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名言名句 第二十八回 貞観政要 人君過失有るは日月の蝕の如く

 No.45
 人君過失有るは日月の蝕の如く、人皆これを見る。

~『貞観政要』巻第七 劉洎

●『貞観政要(上)(下) 呉兢 撰/水野聡 訳』2012年能文社

■天子の悪事を、日蝕や月蝕のように民は恐れ、心にとどめる。

 唐の時代、皇帝の言行を記録する官名を起居注といいました。ある時、太宗は起居注にわが記録を見たい、と申し入れる。これに対し、起居注の褚襚良が、「前例にない」と拒否。側にいた、劉洎も古語を引いて、諫めました。それが、この名言。まずは本文を弊社訳にてご紹介しましょう。


 貞観十三年、褚襚良(ちょすいりょう)は諫儀大夫となり、起居注(ききょちゅう)を兼任した。太宗が問うた。
「卿は今、起居注となっている。どのようなことを記録するのか。一体人君は、これを見ることができるのだろうか。朕がそれを見たいと思うのは、わが行いの得失を知り、将来への戒めとしたいのだが」
 襚良が答える。
「現在の起居注は、古代の左史右史にあたる職。人君の言動を記録する官です。善悪ともにもらさず書き留め、人君が法を踏み外さぬように、と願うものです。かつて帝王自らこの記録を閲覧したためしはありません。」

 太宗はいった。
「朕に良くないことがあっても、卿は必ず記録するのか。」
 襚良は答える。
「臣は『道を守るは、官を守るにしかず』という言葉を聞いています。臣の職は、記録官。どのようなものであれ、それを記録せずにおられましょうか。」
 ここで、黄門侍郎の劉洎が進み出ていった。
「たとえば人君の過失は、日食・月食のようなもの。人はみな、これを見ます。たとえ褚襚良にそれを記録させなかったとしても、天下の人は残らずこれを記憶します。」

(『貞観政要』巻第七 論文史第二十八 2010年 能文社)


中国史きっての明君たる太宗も、一人の人間。「いったい自分が普段どのようにいっているのか。また、途方もない過ちを犯してはいないか」。自分の記録が気になって仕方がなかったのです。しかし、古代より史官は天子の言行を善悪もらさず記録し、天子はそれを決してみることはできない、との不文律がありました。
 皇帝といえども、歴史の真実を曲げることはできない。なぜなら帝自身が天より命ぜられた代理人であり、真実はすべて天がお見通しであるから。このような歴史観を中国はもち、史官を中心とする歴史著述者はかたくなに”皇帝閲覧不可”の伝統を守り通してきたのです。
 それはまた、皇帝に悪行をなさせぬためのブレーキとして働くもの。襚良が、筋を通し皇帝の願いを拒み、側の劉洎も「人君過失有るは」の名言により、全知全能に近い聖天子をやんわりと諫めたのでした。ちなみにこの名言は、孔子の弟子、子貢の「子貢曰く。君子の過は日月の食の如し。過つときは人皆之を見る。更むるときは人皆之を仰ぐ」(『論語』子張篇)から引用したものです。

■ただ『史記』の完成のためだけに、恥を忍び生きながらえる。

 前述のように、起居注とは、唐の時代天子の左右に居り、その言行を記録する官職でした。それは、「古代の左史右史」を継承したもの。『礼記』玉藻篇に、「天子、玄端して居り、動けば左史之を書し、言へば右史之を書す」。『漢書』芸文志には、「左史言を記し、右史事を記す」とあります。左、右の相違はあるものの古来より天子の左右にはその言行を記録する史官があったことがわかります。

 歴史を著述する史官として、世界史上もっとも高名なのが、『史記』を編述した司馬遷です。太史令(漢の史官)として、不遇の内に最期を遂げた父、司馬談。悲願の史書作成もいまだ手付かずでした。その遺鉢を継いだのが子息の司馬遷。自身度重なる不幸と苦難を乗り越え、中国史書中、不滅の金字塔たる『史記』の完成に生涯をかけました。宮刑による人間性否定の屈辱に耐えながら、史記編述に取り組んだ執念は、友人の任少卿にあてた手紙に読み取れます。

「本来自分は死を恐れない、あの事件の時、死を選ぶのは実に簡単な事だったが、もしあの時死んでしまっては自分の命など九頭の牛の一本の毛の価値すらなかった。死ぬことが難しいのではない、死に対処することが難しかったのです。自分が死んでしまえば史記を完成させることが出来ない、仕事が途中のままで終わるのを自分はもっとも恥とするところでした」と述べ、更に「そもそも宦官として生き恥を晒している自分が賢人を推薦するなど滅相も無いことであったのです。今の自分はただ、『史記』の完成のためだけに生き永らえている身であり、この本を完成させて原本を名山に納め、副本を世に流布させることが出来たなら、自分は八つ裂きにされようともかまいません。」
(『漢書』司馬遷伝 「報任少卿書」)

 『後漢書』蔡邕(さいよう)伝に、王允(おういん)の
「昔、武帝は司馬遷を殺さず、謗書を作りて後世に流さしむ」
 の語があります。かくして、ついに『史記』は完成。武帝の死後、司馬遷の子孫により公表されました。むろんそこでは、漢王室の善事も悪事もあますところなく伝えられています。

 史官が記録した天子の言行は、本人には決して見せず、その崩御後、史館(国史編纂所)へ容れられる。ここではじめて国史が編述されることとなります。史官の職掌は、歴史の真実を伝え、遺すこと。まさに天が命ずる聖職です。生命を賭して、これをまっとうせんとしたのが、古代の左史右史であり、太史、起居注などの史官たちでした。『貞観政要』を著した呉競もまた、そうした史官の一人。神格化された聖帝ではなく、悩み、苦しむ一個の人間として、太宗等身大の実像を今日に伝えてくれたのです。


■歴史を遺すため、あえて死地に奔る地方史官。

 「天命をもって君命より重し」、とする例は、歴史に多々見られます。史官の不撓不屈の精神を、歴史上著名な晋の太史令董狐(とうこ)、斉の大史(姓名不詳)の二人の故事からたどってみましょう。

 晋の君主、霊公は暗愚暴虐な主であった。かたや正卿の趙盾(ちょうとん)は、国に数々の功績を残した名宰相である。度々諫める趙盾を、霊公は煩わしくて仕方がない。ついに霊公は刺客を放ち、趙盾を亡き者にせんと企てる。執拗に迫る魔の手を逃れ、かろうじて死地を脱した趙盾は、ひとまず他国へ出奔しようとした。しかしこの間、趙盾の親族、将軍の趙穿(ちょうせん)が霊公をついに弑殺してしまう。
 晋の太史、董狐は、
「趙盾が、その君を弑殺した」
 と記録し、国に帰った趙盾につきつける。殺したのは自分ではない、と反論する趙盾に董狐はいう。
「あなたは国権を統括する正卿であり、いまだ国内に留まっていた(臣下を統率できた)にも関わらず、君主を弑殺させた。また国に戻っても、首謀者を誅殺しようとしない。このような状態で、君主を殺した責任者は、あなたではなく、一体誰だといえるのですか」

孔子はこれを聞き、嘆いていった。
「董狐は古の立派な史官。法を曲げずに、よく記録した。趙盾も立派な大夫である。法に服して悪名を受けた。国境をいまだ越えずにいたことのみ惜しまれる。さもなくば、君主弑殺の汚名を免れえたのに」。
(『史記』晋世家第九より要約)


 さて、もうひとつの故事は、同時代、斉の大史の例。屍の上にいくつ屍を重ねようとも、決して真実の筆を曲げようとしなかった、凄まじい魂の記録です。読み下し原文を見ましょう。

「大史書して曰く、崔杼(さいちょ)其の君を弑す、と。崔子之を殺す。其の弟、嗣ぎて書す。而して死する者二人。其の弟また書す。すなわち之を許す。南史氏、大史ことごとく死せりと聞き、簡をとりて以って往く。既に書せりと聞きすなわち還る。」
(『春秋左氏伝』襄公二十五年)

 こちらは臣下の崔杼が、主君荘公を弑殺する事件。しかも君主の近親、側近をほとんど殺害するクーデターです。史官である斉の大史は、生命を賭けてこれを記録した。崔杼は大史を抹殺した。しかしその弟がこれを受け継いで書き、政庁に提出した。崔杼はこれも殺し、大史が二人続けて命を落とす。しかし、そのさらに弟が、またもや書き継いだので、崔杼はとうとうあきらめたのです。
南史氏は、斉南部の地方史官。中央の大史一族が、ことごとく殺されたと聞いたので、その志を継ぎ、真実を記録せんとして竹簡(文書記録用の竹の札)を携え、中央政庁を訪れる。しかし、大史三番目の弟により、主君弑殺の記録がすでに奉納されたと知り、故郷へ引き返すのでした。

 真実を曲げんと、いくら史官を殺し続けても、きりがないのです。これが中国の史官の伝統。「人君の過失は人皆これを見る」。たとえ国中の史官を一人残らず抹殺したとしても、「天下の人は残らずこれを記憶」します。天の目はひとつ。しかし、それを代理する地の目は無数あり、何人たりともこれを逃れるすべはないといえましょう。

2010年06月29日 12:14

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