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名言名句 第二十二回 十七条憲法 われ必ず聖なるにあらず

 No.39
 われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。

~十七条憲法『日本書紀』(聖徳太子)


聖徳太子が、推古天皇12年(604年)に制定した、十七条憲法第十条の中の一句です。まずは、原文(読み下し)と現代語訳でその内容を味読してみましょう。


〔原文〕
 十に曰く。忿(ふん)を絶ち瞋(しん)を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。彼是とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

〔現代語訳〕
第十条。怒りを心と振る舞いから捨て去り、たとえほかの人が自分の思いにそぐわぬとしても怒ってはならぬ。人はみな心があり、その心のめざすところはみなまちまちである。彼がよしとすれば、われの意にはかなわず、われがよしとしても、彼の意にはそわぬ。ただわれのみ聖ということなく、彼のみ愚ということは決してない。人はみな凡夫だからだ。正しい、間違っているなど一体誰が定めえようか。人の賢愚はたとえば耳飾りの輪に、端がなく、つながっているようなもの。
すなわち、他人が怒る時、かえってわが身の過ちを恐れるべきであろう。われひとり正しいと確信したとしても、みなに同意し、行いをともにせよ。
(能文社 2009)


〔解説〕
 第十条で太子はまず、人の怒り、腹立ちを戒めます。しかし人間の本源的な感情の一つ、怒りそのものを消し去ってしまうべし、とはいいません。

「人の違うを怒らざれ」

 他人が自分の意に副わない時、また理解されない時に起こる、苛立ち、不快の念を克服すべし、と諭しています。
 さて、瞋(しん)とは仏教で「三毒(瞋・貪(どん)・癡(ち)」と呼ばれる逃れがたい人の煩悩のひとつ。相手が自分と意を異にすることから発せられる、怒り・憎しみの心です。忿(ふん)は随煩悩と呼ばれ、瞋の小カテゴリーで、外面的に怒りを発したり、癇癪を起こすこと。ちなみに瞋の小カテゴリーには、「恨」と「害」があり、「恨」は怒りが心に潜み持続する「うらみ」、「害」は怒りが行動となって他者に危害を与えることです。

 そもそも人はなぜ、腹を立てるのか。剣聖宮本武蔵は、兵法者の冷徹な視点で「怒り」を分析しています。

「むかつかするといふは、物毎にあり。一つにはきはどき心、二つにはむりなる心、三つには思はざる心、能く吟味有るべし」
(『五輪書』火之巻 講談社学術文庫)

 つまり人は、「際どい場面」で「無理だと感じ」「予期せぬ出来事」に対面した時、むかつく、すなわち怒りを発するというのです。

 太子は怒りの心を取り除くために、仏教の平等思想をよりどころとしながら、道家の是非不可知論を援用しました。これが「われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理なんぞよく定むべき」です。
 たとえば以下の『荘子』斉物篇などが、太子の念頭にあったのかもしれません。

「既に我れと若(なんじ)とをして弁ぜしめんに、若の我れに勝ち、我れの若に勝たざれば、若は果たして是にして、我れは果たして非なるか。我れの若に勝ち、若の吾われに勝たざれば、我れは果たして是にして、而は果たして非なるか。
 其れ或いは是にして其れ或いは非なるか。其れ倶(とも)に是にして、其れ倶に非なるか。我れと若とは相い知ること能わざるなり。
 則ち人固(もと)より其の黮闇(タンアン・くらやみ)を受けん。」

 自分と他者との間で、是非が定められぬ。その時、第三者に判定を依頼しても、評価はますます暗闇に陥るばかり…と『荘子』では説いています。

 是非、善悪の不可知論は、太子以降広くさまざまな分野で展開されてきました。親鸞は『歎異抄』で、

「(善悪の二つ)総じてもって存知せざるなり」

 とし、世阿弥は『風姿花伝』別紙口伝の中で、

「ただ時により、用足る物をばよき物とし、用足らぬをあしき物とす」

 と、ほぼ同じ音調で述懐しているのです。太子はこれに「相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端なきがごとし」のメタファーを置きます。そして以下が、第十条の核心。

「かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ」

 徳すなわち、仁と礼。儒教の根本を実践すべし、という。ここがもっとも太子らしい、もっとも日本人的な「和をもって貴しとなす」(第一条)の、十七条憲法基本精神へとつながっていく。

「われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え」

 自分ひとりのみが正しいと確信した場合も、粛々と衆議に従うべし。この大乗仏教的な万物平等思想と慈悲の心を受け継ぎ、厳守した太子の子孫は、わが一族すべての命と引き換えに、国と民を救う菩薩行を実践するのです。太子の血脈はここに絶え、十七条憲法の普遍的な人類救済の思想が遺されました。


 最後に、仏教、儒教、法家そして道家の思想までも兼ね備えた十七条憲法の各章を要約してみました。

■十七条憲法 要約

第一条 和を大切にし(和を以って貴しとなし),人と争うことのないようにすべし。

第二条 三宝(仏とその教えとそれを説く僧)を深くうやまうべし。

第三条 天皇の命令は,必ずつつしんで聞くべし。

第四条 役人たちは,礼儀正しくすべし。

第五条 よこしまな心をすて,公平な態度で裁判を。

第六条 悪をこらしめ,善をすすめよ。

第七条 役目にあった人に仕事をさせる。

第八条 役人は,朝早くから夕方おそくまで熱心に仕事をすべし。

第九条 お互いに信じあうこと。

第十条 人がことなる意見でも,腹を立てぬよう。

第十一条 功績,過失を明らかにし,必ず賞罰を加える。

第十二条 役人は,人民から私的に税をとりたててはならぬ。

第十三条 役人は,他人の役目もよく知っておくべし。

第十四条 役人たちは,互いにしっとの心をもたざるよう。

第十五条 自分の利益を考えずに,国のことを大事に思う。

第十六条 人民を使うときは,その時期をよく勘案すべし。

第十七条 大事なことは,必ずみなと談合する。

2009年06月29日 11:58

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