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No.75
百里を行く者は、九十を半とす。~劉向『戦国策』秦巻第三
古代中国戦国時代、強国秦の武王を家臣が諫めるため、古語より引用した一文にある名句です。
本文中「詩に云く」とあるのは、孔子が古詩より三百十一編を選んで『詩経』を撰した際、収録しなかったものを『逸詩』と呼び、そこから引用したことを指しています。
「詩に云く、百里を行く者は、九十を半とす、と。これ末路の難きを言ふなり」
文意は、なにごとも終わり間際ほど不測の事態が多いため、九分までたどり着いたところで、「ようやく半分」と考え、最後まで気を抜いてはならぬ、となります。
当時、秦は強国ながら最大の敵、楚と対峙していました。秦・楚、互いに同盟国の力を借りて防衛を強化していたのですが、中立国の斉や宋の出方次第で、形勢が急転、滅亡にいたりかねない危機をはらんでいたのです。
武王の名は蕩(とう)、恵文王の子です。前311年王位に就き、樗里疾、甘茂ら丞相の貢献により版図を拡大、周王室を伺うほどの強勢をほこりました。とかく力を恃み、おごりたかぶる王に対して、謙虚に同盟国と協調し、「詰めを万全」として強敵を下すべく献策した家臣の諫争文がこの「百里を行く者」でした。
人は大きな目標を目指すとき、九分九厘まで進んだなら「すでに成った」と、気を緩めがちです。
スポーツ、ゲーム、勝負事では、最後の一手を誤り、それまでの形勢が一気に逆転することが多々あります。
中国戦国時代の一里は現代の約405m。百里は40.5kmとなり、ほぼフルマラソンに等しい距離となります。マラソン初挑戦者が往々にして越えられないのが、“35kmの壁”。
運動生理学の仮説、セントラルガバナー理論によれば、35kmあたりに達するとランナーの意志とはかかわりなく、総運動量を認識する脳が、エネルギーを使い切らないように疲労感を覚える物質を放出するといいます。
スタミナやグリコーゲンの量とは関係なく、身体はまだ走れるのに、なぜか足が突然棒になり、一歩も進めなくなってしまうのです。
これは生体保存の仕組みですが、肉体と直接関係のない目標達成についても、脳が何らかのブレーキをかけ、最後の一枚が狂って巨大なドミノが崩壊してしまうのかもしれません。
類似の故事成語に、「九仞の功を一簣に欠く」があります。
これはそびえたつ山や城を築きあげる時、最後の一杯の土が足りないため、完成しない。つまり、成就の一歩手前、つまらない手抜きのため失敗する、ということわざです。
大きなゴールほど意識せず、ひたすら全力で走り続け、気が付けばすでにゴールを「とうに過ぎていた」というのが、目標必達の秘訣なのかもしれません。
〈原文・読み下し文〉
詩に云わく、百里を行く者は、九十を半とす、と。此れ末路の難きを言ふなり。
今、大王、皆驕色有り。臣の心を以て之を観るに、天下の事は、世主の心に依る。
楚、兵を受くるに非ずんば、必ず秦ならん。何を以て其の然るを知るや。秦人、
魏を援けて以て楚を拒ぎ、楚人、韓を援けて以て秦を拒ぐ。四国の兵敵しうして、
未だ復た戦ふこと能はざるなり。斉・宋縄墨の外に在つて、以て権を為す。
故に曰く、先ず斉・宋を得ん者は、秦を伐たん。秦先ず斉・宋を得ば、則ち韓氏
鑠けん。韓氏鑠けば、則ち楚は孤となりて兵を受けん。楚先ず之を得ば、則ち魏氏鑠けん。
魏氏鑠けば、則ち秦は孤となりて兵を受けん。若し此の計に随つて之を
行はば、則ち両国は、必ず天下の笑ひと為らん、と。
(『新釈漢文大系47 戦国策 上』秦巻第三 明治書院 昭和54.8.10)
〈現代語訳〉
『詩』では、「百里を行く者は、九十を半とす」といいます。
これは最後の仕上げが難しいことをいったものです。
大王には今、すこぶる驕慢なご様子がうかがえます。
臣の意見を申し上げますと、天下の覇業は、他の諸侯の心次第。
楚が攻められぬ時は、必ずわが秦が攻撃されましょう。なにゆえかと申しますと
秦は同盟国の魏によって楚を防ぎ、楚は同盟国の韓により、わが国秦を防衛している。
この四国の兵力は相等しく、今は互いに再戦をためらっています。
さて一方で、斉と宋は争いの圏外にあり、この戦の鍵をにぎっている。
よってこういえましょう。先に斉と宋を味方につけた国が秦を討つ。
秦が斉・宋と結べば、韓が攻められて消滅します。韓が消えれば、楚は孤立して侵攻される。
逆に、楚が斉・宋と結んだなら、魏は消滅。
魏が消えればわが秦は孤立し、攻め込まれましょう。
もしもこの計画通りに進んだならば、秦・楚両強国は、斉・宋ごときに
手玉に取られ、天下の笑い者となってしまいます。
(水野聡訳 能文社 2017年5月31日)
2017年05月31日 11:40
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