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名言名句 第四十二回 葉隠 只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり。

 No.59
只今の一念より外はこれなく候。一念々々と重ねて一生なり。~山本常朝『葉隠』

葉隠武士道を象徴する、もっとも有名な一句です。まずは、本文を現代語訳にてご紹介しましょう。

聞書第二 一七 
たった今、この一瞬の一念というもの以外には何もない。この一念一念を積み重ねて行くことが、一生だ。この境地に達すれば、人に振り回されることもなく、求めることもなくなる。ただ、この一念を守って暮らしてゆくだけのこと。すべての人は、この一念というものを見失っている。自分の外に何かがあると思い込み、捜し求めている。が、それは一生見つからない。この念を守り固めて、抜け落ちないようにするには、経験を積まなければならない。しかし、いったんそこに辿り着けば、普段意識しなくても、もはや別物になってしまうことはない。究極はこの一念にあり、ということをよくよく得心できれば、煩雑なことはほとんどなくなる。この一念に忠節は備わっているのだ。

(『葉隠 現代語全文完訳』能文社2006年)

「只今の一念」は、禅のもっとも重要な教えに基づいています。能、茶道、俳諧などの日本文化と同様に、武士道も禅をその基盤として成立、発展してきました。
禅は、意思の宗教です。生死が日常である武士にとって、禅は極楽に往生することを第一に説く前代の仏教にくらべて、死そのものよりも、死と直面し「今、ここに生きる」一瞬の生を大切にしています。さらに「禅の修業は、単純、直截、自恃、克己的であり、この戒律的な傾向が戦闘精神とよく一致する」(『禅と日本文化』鈴木大拙 岩波書店2003年)ものといえましょう。禅は道徳的にも哲学的にも、武士階級にとってことさら身近であり、武士階級、武士道と深く結びついたのです。

 今ここに生きる、一瞬の生を最重要視する思想はまた、茶道の「一期一会」、能の「一座建立」を生み出しました。

 さて、達磨によりまず中国で成立した、禅。一念と生死の超越の概念は、禅の代表的な公案問答集『無門関』第四十七則にあらわれます。


〔原文〕

兜率悦(とそつえつ)和尚、三関を設けて学者に問う、
「撥草参玄(はっそうさんげん)は只だ見性を図る。即今上人の性、甚れの処にか在る?」
「自性を識得(しきとく)すれば方(まさ)に生死を脱す。眼光落つる時、作麼生(そもさん)か脱せん?」
「生死を脱得すれば便ち去処を知る。四大分離して甚(いず)れの処に向ってか去る?」

無門曰く:
若し能く此の三転語を下し得ば、便ち以って随処に主と作(な)り、縁に遇うて即ち宗なるべし。其れ或いは未だ然らずんば、麁飡(そさん)は飽き易く細嚼(さいしゃく)は飢え難し。

頌に曰く:
一念普く観ず無量劫、無量劫の事即ち如今。
如今箇の一念を覰破すれば、如今観る底の人を覰破す。

(『無門関』無門慧開 岩波文庫1994年)

〔現代語訳〕

兜率従悦和尚は三つの関門を設けて参禅修行者に問うた、
「諸方を遍歴し明眼の師に参じて宗旨を究める目的は、ただいかにして見性するかにある。
さあ即今おまえの自性はどこにあるか?」
「自性を明らかにすれば、直ちに生死を超脱することができる。
ではおまえの眼光が落ち、死ぬ時、どのように死んだらよいだろうか?」
「生死を超越できれば死後の行き先も分かる。四大分離して死んだ時おまえはいったい何処に向って去るのだろうか?」

無門和尚がいう:
もしこれら、三つの問いに対して核心をつく適切な言葉をいうことができれば、何処にいても主体性を発揮して、周りに支配されるようなことはないだろう。

もし未だそのようにはなれないならば、がつがつとあわてて食って直ぐ腹が減るといった食べ方を止めるがよい。よく咀嚼して食べれば飢えるようなことはなかろう。 

頌にいう:
一念で無限の時間を観ずれば、無限の時間は今にある。
今この一念を見破れば、今その一念を観ている人を見破ることができるだろう。

(現代語訳 能文社2013年)


 一瞬の一念に宇宙全体と無限の時間を観ずるという。そこにはただひとつの迷い、塵のごとき煩悩すら起こりえないとするのが、「一念不生」という悟達の境地。わが国の禅の開山、道元は『無門関』第三十九則 雲門話墮をもとにその極致を喝破します。


〔原文〕
一念不生全體現(一念不生にして全体現ず)。
念念一一なり。これはかならず不生なり、これ全体全現なり。このゆゑに一念不生と道取す。

〔現代語訳〕
一念不生であればそこに全体が現ず。
一念一念はそれぞれ独立している、この一念はかならず不生である、一念でそれぞれ真理の全体である。よって、一念は不生であるというのである。

(『正法眼蔵』空華巻 道元)


 死の一歩手前にいたるまでの、凄まじい肉体的修行によって、「一念不生」を体得した、江戸期の傑僧、盤珪。この体験をもとに自ら不生禅を打ちたて、民衆にやさしいことばで不生(迷いがない生)の真実を説き続けました。

 そもそも禅は、もっとも直接的・直感的・実践的とされる宗教です。武士が己の精神の拠り所とし、行動の規範を求めようとする時、難解な仏教教義の追究は必要ありませんでした。
 「一念」も、「正念」も、「不生」も、ただ何物にもゆるがぬ鋼鉄のごとき意思を鍛え上げ、今この一瞬に全生命をかけて生き抜くために、概念ではなく、行動として直接捉え、理解したものに違いありません。

 『葉隠』と『徒然草』から、「只今の一念」を具体的にたどる段落を以下にご紹介しましょう。
 信仰や悟りといえば、今日縁遠いもののように感じられますが、たとえばぼくたちが何かを実現しようとする時、目標を達成しようとする時、なくてはならない何かを教えてくれるのではないでしょうか。


聞書第一 六一
「人として心がけねばならぬ大事なこと、修行すべきことは何であろうか」
と聞かれたら、何と答えるべきか。まず申してみる。ただ今のこの一瞬を正念でいる、その様である。諸人、心が抜けてばかり見える。生きた面は、正念に現れる。万事をなす内に、胸にひとつ出で来るものがある。これが君に対しては忠、親には孝、武には勇、その他万事に使えるものとなる。これをみつけることは成り難い。みつけても、普段持ち続けることが、また難しい。ただ今の当念以外には何もない。

聞書第二 四七
権之丞へ話して聞かせた。ただ今がもしもの時で、もしもの時がただ今のことなのだ、と。この二つを別々に考えるゆえ、いざその時に、間に合わなくなる。たとえば、まさに今、御前に召し出され、
「何々の件を今そこで言って見よ」
といわれたとしたら、おそらく当惑することであろう。二つを別々に感じている証拠である。ただ今とその時を分けずに一つにしておくということは、御前で言上する役ではないとしても、奉公人となったからには、御前でも家老衆の前でも、公儀のお城で公方様の御前でも、きっぱりと言ってのけるように、寝間の片隅なりとも毎晩口に出し、習っておくことなのだ。万事かくのごときものなのだ。これに倣い吟味すべし。槍を突く事も、公用の勤めをする事も全く同じ。かように煎じ詰めて考えると、日頃の油断、今日の不覚悟も、皆にわかってしまうものだ、と話した。

(『葉隠 現代語全文完訳』能文社2006年)


・徒然草 九二段
さる人が弓術を習い、二本の矢を手に挟んで的に向かっていった。これを見た弓の師匠がいう、
「初心者は、二本の矢を持ってはならぬ。後の矢を頼りにして、始めの矢をおろそかにする心が生まれる。何回も的に当たるか当たらないかを考えるのではなく、いつもこの一矢で決めると思え」
と。たかだか二本の矢、師匠の前で無駄にしようなどと思うものか。しかし緩み、緊張感のない心は、自分では気がつかなくても、師はそれを知る。この戒めは、万事に及ぶものだ。

仏道を学ぶ者は、夕方には明日の朝があると思い、朝には夕方があると思って、時間をかけ、しっかり修行しようとするものだ。どうして、僅かな瞬間の中で、怠けた心のある事など知ることができるだろうか。どうして、ただ今の一念によって、すぐにやろうとする事がこんなにも難しいのだろうか。

(『徒然草』 現代語訳 能文社2013年)

2013年09月03日 10:30

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