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名言名句 第四十五回 スッタニパータ 人々が安楽であると称するものを、聖者は苦しみであると言う。

 No.61
人々が安楽であると称するものを、聖者は苦しみであると言う。~ブッダ『スッタニパータ』第3 大いなる章


「苦あれば楽あり」
「苦楽をともにする」

日本に限らず、古来世界の国々で〔苦と楽〕の慣用句、ことわざが多くつくられ伝わってきました。
名言名句第四十五回は、表題のブッダをはじめとし、世界の偉人たちの至言を集め、〔苦楽名言集〕としてお届けします。

〔善悪〕や〔是非〕は、人間が頭で考え、その時代時代に応じてつくられた基準。
これにくらべ〔苦楽〕は、国、文化、時代によらず、生物として体感的、主体的に感じうるいたって明快な区別です。
猫や犬ですら、喜べば尻尾を振り、苦しめばうめき身もだえするもの。人間が都合によりつくった〔善悪〕などとは次元を異にする根本的な生物反応ではないでしょうか。

すなわち人類にとって大なり小なり共通の法則をもつ〔善悪〕とくらべ、〔苦楽〕の捉え方は、個人により大きく異なってきます。
表題のブッダの句など、とりわけその真意をとらえ難いのかもしれません。
しかし、そこには深い哲理と機微が隠されているようです。


【ブッダ】

他の人々が安楽であると称するものを、諸々の聖者は苦しみであると言う。他の人々が苦しみであると称するものを、諸々の聖者は安楽であると知る。解し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。
(スッタニパータ 第3 大いなる章 12、二種の観察)

『ブッダの名言』2013年8月 能文社


俗人の苦は聖人にとって楽であり、俗人の楽は聖人にとってはかえって苦であるという。まさに、「無知なる人々は迷い」「解し難い」というほかありません。
安逸による堕落を嫌い、苦行による精進を尊ぶのかもしれませんが、頭で理解しようとせず、苦楽の本質を心で直接つかみとることを教えたように思われます。
偉人の名言には、とかく苦楽の意味が反転するものがありますが、同様の例はのちほどご案内するとして、〔苦楽〕をテーマとしたブッダの名言をいくつか鑑賞してみましょう。


愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。
(ダンマパダ 第十六章 愛するもの)

事が起きたとき、友のいることは安らぎである。あらゆることに満足することは安らぎである。命の尽きるとき、福徳があることは安らぎである。すべての苦しみを除き去ることは安らぎである。
(ウダーナヴァルガ 第三十章 楽しみ)

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。──車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。
(ダンマパダ 第一章 ひと組みずつ)

われわれは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食(は)む者となろう。
(ダンマパダ 第十五章 楽しみ)

「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。
(ダンマパダ 第二十章 道)

老いた日に至るまで戒しめをたもつことは楽しい。信仰が確立していることは楽しい。明らかな知慧を体得することは楽しい。もろもろの悪事をなさないことは楽しい。
(ダンマパダ 第二三章 象)

人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤される。実に人々は歓楽にふけり、楽しみをもとめて、生れと老衰を受ける。
(ダンマパダ 第二四章 愛執)

独り坐することと道の人に奉仕することを学べ。聖者の道は独り居ることであると説かれている。独り居てこそ楽しめるであろう。
(スッタニパータ 第三 大いなる章 11、ナーラカ)

過去にあったもの(煩悩)を涸渇せしめよ。未来には汝に何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものをも執しないならば、汝は安らかな人としてふるまうことであろう。
(スッタニパータ 第4 八つの詩句の章 15、武器を執ること)


【太宗】

「楽しみ、その中に在らん」
(『貞観政要』巻第八)

〔原文読下し〕
 朕、常に天下の人に賜いて、皆富貴ならしめんと欲す。今、遥を省き賦を薄くし、農時を奪わず、比屋の人をして、その耕稼をほしいままにせしめん。これすなわち富むなり。厚く礼譲を行い、郷閭の間をして、少は長を敬し、妻は夫を敬せしめん。これすなわち貴きなり。ただ天下をしてみな然らしめば、朕、管弦を聴かず、田猟に従わずとも、楽、その中に在らん。
(明治書院 昭和59年)


〔現代語和訳〕
 朕は常に、天下の人に与え、皆が富貴になるようにと願っている。今、夫役を免除し税を薄くし、農繁期を妨げることなく、あらゆる人に農業に精を出させたいと思う。これがすなわち富むことである。厚い礼儀を広め、郷村においては、年少者は目上を敬い、妻は夫を敬うようにさせよう。これがすなわち喜ぶことである。天下がすべてこのようになれば、朕はもはや音楽を聴かずとも、狩猟に出かけなくとも、楽しみは、わが内にあるのだ。」
(能文社 2009)

宗教者ではありませんが、その偉大な業績により聖人の列につらなるとされる、唐の二世皇帝太宗の名言です。

税を薄くし、夫役を免じて人民を豊かにすることは、為政者その身にとっては決して安楽な状態ではありえないでしょう。しかし太宗は、善政により人々が安定した豊かな暮らしを送る姿を見ることが、皇帝として最大の楽しみであるというのです。
楽しみは外に求めるものではなく、わが心の内より湧き出るもの―。
これこそ真の王者のことばではないでしょうか。


【葉隠】(山本常朝)

「大雨の感」
「災難というものはあらかじめ予想していたほどではない」
「わが気にいらぬことが、わがためになることなり」

(『葉隠 現代語全文完訳』2006年能文社)


聞書一 七九
 大雨の感ということがある。道中にわか雨にあい、濡れたくないと道を急いで走り、軒下などを通ったとしても濡れることに変わりはない。最初から腹をくくって濡れるのであれば、心に苦しみはない。どっちにしても濡れるのだ。これは、よろずにわたる心得である。


聞書一 九二
 なにがしがいうには、
「浪人などといえば難儀千万この上もないもののように、皆思っている。その期に及ぶとことのほかがっくりとなり、へこたれてしまうものだ。浪人してより後はさほどでもない。前に想像していたのとは違う。今一度浪人したいくらいだ」
とあった。もっとものことである。死の道も、平生死に習っていれば、心安らかに死ねるもの。災難というものはあらかじめ予想していた程ではないものを、その時を思い描いて苦しむのは愚かなことである。奉公人の打ち留めは、浪人切腹に極まると常々覚悟すべきである。

聞書三 四一
 直茂公が
「わが気に入らぬことが、わがためになることなり」
といった。これは勝茂公も常々話していたことである。


戦国時代の武士は、〔苦楽〕について、どのように感じ、どのように対処していたのか。
『葉隠』より、印象的な三篇をご紹介しました。

「大雨の感」は、急な降雨を例にあげ、いったん腹をくくってしまえば、いくら雨に濡れようがなんともない。要は、いかなる変事もわが覚悟次第、と武士の〔苦〕に対する心構えを説いたもの。

「災難というものは…」では、浪人、切腹という武士にとっての最大の難事も、普段生死を離れていれば、どうということはない。むしろ悲観論により、ありもせぬ〔苦〕をせっせとつくっている者をあざ笑っているのです。

「わが気にいらぬことが、わがためになることなり」。
これこそ、ブッダの「俗人の苦は、聖人の楽」と太宗の「楽しみ、その中に在らん」につながる、〔苦と楽〕反転のヒントが見つかる逸話です。
「わが気にいらぬこと」、すなわち自分の苦労は、他人のためとなり、めぐりめぐって自分のためになる―。長年月、忍従生活に耐え、ついに鍋島藩を創業した藩祖鍋島直茂の人生の智慧が凝縮された至言といえましょう。


【劉向】

「憂いを同じうする者は相親し」
(『戦国策』)

中国、前漢の劉向(BC77-BC6)が、戦国時代の遊説の士の言説・逸話をまとめた『戦国策』からの名言です。
この句の意味は、苦難をともにする者は、結びつきがより強固になる、というもの。日本の「苦楽をともにする」ではなく、苦のみを分かち合う人間関係を述べています。同書にはまた、「欲を同じうする者は相憎み、愛を同じうする者は相親しむ」とあります。
ちなみにこの〔愛〕は男女間のものではなく、人間愛すなわち〔仁〕を指すものです。

【白居易】

「人うまれて婦人の身となるなかれ、百年の苦楽他人に因る」
(『太行路』)

唐の大詩人、白居易(白楽天)の詩の中の一節です。
「できることなら女に生まれたくはない。生涯の苦楽が他人(男・夫)によって決まってしまうから」という意味。帝の寵愛が薄れた宮女の悲哀を謳った詩ですが、他人に人生を翻弄されるのは、女ばかりではありません。『太行路』後半には、「朝に天子の寵愛を受けても、夜には死を賜る。世を渡る道は険しい。ただ人の心は移ろい行く、定めのないものだから」とあります。
現代の組織人の苦楽も、本質的には1300年前の唐の官人と何ら変わるところがないようです。


【沢庵】

「草木の苦しみ悲しみを、人は知らず」
(『玲瓏集』)

〔現代語訳〕
栗や柿などの実をたとえとして考えてみよ。
 これらに苦しみも悲しみもない、と思うのは人間の側からの考えである。栗や柿の身には、苦しみも悲しみも本来備わっているはずだ。
 草木が苦しんでいる有様は、人間が苦悩する姿と変わることはない。たとえば水を遣ってみれば、いきいきとして喜んでいる姿が見られよう。しかし伐れば、地に倒れ葉がしおれていく様が、人が死んでいく姿と同じである。

 草木の苦しみ悲しみを、人は知らず。
 草木もまた、人がわれを見るごとくに、人には苦しみも悲しみもないのだと感じていよう。かれのことをわれ知らず、われのことをかれ知らず。ただ、それだけのことである。このことは儒書にも書かれている。


草木の苦楽を例に引き、他者の苦を人は決して知り得ない、と沢庵宗彭は説きます。
しかし草木であってさえ、苦しみ悲しみのかすかなサインを発しているもの。これを感じ取り、共感し、手を差しのべることが仏教の大慈悲、すなわち聖人の心です。
沢庵はいいます、自分の苦しみは決して人にはわからない、他人も同じ。しかれば他人はなんと苦しいことであろう、その人に自分は何をしてあげられるのだろうか、と。

【徳川光圀】

「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし」
(『徳川光圀壁書』)

黄門様が子孫へ与えた訓戒九か条の内の一句です。
この句をネットで調べてみると、「苦と楽はたとえばないだ縄のように交互にやってくるもの。今は苦しくともじっと耐えればやがていいこともある。希望をもて」と解釈するものがほとんどです。しかし、近世きっての合理主義者が子孫へ遺す言葉として、この解釈は少々生ぬるい。

「苦を重ねればその後の楽はいっそう楽となり、楽のみを知った者の苦は、いっそうつらく感じられる」

殿様のお坊ちゃんとして絹布団の上でぬくぬく育てられた子供たちに与えた言葉は、こうした意味ではなかったのか。

「生涯苦を求めよ、己を磨け。楽は一度きり、あの世の極楽だけでよい」

生涯実学を重んじ、後年彰考館より俊英を輩出させた水戸学の祖は、苦の効用を誰よりも知りぬいていたのでしょう。

2014年06月16日 10:19

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