に明るければ、悪巧みは通用しない』と。
 すなわち、臣下の誠偽を見抜くことは、それほど困難ではありません。また、礼によって手厚く待遇し、法に基いて規制し、善をなす者は褒章し、悪をなす者は処罰すれば、どうして臣下は主に従い、力を尽くそうと思わずにいられましょうか。
今国家は、忠臣良臣を勧め、不肖の輩を退けんとして十余年が経ちました」

「もしも、褒賞を疎遠な者にも忘れず与え、罰を親しい者、高貴な者にもおもねることなく下し、公平を定規とし、仁義を墨縄とし、内容にあわせて名目を整え、名目にふさわしいように実を求めるならば、邪正は隠れることなく、善悪は自ずから分かれましょう。
 その後、内実を取って、表面的な花を捨て、ものごとの分厚い中心に腰を据えて、薄い表面にとらわれることがなければ、何もいわなくても、ほんの一年で国全体が教化されるはずです。
 しかし、もしも美しい錦を愛するあまり衣服に仕立てないように、高位の官を出し惜しみし、官位のために人を選ばず、人のために官位を選び、言葉だけの公平を唱えて行動が伴わない。愛するあまりその欠点が見えず、憎しみまさってその美点を忘れ、私情に流され邪臣、侫者を近づけ、道にそむいて忠臣、良相を遠ざければ、朝から晩まで、悩みに悩み、努力を尽くし、最高の政治を求めようとしたところで、人を得ることはできません」
 太宗は魏徴のこの進言をはなはだ喜び、受け入れた。


※1 臣を知るは君にしくはなし 『左伝』昭公十一年、「申無宇曰く、子を択ぶは父に如くは莫し、臣を択ぶは君に如くは莫し」より。
※2 元凱 八元、八凱を指す。元は「善」の意。八元とは、高辛氏の八人の善なる子孫。凱は「和」の意。八凱とは、高陽氏の八人の和徳に満ちた子孫。
※3 周公 周公旦として知られる、周の政治家。文王の子。兄の武王を助けて殷を滅ぼし、その死後、幼少の成王を補佐して周の基礎を固めた。孔子が、礼を整備した聖人としてもっとも敬った。
※4 召公 周の宰相。文王の子、武帝の弟であり奭と呼ばれる。成王を周公旦とともに補佐した。のちに召に封ぜられ、燕の始祖となったといわれる。
※5 四岳 堯舜時代の官名。四方の諸侯を司った。
※6 九官 舜の時代に置かれた九人の大臣。
※7 五臣 『論語』泰伯篇「舜は臣五人有りて天下治まる」。すなわち、禹、稷、契、皋陶、伯益を指す。
※8 十乱 十人の名臣。「乱」の語義はもともと「治」の意味をもつ。『書経』泰誓篇、武王の言葉に「予、乱臣十人有り」とある。周公旦、召公奭、太公望、畢公、栄公、太顚、閎夭、散宜生、南宮括、文母の十人を指す。
※9 大宛 西域の国。良馬を産した。
※10 西旅 西夷の国。周の武王の時、珍犬を献じた。
※11 龍逢・比干 龍逢は夏の桀王の臣。比干は殷の紂王の臣。ともに諫言により誅せられた。
※12 曾参・閔子騫 ともに孔子の高弟。
※13 尾生・展禽 尾生は『荘子』盗跖篇に至誠の人として紹介される。展禽は春秋時代、魯の大夫。「新序」節士篇の逸話により、信を重んじたことで知られる。
※14 廉 清廉潔白。
※15 伯夷・叔斉 殷代、破竹君の二子。周の武王が紂王を討とうとした時、諫言するも受け入れられず、首陽山に隠れ餓死した。
※16 説苑 前漢、劉向(りゅうきょう)著。全二十巻。春秋時代以降の歴史上の逸話を納める。
※17 礼記 経解篇にある語。


『貞観政要』巻第三 論擇官第七 能文社2012年

2012年05月09日 20:26

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