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名言名句 第四十六回 貞観政要 求めて得たものには、一文の値打ちもない。

 No.62
求めて得たものには、一文の値打ちもない。~蘇則『貞観政要』巻第二納諫第五(三国志/魏書)


『貞観政要』魏徴の諫言に引用される、古の賢人のことばです。
原文(読下し文)では、「求めて之を得るは、貴ぶに足らざるなり」とあります。
まずは、本文をご紹介しましょう。


〔現代語訳〕

 貞観年中、太宗は西域に使者を遣わせて葉護可汗(ようごかかん) ※1を擁立しようとした。しかし、使者がいまだ帰国せぬ内に、別の者を追って派遣。金と絹を山と積んで、諸国を回らせ、良馬を求めさせた。魏徴が諫めていう。

「現在、発している使いは可汗を立てることを名目としています。可汗がいまだ立たない内に、諸国を巡って馬を買わせようとしている。かの国の人は、今回の使いは馬を買うことが目的であり、必ずしも可汗を立てることに真意はない、と請け取ることでしょう。そして、可汗が立ったとしても、それほどに陛下に恩を感じることはございません。さらに立つことができなかった場合、深い恨みを抱かせてしまう。諸外国がこれを聞けば、中国を重んじぬようになりましょう。ただ、かの地域を安泰にすることさえできれば、諸国の馬など求めずして自らやって参るはず」

「昔、漢の文帝に千里の馬を献上する者がありました。帝はいう。
『われ、平時には日に三十里、戦時には日に五十里を行く。馬前には旗を立てた輿、後ろには添え車が続く。われひとり千里の馬に乗って、いったいいずこに行けというのであろうかな』
 すなわち、その者に旅程の費用を与え、馬は返したといいます。また、光武帝※2に千里の馬と宝剣を献じる者があったといいます。帝は、馬には鼓車(こしゃ) ※3を曳かせ、剣は騎士に与えてしまいました」

「今、陛下の施政は、みなはるかに三王※4のそれを超えております。それがなぜここにいたって、漢の文帝・光武帝の下風につこうとなさるのでしょうか。さらにいえば、魏の文帝※5が西域の大珠を求めようとしたことがございました。蘇則(そそく) ※6はいいました。
『陛下の恵みが四海におよぶならば、珠は求めずしてやってまいりましょう。求めて得たものには、一文の値打ちもございません』
 陛下にはたとえ、漢の文帝の遺徳をしのぶことがかなわぬとしても、蘇則の正言を恐れずにおられましょうか」

 太宗は、ただちに馬を求める使者を中止させた。


(『貞観政要(上)』巻第二 納諌第五 第八章 水野聡訳 能文社2012)

※1 葉護可汗 突厥の可汗。姓は阿史那氏、名は処羅侯(しょらこう)という。葉護は突厥の大臣をあらわす。もと葉護であったため葉護可汗と呼ばれた。可汗位継承に際し、先の可汗の遺言によりその弟である自身が次の可汗に指定されていたにもかかわらず、実子と位を譲り合った美談を残す。隋に朝貢し、旗鼓を賜い、西の阿波可汗(あぱかがん)を討った。
※2 光武帝 後漢初代皇帝。劉秀、字は文叔。王奔を破り、洛陽に都した。
※3 鼓車 大鼓を積む車。
※4 三王 古代の三聖王、すなわち夏の禹王、殷の湯王、周の文王・武王をさす。
※5 魏の文帝 三国時代、魏の皇帝、曹丕(そうひ)。曹操の長子。
※6 蘇則 魏の武功県の人。侍中として文帝に仕えた。
参照URL〔蘇則伝〕 三国志<魏書任蘇杜鄭倉傳第十六>

〔原文〕

貞観中、使を遣はして西域に詣り、葉護河干立てしむ。未だ還らざるに、又人をして多く金帛を賚し、諸国を歴て馬を市はしむ。魏徴諌めて曰く、今、使を発するは、河干を立つるを以て名と為す。河干未だ立つを定めざるに、即ち諸国に詣りて馬を市はしむ。彼必ず以て意は馬を市ふに在り、専ら河干を立つるが為めならずと為さん。河干、立つを得とも、則ち甚だしくは恩を懐はざらん。立つを得ざれば、則ち深怨を生ぜん。諸蕃、之を聞かば、且に中国を重んぜざらんとす。但だ彼の土をして安寧ならしめば、則ち諸国の馬、求めずして自ら至らん。

昔、漢文、千里の馬を献ずる者有り。帝曰く、吾、吉行は日に三十、凶行は日に五十、鸞輿、前に在り、属車、後に在り、吾独り千里の馬に乗りて、将に以て安くに之かんとするや、と。乃ち其の道里の費を償ひて之を返せり。又、光武、千里の馬及び宝剣を献ずる者有り。馬は以て鼓車に駕し、剣は以て騎士に賜ふ。

今、陛下の凡そ施為する所、皆はるかに三王の上に過ぎたり。奈何ぞ此に至りて、孝文・光武の下と為らんと欲するや。又、魏の文帝、西域の大珠を市はんことを求む。蘇則曰く、若し陛下、恵、四海に及ばば、則ち求めずして自ら至らん。求めて之を得るは、貴ぶに足らざるなり、と。陛下縦ひ漢文の高行を慕ふ能はずとも、蘇則の正言を畏れざる可けんや、と。太宗、遽に之を止めしむ。

(『貞観政要』原田種成 明治書院 昭和54年)

ことの起こりは、太宗が降した突厥に新可汗を立てようとしたことに発します。かの国に唐の意を汲んだ新君主を擁立したことは順当でした。が、そのことが確定せぬうちに、商人のようにかの地の良馬を買いあさろうとした。
帝王の振る舞いとはいえず、さらに国と国との信頼関係を根底からゆるがす行い。
魏徴が、この稚拙な行為を見逃すはずもなく、漢や魏王の故事を引き諫めるのです。

「求めて得たものには、一文の値打ちもない」

この激越な反語表現には、帝王の無限の欲望を戒めると同時に、創業当時の礼を重んじる徳治政策を忘れずに継続、実行し、後世に聖王の名を遺してほしい。そんな忠臣の切なる願いが込められていました。

宝珠、名馬、美女など、人は宝を手に入れると、際限もなくその欲望は増大するばかり。ましてや帝王たる身、望んで手に入れられぬものは何もないのです。かくして欲望と奢侈に歯止めがなくなれば、速やかに国は滅亡へといたる。自滅のシナリオを常に恐れ、「足るを知る」べきである、と魏徴は諫めました。

現代語では〔徳〕と〔得〕は違った意味をもちますが、そもそも〔徳〕は〔得〕を生み出すもの。
古くは同じ意味のことばだったのです。
帝王の徳が四海隅々にまで押し広げられる時、名馬珍宝はいうまでもなく、国家の安定・興隆と、千年後の世までもとどめられる名誉が得られるのです。なんと測ることもできない大きな〔得〕でしょうか。

直接求めようとしても得られぬものに、日本人が考える〔位〕という概念があります。
能の大成者世阿弥は、舞台表現の要となる、芸の位を「求めれば求めるほど、遠のいていくもの」と考えました。

 また、初心の人、思ふべし。稽古に位を心がけんは、返すがへす叶ふまじ。位はいよいよ叶はで、あまつさへ、稽古しつる分も下がるべし。所詮、位・長とは、生得の事にて、得ずしては大方叶ふまじ。また、稽古の却入りて、垢落ちぬれば、この位、自れと出で来る事あり。稽古とは、音曲・舞・働き・物まね、かやうの品々を極むる形木なり。
 よくよく公案して思ふに、幽玄の位は生得のものか。長けたる位は却入りたる所か。心中に案を廻らすべし。
(『風姿花伝』第三 問答條々)

〔位〕は遠のくばかりではなく、稽古した分だけ「下がるべし」。
〔幽玄の位〕は人に生まれつき備わったものであり、〔たけたる位〕は経験を積み精進を重ねた末に知らぬうちに身につくものである、と世阿弥は指摘します。

帝王の徳や、能芸の位などと聞けば、ぼくたちにとって何か縁遠いもののように感じられますが、一直進に突進して達せられる目標や、たやすく入手できる物のはかなさ、頼りなさを教えてくれる名言ではないでしょうか。

「放てば、手にみてり」(正法眼蔵)

徳や位は、禅の悟りとどこか共通しています。欲やこだわり、執着を捨てたとき、人は本当の宝物を知らず知らずのうちに手にできるのかもしれません。

2014年07月17日 18:53

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