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名言名句 第四十三回 風姿花伝 ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし。

 No.59
ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし。~世阿弥『風姿花伝』


世阿弥にとって“花”とは何か。今日に至るまで多くの世阿弥研究者により、世阿弥の“花”の定義が論ぜられてきましたが、そのもっとも明瞭な定義が世阿弥自身によって『風姿花伝』第七別紙口伝の一篇に語られています。当句を含む本文を現代語訳でご紹介しましょう。

そもそも因果というものの良い時悪い時があることをよくよく考えみると、要はただ珍しいか珍しくないかの二つに行き当たる。同じ上手の同じ能を二日続けて見たとする。昨日は面白かったが、今日はなぜか面白くない。これは昨日見て面白かったという印象が心に残り、同じものを今日見ても珍しく感じないため良くないと感じるのだ。さらに後日、またまた同じ曲を見て、今度は面白いと感じる。これは前回良くなかったという印象が、さらに反転して珍しく感じ、それで面白いと思ったためである。

さればこの道を極め終わって考え見るに、花とは特に際立った何か別のものではない。奥儀を極め、萬珍しさの理を自ずから悟らないかぎり花は見つからない。経典に「善悪不二、邪正一如」とある。本来良い・悪いなど何をもって定めるのか。ただ時により用に足るものを良い、足りないものを悪いとするだけのこと。この芸の品々というものも、その時代の人々所々により最大多数の好みによって、受け入れられるものが用に足りるため、花となるのだ。ここではこれこれの芸がもてはやされ、あちらではまた別の芸が愛される。これぞ人それぞれの心に咲く花である。いずれがまことの花であろうか。ただ時が選ぶもの、これを花とすべきである。

(『現代語訳 風姿花伝』水野聡訳 PHPエディターズ・グループ2005年)

世阿弥自身による定義では、「花とは、珍しさであり、面白さである」と、『風姿花伝』本文で繰り返し述べています。
花の〔珍しさ〕を、同じ能を続けて二度見ることをたとえに世阿弥は前半部で説きますが、このロジックのバリエーション、〔二度続けて見てもやっぱり面白かった〕具体例を希代の能目利き、白洲正子は自ら体験しています。

「先日、友枝喜久夫という当代一の名人が、『弱法師』の能を、あまり間をおかずに二度舞ったことがあります。最初に見た時、私は非常に感動して新聞に書いたのですが、いくら名人でも二度目の時は、最初の印象が強かっただけそんなに期待することができませんでした。ところが、これがよかったのです。はじめて見るように美しかった。
一つ一つの型を、友枝さんが、少しずつ変えて演じていたことは確かです。が、それは枝葉のことで、最初の「弱法師」と同じ能でありながらまるで違っていた。何といったらいいのか、全体の感じがじつに新鮮で、少しも馴れ切って、おろそかに流れることがなかったのです。」

(『世阿弥を語る』白洲正子全集 第十二巻 新潮社2002年)


「いくら名人でも二度目の時は、最初の印象が強かっただけそんなに期待することができません」
ここに、まさに世阿弥の理論が実証されたのです。正子は友枝喜久夫の『弱法師』を二度続けてみる時、「いくらなんでも、前ほどではなかろう」と考えて観た。名人友枝も、日が近かったため、演じ方を工夫したものと思われますが、この正子の予見(面白くはないだろう)を裏切るところにこそ、花=珍しさ=面白さの法則が確かに働いたのではないでしょうか。


さて、花とは一体何か。後半部で世阿弥は驚くべき真実を明かしています。あたかも親鸞の告白、「念仏を唱えても喜びはなく、浄土へ行きたいとも思わない」(『歎異抄』第九条)と同質の、予想を覆す、きわめて衝撃的な言葉。「花などというものは存在しない」というのです。


花とは特に際立った何か別のものではない。
(原文:花とて別にはなきものなり)

ただ時が選ぶもの、これを花とすべきである。
(原文:ただ、時に用ゆるをもて花と知るべし)


世阿弥や演劇者、芸術家など表現するすべての人にとって、至高の存在たる“花”。真・善・美の象徴でもある“花”とは、実体のないもの、存在しないものである、と世阿弥は喝破しました。そして人それぞれの心に咲く幻の花は、ただ時が選び、時がもたらすものである、と結びます。

■『風姿花伝』の花とは

一般に”花と幽玄”の書といわれる風姿花伝。その中で「花」は中心理念、用語として何度も繰り返し使われています。


・風姿花伝(書名)
・花修(章段名)

・誠の花(第一年来稽古)
・時分の花(同)
・当座の花(同)
・初心の花(同)

・老い木に花の咲かんが如し(第二物学)
・巌に花の咲かんが如し(同)

・ただ花が能の命なり(第三問答)
・花だに残らば、面白さは一期あるべし(同)
・花の萎れたらんこそ面白けれ(同)
・花は心、種はわざ(同)

・心より心に伝はる花(第五奥儀)
・世上万徳の妙花を開く(同)

・無上の花を極めたる上手(第六花修)

・花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり(第七別紙口伝)
・能も住する所なきを花と知るべし(同)
・花は、見る人の心に珍しきが花なり(同)
・曲は節の上の花なり(同)
・年々去来の花(同)
・秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず(同)
・因果の花(同)
・ただ時に用ゆるをもて、花と知るべし(同)


単純に数えてみても『風姿花伝』中、“花”という単語は、137回あらわれています。

また、世阿弥の生涯二十三作を数える自著において、多くの書名に“花”が冠されています。

『風姿花伝』『花習抜書』『至花道』『花鏡』『拾玉得花』『却来花』

“花”は世阿弥の半生において、能の美と分かち難く結ばれた、ひとつの統合シンボルであったといえましょうか。しかし晩年、世阿弥の著作から具体的かつ有限のイメージをもつ“花”という用語は急速に姿を消していきます。代わって禅仏教の説く“無”や“妙”へと、芸論は一層深化していったためです。

もはや目で見ることもできず、耳で聞くこともできない最奥の美。それは心から心に伝える幻の花。悟りの池に咲く、一茎の睡蓮を老猿楽者はただ微笑み、つまんで見せるばかりなのです。

2013年11月18日 20:31

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